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接触事故?

「あー、つっかれた! 全くあのエロ爺ぃ! 人の胸元ばっか見やがって! ちょっと!? お茶の用意はできてるんでしょうね!?」


 荒々しい声を上げてお母様が帰ってきた。その後ろから大きな鞄を持った無言のリリア姉様。

 二人の様子からすると、今日の商談相手は愉快な相手じゃなかったみたい(もっともリリア姉様はいつだって無口なんだけど)。

 これ以上二人の機嫌を損ねない様に、私は素早くお茶の給仕を始める。

 と言うのに、差し出された薄い白磁のティ―カップに目を落とすと、お母様は眉を吊り上げた。

「…アンジェね」

「あ、あの、お母様、今日はたまたま野良猫が台所に…」

 取り繕おうとする私を、鋭い声が遮った。

「アンジェ! 出てらっしゃい! お出迎えも出来ないの!?」

 屋敷中に響き渡る様な怒鳴り声に、アンジェが台所から続くドアを開けて現れた。


「お帰りなさいませ。お母様、リリア姉様」


 蚊の泣く様なか細い声で、アンジェは深々と頭を下げる。


「ねぇ、アンジェ。私のお気に入りの青いティ―カップを知らない?」

 お母様の含みがある低い猫なで声に、びくりと肩を震わせてアンジェの顔が青ざめた。

 お母様も分かってるくせに人が悪いわ~~。

「ごめんなさい、お母様。実は今日、洗ってる時に落としてしまって…」

「まぁ、何て事! あれは私が伯爵家に嫁いだ時に実家から持ってきた、由緒正しい品なのよ!?」

 激しい叱責を受けて、アンジェの小さな体はぶるぶると大きく震え出した。

「ちょっと待って、お母様! 由緒正しいカップったって、もういい加減古ぼけてたじゃない! この子だって一生懸命やってるんだし!」

 間に割り込んだ私を、お母様は三白眼で睨み付ける。

「良い事、ミシェル? いくら一生懸命と言ったって、今月に入ってこの子が割った皿や食器の数が幾つになると思ってるの!」

「あ、えーと、…五つ、位かしら…?」

 冷や汗を流しながら愛想笑いを浮かべて答える私の横で、リリア姉様が「18」とボソリ呟いた。

 ああーん、リリア姉様のいけず~~! そんな正確な数字、言う事ないじゃない!

 当然お母様の機嫌が最低値まで落ちまくったわ。

「――ねえ、アンジェ? あなたがいかに贅沢な暮らしを許されていたかは知らないけれど、それでもそれはあなたが物を粗雑に扱っていい言い訳にはならないのよ?」

 出た! 冷淡毒舌嫌味の三段重ね! 相変わらず抉る角度が尖ってる!

「はい、ごめんなさい、お母様…」

 対するアンジェと言えば、塩を降った青菜みたいに萎れている。大きな目にはとっくに涙が浮かんでいた。

「お母様! アンジェが粗雑ってのは誤解よ! この子は先天的にどうしようもなく不器用なだけ! だってただ歩いてたって何もないところで転ぶのよ!?」

「あ、ミシェルが止めさした」

 リリア姉様の声に振り返ってみれば、只でさえ小柄なアンジェが縮みまくっていた。身体中が震えているのは、嗚咽が止まらなくなったんだろう。

「と、とにかく! 悪気があってドジな訳じゃないって言うか…」

 しどろもどろになりながらも必死でフォローしようとする私を、お母様が冷たい視線だけで黙らせる。おっそろしいのよ、これが。

「悪気がなければ何でも許されるわけじゃないわ。それを言ったらあんたのお父様だって、あんたを殴った事に悪気はなかったのよ?」

「!!」

 痛いところを突かれてぐうの音も出やしない。

 ちくしょ~~、今思い出しても腹立つわ、あのくそ親父!

 でも今はあのロクデナシの話じゃない。あいつとアンジェは違うもの!

