坂城 藍:天の邪鬼
彼は大層なネガティブである。
まだ丸みの残る輪郭に、長い金色のまつ毛、高級磁器の様な肌、名の通り濃い藍色の瞳、桜色の唇ときたら、もうどこの御国の王子様?と、言いたくなるような容姿である。
性格も、この年頃の男の子にしては気配り上手、基本的に自分がされて嫌なことは絶対にしないことを信条にしている。世で言ういわゆるKY人種とは対極に位置し、臆病なほど、周囲の確認を慎重に行う。
そんな彼の唯一の欠陥と言えば、そのネガティブに他ならない。
いつでもどこでも『最悪の事態』を想定するのである。それは人の心にも言えることで、目の前の人物が“もし”今の言葉に傷ついていたら、を手始めに、〟もし“この人が自分を嫌いなら、となる。その結果として、彼は常に頭の中で『自分』、『他人』の二つのカテゴリを作り、言動の選択肢の仕分けを行っているのである。
これはモノによって対処が違う上に、不要な部分を削ぎ落とそうとすればするほどに果てのない、大変疲れる作業なのだ。しかも常に情報の整理が必要なため、持ち場を離れることを許されない。過酷な労働である。
若干十四歳にして、坂城藍少年がこうなってしまったのは、前述のその容姿にある。
彼は金髪碧眼であり、戸籍上は日本人だが、その体に75%流れるは西洋フランスの血だった。父はハーフ、母にしては、パリに住んでなかった純粋なパリジェンヌ。つまりフランス人。
純度75パーセントといえば、チョコレートならばびっくりの苦さ。彼はその味を恐れているに他ならない。
日本人の多くは、黒髪に茶の混じった黒眼だ。義務教育も終えれば、髪色を変えることもあるだろうが、残念なことに彼の周囲はまだ幼く、生まれたままの黒を保っているのが大半である。
外見の不一致は、つまり第一印象が固定されやすい、ということになる。彼は人間関係において、最初から第一印象を捨て、自分の立ち振る舞いを見せてからの第二印象での対人間関係の勝負を賭ける。その末の、あのネガティブという名の保険だ。
彼の父は何故だか日本の地で、日本人ではない母を見つけ、選び、結ばれたのだから、最早因縁としか言いようがない。
※※※※
『そりゃ君は先をちょっと子供らしくないけどさぁ、大丈夫だって、ハタチ過ぎれば天才も普通の人だよ』
身も蓋もないことを、幽霊は眼を細めて藍の頭の後ろで言った。
「・・・・山崎さん」
声色で、勝手に頭の中を覗くな、と抗議する。
『混乱の原因』『不可解な状況』の最たるもの。貼り付くように、一定の距離から離れないこの幽霊。
肩に付くほどの黒髪の大人しそうな外見に、真っ赤な眼鏡を掛け、紺色の制服を纏う。どちらかといえば図書館に居そうなお姉さんなのだが、藍は彼女に出会って三日。すでに多大な苦手意識を持っていた。
『ボクは君に取り憑いてるんだ。一寸だって離れられない。いいじゃん現役セーラー女子高生が取り憑いてるんだよう?響きだけでいくないかい?』
「セクハラですよ」
『難を言えば、君がボクより可愛いことだね。なんだいヒロインより可愛い主人公。攻略されるのは男の娘、なんてシュール』
彼女に話は伝わらない。くるりと幽霊は空中で風船のように弾んでターンした。ひざ丈のプリーツスカートの中、足が丸見えになったが、太ももには体操着らしいハーフパンツが顔を出している。
『ボクなんてさぁ、老け顔だから制服姿だとAVに出てきそうだとか言われるんだよね。
失礼しちゃうよね、眼鏡は眼が悪い人が使う道具だよ?そういうもの見て、そういうこと考えるからそう見えるんだよ。眼鏡は耳にかけるもんさ。それ以外何をかけるってんだ、って話だね。精神的不衛生極まりないよねぇ君はどう思う?』云々。
