舞踏会への道
「ほら、右足! 一歩ひいて! 左足でターン!」
「え? あ、きゃあ!」
世にも可愛らしい悲鳴を上げて、アンジェは台所の床に倒れこむ。
後頭部が床と愛し合う寸前に、私の右腕がキャッチした。
「…んとにもう! 何度教えれば覚えるのよ!」
私の腰にしがみつきながら、アンジェは小さな声で「ごめんなさい」と囁いた。
どうにもこうにも、この子は足と手をいっぺんに動かす事が出来ないらしい。手の動きがついた途端、足が変なステップを踏み始めるのだ。
「こんなんじゃ、いつまで経っても舞踏会に行けないじゃない!」
「ミシェル、私、別に舞踏会には…」
「バカな事言わないで!」
アンジェを睨み付ける瞳は、我ながら鬼の様に恐ろしかったと思う。
だってね! 本当にステキだったんだから!
ピッカピカに磨きこまれた大理石のホールで着飾った紳士淑女が華麗に舞い踊るその豪華絢爛な事と言ったら!
効果的に配置されたシャンデリアや蝋燭の明かりが幻想的な雰囲気を醸し出し、一流の楽士達の音楽は、踊る人々を夢の世界に誘う――
「…そして貴婦人達の髪や耳たぶ、首筋で翻る羽根やリボンや宝石達と言ったら! あれを夢見ずして何が乙女!?」
鼻息荒く、拳を握って熱弁を振るう私に、アンジェは床にしゃがみこんだまま、クスクス笑った。
「何よ…! 何かおかしい!?」
思わず熱くなっていた自分を自覚し、急に決まりが悪くなる。
「ううん。ミシェルが嬉しそうだから、私も嬉しい」
……待って。
今の笑顔は反則だわ。
そんなキラキラした笑顔を向けられたら、裏に隠している下心が居たたまれないじゃない!
確かに舞踏会はステキなの。
今まで3回行ったけど、どれも趣向を凝らしてあってすっごく感激しちゃった。
でもでもでも!
私が一番夢見てるのは……、着飾ったアンジェをあのホールの真ん中で踊らせる事なのよ!
私が作った極上のドレスを着て、結い上げた髪に花を挿して舞うアンジェは、きっと空気の精アリエルか、その名の通り天使さながらに違いない。
じ・つ・は!
いつ招待されても良い様に、ドレスだってこっそり鋭意制作中なんだから!
奮発した生地は淡いピンクのシルクシフォン。これだけ密着して踊ってれば、サイズだってほぼばっちりよ。
はうあ~~~、見てみたいわ~、私のドレスで踊る可憐なアンジェの姿を!
この両の眼でしっかりと!
なーのーにーーーーー!!!
「何であんたは肝心のダンスが踊れないのよぅ!!!」
妄想で暴走した乙女脳をきっちり軌道修正した私に、がっちり肩を掴まれたアンジェは、逃げる事も出来ずに「ごめんなさい~~」と泣きべそになっている。
は~~~~……。
泣かないでよ、まるで私が苛めてるみたいじゃない!
いっそ、あの華麗な舞踏会を生で見られれば、無欲なこの子も一念発起してやる気を出すんじゃないかしら。
えーと、例えば踊らなくてもいい、シチェーションで。
………。
「ミシェル?」
「あんたは黙ってて!」
「はい!」
…そうだ! いい方法思いついちゃった!
