第六話 授業開始
始業式から、一日。その日、登校した斎を待っていたのは、視線だった。
好奇、羨望、あるいは嫉妬。そんなところだろうか。感情の渦にも似た視線に突き刺されながら、校門から教室まで歩いていく。
どういう経緯なのかは分からないが、どうやら先日の件は既に知られているらしかった。
憂鬱な気分のまま、胸ポケットの学生証をスリットに通し、校舎へと入る。第二学年の校舎は二階なので、近場の階段へと足を向けた。
「おはよっ、イツキ」
階段の一段目を上ろうとしたとき、背後から声がかかった。ぱたぱたと駆けてくる音。
「おはよう、アンジー」
振り向きながら答える。案の定そこにいた紅い髪の少女は、にっこりと微笑みながら、斎の隣に並んだ。
「昨日は大変だったね……」
「ああ。……随分と濃い一日だった気がする」
それは偽らざる本音だった。
始業式の日に、喧嘩というにはやや物騒な事態に介入し、さらには生徒会室に呼ばれ、恐らくこの学校での重役たちなのであろう生徒たちと邂逅した。
まったくもって、濃い一日だった。良いか悪いかはともかくとして。
「でも、凄いじゃない、イツキ。あの東郷先輩に認めてもらうなんて」
「……そんなに有名な人なのか?」
「もちろん。総合成績で三位。対人戦闘だと右に出る人は……まあ、細峯先輩ぐらいかな」
へえ、と頷く。確かに、ものすごく雰囲気のある人物だった。なんというか、雰囲気だけで斬れそうな感じで。
(あれは軍人、っていうより武士、って感じだけどな)
只者ではない、という意味では同じであるかもしれない。雰囲気だけでいえば、彼は学生の域を遥かに超えていた。
ただ、それで言うのならば。
「細峯先輩って、そんなに凄いのか……」
「対人格闘成績ならほぼ互角で、総合成績なら、細峯先輩のほうが少し上みたいだね」
確かに、強いだろう、というのは感じていた。だが、よもやこの学院でのトップだとは。
「なら、俺の手出しは、完全に無駄だったっていうことか……」
「そ、そんなことないと思うけど」
溜め息を吐く。アンジーの慰めも、事実を歪めてくれるわけではない。どちらにせよ、自分が勝手に暴れ、勝手に目立ってしまった、というただそれだけの間抜けな結果なわけだ。
(細峯先輩、と言えば)
悪いことをしてしまった、と思う。
あの時、自分の中で、誘いを断る以外の選択肢はなかった。とはいえ、彼女がわざわざ自分を推薦し、生徒会長にまで直談判してくれたのも確かなわけで。
結局昨日は、帰るときにも姿を見なかった。ひょっとしたら怒らせたかもしれない。あるいは、ショックのひとつも受けてしまったかもしれない……が。
(俺が心配しても、どうしようもない、か)
誘いを断った身なのだ。自分がああだこうだと言ったところで、何にもならない。
などと云々と迷っていると、気がつけば教室の扉の前だった。
斎のクラスは六組だ。第二学年第六組。無論、いったいどういうクラスで、どういった人間がいるのかは、まだよく分からないわけだが。
ドアのパネルに手をかざす。そのまま手を横に滑らせると、それと連動して、ドアも横へとスライドした。
中へ入る――と。
「よっ、おはよーさん、有名人!」
ばんっ、と不意打ちで背を叩かれ、若干つんのめりながら、振り返った。
気づけばいつの間にか、そこには自分よりもやや高い背の、黒髪の少年が立っていた。人好きのする笑みを浮かべて、こちらを見下ろしている。
「有名人、って……」
「そりゃー、有名人だからな。九桐斎っしょ、九桐斎」
「ああ、まあ、そうだけど」
答えると、にかっと笑って、再びバンバンとこちらの背を叩いてきた。
「聞いたぜ。昨日、あの生徒会長に呼び出されたんだろ? 始業式サボるわで、速攻問題児かと思ったら、なんでもお咎めなしらしいし? いやーもーわけわからんて感じで有名人」
