第七話 機体見学
機甲学校は、その名の通り、アーマード乗りを養成するための学校である。
それゆえ、巨大な面性を誇る格納庫が学内の敷地に四つ設置されており、さらにその向こうには演習場が設置されている。この演習場は非常に広大で、山あり谷あり砂漠あり、という、十数キロ四方にも及ぶものだ。さらに宇宙にまで演習場があるのだから、その巨大さたるや筆舌に尽くしがたい。
ここまで広大な敷地を用意できるのは、機甲学校用のコロニーとして月面で新たに設計された、この『アストライア』だからこそだろう。その巨大さの割に、三十万人程度しか人が住んでいないのも、まあ頷ける話だ。
などと、第一格納庫の前で思いを馳せながら、斎はその演習場を眺めていた。
眼前いっぱいにまで広がる広大な平原、その向こうに見える小高い山。まるで地球の自然をそのまま再現したかのような雄大さに、思わず見とれていた。
「はぁ、ぜぇ……ぜぇ……ば、バケモンかよ……おまえ……」
背後で地面に突っ伏して、荒い息を吐く男に斎は振り向いた。コウだ。
さらにその後ろには、小柄な少年と、追いかけてきた少女二人が突っ伏している。
「同、感……ね。はぁ、ふう……イツキ……どうしてあれだけ走って、息も切らしてないの……?」
同じように息を切らせながら、続いたのはアンジーだ。
問われた側の斎は肩を竦め、同じく平気な顔で立っているもう一人、変わらずぼうっとした表情のままの少年に視線を投げる。
「毎日……走ってたら、これぐらい……出来る……」
なお会話に合間が多いのは、別に息を切らしているわけではなく、ただ少年本来の故だ。
ところどころ雑草の生える地面に寝転がり「あー、くそー」と呻くコウ。どうやらしばらく動けそうにないらしい。
だがそれでも仕方がないと言えた。なぜなら、2kmほどの距離を、ほぼ全力疾走のデッドヒートで駆け抜けたのだ。
幸いにも、全力で走ったからだろう、休み時間はまだ多く時間を残していた。ちなみに、この学校は敷地が物凄く広いため、移動時間を考慮してか休み時間も多めに用意してある。
周囲には生徒の姿もないが、静かとは言えなかった。格納庫の中からは人の声やら、工具の音やらが聞こえてくる。
これは恐らく、工学科の生徒が機体の最終メンテナンスを行っているのだろう。
工学科、というのは、自分たちのような機甲科……つまり、パイロット養成科と対を成す、この学校の整備員養成科である。
聞いたところによると、学校で使うドラグーンも、工学科の三年生が整備を行っているらしい。
ふと興味を引かれ、閉じられたままの格納庫の扉まで近寄っていく――と。
がちゃり、と不意に内側から灰色のドアが開き、中から女性が姿を見せた。
黒色の作業服を着た女性だ。ややけだるそうな眼で、口にはタバコをくわえている。
髪もボサボサで顔も煤だらけだが、それでも服の下からはっきりと強調している体つきが、彼女の性別を明確に御主張していた。
若干驚く斎と目線が合うと、「お?」と声を上げ、つかつかと近寄ってきた。
「あー、あれかな? 次の授業で三年を見学するっつー人ら?」
「ああ……ええ、はい。そうです」
「ほーん、なるへそ。こんなに早く来てるとはねえ。偉い偉い」
まあそれは成り行き上、とも答えられず、うんうんとひとしきり頷いて、女性は言った。
「でもあれだ。まだメンテ終わってないんだよねぇ。あ、良かったら見てく?」
「いや……」
迷惑でしょうから、と斎が断りかけて……唐突に、後ろから首をつかまれてのけぞった。
振り向けば、斎の首を掴んでいる男は、自分の背よりも一回り大きい。思い当たる人間は一人しかなかった……コウだ。
「是非!」
若干血走った眼でコウがそう言うと、「そう?」と女性は言って、「じゃあ、ちょっと待ってて」と扉の向こうに引っ込んだ。
「……メンテ中はちょっと邪魔だと思うんだが?」
「ばっか、お前ぇ、まさかまさかのメンテを見られるチャンスだぜ!? 逃す手があるか!」
がすっ、とどこにそんな力が残っていたのか分からない力で蹴りを入れられ、斎はため息を吐いた。
気がつけば、いつの間にか起き上がっていたアンジーも、似たような好奇心を目に浮かべている。後ろにいる小柄な少年も同じだ。
表情には、まだ疲労が残って見える。その疲労を押しても見たいのだろう。まったく……と斎は首を振り、再度のため息。
「分かった。ただし……騒がない、暴れない、手を触れない。これを必ず守ること。いいな」
