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ガラスの靴で踊ろうか

「それは…」

「ですから、私が履いているのは正直な人にしか見えないガラスの靴なんです」


 息せき切って王宮のダンスホールに着いてみたら、中央では笑顔で固まっているトーマス殿下と、大真面目にふざけた台詞を吐いている我が義妹の姿があった。

 辺りは彼らに注目してざわついている。

 当然よね。

 皇太子が踊ろうとしている相手は、世にも豪華なドレスを纏いながら裸足だったんだから。


 きゃーっ!

 アンジェったら何て事をほざいてるの!?

 相手は王子様よ!?

 絶対権力なのよ!?

 いくらシューズを忘れたからって、そんな言い訳が通用する訳ないじゃない!

 それなのに、アンジェは恐ろしい程堂々と、目が点になった殿下の顔を直視していた。

 信じられないすっとこどっこい!

 誰か嘘だと言って~~~っ!!


「失礼しました殿下! 義妹はまだ幾分にも幼くて!」

 咄嗟に間に入り込んで、アンジェを背に庇う。

「貴君は――、ハルログの……!?」

 トーマス殿下は更に驚いた顔になって私を指差した。

 人を指差すなんて高貴な方にあるまじき行為だけど、そんな事に構っている余裕はない。

「すみません! この場はこれで御容赦を」

 それだけ言って深く一礼すると、私はくるりと振り返り、このとんでもない裸足の天使の背中と膝裏に腕を差し込んで抱き上げる。いわゆるお姫様だっこというやつだ。

「きゃ…っ」

 悲鳴を上げそうになるのを視線だけで黙らせた。

 睨み付けた意図はこのぽんやりちゃんにも伝わったらしい。慌ててレースの手袋をした手が口許を押さえる。

「それでは―、失礼致します」

 アンジェを抱き上げたまま私は再度頭を下げると、あくまで堂々とホールを出ていく。


 後ろから宮廷雀達の囁く声が聞こえたが、一切無視した。

「誰、あの方―?」

「あんなハンサムな紳士、いらして…?」

「どっちかって言うと男装の麗じ――」

「ハルログのって…」

「でも髪がみじか…」

「礼装が…」


 聴こえない聴こえない聴こえない。

 こんな時は悪びれちゃダメ。パニックに乗じて、私は何事もないふりを押し通す。

 だって…それ以外どうしようもないもの。そうでしょ?


     ◇     ◇     ◇


 結局行き着く先は例の裏庭だった。控えの間に向かっても召し使い達に注目を浴びてしまう。

 騒ぎが下火になるまで、隠れるのに最適な場所はここくらいだった。


「ミシェル、あの……」

「お馬鹿! あんぽんたん! いくら靴を忘れたからって、もっと上手い言い訳が思い付かなかったの!? あんた下手したら不敬罪で磔にされてもおかしくなかったのよ!?」

 アンジェに何か言わせる間もなく、私は一気に捲し立てる。血の気が引いて寿命が10年は縮んだわよ!

 そんな私の怒りに対抗する様に、アンジェはらしからぬ大声をだした。

「忘れたんじゃないもの! わざと…持っていかなかったんだもの!」

 …はぁあ!?

「ますます馬鹿じゃないの! 一体どうしてそんな事―!」

「だってミシェルが!」

「私が何よ!」

「殿下との結婚を薦める様な事を言うから…!」

「え…?」

 みるみる内にアンジェの瞳は潤んだ涙の中に溺れ、その頬を幾筋も透明な滴が流れ落ちた。

「どうせ…叶わない想いだったら…いっそ不敬罪で殺された方がマシだって…そう思ったんだもん…」

 ちょっと待って。

 すっごく混乱してきたわ。

 何がどうなってるの?

 叶わない想いって…アンジェは王子が好きなんじゃなかったの?

「ミシェルこそ…何で今更男装してるのよ…」

「え? あ、これは…」

 自分を見下ろして恥ずかしくなる。

 男子の礼装なんて何年ぶりだろう。捌くスカートがないのが頼りないし、肩のマントも落ち着かない。何より詰まった襟元が窮屈ったら!

 短く切った髪の毛のせいで、うなじがすーすーするー。

「どうせ似合わないわよ……」

 混乱の極みに達した私は、そのままズルズルとしゃがみこんだ。

「ミシェル…?」

 心配そうなアンジェの声。

 本当に馬鹿な子ね。

 私には、あんたに心配してもらえる権利なんてこれっぽっちもないのに。


「いいからそのままで聞いて。

 私の…私とリリア姉様の父親は、外では誰にでも愛想がいいけど、家に帰ると酒を飲んで暴れる人でね…」

 突然始まった昔話にアンジェはきょとんと目を見開いた。

 そんな顔も可愛いと思ってしまう自分に苦笑が漏れる。

「本当は…ただの小心者だったのね。誰かに嫌われないか、敵を作っていないか、いつも人の顔を窺ってはビクビクしてた。その分家では荒れ放題。…私にはよく『お前は男らしくなれ』って、…事ある毎に殴られた」

 バイオレンスな話の展開に、アンジェは両手で口を覆って息を呑む。


「だから――その反動が出たのね。父親が死んだ時、私はお母様と姉様に宣言したの。『私はこれから男を捨てて、女として生きます』ってね―。アンジェ、あんたに最初にあげた服は、その時初めて自分用に作ったものだったの」