高速でまくし立てられた挙句、「ま、入りな」などと教室に押し込まれてしまう。
途端。早めに登校していた生徒から浴びせられる目線。さらには。
「おーい皆ぁ、有名人が来たぜー!」
背後からの声にちらちらがじろじろへと変わる。まだ幸運だったのが、早朝ゆえか人影がまだまばらであったことか。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと、コウ! 何やってんのよ!」
「あ? 何、ってそりゃ……どっからどう見ても自己紹介?」
「どう見ても吊るし上げでしかないわよ! この馬鹿!」
後ろから追いかけ来たアンジーが、コウから斎を引き離すように割り込む。ようやくアンジーの顔を認めたらしい少年が、おお、と両手を打ち合わせた。
「誰かと思えば委員長かよ! ……つーことは、アレか? まさか一緒に登校……」
「ち、ちちち違うわよ馬鹿! 偶然階段で一緒になっただけ! あと委員長はまだ決まってない!」
がーとまくし立てるアンジーに、コウは、ニヤニヤしつつ顎を撫でた。
「いやぁ、委員長の焦った顔なんて、俺初めて見るなぁ。なるほど……」
「なるほどじゃない!」
叫ぶアンジーのことなど何のその、だ。先ほどに増す勢いでバシバシと背中を連打されうえに、がっしりとヘッドロックを極められ、斎は眉間を寄せた。割と真剣に痛い。ついでに言えば、なぜか感じる視線の一部に殺気を感じたりもする。
「いいから離しなさいって、もう!」
気づかないうちに何か人生を間違えたのか、斎が真剣に悩んでいると、アンジーがコウから斎を引き離した。ヘッドロックからようやっと逃れられた斎は、ようやっと振り返り、男を見た。
背の高い男である。比較的整っている顔立ちなのだろうが、笑い方がそれをどこか三枚目に見せていた。つんつんの黒い髪と、ブラウンの瞳。典型的な日本人に見える。
「冷たいなぁおい。こんなもん、仲の良い同級生のスキンシップじゃね?」
「仲の良いって……あのね、今知り合ったばっかりでしょ?」
「あ、バレた?」
てへ、と笑うと、悪戯げな笑みのまま、少年は斎へと振り返った。
「そんなわけで、今日から同じクラスっつーことで、よろしくな」
「ああ、ええと……」
「おっと、忘れてた。自己紹介もまだだっけか」
ははっと笑って、改めて、とこちらへと手を伸ばした。
「俺は黒瀬晃一郎。呼び方はコウちゃん、とか、コウちん、とかで」
「ああ。九桐斎だ。よろしく、コウちん」
素直に言われたとおり言ってやると、一瞬眼を白黒させて、そして物凄く嫌な顔になった。
「冗談に決まってんだろーが。マジで呼ぶな! うぅ、気持ち悪ぃ……」
「おい……じゃあ何て呼べばいいんだ?」
「コウでいいよ、コウで」
分かったよ、と頷く斎。伸ばされた手を握り、がっしりと握手する。
「っしゃ、これで俺らはマブダチだぜ有名人! よろしくな」
手を握ってぶんぶんと振ると、にかっと笑った。
『有名人』という響きにものすごく憂鬱になりつつ、答える。
「ああ、よろしく……あとマブダチついでに、有名人はやめてくれ」
「そうか? ……まあいいや。じゃ、なんて呼んだらいい?」
斎は「普通でいい」と答え、手を離した。少年は「そか」と答えると、近くの椅子にどっかりと腰を下ろした。そこは斎の席のひとつ横だ。
「……隣の席だったのか?」
「おーよ、昨日からだぜ? ま、ずっと暗ーい顔してたしなあ」
などと言いつつ、めいめいの席へと座る。アンジーの席は随分と前だ。机にカバンを置くと、一瞬こちらを振り返ろうとして――後ろの女生徒に話しかけられ、そちらを向いた。見るに黒髪を三つ編みにした、おっとりとした雰囲気の和風少女である。
時たまこちらを指差されつつ、それを眺めて斎に、コウが再度のヘッドロック。そして、そのまま囁きかけてくる。
「……委員長と話してんのは、各務雪奈な。うちのナンバー2」
