プロローグ
まあるいあの月が、ボクの目になる。
こんなことを、つい数分前の自分は夢幻にも思わなかっただろう。
頭上高く彼方に浮かぶあのマルは、ほんのり銀に浅黄を滲ませ、蒼の中に佇んでいる。それは365日変わらずにある不変の日常だった。今日は運よく雲ひとつない快晴。秋晴れだ。
急速に昼が短くなっていく西日が目に痛い午後4時。
ボクは落ちた。“落とされた”。あの空へ、確かにボクは一瞬で、叩きつけられたのだった。
※※※※
その日は朝から違和感があった。
体が不調というわけでもない。例えば、そう『何か』足りないような、かと思えば『何か』がそこにあるような。
増えているような、減っているような。そんな違和感だった。
――――母が掃除でもしたのだろうか。
違和感を最初に感じたのが、自宅であったためそう思ったのだが、どうも違う。見慣れたはずの通学路でもそれは感じた。学び舎の自分の席に座っても。
(何か違う)
その時、視界の端に“何か”映ったような気がして、彼―――坂城藍は首を回した。チャイム間際の朝の教室を舐めるように見渡す。隣の席で、ついでに名前順でも隣の坂上が、何事かと見てきたのですぐやめた。
違和感は消えない。
そうだ、心霊写真を見たときに似ている。ふと見て、『あれ?』というこの感じ。
その様子を、上から見ていたボクはといえば、あまりの退屈にまた死にそうになっていた。
退屈は人を殺すというが、その通りだ。欠伸が止まらない。
そうすると、あら。やっぱり彼は自分を認識しているのだろうか。あちらも欠伸する。
欠伸が移るのは、条件反射のようなものなのだという。場を共有しようという、人間の反射。さらにいえば、欠伸
が移りやすい人は優しいお人よしだとか。
無意識かな、たまにボクを視線で追うのだ。ボクが動くと、彼の視線も付いてくる。それがまるで、親の姿を追う何かの雛の様で。
そっと、彼のひよこ色の頭に、手を伸ばしてみる。
―――いやぁ、やっぱり柔らかい。うん、予想を裏切らない男である彼は。
『ん?』
悦に浸っていると、目の前に大きく、綺麗な色の瞳。おぉ―――。
『こんにちは?』
小首をかしげて言ってみた。
『やぁ初めまして。君に取り憑いている者だ』
引き攣った短い悲鳴が、朝の教室にキンと響いた。