今度はその場に寝そべり、退屈した子供の様に、無意味に手足をばたばたさせるこの女。
(色気も何も無いな)
幽霊の名前を山崎梓という。少し前まで現役女子高生だった年上の女の子だ。
十一月上旬のあの日。午後四時ごろ。下校時に通学路にある歩道橋の上、そこから彼女は落ちた。
駅前の大通り。事が起こったのは夕方だったが、高速道路も一キロ先にあり、歓楽街も近いその道は、夜でも車が絶たないほどの大きな道路だ。落ちた彼女の体は軽自動車に一度跳ね飛ばされ、そして対向車線を走っていたもう一台に下敷きにされた。
『いや、あれは潰された、と言うべきだね』と梓は言う。
つまり坂城藍は、彼女が幽霊になった瞬間を見ていた“目撃者”と“被害者”の関係である。
『ああ、到着到着』
梓の声と共に、藍は自分の席にどさりと鞄を置いた。置き勉をしない主義らしい藍の鞄は、実に重量感のある音をたてた。
藍の通っている学校は、いたって普通の公立中学校だ。教室は下駄箱にも購買にも近い一階、旧校舎とも言われる北校舎の角。冬はまだしも、窓の上にケヤキの木ががかかったこの教室は夏には涼しく、 好立地好物件である。
ただ難なのは、旧校舎と言うだけあって、薄暗い雨天の夕方などは大変に雰囲気があるというだけか。
『知ってる?ケヤキって木によって紅葉の色が違うんだよ。この木は見事に真っ赤だよね。うんいいよね赤は。魔性の色だね。ボクのラッキーカラーなんだ』
藍はそれを無視した。しかし彼女は、最前列右端・廊下側の藍の机に腰掛け、ぺらぺらと独り言を話している。
それは、何が好きでこれが嫌い、というような自分自身のことと、生活にこれっぽっちも役に立たない雑学だった。聴いているかどうかは、もはやどうでもいいらしい。
『ねえ浅黄色って知ってる?新撰組の羽織の色なんだけど』
秋も深く、ケヤキの紅葉が窓の外を彩る。人のまばらな教室で藍は考えに伏せった。その梓のことである。
さて、事故は一瞬に起こったことであり、藍自身はその歩道橋で梓の斜め後ろ五メートルほど先に居たにも関わらず、実のところ落ちた瞬間もその後も、彼女がどんな状況だったのか。よくは見ていない。
落ちた彼女に真っ先に駆け寄ったのは、彼女と同じ高校生らしい年頃の青年だった。学校をサボっていたらしい彼は、私服姿で真っ赤に頭を染めたいかにもな不良だったが、誰よりも早く階段を駆け下り、逃げようとした運転手をとっ捕まえて、救急車を呼ぶよう指示した好青年だった。
藍自身はと言えば、クラクションの音、不良少年の「逃げんなテメェ自分がナニしたか分かってんのか!」という怒声と、他の目撃者の「人が落ちた」の言葉で、ようやっと状況を把握した。
そんな自分に、何故、彼女が自分に取り憑くことになったのか?
藍は寺の息子だ。当然、父も葬式等に呼ばれることもある。藍自身も手伝いに駆り出されることだって、小学校のころは結構あった。そう少なくない檀家さんの名前も頭に入っている。
経験として、御遺体を見たこともある。
しかし心霊、幽霊、というものは、もしかしたら、一番縁遠かったのかもしれない。供養の心は染みついているが、藍は幽霊の存在を信じていなかった。梓が初めてだ。
成仏させてやりたい、とは思う。だが、梓は藍の持つ幽霊のイメージからは一線を画していた。
とにかくうるさい。さらにいえば、すごく邪魔。ふとしたときに怒鳴りたくなることも少なくない。
そもそも本人に、まったくその気がない。
最初は再三、言ったのだ。「この世に未練でもあるんですか?」「出来ることなら、何か協力しますよ」「言ってみてください」
今となっては、そんなチープな台詞を吐いたことが恥ずかしい。
藍はとうとう、梓に『成仏』を促す言葉どころか、とりあえず自分から引きはがす言葉しか掛けなくなっていた。