 まだ慣れない手で、型紙を起こしてスカートを縫った。下手くそだったけど、一念発起した、思い出の服だった。

「それからは御覧の通りよ。女の格好をして女の言葉遣いで…あんたにも困惑させちゃったわよね」

「それは…」

 有難い事に家事は向いていた。料理も掃除も苦にならなかったから、傾いていく伯爵家の召し使いが減る度に、私は進んでそれをやる様になった。

 お母様や姉様が家事が苦手だったのも幸いしていたのかもしれない。

「女の振りは正直楽で――父への復讐も兼ねて私はそれを押し通してきた。だけど…そうもいかなくなってしまった」

 この子に会ってしまったから。

 この呆れるほど不器用で役立たずでぽんやりの、極上美少女に出会ってしまったから。

「私の話はそれだけ。あんたの番よ、アンジェ。どうしてわざと靴を置いてったりしたの?」


 裏庭には心地いい風が吹いて、かきあげていた私の前髪を揺らす。

 静かな声で問う私に、些か釈然としない顔をしながらアンジェはぽつりぽつりと話し出した。

「確かに―ミシェルに会った時、戸惑ったわ。男か女か分からなかったし…。でも、お父様が亡くなってすぐ、抱き締めてくれた事があったでしょ? 『決して一人にさせない』って言って―」

「うん。ちゃんと覚えてる」

「あの時―、思ったの。きっとミシェルは天国のお父様とお母様が合体して現れたんだって…」


 ………。

 すごい思考の飛躍を見たわね。

 そんな私の心を読んだのか、アンジェは少しむくれた顔をする。

「笑ってもいいわよ? 私だって、それがつまらない幻想だって事は分かってる」


 拗ねた口調にホッとする。もし本気だったら、精神的近親相姦もいいとこ。

「だけど――、ここでミシェルが私の前に立って殿下から庇おうとしてくれた時、…初めて気付いたの。あ、男の人の背中だって」

 俯き恥じらう彼女に、私まで恥ずかしくなった。

 え? 何? あの時そんな風に?

 うわ、顔が火照る!

「それでも…どんな理由があるにせよ、ミシェルが本当は女でいたいなら…、私は妹でいるしかないでしょ?」

 上目遣いで悩殺された。

 嘘。

 嘘でしょう?

 よもやアンジェがそんな風に思っていたなんて!


「私が必死に諦めようとしてるのに、ミシェルは殿下と私の仲を疑うし、そうかと思えばあんな―キ、キスとか、するし…」

「…ごめん」

「本当に、悲しかったんだから。訳が解らなくておかしくなりそうだったんだから!」

「本当に、ごめん」

「バカ。ミシェルなんて大嫌い―!」

 耐えきれなくなったのか、再び彼女の瞳が洪水に見舞われる。

 私は自分の馬鹿さ加減に、天を仰いだ。穴があったら入りたいくらいだ。

 --でも、最後にひとつ聞いておかなきゃ。


「で? ガラスの靴ってのはどこからきてるの?」

 ぐしゅぐしゅ鼻を鳴らしながら、アンジェはやはりぽつぽつ話し出す。

「昔…死んだお母様が言ってたの。女の子は生まれつきガラスの靴を履いているって。でもそれは片っ方しかなくて、本当に私を愛してくれる人が、もう片一方を持ってきてくれるんだって…」

 しゃくりあげながら話すアンジェに、彼女の今は亡き母親に思いを寄せる。

 それは先に逝かねばならぬ自分が娘に贈る事のできる最大の夢物語(ファンタジー)だったんじゃないだろうか。

 さすがこの子の母親と言うべきか…発想がなんてドリーミーアンドクリーミー…

 私のお母様なら『まずは飯!』とか『世の中銭!』くらい言いそうだけど。

 そんな私の心中の苦笑をよそに、アンジェは例の悩殺上目遣いで先を続ける。

 …う、その目は反則! そんな目されたら押し倒したくなっちゃうじゃない!

 男はオオカミなのよ、気を付けなさいと言う、古い歌を知らんのか!(そりゃ、知らんわな)

「でもね、私は…その靴を持ってきてくれるのがミシェルならいいなって思ってた」

 背筋にぞくっと来る天使声。

 …もう! 限界!


「アンジェ、私は―!」

「そうしたら本当に王子様みたいな格好で現れるんだもの、びっくりしちゃった」

 ぐあ!

 あまりに純真且つ無邪気な笑顔が、私の煩悩を凌駕する。

 だめ…誰か助けて…。

「どうしたの? ミシェル、苦しそう…額に汗が…」

「いや、大丈夫」

 ぜーはーぜーはーぜーはー…

 荒い息を必死で整えると、私はその手に小さな靴を持つ降りをする。

 落ち着くために、小さな咳払いをひとつ。


「アンジェリカ。君が探しているのはこのガラスの靴かい?」


 アンジェが息を飲んでだまりこむ。

 やば…、やっぱ気障すぎたか…。

 けれど、彼女は瞳を潤ませたまま「ええ」と私の手から靴を履く降りをする。

 セ、セーフ!!

 クスリと笑って私も自分の靴を脱ぐと、その辺に放り投げた。

 夜風に乗って、裏庭にも小さく舞踏会の音楽が届いていた。

 そのまま片手を前に出して腰を落とす。


「私と―踊って頂けますか?」

 アンジェは月の女神に祝福されたような、静かに満たされた顔で微笑んだ。

「ええ。喜んで」


 専属庭師が刈り揃えただろう、下草が素足に気持ちいい。

 月の光と遠く響く音楽は最高にロマンティックだし。


 ――結果として。

 喜びに酔っ払う私達のダンスは、主に一方的に私の足が踏まれる運命を呼び込んだので、靴を脱いで踊ったのは、きっと正解だったに違いない。

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