「ナンバー2? 成績のか?」
「馬鹿、人気度に決まってんだろ! うちのクラスはレベル高ぇんだぜ?」
などといわれても、さしたる興味もない斎にとっては、さして嬉しいわけでもない。
今の最重要命題としては、とにかく派手な動きをせず、このクラスに溶け込むことだろう。どうすればいいかは見当もつかないが……そんなわけで。
「ちょ、いいから離せって……」
「ばっかお前、いいか? 俺が今から、事の重要さってやつを一から説明してやるから……」
「必要ないから離せって……!」
と、悪戦苦闘すること暫く。
「あー、えー……そこのじゃれあう男子生徒二名? ホームルーム、始まるんだけどねぇ」
いつの間にチャイムを聞き逃していたのか。
教師とクラスメイトから送られる、生暖かいんだか苦笑気味だかの視線を浴びて、ようやくコウは腕を離した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
一時限目を機甲理論、二時限目を英語学習にと終えた斎は、コネクターから生徒手帳を引き抜き、電源を落とした。
あれからアンジーに教えてもらったのだが、この生徒手帳は認証のためだけのものではなく、立体映像で資料や教科書も表示できるうえ、実際に手帳として使うことすらも出来る。ただ、総じて性能は低いし、本格的に勉強するには向いていない。ゆえに斎は、タブレットPCに生徒手帳をコネクターに繋ぎ、そちらで教科書を表示するという方法を取っていた。
同じことをしている生徒は割と多く、逆に言えば、本気で勉学に打ち込もうと思っていない、所謂体育会系の生徒は生徒手帳だけでそれを済ませていた。
かつてあった紙の教科書は姿を消し、現在では、教材は全て電子図書、黒板に見えるそれもホログラフィー機器だ。
今の時代、本物の紙に触れたことのある人間はほとんどない。それもそうだろう。紙の原材料である本物の木は、今では植林コロニーぐらいでしか見かけることはない。町に配置されている植木や樹木は、精巧に再現されただけの模造品だ。模造品といっても、擬似的な光合成さえ起こすシロモノで、見ただけ触っただけでは判別もつかないが。
「よぉぉおおおおっしゃああ、来たぜぇえええ! おい、来たぜぇ九桐!」
と、体育会系代表ことコウが唐突に横で奇声をあげる。ため息。この男は休み時間のたびに、あーでもないこーでもないあーだこーだと話しかけてくるので、いい加減面倒だったりもする。
ただ、前回までのそれとは違い、どうやら今並々ならぬ興奮が何かあるらしく、仕方もなく問い返す。
「……来た? 何がだ?」
「あ? 決まってんでしょ! 次の授業だよ!」
ふむ、と顎に手を当てる。見ている限り、一時限目、二時限目ともにあーうー呻いていたので、てっきり勉強は嫌いだと思っていたのだが。
「次の授業か……ふむ。アンジー、次の授業は何だったかな?」
「え? ああ……確か、三年の見学だったと――」
「ま、まてまてまてまてまてい!」
と、焦ったように声を上げたコウは、間に割り込んで、交互に二人の顔を見やった。
「あ、アンジーって……今、アンジーって呼んだ?」
「え? ああ……そうだけど」
おおっ、というクラスからのどよめき。ずがぁんっ、と雷に打たれたような表情を浮かべたコウは、二歩、三歩とよろめき、机に両手で突っ伏した。
「なんでだ……前にそう呼んだ時、俺半殺しにされたのに……」
「なんで、といわれても……」
困ったように頬を掻く。と、横合いから、ふふっ、という小さな笑い声が聞こえた。
「確かに、男子にそう呼ばれると怒るよね、アンジー」
声の方を振り向く。と、それはどうやら見た顔のようだった。黒髪を三つ編みにした、おっとり、という形容詞が最も似合うであろう少女。先ほどアンジーと話していた……名前は確か――。
