南瓜畑でつかまえて☆
翌朝、しかもまだ、小鳥が鳴き始めた早朝の事だったわ。
あの脳味噌に綿菓子が詰まっている(役立たずって意味よ。結局あの後私が全部片づけたんだから!)、義妹が駆け込んできたのは。
「ミシェル! 大変よ! この間種を撒いた畑に…」
「何よぉ、こんな朝早くから…畑がどうしたってのよ…」
昨夜遅かった上に朝寝起きの悪い私は、このお馬鹿天使の一言で一気に覚醒したの。
「畑に南瓜が生ってるの!」
………。
「だから何だってのよ! 南瓜を植えたんだから当たり前でしょ!? 薔薇でも咲いたら驚きなさいよ!」
一気に血圧を上げた私を前に、綿菓子アンジェは冗談じゃなく驚いてみせる。
「ミシェル、知ってたの?」
「だから何がよ!? 畑に南瓜の種を撒いたのは私だもの。当然実が生ると知ってたわよ」
少しでも家計の足しにしようかと、できるだけ手間がかからず実生のなりやすい野菜を植えたのだ。
南瓜だったら保存も聞くし、何より美容にもいいしね。ローカロリーでカロテンが豊富って素敵じゃない?
だけど、一緒に受粉を手伝っていたはずなのに、何をそんなに驚かなきゃいけないのよォ。
「私…畑ってお花畑の事かと思ってた。野菜も畑に生るのね」
ちょっと待て! つまりあんたにとって畑はイコール花壇って事? そりゃあ確かにあんたの家の庭は花壇しかなかったけど!
世紀の大発見の様に言うから、私はますます脱力してしまう。
「あんたねえ、…野菜はどこでできると思ってたの?」
何のてらいもなく義妹は答える。
「八百屋さんが持ってくるものだとばかり…」
「わかったわ、あんたの頭の中身は綿菓子じゃなくてお花畑だったのね」
私の嫌味になんか気付きもしなかったのか(なんせ脳味噌がお花でできてるからね)、アンジェはますます興奮し、輝き溢れる笑顔でこう言ったのだ。
「ミシェル! 私がどんなに嬉しいか分かる? ずうっとお父様に『お前は体が弱いんだから、何もしなくていいんだよ』って言われてたのに、今は少しずつだけど色んな事が出来るようになったわ。しかも南瓜が畑でできるところも見られるようになったのよ?」
そんな彼女の笑顔に、ようやく私は思い当たる。
もしかしたらこの子…、何もできないんじゃない。何もやらせてもらえなかったんじゃないのかしら。
綺麗で手のかからない、お人形の様な娘。
穢れなく従順で、自分がいないと生きていけない様な、いたいけな生き物。
それって…父親や男と言う人種からしてみれば、最高の愛玩物なんじゃないかしら。
亡くなった義父にそんな意識や自覚があったかどうかは分からない。
でもこの子を見ていれば、彼が娘を目の中に入れても痛くないほど可愛がっていたのは一目瞭然だ。
母親も早く亡くなったと聞いてるし、経済力は充分。
閉じられた空間で、愛情と言う名の綿に閉じ込められる構図が簡単に浮かぶ。
この子自身、素直で優しい子だからそんな状況に疑問を抱く事はなかったんだろうけど、心の底では本当は色んな事がやってみたかったんじゃないのかしら。
その証拠に…今思い返してみれば、失敗は数々あれど、この子がお母様の怒鳴り声やお姉様の嫌味に、口答えしたこともなければ泣き喚いたこともない。泣きそうになった事は何度かあるけど、自分の非力を嘆くだけで家事労働自体を嫌がった事は一度もないのだ。
むしろ失敗し続けてもめげないその根性は、ちょっと見上げたものかもしれない。
「アンジェ、楽しい?」
「ええ!」
屈託のない笑顔で彼女は頷いた。
その途端、最近感じていなかった胸の痛みがずくんと締め付ける。
「そう、よかったわね」
「ありがとう! それもこれもミシェルのおかげだわ!」
はしゃぐ彼女を見て胸の痛みはますます激しくなった。
「当たり前でしょ! あんたがさっさと一人前になってくれなきゃ、こっちはずっと尻拭いなんだから!」
「それにももちろん感謝してるんだけど…私、ミシェルの事本当に尊敬しているの。色んな事を知ってて、どんな事もできて、おまけにミシェルの手は夢の様にきれいなものをあっという間に作り出すんだもの!」
「…!」
きらきらと光る瞳が、憧憬を溢れさせて私をみつめる。
「やだ、何言ってんのよ。お裁縫はともかく、家事なんて誰だってできるわよ。あんたができなさすぎるだけ」
「そうよね。もっと頑張らなくっちゃ」
恥ずかしそうにほほを染める彼女に、朝日があたって眩しかった。
辺りでは目覚めた小鳥たちが、餌となる落ち穂を求めて飛び回っている。
「でも…ミシェルの指は魔法の指よ。美味しいものが作れて、部屋中をピカピカにできて、汚れた布だって綺麗に洗い上げて…それ以上に、あんなに美しいものがたくさん作れるんだもの」
一点の穢れもない純粋な好意が、私の胸を締め付ける。
ねえ、私たちは何をやってるのかしら。
朝っぱらから、こんな南瓜畑の真ん中で。
そして私は何をしようとしているのかしら。
こんな南瓜畑の真ん中で。
気が付けば、私はアンジェを抱きしめていた。
「ミシェル…?」
「お願いだからしばらくこのままでいさせて。…あんたがあんまりバカな事ばっか言うから…力が抜けて立ってられないのよ」
「…うん」
私より頭一つ小さなアンジェの小さい体は、私の腕の中にすっぽり包み込まれる。
そのたまらない柔らかさに、さっきの父親への推測がほぼ当たっているだろう事を確信してしまう。
だって…こんなにふわふわで愛しい生き物がいたら、そりゃあ閉じ込めておきたくもなるでしょうよ。
今なら彼の死因が娘への偏愛だったとしても驚かない。
だって…心臓だって、この子に会ってから変な動きをしっ放しなんだもの――
「ミシェル、苦しい…」
私の腕の中で、申し訳なさそうにアンジェが呟く。
「あんたが小っちゃいのが悪いのよ。でもそろそろ帰ってお茶にしましょうか。お茶くらいはまともに淹れられるようになったんでしょ?」
「ええ!」
嬉しそうに腕の中の天使が笑うから、私の頬もつい緩む。
「じゃあ、お願い。ただしティーセットは普段使用の丈夫なやつよ?」
「わかったわ」
厳かな表情で、あまりに真剣にアンジェが答えるから、私はつい吹き出してしまった。
その意味に気付きもしないのか、アンジェはきょとんとこちらを見上げている。
「今度、他の野菜も植えましょうね。簡単でたくさん生るやつ」
「本当?」
「ちゃんと手伝うのよ?」
「ええ!」
そんな風に、私達は肩を並べながら屋敷へと戻った。
そして私は諦めの境地に達する。
何度もそんな筈ないって思ったけど。
この子は義妹だと言い聞かせてきたけど。
役立たずで能無しで根性しかない、バカみたいに純粋な、無駄にキラキラの天然美少女だけど…
――私はこの子が好きなんだ。