斎の言葉に、全員が頷いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
まだ立てないらしく、席を取っておく、と言った雪奈と、それに付き添うと告げた隼人に後を任せ、斎、アンジー、コウ、そして小柄な少年の四人は、灰色のドアをくぐった。
格納庫の中は、喧騒に包まれていた。
バヂヂヂッ、とある場所では火花が散り、またある場所ではキーボードを叩き続け、またある場所では、モニターと睨み合いを続ける数人の生徒たち。
喧騒であった。生徒が走ってあちらこちらに移動し、そのたびにカンカンと金属製の足場が音を立てている。
「悪いねー、あとちょっとなんだけど、終わってなくてサ」
「あとちょっと?」
「三十分くらいかな?」
三十分。あからさまに休み時間をオーバーしていた。恐らく、演習のギリギリまでメンテナンスは続くのだろう。
「こっちこっち」
案内されるまま、高台のほうへと歩いていく斎たち。
「ほら、そこ見てみ」
言われるがまま、高台の手すりに身を預けるように乗り出す。
「う、お……おおおぉぉぉ……」
コウがうめき声のようなものを上げる。
だが、分からないでもなかった。誰もが息をのむ光景が、確かにそこにはあったのだから。
――壮観であった。
十機にも及ぶドラグーンが、膝を折って整列している。そしてその周囲では、紺色のツナギを着た作業員たちがせわしなく動いていた。恐らくだが、全員が三年だろう。
圧巻であった。コウだけではなく、全員がその光景に息を呑んでいる。
それは仕方がないかもしれない。
いくら機甲学校の生徒とはいえ、身近でドラグーンを見た機会はほとんどないはずだ。あるいは、初めてなのかもしれない。
「んー、やっぱもうちょいかかりそうだなぁ」
と、同じ高台から身を乗り出して、火のついていないタバコを口で弄びながら、面倒くさそうに言った。
「正面の機体……KKD1、ですか」
「お、詳しいね、キミ」
斎が告げると、女生徒がなにやら好奇心の満ちた目でにやにや笑いを浮かべる。
「特徴的なフォルムですから。加茂富の機体は」
「んー、まあそうだけどねぇ」
紫色のカラーリングと鋭角な顔つき。そしてその対極のように曲線を描く躯のフォルム。
見間違えようもなく、加茂富技研の傑作機と謳われるKKD1《紫電》である。
「……あー、確かに。言われてみりゃ、ありゃ紫電……か?」
「うーん、まあ、言われてみればそう見える気もするけど……」
「でもなんか……違う気がするよ? あれ?」
コウとアンジー、そして小柄な少年の三人は、どうやら納得できていないらしく、何度か首を捻っている。はは、と小さく笑って、ツナギ姿の女性は手を振った。
「分からんでもしゃあないよ。大分弄くってるからね」
「弄ってる……ってことは……」
「そ。あれはカスタム機ってわけ」
コウの問いに返された答えに、おおー、とほぼ全員が声を上げた。
カスタム機、というのは、ADOSと呼ばれるドラグーン専用のOSのほかにも、武装接続や機体パーツ、電子系統などをオリジナルでカスタマイズしている機体のことだ。
カスタマイズ如何によって、特性が加わったり機体性能が上下したりするわけで、整備士の腕の見せ所、というわけだ。
しかしカスタム機はその性質上、そのカスタマイズを企図した本人しか操縦できない。
他人が変えてしまった機体を自在に操るのは至難の業だ。スラスターの制御位置ですら変わっていたりもするのだから、まさに死活問題である。
つまり、専用機。未だドラグーンにさえ乗せてもらえない二年生からすれば、専用機を持っている人間というのは憧れの的だ。なんでも――
「専用機を持てるのは、三年でも上位成績者の十人だけなんだよ」
と、斎に囁くように付け足したのはアンジー。なるほど、と斎は頷いた。
「で、これは誰の――」
「あーちょっと待てよ。確か聞いたことあるんだけど……紫電を使う上位十人って言や……確かええと――」
「忍!」
コウがああだこうだと悩んでいる間に、名前を呼ばれて後ろを振り向いたツナギ姿の女性は、ふっと小さく笑った。
「噂をすれば本人のご登場だ」
「ん? なんだ……あ」
驚いたような女性の声に、斎も振り返る。と、そこに立っていたのは――
「……細峯先輩!」
アンジーが驚いたように声を上げ、こちらを見て唖然としている女性の名前を呼んだ。
細峯結莉。昨日会ったばかりの、風紀委員長だ。もっとも、その顛末は相当に刺激的であり、お互いに深い印象を刻んでしまってもいたわけだが。