◇ ◇ ◇
「侍女として?」
胡乱な目つきで私を見ると、お母様は私が言った言葉を反語で繰り返した。
「ええ、そう! だってお付きの侍女を連れて行くのは当たり前の事だし、それなら招待状は必要ないわ。アンジェだって控えの間で待ってる間、おとなしく座っていればいいんだもの。そうそう粗相なんてしないだろうし」
我ながらナイスアイディアよね。
アンジェを侍女の格好をさせてお城に連れて行く。
もちろんダンスホールには入れないけど、雰囲気を垣間見る事くらいは出来るはず。
華やかな空気を感じさせて、自分も行きたいって思わせるの。
「ん~~、でも…」
「何か問題があって? お母様」
「だって…本当の事がばれたら、私は継子を苛めてるみたいな印象になっちゃうじゃない。それってイメージリスクが高いわよ」
苛めてるみたいなって、実際苛めてるくせにィ……。
「だからね、この子には口が利けない事にして、一切喋らせなければいいわ。そうしたらこの子が実はうちの継子だなんて、誰も気が付きゃしないわよ。黙ってれば誰も騙した事にはならないし」
「でも……」
尚も渋るお母様に、私は取っておきの呪文を唱える。
「例えば…この子に素敵なメイド服を着せておくの。そうしたら、それを見た貴族の皆さんから、メイド服の発注も来たりするんじゃないかしら」
私の言葉に、お母様の眉がぴくりと反応した。
やっぱね、お金儲けって大事だもんね。発注って、お母様の大好きな単語のひとつよ。
「…悪くないわね」
「でっしょお!?」
「でもミシェル、そんなメイド服なんか作れるの?」
「まっかせて! 必要とあればどんなものだって作って見せるわ!」
両手を高く上げて強気で言い切った私に、お母様は面白そうに頷いた。
「いいわ。そのメイド服の出来次第で考えましょう」
やったぁ! これで一緒に舞踏会へ行けるわよ!!!
◇ ◇ ◇
「ミシェル、これ……」
アンジェが着せられた服を見て、目を丸くしている。
只でさえおニューの服なんて久しぶりだというのに、ばっちり膨らんだ白いカフス付きの袖と長めのスカートにフリルもたっぷり。襟元は清楚に白いスタンドカラーで詰まらせて。
もちろん、ホワイトブリムのカチューシャだってお揃いで作ったわ。
地味な黒いドレスに白いエプロンは定番だけど、それでも上品さを醸し出せるように良い生地を使って苦労したんだから! エプロンの胸元のフリルと、タックとリボンのバランスは完璧よ!
いや~ん、我ながらなんて可愛いデザインなの!!
言っていい? 言っていい?
私って天・才!
「どう? 気に入った?」
「うん、すっごく可愛い」
花の様に顔を綻ばせながら、アンジェはくるりと回って見せてくれる。
…やばい。やばいわ。
「あのね、アンジェ?」
「なあに?」
「…試しに『ご主人様』って言ってみてくれる?」
「え? えーと、…何か御用ですか? ご主人様」
芝居の練習だと思ったらしく、はにかみながら微笑むアンジェ。
………心臓が!
止まるかと思った! 鼻血吹く!
可愛すぎる! どうしよう、超可愛い可愛い可愛い~~~!!!
膝に乗せて舐めるように撫でまわしたい衝動に駆られるのを必死で抑えた。
だって、アンジェは義妹だもの! メイドの格好をさせてるだけ! 本物のメイドじゃないのよ!?
そんな事をしたらただの変態じゃない!(本物のメイドだってそん事をしたら変態だけど!)
ダメよミシェル! トチ狂っちゃダメ~~~!!!
「大丈夫? なんか苦しそう…」
「へ、平気よ、何でもないわ」
激しい欲望に翻弄される脳を振り切って、必死で平静を取り戻す。
は~~~、ドレスも良いけど、こんなのも似合うわ~。悶えすぎて死にそう。
さすが並の美少女じゃないわね。お願いだからこれ以上私を苦しめないで。
薄い罪悪感に苛まされながら、私は最後の手段を行使する。
「お願い、もう一回、回って見せて」
いつも通りの振りをして、にっこり微笑む私に、「こう?」とアンジェは回ろうとした。
――んだけど。
「きゃ!」
ついついバランスを崩してこけそうになるのは、もうお約束以外の何ものでもなかったわ。
…ふう、これでやっと平常心に戻れる…。