匂い立つもの
山崎梓は覚えている。
じわじわと暗くなる視界。それは夜が近づいていたためか、それとも他の何かだったのか。
夜の匂いが近づいてくる。昼間、慣れ親しんだあの空気はきっと、陽の匂いが漂っていたのだ。
陽の匂いが消えると、こんなふうになるのか。そう思った。
音はひたすらにうるさかった。
何も考えることは出来ず、ただ、この匂いは嫌いではないと思った。
ただの子供だった梓にとって、『夜』はとても魅力的な時間だったのだ。
梓が運び込まれたと思われる病院は一つしかない。だから藍はまっすぐにそこに向かった。
大学の付属病院と看板を掲げたそこは、敷地も大きく入院患者がメインだが、近所に救急医療病院もある。
病院は信用第一。この界隈で『病院』といえばまずそこだ。
しかし入ってすぐ、藍は思わず立ち止った。
「・・・どうしよう」
『なぁにが?』
梓は呑気に欠伸をしながら、藍の顔を覗きこむ。
「この場合って・・・どう言ったら」
『・・・あー・・・』
入院患者ならば『○○さんの病室はどこですか』となるだろう。しかしこちらは『死人』。
まさか『○○さんの遺体はどこですか』と、言うわけにもいかない。
「あとこれ、どこに聞けば・・・・」
『あらー・・・・・』
大きな病院と言うものは、総じてゴチャゴチャしているものだ。受付らしきものは、今居る正面ホールからパッと見ても三つ。
それは、紹介患者窓口と、保険証提示の受付と、支払いの受付なのだが、病院にあまり縁のない、健康良男児の藍にはその差がよくわからなかった。
さらに良く見れば、図書館にあるような、病院配布のカードを提示して予約等を確認できるコンピューターなんかも入り口脇に並んでいる。
この短い人生に何度かは来ているはずなのに。未知の空間に藍はうろたえた。こんな時に限って、病院職員は歩いていない。
『・・・・その辺の人に訊いたら?』
「そっ、でもっ、病院に来てる人って言うと、どの人も具合が悪いんじゃ・・・・」
『そう?意外に元気そうな人もいるよ?ほらあのお爺さんとか、お年寄りはいけそう。あと付き添いで来てる人とかさぁ』
「・・・・わかりました。ちょっと訊いてきます」
藍は緊張の面持ちで歩いていく。
『がんばれ藍ちゃんフレーッフレーッあ・い・ちゃ・ん』梓は手を振って見送った。
やはり、ああいう反応になるのも、自分の外見を自覚しているからなのだろう。
突然現れた外国人にしか見えない少年に、声をかけた優しげな婦人は遠目から見ても驚いていたが、しばらくすると難なく藍は、丁寧にお辞儀をしてから帰ってきた。
藍は人見知りだと思っていたが、さすが寺の息子。老人相手だと幾分気が楽だったのかもしれない。
『どうだった?』
「どこに訊けばいいかはわかりました」