以前の制服姿とは違い、既に漆黒のパイロットスーツ姿だ。スレンダーな体に張り付くようなスーツの上から、紺色のパーカーを着込んでいる。
「……細峯先輩。先日は、どうも」
「あ、ああ……」
金縛りのように唖然としていた二人だが、斎はある程度滑らかに、結莉は未だ固さが残る面持ちで頷いた。
「……と、いうことは……」
「紫電のパイロットっていうのは……」
コウと小柄な少年の声を引き継ぐように、ツナギ姿の女性……先ほど忍と呼ばれた少女は頷いた。
「そゆこと。正鳳学院第二位、細峯結莉さ。そこの二人は知り合いかい?」
問われた斎とアンジーは小さく頷き、忍は小さく笑って頷くと結莉の下まで歩み寄った。
「で? どしたん?」
「あ、ああ……マークマーカーだが、これでお願いしようと思って」
マークマーカー、と言えば、精密照準調整値のことだろう、と斎は思い出す。
言ってしまえば、どれほど精密に、どれほどの距離の対象を照準するのかの調整値だ。
高ければ高いほど、高速駆動は捕らえづらくなり、また自分が激しい機動をしている時の照準が処理しきれない。しかし低すぎれば、先に照準されてしまうというハンデを背負うことになる。一般には、遠距離戦術タイプは値を高めに、近距離戦術タイプは低めに設定する。
結莉が手に持っていた薄型のタブレット端末を差し出すと、少しばかりそれを覗き込んだ忍は「オーケー」と答えてそれを受け取った。
「あー、見学は好きにしていいんでー。ごゆっくりー」
背後越しにそう告げると、忍はさっさと階段を下りていってしまった。
取り残された側となった斎たちは、再度結莉に視線を送る。目が合うと同時、斎は頭を下げた。
「昨日はすみませんでした、先輩。ご厚意を無碍にしてしまって」
「ああ……いや。私の方こそ、少しばかり強引に事を進めてしまったと反省している。すまなかった」
お互いに謝り、頭を下げる。
謝られるようなことでもなかったが、正直、少しほっとした。その声にはただ純粋な申し訳なさがあったゆえに。
斎としては、落胆なり失望なり、あるいは怒りなりを抱かれていたかもしれないと思っていた。
実際、彼女が自分を風紀委員会に入れようとするために、少なからぬ労力を払ったであろうことは事実だったのだから。
しかし顔を上げた彼女の表情は、幾分か和らいでいた。
もしかすれば彼女もまた、同じようなことで悩んでいたのかもしれない。
「で、機体の見学か? そういえば、次の演習は二年が見学すると聞いているが……」
「あ、はい! それ俺らです!」
コウが緊張した声で叫ぶと、そちらへと目線を向けた結莉がふっと笑った。
「そうか。私もやることがなくなったからな。少し付き合おうか」
「い、いいんスか!?」
「……細峯先輩、大丈夫なんですか?」
コウが声を裏返し、斎が静かに問うと、結莉は鷹揚に頷いた。
「ああ。あとは機体のメンテナンスを待つだけさ。私が出来るのは……そうだな、忍の腕を信じてやることぐらいだ」
「忍……っていうと、さっきの人ですよね?」
「ああ。工学科第三学年、雪宮忍だ。腕は確かだぞ?」
斎が問うと、結莉が頷いて答えた。「えっ」と背後で全員が驚く。
「先輩だったのか……てっきり先生かと……」
「っていうか、タバコくわえてませんでしたっけ?」
コウと小柄な少年とが続いて疑問を口にする。
実のところまったく同じ事を思っていた斎も頷き、結莉へと視線を送る。目が合うと、彼女は小さく苦笑して肩を竦めた。
「一応、あれはただの禁煙パイプらしい。まあ細かいことは考えてやるな」
結莉たちと再び高台から機体を見下ろしたコウたちは、ああだこうだと、結莉から機体のカスタムについてを聞き出していた。
「……まあ、フルカスタムも考えてはいるんだ。卒業までには設計を纏めておきたいが……」
「フルカスタム!」
コウが飛び上がるようにして言った。
フルカスタムというのは、機体にアタッチメントをつけてカスタマイズするのではなく、機体構造そのものをカスタマイズするというものだ。
どの程度かによるが、エンジンバイパスやスラスターシステムまでを換装し、さらにそれに合った機体強度の設計やADOS、あるいは骨格や機体基盤を除く全般を換装したものを、一般にはそう呼ぶ。
そしてその段階にまで至ったものは、まったく別個の機体として認識され、新たな認識名……つまり機体コードを名乗ることさえも可能である。
