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涙のキス

「…シェル」


 あの後…、殿下と何を話したか、聞き出そうとしたけど無理だった。

 泣くのを堪えた様な上目遣いの瞳で、それでもきっぱりと「ごめんなさい、言えない」と珍しく言い切って唇を噛む。

 …だから!

 何でそこでうっすら頬が染まってるのよぉ!


「…シェル、ミシェルってば!」


 何故か今回に限っては、お母様や姉様も何も言わなかった。

 どうして?


「馬鹿ねぇ、こう言う時はこうするのよ」

「え? リリア姉様? ――あ」


 ばこーんと盛大な衝突音と共に、突然後頭部に衝撃的な激痛が走り、目の前に大量の星が散った。

 これは天の川? それともマゼラン大星雲? 夏の花火大会にはまだ早いわよねえ…


「…じゃなくて! 何するのよ!? 死ぬかと思ったじゃない!」

「あんたのそれ」

 言いながら、リリア姉様が大きなハリセンを片手にもう一方の手で私の手元を指指す。

「そのドレスはあんたの服とくっついていていいものなの?」

「…え? きゃっ!」

 頭をさする左手から針を持つ右手に意識を移すと、縫いかけのドレスの裾と私の服が重なって縫われている。ぎゃ~~~~~!!!

「何でもっと早く教えてくれなかったのよぉ!」

 しかもみっちり目の詰まったまつり縫い。いやぁん、解くの大変~~。薄い生地なのに、傷めず戻せるかしら…

「ごめんなさい、あの、何度も声をかけたんだけど、あの、ミシェル、おかしな顔になってて…」

「はっきり魂の抜けた顔って言って良いわよ?」

 心配げなアンジェリカに、リリア姉様の絶妙なフォロー。見事なまでに私を奈落の底に突き落としてくれたわね。

「…ああ~、ノルマがまだたくさんあるのに…」


 有難い事に、たった一曲しか踊らなかったにも関わらず、アンジェの着ていたドレスは大好評だった。

 裾を斜めにカットして何枚も重ねた薄い生地が、踊る度にふわりふわりと広がって、その幻想的なシルエットはさながら花の精の様。もちろん華奢なアンジェの体型が一役買ってる事も大きいんだけどね。

