あの日あの時あの瞬間
藍はお返しの様に、梓を仰ぎ見た。
「山崎さんは、自分が生きてるって自覚はあったんですか?」
『・・・・・ボク、一度も自分が死人だなんて言ってないよ?』
予想はしていた答えである。
実に彼女らしい、茶目っけ溢れる返答ではないか。
悪戯っ子の様に歯を見せて、梓は笑った。
『あら、大きな溜息』藍は急激に二十年ほど老けような気がする。梓の笑顔は眩しい。眩しすぎて、目眩がした。
この目眩は、決して彼女に見惚れて発生した症状では無い。強いて言うなら、交際半年の恋人のベットシーンを目撃してしまったような、どちらかといえばそういった裏切りにとそれによって途方に暮れた方の『目眩』である。
やけくそで箒を猛然と振る。力いっぱい地面を擦り上げた小枝が、落ち葉を剥がしていく。
(ああ腹が立つ!)
チクショウ!なんて、普段使わない言葉さえ口から出そうだ。やっぱり馬鹿にされているのかもしれない。
彼女はやっぱり変人だ。しれっとした顔で、『だって訊かれなかったもん』。
(訊かなくても言えよ!)成仏させようとした自分がまるで馬鹿ではないか。ざっかざっかと箒を振り回し、落ち葉の山を創っていく。
『あれ?そっちもやるの?階段までしてたら時間なくなるよ』
「・・・・・・」
やるせない、とはこういうことを言うのだろう。藍は真面目であるからして、最初は普通に幽霊の言葉に耳を傾け、普通に彼女のためになろうと頑張り、普通に彼女のため考えた。いくら好かない相手でも、彼女は自分にしか見えないわけだから自分がやるしかない。そう最初は確かに思ったのだ。
馬鹿みたいに一生懸命になったかつての自分にも、何も言わなかった彼女にも腹が立った。彼女は影で笑っていただろう。頭の中で馬鹿にしていたと思う。『アイツまだ勘違いしてるよ馬鹿じゃないの』
友達の成り方は知っている。コミュニュケーションだ。藍だって友達作りくらいできるし、やっている。しかし得意な方では無い。
友達にならなきゃいけないと思った。一緒にいるなら【信頼】が必要だと思った。最初に諦めてしまったのはこちらだった。だから。
こっちからまた歩み寄らなくては―――――
プライドはズタズタだ。
(・・・・弄ばれた)
『ひっ、人聞きの悪い子と言わないでよ!なんかそれじゃぁ君を騙くらかして絞り取るだけ絞り取ったあげく、街金融で借金させて、金だけ持って逃げた男みたいじゃないか!』
「人の心を覗かないでください!」
『だぁっ!そこは、「最初一文は間違ってないじゃないですかっ!」ってツッコむところでしょうよ!
「そうですよ間違ってないでしょう!今僕はそんな気分なんですよ!」
『うっ・・・・』
梓は半歩下がり、うつむいて小さな声で言った。『・・・・ごめん』
『出来ごころだったんだ。魔が差したというか・・・・アイがあまりにも一生懸命にしてくれてるし・・・・まぁ、三日目にはもう、放置プレイだったけど・・・・』
ぼそぼそと、口をとがらせて梓は謝罪するが・・・・
『・・・・そうだ・・・・そうだよ。ねぇあの放置プレイも結構堪えるんだからね!ボクがどれだけ空しかったかわかる?ずーっと独り言!寂しかったんだからぁもうっ!』
「(何が「もうっ!」だ)謝る気があるんですかアンタは」
『だからもう、おあいこってことで許して下さい!ねっ仲直り!』
(・・・・仲直りも何も)
そもそもそんなに仲良くはないではないか。
藍はどこまでも自分に自信が無かった。家族でも友人でも無い彼女に好かれている自覚など、今の彼には到底無理な話である。
所詮は他人。ちょっとした偶然で、共に行動しているだけの存在だ。
それが。
どうしてそれをしようってんだ。『仲直り』仕様が無いだろう。自分は彼女が嫌いだし、彼女のことなんて何も分からない。分かろうとしなかった。少し素直になってみようと思ったとたんにこれだ。
手は止まっている。
地面までの距離が遠い。
泣きそうだ。
捻くれた天の邪鬼は、零れそうな蒼い目で梓を睨み、唇を噛んで梓に向かって箒を振りおろした。『おひい!』当然、箒は奇声を上げる彼女の体をすり抜ける。
そのまま振り返らず、一気に階段を駆け下りていった。