 何とか反駁しようとしている間に、お母様はとっとと話をまとめ始めてしまった。

「そんなわけでアンジェ。損害にはそれなりの賠償が必要だわ。分かるわね?」

 食器が割れたくらいで損害賠償だなんて大げさな。見ればアンジェもどう答えてよいか分からずぽかんとしてる。そんな私達をにやにや眺めながら、お母様はこう言った。

「今まであなたが壊した食器や家具、リネン類は、あなたの所持品を売って補填してもらいます。対価計算はリリアに任せるわ。いいわね?」

 最後にリリアお姉さまを見ると、姉様は無表情のままこっくり頷く。

「待って、お母様。そんなのあんまりじゃあ…」

 言いかけた私をきっぱり止めたのは、誰であろうアンジェその人だった。

「分かりました。お母様の仰る事はもっともです。私の持ち物で償いが出来るのなら、ぜひそうさせて下さい」

 お母様はそんなアンジェを見て満足そうに微笑んだ。……地獄の魔女のような唇で。

「分かってくれて嬉しいわ。それじゃあ、私達はもう休むから、補填の品は明日鑑定と言う事でいいわね?」

「はい。よろしくお願いします」

 涙目のまま、それでもアンジェは健気に言い切った。まあねぇ…、それで気が晴れるなら私は別にいいんだけど。

 そんな私を見透かすように、お母様はこちらを見て更に楽しそうに微笑む。

「ちなみにミシェル。アンジェの所持品だけで足りなくなったら、残りはあんたの給料から天引きだからね」

「えええっ!!!!???」

「当たり前でしょう。あんたの監督不行き届きでもあるんだから」

 うそでしょお!? 勘弁してよ! 

 今現在、緊縮財政の我が家では、当然お小遣いなんて存在しない。リリア姉様や私は、その働きにおいてお給料制なのだ。とは言え、ここのところアンジェの尻拭いばかりしてたから、仕入れや仕立てが滞って、当然お給料も減っていた(ちなみに歩合制よ!)。

 呆然としている私の前を、お母様と、その後についてお姉様が出て行く。

 お姉様はリビングの扉を出る直前、私のほうを振り返って独り言のように訊ねた。


「そのアンジェの服…」

「あ、ミシェルが汚してもいいようにって用意してくださって…」

 私より先にアンジェが頬を染めながら答えた。

「ふうん…」

「何よ、文句ある?」

 ねめつける私に、リリア姉様は意地悪な笑みを浮かべて言った。

「確か…あんたのお気に入りだった服よね。初めて自分で作って…」

「え?」

 アンジェが驚いて私を見上げる。

「いいでしょ、別に。どうせもう着れないんだし」

 不貞腐れた物言いで目を逸らす私に、リリア姉様はチェシャ猫みたいに笑った。

 ぎゃー、アンジェったらこっち見ないでよ! 顔が赤いのがばれるじゃない!!

「…いいんじゃない?」

 人の悪い笑顔でそれだけ言うと、姉様は音もなく出て行く。


 リビングには私とアンジェだけが残された。

 …気まずい。

 別に何がと言うわけじゃないんだけど、アンジェがじっと私を見上げるのが何故か落ち着かない気分にさせられる。

「ミシェル…」

「何よ!」


 顔を逸らしてたから、一瞬何が起こったのか分からなかった。


 ふわりと細い腕が伸びてきて、彼女の白い手が私の頬に触れる。そのままアンジェは出来る限り背伸びすると、私の頬に口付けた。


「ありがとう、ミシェル。私、頑張るね」

 鳥の雛の産毛に撫でられるような声が耳元を擽る。

 柔らかい唇の感触に、頭に血が上り思考が真っ白になって止まった。


 思考を取り戻したのはきっかり一分後だった。


「あ、当たり前じゃない! あんたがまたドジったら、今度は私のお給料が減るんだから! 今まで以上にびしびしやるからね!」

 裏返った声で腕を大きく振り回す私に、アンジェはその名の通り天使のように純粋で曇りのない、綺麗な笑顔を見せた。


「うん」


 む、胸が…くるし…くなんか、ないわよ?

 ええ、ちょっと油断しただけ。

 そもそもほっぺにキスぐらいなんだって言うのよ。家族なんだからそれくらい普通じゃない。

 所詮はただの皮膚接触よ。出会い頭の事故みたいな?

 動揺する必要なんかこれっぽっちもないわ! ええ! 動揺なんてしてませんとも!!!


 そんな私の心中に気付く事無く、アンジェはいつも通りニコニコ笑ってこっちを見ていた。


 ………あ~~~、まったくもう……! 

 だから美少女って厄介だわ……。

 

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