「各務雪奈さん、だったかな?」
「はい。よろしくお願いします、九桐くん」
柔和な微笑みとともに、一礼する女性。長く黒い髪の似合う、和風美人といった女性だ。彼女に名前が知られているのは、もしかすればアンジーが話したのかもしれない。
こちらの表情から心を読み取ったのか、それは分からないが、小さくふふっと笑って、ちらりとアンジーへと目線を向けた。
「よくアンジーから、話は聞いてますよ。なんでも、は――」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと! それ言っちゃ駄目だってば!」
抱きつくように羽交い絞めされ、口元を押さえられる雪奈。もがもがーもごもごーとじゃれあう様に暴れる二人を無視して、斎はコウに目線を向けた。
「で、三年の見学? それがどうしだんだ?」
コウは暫く二人のじゃれあいを唖然としてみていたが、斎に気づき、若干あわてたように肩を竦めた。
「あー……いや、ただの見学じゃねえよ。三年の人たちが、ドラグーンに乗ってるところ見られるらしい。そのうえ、実際のドラグーンも近くで見学できるらしいぜ」
「へぇ」
いくら機甲学校とはいえ、実際に所有しているドラグーンはそう多くはないだろう。格納庫の規模からして、恐らくだが四十機か五十機程度。
多いほうだが、一クラスが二十人程度であることを考えれば、決して足りているわけではない。ましてや去年一年間は、トレーニングばかりでシミュレーターすらも触れなかったのだと事前に聞いている。そういう意味で、二年生にとって、人型兵器というそれはまだ遠くにあるものなのだろう。
「なるほど、それでか……っと」
「あいてっ!」
どんっ、と何かに後ろからぶつかられ、少しだけよろめく。
後ろを振り向けば、小柄な少年が、背中から自分にぶつかったらしく、床に転んでいるのが見えた。さらにその後方から、やや呆れ気味な、しかしぼうっとしている印象の少年が近づいてくる。
「……蒼、ちゃんと前見て歩かないから」
手を刺し伸ばした無表情な少年が、小柄な少年の手を引っ張って起き上がらせる。小柄な少年は、ぱんぱんと服から埃を払うと、こちらへと振り向いてきた。
「ごめんなさい。大丈夫?」
小柄な少年は、頭を下げて、伺うような眼でこちらを見る。
愛嬌のある少年だ、と思った。リボンを見る限り同学年だが、同年代とはとても思えない。まるで小動物か何かを思い起こさせるような、そんな少年だった。
「ああ、大丈夫。そっちこそ怪我はないか?」
「うん、大丈夫! ありがとう!」
勢いよく頷いた少年の頭に、ぽん、と手が乗る。見れば、それは先ほどの無表情な少年だった。
「僕からも……謝る。ごめんなさい」
ぼそぼそという小さな声だが、確かにそう言って、少年は頭を下げた。
見れば、やや中性的な顔立ちをしている。それに何よりもまず、眼が眠そうなのが特徴的だ。実際に眠いかどうかは分からないが……ともあれ、美少年の部類に入るだろう。
「蒼……早く行かないと……」
「あ、そうだった! ごめんねお兄ちゃん! 僕たちもう行かなきゃ!」
どこに、と尋ねる間もなく、駆け出そうとする少年二人。そのとき、はっとコウが何かをひらめいたように顔を上げた。
「あー! 蒼、隼人、お前ら、先に行って席を取っとく気かよ!?」
「当然じゃん、コウ兄! じゃ、僕らはお先に!」
駆け出した少年二人の背中に、ちっ、とコウは舌打ちし、斎のほうへと振り返る。
「くおー、負けられるか! 斎、全力ダッシュだ! ついて来い!」
「? ああ、分かった」
「行くぞ!」
だんっ、と両足を踏みしめ、コウとともに一気に加速。追いつくべく、彼らは疾走を始めた……その背後で。
「あっ、ちょっと! 待ってよ、もう……雪奈、走るよ!」
「うん、分かった!」
と、少女二人も、その背を追って疾走する。