魔法使いを呪う少年
「・・・・・ちょっと、ねぇ」
梓は声と共に肩を揺さぶられて目を覚ました。寝惚けたままの頭のまま、かろうじて目の前の人影を視界に入れて起き上がる。
「起きた?」人影は、梓の顔を覗き込んで首を傾けた。傍から見ると、キスをしているように見えるかもしれない。
『・・・・おはよぅごぜいます』
「・・・・君のお友達、行っちゃったよ」
ぼやける視界に、梓は傍らの眼鏡を手に取った。
「いいの?君のこと、ばれちゃったみたいだけど」
梓の横に腰を下ろした少年は、呆れを滲ませ体の前で腕を組む。梓は寝癖の付いた頭を掻き掻き、少年を見やった。
『何、見てたの。君、霊感少年?』
瓜実顔に色白の、中性的な雰囲気の少年だった。一見は黒い髪に黒い瞳の典型的な日本人に見えるが、どこか浮世離れした異国風の雰囲気もある。生来のはずの黒があまり似合っていない。
「・・・・まぁね。はじめまして、小嶋凛っていいます」
『絶賛幽体離脱中、山崎梓十六歳です』
自己紹介した少年に梓はこんな感想を持つ。
(・・・・あら美人さんだわこの子)
右手を差し出すと、淡々と真っ黒の瞳でこちらを見てくる少年は、小さく笑って梓と右手を交わした。
『―――――まーばれたらばれたで、別にいいんだよね。ボク、いっちども藍ちゃんに自分が死んだなんて言ってないもん。
あの時、撥ねたのも轢いたのも、軽自動車だったしさ。足は骨折したし、打撲もしたし、頭も打ったけど、そう大したもんじゃぁないの。内臓は無事だったし、背中は打たなかったから後遺症も無いし、信号があったからスピードも出てなかったし、何より処置が早かった。現場からこの病院すぐだし。不幸中の幸いってやつ?』
「自覚してるんだ」
梓はあくまで楽観的に笑い飛ばす。凛は僅かに驚いた。
(・・・・恐怖は無いのか?)
あの高さから走る車の群れに落ちて、さらに体から離れて。あの場を最初から最後まで、しっかりとこの目で見ていた凛は、まじまじと彼女を観察するように見つめた。
『あとは体が目が覚めるのを待つばかりよ。あと二、三日はかかるでしょ。もうこうなったら、霊体って言うのを活用しようと思ってサ』
「何かやりたいことでも?」
『まぁ別に、体あっても出来ることだよ。やろうと思えば。・・・・でもさぁ、ほら、君みたいな人じゃないと認知されないって、そうないじゃん?』
「幽体離脱って、そんなもんなの?」
『ボクはそうだった。・・・・見えたのは君と、あの坂城って子だけ』
恐らく―――梓には、体が『起きる』その時は分かるだろう。大丈夫だという、根拠のない自信があった。
体は安全だ。またもう一度、あの足で立って歩く時が来る。そしてそれはそう遠いものではない。それまでに・・・・『犯人探し』をしよう。梓は眼がさめるまでのプランを頭に描く。
藍は今、梓にとって最大の容疑者だ。彼が素直で真面目な人間ということは知っている。しかし、動機など、被害者である自分には推し量れないのだ。
「・・・・・わっるい顔。今キミ、すっごい悪人ヅラしてるよ」
『あらやだ』
右手で口元を押さえておどける。現実離れした雰囲気を持つ少年に、梓は少し興奮していた。
『・・・・なんでボクに話しかけたの?』
「教えてあげた方がいいかなってお節介と興味。俺、君見てちょっとびっくりしちゃった」
『え?』
凛は人差し指を口の横に立てて目を細めて笑った。
「・・・・・山崎さんがちゃんと人間に見えたから」
『・・・・どういう意味?』
「そのまんまの意味。俺、妹以外は人間に見えない人なの」
『・・・・』
