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決意

 王宮からアンジェへ2度目の招待状が届いたのは、それから一週間後の事だった。

 あれ以来、アンジェとはまともに口を聞いていない。それどころか顔を合わせる事もほとんどなかった。

 私が仕事を理由に自室に引きこもっていたからだ。


(ミシェルの馬鹿! 大嫌い――!)


 涙に濡れた叫びがこだまする。

 どうして私達は出会ってしまったのだろう。

 リフレインが叫んでる。

 …まぁ嫌われるのは当然よねー。酷い事をしたんだから。

 たとえキスだけとは言え、無理強いすれば強姦と一緒。傷付けようと意図して、その通りになっただけ。

 言い訳する気も弁解する気もさらさらないけれど。


 たまに廊下でニアミスしても、アンジェは顔を背けて何も言わない。食事はいらないと言ったら、部屋の外に食事の乗ったワゴントレイが置かれていたのが、あのこらしい精一杯の好意だろう。


 だから。

 その朝、家族が一堂に会したのも一週間ぶりだったのだ。


 ここのところの私とアンジェの様子に気付いているのかいないのか、リリア姉様は相変わらずクールな笑みを浮かべて招待状を翳して見せた。


「何と今度はドレス付き☆」


 従者の手に寄って運ばれてきた豪華なドレスは、型こそロイヤルクラシックなものだったけど、だからこその侮れない清楚さと上品さが漂っていた。

 成る程、伝統(スタンダードナンバー)の底力ってやつね。


 胸から二の腕、背中までぐるりと横に巻き付く柔らかいシフォンは肩の丸みを強調し、若々しさと初々しさを醸し出す。その分絞られたウエストとマーメイドラインのスカートは、光沢のある上品なロイヤルブルーのタフタだった。

 首の後ろで結ぶ様になっているレースのリボンは、普通よりかなり長めで、ダンスを踊ったら妖精の羽か触覚の様に見えるに違いない。


 どれもこれも、アンジェの愛らしさと清純さを生かした、美しいデザインだった。

 

「ほら、すっごく素敵よ。よっぽど殿下に気に入られたのねぇ、アンジェリカ!」


 珍しくお母様もドレスを前に目をキラキラさせている。

 悔しいけど、私の目にもそれは最高級のドレスだった。


「今回こそ絶対断れないわね。専属のダンス教師でもつける?」


 姉様に至ってはいつものケチケチ精神が棚の上に仕舞われている。きっと、もっと大きな儲け計画がその頭の中で展開中に違いない。


「あの、私……」


 唯一困惑した様なアンジェが、ちらっと窺う様な視線で私を見た。


「良かったわね。是非行ってらっしゃいよ」


 ロイヤルブルーのドレスを切り裂きたい衝動に駈られながら、私は何事も無かったかの様ににっこり笑ってみせる。

 だって…完敗だもの。

 何せ相手は王子様で、しかも私が仕立てた物より似合うドレスをアンジェに用意できるのだ。

 それに…

 彼が好きなんでしょう?

 こんな私の側で家事に明け暮れるより、愛する人の側で大勢の召し使いに傅かれて暮らす方が、よっぽどいいに決まってる。


 だから…

 王宮に行けばいい。

 私の目の前から消えて、お伽噺の様に幸せになればいい。

 お願いだから―そんな同情する様な目で私を見ないで。


「そうね。ドレスのお礼を言わなきゃ…」


 アンジェはまた例の哀しげな笑みを浮かべると、朝食の後片付けをするためにリビングを出ていった。


     ◇     ◇     ◇


「あんたはどうするの? ミシェル」

 リリア姉様が思わせぶりに訊いてくる。

「そうね、今回はパスしようかしら。頼まれたドレスもまだ縫いあがってないし」

「……そう」

「ちょっとミシェル、納期には間に合うんでしょうね?」

 お母様が片眉を上げて不安そうな声を出す。

「大丈夫よ。でも舞踏会当日には目に隈ができてそう。そんなやつれた顔で、人前に出たくないしね」

 私の言葉に、お母様とお姉様は顔を見合わせて、視線でこそこそ会話する。


(本当に大丈夫なの、この子?)

(任せて、私が何とかするから)


「わかったわ。じゃあ、無事にドレスを仕上げたら、あんたは少し休みなさい」

「ありがと、お母様」


     ◇     ◇     ◇


 部屋に戻ると、布をかぶせた作りかけのドレスに目をやった。注文の品とは別にこっそり作っていた代物だ。

「これも…必要ないかもしれないわね。あの王子様なら、もっといいものを用意できそうだし…」


 それは決別を覚悟するための、本人が着る事もないかもしれない純白のウエディングドレスだった。


     ◇     ◇     ◇


「じゃあ、行ってくるわね。留守は頼んだわよ」

「はい。行ってらっしゃい」

 着飾ったお母さま達を玄関で見送って、私は一人ダイニングに戻る。

 お茶でも淹れようかと思ったのだ。

 改めて一人っきりの我が家は、まるで火が消えた様に静かだった。

 

 考えてみれば、この家に来てから本当に一人になる事は一度もなかった。

 お母様やリリア姉様が仕事で出かけていても、大概私はアンジェと一緒だったからだ。

 何もできないあの子に料理を教え、掃除や洗濯を教え、畑を一緒に耕し、ようやく一人で買い物に行かせられるようになったのは、どれくらい経ってからだっけ? それでもその時は不在を感じられないほど、ここかしこにあの子の存在感が溢れていた。

 怒鳴りつけたり呆れたり散々したけど、あの子が愚痴や不平を言う事は一度もなかった。

 慣れてくれば、それは楽しそうに一緒に家事をこなしていた。

 最近ではもう食器を割ったりバケツの水をひっくり返すこともない。


(ミシェル、今日のパイはちゃんと膨らんだわ!)


