『必ず会いに行く』
「・・・・どうして」
凛の短い人生の中で、何度この四文字を呟いたであろうか。
いつだって彼は、この台詞を床に叩きつけるように口から吐き出していた。しかし今回ばかりは趣が違う。ポロリと、取り落とし転がるようにそれは口から出てしまった。「・・・・どうして」
目の前には男。それは求めた結果である。きちんと、『青島草平』という国語教師の男だ。けれど。
「どうして」
“青島”は、にっこりと笑った。
「―――どうしてアンタが来たんだ、魔法使い」
「ボクは願いを聞いただけさ。それ以上でも以下でもない。代理だよ代理、メロスとそのご友人みたいなもんさ」
「・・・・はは、何言ってんだ」
願っていた。
「君の願いは、自分にとって一番の障害である〟化け物退治“と〟魔法使いを殺すこと”だろ?」
大きくない扉に立ち、こちらを笑顔で見つめるのは、あれほど焦がれた男と求めたものである。凛は唇を結び、喉を鳴らして唾を呑んだ。
「・・・・馬鹿だなぁ、お前。ぶち壊しにしやがって」
泣きそうだった。ああ、終わった。そう思った。
中年男の顔で、魔法使いは不思議そうにこちらを見やる。(・・・・そんな顔、するなよ)
男の頭には包帯、右頬にはガーゼが貼られていた。笑うと、間抜けに欠けた前歯が見えた。ぐっと眼をつむり、波をやり過ごすと凛は一転、青島を睨みつける。
「・・・・アンタのやってることはいつだって的外れなんだよ。アンタがそうやった時点で、俺のしたかったことは全部終わったんだ。俺は〟化け物退治〟とは言ったけど、〟人殺し“をするとは言ってないだろう?目的には経過が必要なんだよ。過程が大事だったんだ・・・・」
青島に魔法使いがくっついた時点で、それは一石二鳥ではなく土崩瓦解、凛にとっての事実上のチェックメイトだった。
苦しい。溺れたのは自分の方か?『やろう』と決めて、その時はこんなにも苦しくは無かった。むしろ、いつか自分はそうなるだろうと。運命だとすら思っていたのだ。
「俺は時間稼ぎがしたかっただけだ。そいつがちょっとでも俺に触れれば、それでいい。こっちは未成年、そっちは立派な社会人。あと三年だ。三年で、俺は十八歳になる。五年なら二十歳だ。それまでそいつを遠ざければそれでよかったんだ。俺にはまだ時間がいる。だから、なるべく乱暴に扱われて怪我の五つや六つ付けてくれれば・・・・って、思って体は張ったのに・・・」
凛は緩く首を振る。
「〟人殺し“になっちゃ、爛を守れないだろう?よく考えろよな。分かることだろ?化け物は追い払えりゃそれで良かったんだよ。なのにさあ・・・・アンタがそれを分かってやってるんならまた別だけど・・・・違うみたいだし。子供が好きなら、子供の心を知ってから動けよ。馬鹿だろ」
魔法使いは憎い。けれど、超えてはならない一線があることは、凛はよく分かっていた。凛の目的は、あくまで『兄妹共にあること』なのだ。
「俺はあくまで“被害者”じゃなきゃいけなかったんだ。だから病院の下調べまでして・・・・・知らないって顔だな?教えてやるよ。
そういう場合、被害者には病院の診断書が必要なんだよ。一番手っ取り早い。だからあの日、この辺の病院調べて色々準備して、跡が残ってるうちに証拠とってやろうとか考えてたんだ」
もはや羞恥も何もない。女ではない男の自分には安いものだとさえ凛は思う。セイレーンがある自分ならば、完璧に出来上がるはずだった計画だ。
溺れたのは自分の方か。人魚は王子を討った後に海に帰り、まさかもう泳げないとは思わなかった。自分はもうエラもヒレも無くしてしまっていたのか。なんてことだろう。
「どうして」凛はもう一度、この言葉を吐いた。今度は意識的に。
「どうして邪魔したんだよ・・・・」
「言っただろう?ボクは代理で来たのさ。伝書鳩の代わりなんだ。所詮、今のボクは鳩程度。君を邪魔する気は無かったし、この結果にボクも驚いてるよ」
「わざとらしい・・・」
言って、凛は視線で魔法使いを促した。
「どうせ爛だろ?このタイミング。それなら仕方ない、次を考える」
「ブッブー残念。爛ちゃんもだけど、他多数もおまけだ」
「他多数?」
「『わたしは否定もしないし、肯定も出来ない。ただ君がそうしたいならそうすればいい。ただ、過程が違えば結果も違うことを忘れるな。凛がなりたい状態と、わたしの理想は違う』」
なんだそれは、と意味を込め言ったつもりだった。相変わらず会話のかみ合わない魔法使いが口にしたのは、片割れの怒りだ。
「・・・・やっぱり、アンタ止めにきたんじゃん」
「いやいや、〟他“も聞けば、君は次すら考えなくなるかもしれない。そうだろう?」
(いいや、俺はやるよ)
想いはそう軽いものではない。何せこちらは、決意を込めて人生を切り売りしているのだ。自信がある。
この想いは、深く、深く。根強く砂上の奥の奥に、根を張り水を啜っているのだ。多少の風にそう簡単には折れない。むしろ、その枝を凪ぐことさえ出来ないだろう。
「『お友達になりましょう』だってさ」
虚を突かれた凛に、魔法使いはニヤニヤと口元を緩め、続きを聴かせた。
『今回のことで、君の様な友人が居れば楽しいだろうという結果を導き出しました』
『なので、』
『お友達になりましょう』
「彼らは止めるために伝言を頼んだんじゃないよ。純粋に――――いや、不純に?今回のことで君みたいな友達がほしいな~、と、そう思ったんだって。六十億人の一人に興味を持ってもらえるってのは、まさしく奇跡だよ?君は大人が血を吐いて欲しがる『時間』ってのを、ゴミ箱に捨てるつもりかい?それがなんて勿体ないことか、今の君にはわからないだろう?騙されたと思って青春しろよ、青少年」
「なんか腹立つな。アンタら」
不快も露わに、凛は立ちあがる。そう広くない部屋を見渡し、自分の帽子を手に取ると目深にそれを頭に被った。昼間でも薄暗い室内で、ぼんやりと帽子のつばの影、瞳が光る。
「そして、こうしてボクらが会話してることもまさしく奇跡だろ?ボクが過去に君を選び、そして今こうして話している。すごいことじゃないか」
「・・・・・アンタ、悪い顔してるな。極悪人だ。とんだ詐欺師だよ」
凛は迷わない。嫌悪を露わに突き進んだ。後悔はしない。目的達成のためなら、手段は選ばない。狡猾に生きなくては何もできやしないのだ。
「そういうのは名前を名乗ってから言いなよ。俺もあの時、そうしただろう?」
すれ違いざまに凛は青島の頬に口づけ、彼女の耳元で囁いた。
「海の底を泳ぐ人魚の眼をごまかせると思うなよ、山崎さん。魔法使いへの願いはもう使っちゃったんだろ?だからって、そんな中年男に取り憑いたら戻れなくなるかもよ?」
明るい外の土を踏んだ彼の背に、梓は口元を釣り上げて猫の皮を脱ぎ棄て言った。
「・・・・わっるい顔。今キミ、すっごい悪人ヅラしてるよ。鏡見てきたら?」
【猫被り】
本性を隠し大人しく見せること。知って居ながら、何も知らないふりをすること。