有名なものでいえば、かのシリウスが駆る≪ライトニング≫もそうだ。とはいえ――
「まあ、フルカスタムまで許されるほどの予算が出るのは、入隊して相当先の話だろうがな」
学生ならば学校の用意した機材を自由に使うことが出来るだろうが、軍隊ではそうもいかない。
一個人の機体に投入される予算というのは、当然、昇格するほどに高くなっていくのが一般的だ。新人の、いつ壊れるとも分からない機体に、ああだこうだと予算を投入するのもナンセンスな話だろう。
学校を卒業すれば、彼女の機体も学校へと返却されることになる。
それゆえに重要なのは、どの程度カスタマイズ思想を固め、設計書を完成させるかということだ。言ってしまえば、脛をかじれるだけかじっておき将来に役立てようと言う、ある種当然の発想である。
「設計は、どの程度まで終わってるんです?」
斎が問うと、ふむ、と腕組みをして、眼前の紫の機体を見下ろしながら言った。
「四割、といったところかな。去年の十二月から始めたから、まあまあといった具合か」
「へぇ……凄いなあ」
結莉の言葉に、眼を輝かせながら呟いたのはアンジーだ。
確か彼女は「ライトニングに憧れて入学した」と言っていた。恐らく、フルカスタム機についても並々ならぬ憧れや思い入れがあるのだろう。
眼下では、作業員が武装の取り付けにかかっていた。
巨大なアームに吊り下げられた、ゆうに五メートルを超す長大な刀のようなものが、機体の背面に取り付けられていく。
「戦術大太刀……あのサイズだと、霧雨ッスか?」
コウの言葉に、「ああ」と結莉が頷く。
戦術大太刀というのは、いわゆる|振動増幅型刀剣類(MVS)の一種だ。
その構造理論を応用し、日本古来より伝わっていた『刀』の技術を復活させ完成させた、その結果である。日本のみならず、諸外国でも搭載される平澤重工の傑作だ。
「……本当なら鬼斬級が欲しいんだが、さすがにあの機体では扱えなくてな。まあ、フルカスタマイズまでのお預けだ」
鬼斬、というのは、全長七メートルを超える二段展開式の戦術大太刀だ。平澤重工の開発した戦術大太刀の中でも、もっとも非常識極まりない代物である。
その大質量故に、十分に扱うには相応の出力と機体重量、さらにはそれを接近戦で発揮しうるだけの高い機動性能がなくてはならない。
ふと斎の隣で、それまで下の作業を覗いていたアンジーは、思いつくように言った。
「先輩の機体は、近距離戦術想定機なんですね。となると、副武装は……」
「|短機関銃(SMG)のアダムス・ヴァレスタと、大型拳銃のバックギアⅡ、ってところね。結莉の機体って、相変わらず趣味全開だから」
ふと、背後から口を挟む声に、斎を含む全員が振り帰った。そこには、昨日見た顔が、音を立てて階段を登って来るところだった。
「会長」
「こんにちわ、斎君」
にっこりとほほ笑んだ女性は、昨日に会った生徒会長、四方院楓だ。
二人の声に、ようやく新たな登場人物を見つけたのか、背後から「うわっ、わっ、生徒会長……!」やら「マジか……スゲェ!」やらの呟きが聞こえてきた。
後半の「スゲェ」は、恐らくだが彼女の服装に端を発するものだろう。
結莉と同じく、黒のパイロットスーツにオレンジ色のパーカーというものだが、体つきが随分と違う。
女性らしい胸のふくらみやら、蠱惑的な体のラインやらが、ぴったりと張り付くパイロットスーツで強調されてしまっていた。
「…………」
……ふと。その反応に気づいてしまったらしい結莉|(Bカップ)は、こめかみにやや青筋を立てつつも、斎の足を踏みつけた。
何故踏まれたのかさっぱり分からない斎としては、誰しも悩みはあるのだろう、と自らの中で整理をつけ、小さくため息を吐いた。
当の張本人たる生徒会長は、特別視線を気に留めた様子もなく高台に上り、斎の眼前に立つとおもむろにこう言った。
「昨日は悪かったわね、斎くん。なんだか随分、長い間引きとめちゃって」
「いえ、気にしてませんよ」
斎が言うと、楓は「そう?」と言ってにやりと笑うなり、ぽんぽん、と斎の肩を叩いた。
「まあ何にせよ、仲直りできたみたいで良かったわ。ユイ、相当気にしてたみたいだし――」
楓の言葉に、ごほん、と斎の横合いから溜め息がひとつ。結莉だ。
「……楓。それで、何の用なんだ? もうそっちの調整は終わったのか?」
「もちろん。私は一番手みたいだしね」
笑って肩を竦める楓。それは恐らく、この後の訓練のことを指しているのだろう。
(……?)