 些細な成功に、あまりに嬉しそうに喜ぶから、こっちだって嬉しくなった。

 ふと思いついてアンジェの部屋へと向かう。

 初めは上品な服や可愛らしいおもちゃでいっぱいだった女の子らしい部屋は、お母様の徹底した損害賠償制度ですっきりした部屋へと変わっていた。

 さすがにその後、私のおさがりばかりと言う訳にもいかなかったので何枚かアンジェの服も作ったけど、それでも動きやすい作業着ばかりだったから、華やかさは全然ない。

 クローゼットを開けると、一番派手なのは先日のピンクのドレスとその次がメイド服用のエプロンドレスだった。

 その事に不満を漏らした事は一度もないけど、若い女の子にしてはやはり酷な仕打ちだったんじゃないかしら。

 ハンガーに掛けられたメイド服をそっとおろし、あの子のぬくもりを味わう様に抱きしめた。


「何、バカなことやってんの?」

「ぎゃっ!!!」


 嘘! なんでリリア姉様が家にいるの!? 舞踏会に出かけたんじゃあ…!


「あの、これはその! 私が作った中でも会心の出来を味わっていたと言うか!」

「黙れ変態」

 

 …ちょっと待って。いくら姉様でも鋭利すぎじゃないかしら。只でさえナーヴァスになっている傷口に、塩とマスタードを業務用の量でなすりこまれたわよ?

 がっくりと膝をついて言い返す気力もない私に、一切の容赦もせず冷たい声が響いた。


「ねえ、ミシェル。あんた、いつまでそうやってお父様に縛られてるつもり?」

「………はあ?」


 驚きのあまり、姉様を見上げてぽかんと口を開く。

 お父様? …って、あのクソ親父の事かしら?

 あんなぼんくらのことなんか、これっぽっちも考えていなかったけど。

 なんであれの話題が今出てくるの?

 

 唖然とする私を見下すように、姉様は言葉を続ける。

「だって、お父様が亡くなってからじゃない。あんたが女の恰好をしてそんな風に喋るようになったのは」

「!!」

「まあね、予想外に似合ってたし、あんたがそれで色んな事を乗り越えられるのならって、私もお母様も黙認してたけど、…アンジェなんか初め相当戸惑ってたわよ? お兄様と呼ぶべきか、お姉様と呼ぶべきか」

「………!」

 腰に手を当てたまま、姉様は少しさみしげな顔で笑った。

「そのままであんたが幸せになれるのならそれでも構わないと思ってたけど…いいの? そんなんでアンジェを諦めてしまって。あの子が好きなんでしょ?」


 うわ! 姉様ったら気付いてたんだ!? そりゃあ勘のいい姉様だから気付かれてもおかしくはないけど…、もし気付いてたらとっくに強請りのネタに使われると思ってた。まさか黙って見守っててくれるなんて…嘘でしょお?


「だって…私…」

「言うべきことがあるならちゃんと伝えなさい。それで玉砕したらちゃんと諦めもつくから」

「…いいの? あの子が殿下と縁付けば、商売には願ったり叶ったりなんじゃあ…」

「バカ言わないで。弟の幸せを無視してまで儲けたいとは思わないわよ。お母様だって同じ気持ちなんだから」

 屈みこんで私の顔を覗きこむ姉様の顔に、慈愛の笑みが溢れている。信じられない、こんな顔もできるなんて。今まで一度も見た事なかったんですけど!

「姉様…」

「さあ、とっとと用意して行くわよ! それとももう一回これを使われたい!?」

 後ろ手に隠されていたものを見てぎょっとする。

 だから!

 なんでハリセンなんて持ってるのよォ!!


「それに…アンジェったらダンス用の靴を忘れていったのよね」

 姉様が指差すその先には、確かにダンス用のシューズボックスが。

 てっきり空箱だと思てったのに、中身入り?

「うそ!!」

 信じられない!! なんでそんなにどんくさいのよ!? あのドジ娘!!!

「招かれた当人が遅れる訳にいかないもの。だから代わりに私が取りに来たの」

「わかったわ! 用意してくるからちょっと待ってて!」

「それに…あんたに頑張ってもらわなきゃ…」

 小さく呟かれた姉様の声に、着替えに行こうとした足を止める。

「――え? 何か言った?」


「いえ、何も?」

 にっこり笑った姉様の笑顔に悪魔の尻尾が見え隠れした気がするけど、今はそれどころじゃなかったのだ。


 部屋に戻って大きな断ち切り鋏を手に取った。

 そうよね、私だって男だもの! やる時はやらなきゃ!


 待ってらっしゃい、アンジェ。今、世紀の告白をしにあんたのところへ行くからね!






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