 その分上半身はシンプルなラインで品良く仕上げてある。それでもよくよく見れば、透かしたレースや細かい刺繍が同系色でがあしらわれ、光の加減で微妙な陰影がつくって訳。

 我ながらなかなか良いデザインだったと自負している。


 そしとそれは王宮に来た貴婦人達のおめがねにもかなったらしい。

 お母様はあのドレスの出所を訊かれて、勿体つけながらもホクホクだった。


「奥様がお召しになるのなら、やはり唯一の一品物でなければ!」


 上品に扇で隠した口元は、きっと笑いが止まらなかったに違いない。

 姉様は姉様でいつもなら材料費はめいいっぱいケチるくせに、今回に限っては糸目をつけないと確約してくれた。

 結局あの日以来、私は多忙な毎日が続いてるって訳。

 もっとも忙しければ余計な事を考えずに済むから有難いと言えば有難いんだけど。


「全然煩悩だらけじゃない」

「だから、心を勝手に読まないでよ姉様の意地悪!」

「ミシェル、根を詰めすぎじゃないかしら。少し休んだら?」

 尚も心配そうに覗き込むアンジェに、片手を振ってみせる。

「冗談言わないで。せっかく私のデザインが認められたのよ? ここで頑張らなきゃ嘘でしょ?」

「そう言いながら心はあらぬ方向を向いている気がするけど」

 ああう、どこまでもリリア姉様は容赦なく突っ込んでくる。

 いいわよ、それならそれで、こっちも考えがあるんだから。

「そう言えば、リリア姉様とトーマス殿下って知り合いだったの?」

 どう見たってあれは初対面じゃなかったわ。

 姉様にちろんと意地悪な目を向けながら、私はアンジェが淹れてくれた濃いめのお茶に手を伸ばす。こんなのいっぺんに解けやしない。ちょっと息抜きしなくちゃね。

 うふふ、姉様が言いたくなくても根掘り葉掘り訊き出してやる。

 そんな私の心を見透かすように、姉様は気が抜けるほどあっさりと答えてくれた。

「昔、王立図書館に通ってた頃お会いしたの。あの頃は殿下もその辺のクソガキと変わらなかったけどね」

「うわー、仮にも皇太子様をクソガキ扱い?」

 我が姉ながら、本当にどこまでも怖れ知らずと言うか…

「だって、自分より小さい女が難しい本を読むなんて生意気だって、つねられたり髪の毛引っ張られたりしたんだから」

 抑揚のない喋り方に、秘められた怨念を感じるのは気のせいかしらね。

 でも分からないでもない。姉様って昔っから愛想がなくてその上偉そうにしゃべるから、誤解されやすいって言うか…今より敵を作りやすかったのは確かだわ。特に逆らわれることに慣れてないクソガキ…もとい王子様なら、そりゃあ癇に障ったんじゃないかしら。

 でもそんな事を知らないアンジェは「そんなひどい」と哀しげな顔になる。

「同情なら必要ないわ。きっちり仕返しはしたから」

 …ああ、やっぱり。

 姉様がやられっ放しの筈がない。きっと誰にもばれない様な陰湿な手で復讐したに違いない。

 案の定、姉様は面白そうに口の端を上げて言った。


「真夜中に呼び出して王宮にまつわる怪談を聞かせた上、効果(ラップ)音を仕掛けといたら、泣きだして漏らしてたわね」


 ………すっごく想像つくわ。復讐をきっちり完遂して、魔女の如くにやりと微笑む幼き日の姉様の姿が。

 だからこの人だけは敵に回したくないのよねえ。


 それなのに、何を思ったのかアンジェリカったら楽しそうにくすくす笑い出す。

「きっと、殿下にも忘れられない思い出になったわね」

 思い出と言うよりトラウマになったと思うけど。

 しかも自分より小さな女の子の前でちびったとなれば、その傷はマリアナ海溝より深そう。

「こんな私や殿下の昔話を聞いて嬉しい? アンジェリカ」

「嬉しいって言うか…、あの、私は兄弟とか幼馴染とかいなかったから、その…」

 何故か俯いてもじもじする姿に、私の中のどす黒いものが鎌首をもたげ始める。

「いいのよ、あれでも基本的にはジェントルだし、さすがに今では大人になったでしょう」

 あれって殿下の事かしら。この場合そうよね。どこまでも辛辣な姉様の言い方に、殿下に同情したくならない事もないけど…目の前のアンジェの笑顔が苛立たしさを呼び起こす。

「他にも殿下との間に何かなかったの?」

 アンジェは私にお茶のお変わりをついでくれながら訊いた。

 それはただの話の接ぎ穂だったのかもしれない。

 でも義妹のそんな心浮き立つような笑顔は、これ以上見たくなかった。少なくとも彼の話題での笑顔は。


「私、やっぱり仮眠してくるわ。アンジェ、後の片づけはお願い」

「あ、はい」

 素直に返事するアンジェの向こうで、姉様がにやにやしながら唇だけではっきりゆっきりくっきりと一言。


 じ・ご・う・じ・ば・く。


 ―――自業自爆。 

 くっそーーーーー!!! やるつもりがやられた!

 悪かったわね!!!


 煮えくり返る腹の虫を必死で宥めながら、私は半端に縫い付けられたドレス付きのシャツを脱いで、自室の自分のベッドにもぐりこんだ。


   ◇   ◇   ◇


 目が覚めたのは真夜中だった。

 無性に喉が渇いて、台所へと向かう。

 聞こえてきたのは細い歌声。アンジェったらまだ片づけてるのかしら。全くとろいんだから。

 そう思いながら扉の隙間からそっと覗くと、小さく歌いながら、長い柄の箒を相手に踊っているアンジェの姿が見えた。

 逆さに立てられた箒は誰のつもりなのか、とても楽しそう。

 いつもの悲壮な覚悟がないせいか、踊るステップも軽やかでいつになく上手に見えた。

 おかしいわよね。着ているのはドレスじゃなくていつものぼろい服にエプロン姿だと言うのに。

 ボリュームを抑えた小さな鼻歌は、まるで夢の中にでもいる様に、うっとりしているようにさえ見える。


 ――ねえ、その閉じられた瞳の中にいるのは誰?

 その人は砂色の髪と榛色の瞳をしていたりする?