ふと楓の顔色に、影が差したような気がして斎は首を傾げた。
……どこか、ドラグーンに乗るのを嫌がっているような……。
しかし一瞬後には、その影も綺麗さっぱりと消えてしまっていた。
周囲の誰かが気づいた風もない。やはり気のせいだったのだろうか、と斎がさらに首を傾げていると、楓と斎の目線が交差した。
すると、にこりと楓は笑って、斎たちの方に歩み寄って来る。
「見学かしら? まあ、分からないでもないけど。私も初めて生でドラグーンを見たとき、結構はしゃいじゃったし」
「何を懐かしそうに言ってるんだ。去年の話だろう?」
遠い目をして笑う楓に、結莉がくすりと笑って応じた。
「もう、去年なんて言ったら、とっくに昔の話じゃない」
茶化さないでよ、と頬を膨らませる楓。
そんな二人を見つめていた斎に、「そういえば」と楓が思いついたようにこちらを向き直った。
「そういえばさ、斎くん。前ってどんな学校に通ってたの?」
「ほう、それは気になるな」
「……同感ですね」
楓の言葉に同調したのは結莉、そしてアンジーだ。他にもコウや、さらに小柄な少年なども何事かと近寄って来る。
む、と斎は少し困った顔をした。
「なんで急にそんな話に……というか、俺の経歴なんて、面白くもなんともないと思いますが」
「それは聞いてから決めるわ。さ、さ」
斎の言葉に、楓はにやにやしながらも近寄り、促してくる。
さて困った……と、視線を彷徨わせ、ある一点に固定する。
その向こうでは、いつ現れたのか――両手を組んだ姿勢のまま、無言で壁に背を預けていた男性が、ふっと笑った。どうやら助けるつもりは皆無らしい。
はあ、と溜め息をひとつ。
「……分かりました。何が聞きたいんです?」
降参のポーズを示すと、してやったりと楓が笑った。斎は「生徒会長権限で調べられるだろうに」と胸中で呟きながら、肩をすくめる。
「前はどんな学校に通っていたんだ?」
「紀伊コロニーの機甲学校です。美丈峰というところですが」
結莉からの質問に、斎は誤魔化すこともなく率直に答えた。
そこに嘘は無いと判断したのか、ふうん、と楓は頷き、「じゃあ」と質問を変えた。
「結莉が言ってた格闘術って、そこで身につけたのかしら?」
「……いえ。家に道場がありまして」
「実家に? それって紀伊の?」
ええ、と答えると、楓は興味深そうににやりと笑うと、さらに斎に接近した。
「ねえねえもしかして、九桐くんって、あの――」
「……無駄話はそこまでにしておけ」
唐突な背後の声に、びくっ、と楓は飛び上がって反応した。
全員が背後を振りかえる。誰も気づかなかったのだろう、いつの間に出現していたのか、東郷龍平が壁に背を預けて、斎たちに視線を送っていた。
両腕を組んだまま片眼を開け、そのまま続ける。
「……そろそろ休み時間も終わる頃合いだ。急いだ方がいいだろう。四方院も、そろそろ機体を運び出す時間だと思うが」
その言葉に「あっ」と呟いたのは、腕時計に視線を落とした小柄な少年だった。
「ホントだよ、コウ! そろそろ行かないと遅れちゃう!」
「げ……」
懐から生徒手帳を取り出すと、そのままディスプレイを覗きこんで唸るコウ。
確かに、次の授業まで、もう五分を切っている。
「すみません、先輩方。そろそろいかないと」
「で、でもよう」
斎が頭を下げると、背後で未練たらしげにコウが呻いた。
ふっと結莉が笑うと、小さく手を振って答える。
「早く行け。見学する機会も、またあるさ」
はい、と斎が再度答え、未練がましくちらちらとハンガーを見下ろすコウの背中をバン、と叩く。
隣のアンジーも、「ありがとうございました」と一礼し、駆けだす。最後にコウが振り返って、「ぜ、ぜひまたお願いしまっす!」などと叫んでから、一行は出口へと走りだした。