『君の目が覚めた時』
辻 聖は右手を束縛されながら、アパートへの階段を踏みしめていた。
右手に繋がるそれ、自分より一回りも二回りも細い腕は白く、精一杯伸ばされ自分の指を握りこんでいる。身長差があるのだから離れて歩けばいいものを、この少女はどうしてもそうしていたいらしく聖は右半身を傾けながら、突っぱねたように、赤さびに塗れたそこを上っていた。
「あっちゃんさ・・・・」
「あっちゃんじゃないよ!あ・さ・こ!」
「・・・・朝子ちゃんさぁ、もう夕方なんだけど」
「いいから、わたしんち寄ってって!」
ぐいぐい右腕を引く彼女に、聖は緩く首を振り従った。
朝子は女性とは到底言えず、少女という大きなくくりでは、いささか説明不足である。彼女は今年で七つになる小学校二年生、背中にはまだ綺麗な空色のランドセルがある。
流行なのか、それとも趣味なのか、あの開くとべろんと長いブツのあるものではなく、まるでスクールバックのような形状を、背負えるように仕立てたものだった。長方形の中頃に、カチリとはめ込むタイプの金具が二組ずつ、段階に分けてあるところを見ると、見た目よりずっと収納性はあるらしい。真新しいリコーダーの袋が横から覗いている。
自宅通学の聖には余計に小さく見える室内を。ちょこまかと動き回る真っ青を背負った小人を視界の端に入れながら、聖はトウガラシのように真っ赤な頭を掻いた。
「そこ!そこ座ってね!」
「ああ、はいはい」
犬の顔をした座布団に腰を下ろすと、百均で買ったようなプラスチックの小さなコップが、なみなみと麦茶を収め出てきた。
「聖くんは男だから青ね!」
キャラクターをきらきらしたラメが彩る半透明のコップを見、すぐ横にある彼女の整理された学習机を見、どうやら彼女は女の子ながら青が好きらしいと麦茶に口をつける。自分の家とは違う違和感が、喉を滑って落ちて行った。
ドンッ
ぐらぐらと築三十年は在る壁が揺れた。
「あらお隣だわ」
(母親の真似なんだろうなぁ)
「めずらしーのね」
「隣、どんな人なんだ?」
「先生してるおじさん。あんまりしゃべらない人なの。めずらしいなぁ、いっつも静かなのに」
『珍しい』を繰り返し、朝子もそろそろと水色のコップを机に置くと、腰を下ろしまた呟いた。「めずらしいなぁ、あのね、すごい優しい人なのよ?前に野良猫に餌やってるのをみたもん」
そう言った途端、また ドンッ 「きゃぁ」朝子の肩が跳ねる。
「・・・・まぁ、どんな人でも色々あんだよ。お前気をつけろよ?」
「ん~?」
「人ってのは見かけによらないんだからな。優しそうなおじさんが本当に優しいかなんて分かんないんだから、ホイホイついてったりすんなよ。俺みたいには行かないんだからな」
「でも聖くんは、優しく見えない優しい人だったんだからいいじゃない」
あまりに的確なその台詞に、聖は思わずハンズアップした。脱帽だ。女の子というものは、いつだって上手である。
赤い髪の不良:辻 聖
聖なる、と書いてアキラ。あきらか、を転じて『聖』になった。
ぶっちゃけ家族以外に正確に読んでくれないのが悩み。
青いランドセルの女の子:三浦 朝子
通称・あっちゃん。おませで可愛い女の子。女の子なのに青色が好きなのが、ちょっと恥ずかしい。そんなお年頃。お母さんはお腹に赤ちゃんがいるため入院中で、聖に世話になっている。