 信じられないほど凶暴な嫉妬と怒りが胸の中で暴れまわる。


「楽しそうね、アンジェリカ?」

 開いたドアの枠にもたれかかって、問いかけた私の声に彼女の動きがぴたりと止まった。

「あ、やだ、い、いつからそこに?」

 一人で踊っていたのを見られて恥ずかしかったのか、アンジェは手にしていた箒をさっと後ろに隠した。

「たった今よ。なあに? ダンスの練習ならいつでもつきあってあげるのに」

「あの、だってミシェル疲れてそうだったし」

「可愛い妹の為ですもの。協力は惜しまないわよ、ほら」

 手を取ろうとした私の何に怯えたのか、アンジェの体がびくりと震える。

「それとも私相手じゃ不満?」

 にっこり笑って言った私の、咎めるような響きを感じ取ったのだろうか。いつもは全く鈍感なくせに?

「そんな事…」

「ほら、いらっしゃい」

 箒を取り上げて床に放り出す。

「あの、ミシェルどうしたの? いつもと違う…」

「…あんたもそうやって、姉様みたいに私を苛めるのね」

「そんなんじゃ…」

 どこまでも押し殺した声で笑う私に、アンジェは怯えた表情を見せ始める。

 やだ、そんな顔されたらこっちが苛めたくなっちゃうじゃない。

 私は半ば無理矢理抱きすくめるようにして、ステップを踏み出した。

 軽いアンジェの体が、私の腕の中でふわりと浮く。

 彼女を捕らえながら思わず口を突いて出たのが王子様の話だったんだから、本当に私って自虐的。


「ねえ、アンジェ。あの方、好きな人がいるんだと思う? それも心に秘めなきゃならない様な相手が」

「…よく分からないけど、もしかしたら、たぶん…」

「もしそうだとしたら…お気の毒ね。本当に好きな人と添い遂げられないなんて」

「………」

「でも、仕方ないわよね。高貴な御身分の方だもの、そうそう思い通りにはいかないでしょう」

「…やっぱり…そうなのかしら…」

 私の胸のあたりで、長い睫毛が哀しげに震えた。

「…なあに? もしかして、あんたも思い当たる事でも? 例えば心の奥に秘めた人でもいるの…?」

 不意に、アンジェの宝石みたいな瞳が大きく開いて、じっと私を見上げる。射抜く様なその視線はどんな感情も湛えておらず、それ故にまっすぐ突き刺さった。

「ううん、いないわ」

 静かに答えながら微笑みを形作るその唇が、あまりに透明な哀しみを含んでいる様に見えて――

 分かってしまった。

 無邪気でとろくて天使のようだった、私のたったひとりの妹。

 だけど。

 ――ああ、いつのまにか。恋をしているのね。 


 それが限界だった。


「え? や―――っ!」

 小さな体を抱きしめて拘束し、無理やり唇を重ねる。嫌がって顔を背けようとしても容赦しなかった。

 唇を割って舌をもぐりこませる。

 食いしばろうとする歯をこじあけ、その奥の舌を引きずり出し、無理やりからめ捕る。


 あの男のものになるくらいなら、いっそこの手で――

 喉の奥で抵抗するように呻く声が聞こえたが、何の罪悪感も湧かなかった。

 犯して蹂躙して、壊してしまいたかった。


 永遠に続くように思えたその時間も、本当はほんの一瞬だったのかもしれない。

 ふと力を緩めた隙に、細い手が力いっぱい私を突き飛ばす。

 無様に床に尻餅をついた私を、潤んだ瞳のアンジェが睨み付けていた。


「馬鹿――! ミシェルなんて、大っ嫌い」


 僅かに息を弾ませながら、アンジェはそれだけ言うとキッチンを飛び出した。

 私は動く気にもなれず、その場にしゃがみこんだまま微動だにしない。

 おかしくなって笑おうとするけど、うまく顔が動かなかった。


 だって、どうすれば良かったの?

 家族として愛されるくらいなら、たぶん…それ以上に強く憎まれた方がよっぽどマシだったなんて。

 アンジェ、あんたに言ったら、迷惑以外の何物でもないわよね。


 私の横で、放り出した箒が、まるで打ち捨てられたように力なく転がっていた。

※本文中の「自業自爆」はリリアの造語です。雰囲気で読み取って頂ければ幸いです☆

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