梓は一瞬、動きが止まった。『・・・・特殊な趣味の人?』
その反応に凛はまた笑う。
「性的対象じゃなくて。シスコンは認めざるを得ないけど」
『へー・・・・そっかぁ」
「うん」
『仲いいの?』
「・・・・うーん。微妙。でも喧嘩はしたことないな、似たもの同士だから」
ふと、凛は藍達が消えていった通路を見る。
「うちの妹、可愛いよ」
『まぁ、君の妹なら可愛いだろうなって予想が付くよ』
「・・・・ふふ」
満足そうに凛は立ち上がり、梓の前に立った。驚いたように梓は凛を見上げる。
「ねぇ、俺も今、ちょっとしたこと計画中なんだ」
『・・・・・』
何故だか口をはさむのを憚られて、梓は黙ったまま凛を見つめ返す。凛は無表情だった。
「久しぶりに人間が見れて嬉しかった。だからキミに話しかけたんだ。俺、本当に妹以外は人に見えないんだよ。何故だろう?今の君は幽霊だからかな」
淡々とした口調で凛は続ける。
「これは呪いだから、もうすっかり慣れてたはずだったんだけど。ちょっと嬉しかったんだ。俺も自分で自分にビックリだよ。さて、山崎梓さん、」
『・・・・・』
「犯行予告します。俺、小嶋凛は明日、化け物を一人倒します。その後、俺達兄妹に呪いをかけた魔法使いを殺しに行きます」
梓は今度こそ金縛りを受けたように硬直した。
「さて――――俺は化け物を倒したら貴方にわかる方法で伝えましょう。化け物を倒すのは最優先事項なので、魔法使いは絶対にその後になります。もし、貴方が魔法使いなら、貴方はどうなるかわかりますか?」
凛は梓に人差し指を突き付けた。
「次に会うときは、君が魔法使いだった場合と、君の体が目が覚めた時に、俺が会いに行く場合。約束しよう。君の体が目覚めたら、俺は必ず君に会いに行く。違った場合の時は謝罪させてほしい」
それだけ言うと、凛は一歩後ろに下がり、眺める様に梓を見てから、呆然とした彼女を置いたまま出口に歩き出した。外はすでに暗い。
「じゃーね」
最後の一瞥。その一瞬で見えた瞳の色に、梓は跳ね上がるように椅子を蹴った。
病院の明るい照明がはっきりと照らしだした。あの浅黄色―――薄い青の瞳。
梓は凛の腕をつかもうと手を伸ばす。
「―――――あ」
『――――っな』
するりと梓の手は空を掻いた。凛はすり抜けた自分の腕を、梓をと見ると、顔をしかめてまた歩き出した。
『っ待って!待ちなさいよ!』
『ちょっと待って!』
『アンタでしょ!私をあそこから落としたの!』
『ねぇ!アンタのその眼、覚えてんだから!』
『ねぇちょっと!』
『待てって言って―――』
凛はもう一度も振り返らなかった。
追いかけることも考えたが、頭をよぎった考えに梓は足を止めざるを得なかった。
(もし追いかけたとして、この体で何が出来る?)
彼は何だ。自分がその『魔法使い』とやらだと思ったから落としたのか?だとしたらとんだ人違いだ。迷惑も甚だしい。
どういうことだ。何故自分はその『魔法使い』とやらと間違えられた。何故彼はそう思ったんだ。
自分は何かしたのか?『呪い』って、なんだ。
(―――呪い?)
まさに、自分のこの状態もある意味では、呪いのようではないか?
自然の中ならまだしも、人工的な灯りの多い街中では星など見えず、いつもどんよりと霞がかった紺色の空が広がっている。その様子は感動などには程遠く、ただ不安になるだけだった。
誰にも見えない。聞こえない。触れられない。
戦慄する。
そこで初めて、猫被りの少女は本気でこの状況を自覚し、恐怖した。
(・・・・・どうしよう。私、独りぼっちだ)
小嶋 凛
人魚。シスコン。