特訓開始!
「掃除は上からしなさい! モップをかけてからはたきを使ったら埃が落ちるじゃない!」
「大根の皮を捨てないで! 皮だってきんぴらにしたら美味しいんだから!」
「色物と白いものを一緒に洗濯してどうするの! 色移りしたら大変じゃない!!!」
「ごめんなさい、私…」
怒鳴り続けて肩で息をする私に、義妹であるアンジェリカは涙ぐむ。
分かってるわ。悪い子じゃないのよ。ただなーんにも出来ないだけ。
でも、今、屋敷に使用人はいない。母様が経費削減でみんな解雇しちゃったからね。
よって、只今我が家の家事は、私と彼女にかかっている。
…ん、だ、け、ど!
「あの、ミシェル、お、ね…」
「いいわよ、言いにくかったらミシェルって呼び捨てで。どうせ歳だって大して変わらないんだし」
何故か私を呼ぼうとするとつっかえるアンジェに、私はため息を付きながら言った。
リリア姉様は普通に呼べるのに、変な子。
「ごめんなさい、ミシェル。あの、私頑張るから! だから…」
「はいはい。これくらいじゃめげたりしないわよ。言っとくけど! 私は仕事もあるんだから、あんたに覚えて貰わなきゃしょうがないんだからね!?」
アンジェは白い指先で涙を拭うと、大真面目な顔で深く頷いた。
「もう一度、お願いします!」
「じゃあいくわよ! 雑巾の絞り方――」
本当に、見た目と性格は良いんだけどねぇ…。
慣れない家事作業によろけている妹を見て、今更ながらふと思い付く。
「アンジェ。家事にそのドレスは動き辛いんじゃないかしら」
「え?」
動きやすい格好を要求したから、持ってる中では一番地味なドレスを着てきたんでしょうけど、どう見てもリボンやフリルが多すぎる。
それでも器用な達人なら、作業の格好は選ばないんでしょうけど、この子は何分素人だ。
「ごめんなさい。これが一番地味な服だったんだけど…」
自分の恰好を見下ろしながら、アンジェは申し訳なさそうに呟いた。なるほどお嬢様は質素な普段着なんて持ってない訳だ。
「えーと、確か私の部屋に…」
アンジェの手を引いて自分の部屋へ向かった。
衣装箱の中には、私が昔来ていた粗末な服が入ってる。大柄で背の高い私と違って、アンジェは小柄だから…
色々引っ掻き回して昔の服を取り出した。
汚れの目立たないグレーのワンピース。袖も膨らんでないし、スカートにひだもない、最低限の布の量。ウエストが多少緩いけど、エプロンを絞めちゃえば問題ないだろう。
多少継ぎは当たってるけど、ちゃんと洗濯はしてあるし動きやすい筈だ。
それでもスカートの裾が長そうだったので、ハサミで切って縫い上げた。
ざくざくとリフォームしていく私を、アンジェはポカンを見ている。
「はい。こっちの方が動きやすいし汚れても気にならないわ。着替えなさい」
胸元に放り投げられて、アンジェは地味―な服を握りしめると、俯いて何も言わずに走り去った。
…あー、お嬢様にはあんな服、屈辱的だったかしらねぇ。
でもあんな不器用な動きであんな高級なドレスに染みやカギザギを作るのを見るのは、とてもじゃないけど耐えられない。
そもそも私だって着てたんだし…
どうしたものか考えてると、いつの間にか着替えてきたアンジェが頬を染めて訊いてきた。
「どうかしら? おかしくない?」
腕を広げてくるりと回って見せる。やだ可憐。
「ええ。ちゃんと着れてるわよ」
さすが美少女。あんなにぼろい服なのに、この子が着ると清楚に見えちゃう。
「ありがとう、ミシェル! こんな動きやすい服、初めてよ!」
嫌がってたんじゃなく、喜んでたらしい。つまり急いで自分の部屋で着替えたわけね。
予想もしなかった満開の笑みを浮かべる彼女に、胸の奥がきゅんと鳴った。
…………きゅん?
…ちょっと待って! 何よ今の!
この子は妹よ!?
そりゃあ昔から綺麗なものや可愛いものは大好きだけど!
こんな風に胸が苦しくなるのっておかしくない?
そんな自分が信じられなくて、つい尖った声が出ちゃった。
「良かったわね。動きやすいならとっとと働けば?」
「ええ!」
私のきつい言葉を気にもせず、アンジェは小鳥の様に軽い動きで身を翻らせる。
と思ったら、目の前でバランスを崩して転んだ。
しかも顔から。ずべっと思い切りよく!
「おバカ! 何やってんのよ!?」
思わず駆け寄ると、アンジェは美少女にあるまじき鼻血を足らしながら身を起こした。
「も~~、信じらんないっ!」
美少女なのに! 美少女なのに!
助け起こして、ハンカチで顔を拭いてやる。
「ありがとう、ミシェル。でもごめんなさい、ハンカチが…」
「いいわよ! でも足元には気を付けて歩きなさい」
私の怒鳴り声を聞いて、彼女のぱっちりした目にみるみる涙が盛り上がる。
「何よ! 当たり前の事を言っただけでしょ!?」
彼女の真珠みたいな涙に動揺した私は、更に早口で乱暴な口調になった。いやあん、泣かないでよ!
「違うの! ミシェルが今言った事、お父様にもよく言われてたから思い出しちゃって…」
アンジェはそう言うと涙を浮かべながら無理やり笑おうとする。
やだ、忘れてた。
この子は父親を亡くしたばかりだったのよね。
私は実の父親が嫌いだったから、奴が死んでも悲しくも寂しくもなかったけど、この子は違う。
優しい父親に愛されて育ったのだ。
その死はどんなに辛く悲しいだろう。
なのに、今まで必死に隠そうとしてたんだ。新生活に向かって奮起する私達に、水を差したくなかったんだろう。
そう思ったら、思わずアンジェを抱き締めていた。
「ミシェル…?」
「大丈夫よ。お父様が亡くなっても、あなたには私達がいる。あなたを一人にはしないわ」
耳元で囁く声に、アンジェはずっと我慢していたのだろう、啜り泣きを漏らし始めた。
私の腕の中にすっぽりと入ってしまう少女は、温かく柔らかい。
震える華奢な肩がいじらしかった。
この先、何があっても私がこの子を守ってみせる。
そう思ったらまた胸の奥がきゅんきゅん鳴った。切なくて苦しい。
………きゅんきゅん?
やだ、嘘ォ!?
そんな自分の反応が信じられなくて、反射的に彼女を突き飛ばす。
「ミシェル…?」
「はい、泣くのはここまで! さっさと掃除を終わらせて洗濯と食事の用意よ!」
アンジェは私に突き飛ばされても嫌な顔一つせず、涙を吹きながら「はい」と元気よく返事した。
自分の中の動揺を必死で押し隠しながら、私はアンジェを連れて再び掃除の仕方を教え始めた。
少し泣いたらすっきりしたのか、アンジェもさっきよりはよろけずに働き出す。
いやーん、私ったらどうしたって言うの?
考えちゃダメ。今は考えちゃダメ。
可愛いけど。すっごく可愛いけど。
この子は義理とは言え妹だしもんのすごい役立たずなんだから!
もう一回柔かい体を抱きしめたいなんて、思っちゃダメだってば!
胸の中に葛藤を抱えてた私が、ついつい妹に厳しく指導しちゃったのは、だからしょうがないわよね?