女たらしの副騎士団長は、私の昼食を楽しみにしている
王宮魔術師になって三年。
私はいまだに、初対面の人と話すのが苦手だった。
「…今回の魔法陣の提案書を持ってまいりました」
研究室の長机を挟んで向かいに座る騎士たちを見ながら、私はできるだけゆっくり息を吐いた。
隣では魔術師のご長寿大先輩のサイオン様が、にこにこと圧をかけてくる。
この案が通れば騎士団の安全もアップ、研究費もアップの大事なプレゼンなのだ。
大丈夫、仕事の説明をするだけ、相手は怖い人ではない。
そう言い聞かせながら、資料を指で示す。
「この部分の術式を一つ減らせば、魔力の消費量を三割ほど抑えられます。ただし、発動までに少し時間がかかります」
「なるほど」
低い声が返ってきた。
その声の主を、私はちらりと見る。
騎士副団長のレオン・アルヴェイン。
有名な人物だ。
騎士としての実力はもちろん、若くして副団長の座についたことでも知られている。
淡い金色の髪は襟足にかかるほど長く、前髪も目元にかかるくらいに伸ばされている。
普段は後ろで無造作にまとめていることが多いが、ほどけば肩に触れるほどの長さだ。
青い瞳は穏やかで整った顔立ちと相まって、女性が放っておかないのも無理はないと思わせる。
そしてもう一つ、女性関係が派手なことでも知られている。
貴族令嬢との噂。
王都の高級酒場で女性といるところを見た。
他国の使節団の令嬢にまで言い寄られた。
噂に疎い私にも耳に入ってくる。
仕事ではなければ関わることのないタイプの人間だ。
そういう華やかな人は苦手だ。
「魔法使い殿」
「はいっ」
急に呼ばれて肩が跳ねるのを気づかれてしまい、まるで子供を安心させるかのように微笑んだ。
あまりに綺麗な顔にただただ目が離せなくなってしまう。
「この術式なら、騎士でも扱えるのか?」
「あ、はい。魔力を流すだけなら、適性がなくても使えます」
「実際に試せるか?」
「できますが場所が狭いので…。私がやっても大丈夫ですか?」
「ああ、頼む」
立ち上がって、机の上に置いてあったスクロールへ手を伸ばす。
魔力を流すと、淡い光が魔法陣の表面を走った。
そのまま術式が展開され、室内に小さな防護壁が現れる。
騎士団から低い歓声の声があがる。
団長が立ち上がり、展開された防護壁へ近づく。
手を伸ばして、光の壁に触れた。
「すぐにでも使えそうだが、実際に攻撃を受けた場合の耐久性を試してみたい」
振り返ってサイオン様をみると、白い髭を撫でながら頷くのが見えた。
「はい、ご協力お願いします。ただ魔力を流すだけではありますが、多少の調整は必要です。皆さんに試していただくなら、広い場所の方がいいかと」
「なるほど。では今後の予定をー」
補足や今後のスケジュール調整話が終わり、騎士たちが立ち上がる。
しばらくしてサイオン様と話していたレオン副団長が、ゆっくりと私の側に歩いてくるのが見えた。
「今日はありがとうございました」
「いえっ」
そこで私は目も合わせず、反射的に頭を下げた。
人見知りの悪いところだ。
話が終わると途端に何を言えばいいのかわからなくなる。
ちょっとした世間話を先輩にお任せしているところで、レオン副団長がふと私を見てほんの少し笑った。
「そんなに緊張しなくてもいいのに」
「いえ、そんな」
「今日はありがとう。とても分かりやすい説明だった」
社交辞令だと耳が熱くなるのを感じた。
「では、失礼します」
「…お疲れさまでした」
騎士たちが部屋を出て扉が閉まる音を聞いて、私はようやく息を吐いた。
「…疲れたぁ」
人と話すのは仕事をするより体力を使う。
腰に手を当てにこにこと微笑んでいるサイオン様から、お疲れ様と労いの言葉を貰って私も部屋をでる。
その日の私は、それで終わったと思っていた。
数週間後には彼が私の昼食を待つようになるなんて、このときは知る由もなかった。
王宮魔術師の昼休みは短い。
午前の研究を終えて、私はいつものように自分の机で弁当箱を開いた。
白いご飯。
だし巻き卵。
ほうれん草のおひたし。
鶏肉と大根の煮物。
派手ではないが、私にとっては落ち着く味だった。
自分が転生したのだと気づいたのは、物心がついた頃だった。
どうやら私は一度死んで、別の人間として生まれ変わったらしい。
鏡に映る栗色の髪に青い瞳の少女が、自分だとは思えなかった。
前世の家族や友人との思い出はあるけれど、どうしても戻りたいと思うほどの未練はなかった。
だからだろか。
新しい人生を受け入れるのに、それほど時間はかからなかった。
それに、今世の家族はとても優しかった。
裕福とまではいかないけれど、生活に困ることもない。
両親は私を大切に育ててくれたし、兄弟との仲も悪くなかった。
何より、この世界には魔法があった。
初めて自分の手から小さな光が生まれたときの感動は、今でも覚えている。
興味を持つなというほうが無理だった。
私は夢中になって魔法を学んだ。
幸い魔力はそこそこあったし、努力すれば努力した分だけ身につく程度には恵まれていたらしい。
それに、前世の記憶が役立つこともあった。
物事を順序立てて考えたり、複雑な仕組みを分解して考えたり。
こちらの世界では当たり前とされていることに、疑問を持つ癖も研究には向いていた。
やがて私は、王宮魔術師の採用試験に合格した。
王宮魔術師といっても、国境で魔物と戦う者もいれば、貴族の護衛を専門にする者もいる。
私はその中でも、研究部門を希望した。
魔法陣の解析や、既存の術式の改良。魔道具の効率化に、新しい術式の検証。
人前に立つのは得意ではない。
知らない人と話すのも苦手だし、大勢の人間に注目されると何を話せばいいのかわからなくなる。
けれど、研究室にこもって魔法陣と向き合っている時間は好きだった。
誰かと無理に話さなくてもいい。
納得がいくまで考えられる。
失敗したら原因を探して、もう一度試せばいい。
そんな毎日が、私には心地よかった。
もちろん、仕事ばかりしているわけではない。
休日には街へ出かけるし、美味しいものを食べるのも好きだ。
どれも美味しいのだけれど味が濃かったり香辛料が強かったり、前世で慣れ親しんだ家庭料理が恋しくなることがある。
白いご飯に、味噌汁。
焼き魚に、卵焼き。
特別なご馳走ではない。
前世では毎日の食卓に並ぶようなものばかり。
この世界に醤油に似た調味料があると知ったときは、嬉しくて思わず買い込んでしまった。
味噌に似たものも見つけたし、米も手に入った。
完全に同じ味とはいかないけれど、自分で工夫すればそれなりに懐かしい味を再現できる。
そうして私は、いつの間にか自分の昼食を作って持っていくようになった。
好きなものを食べて少し休んで、午後の研究に戻る。
それが私のルーティンだ。
「いただきます」
「それは何?」
「ひゃっ!」
フォークを落としそうになった。
慌てて振り返ると、そこにいたのは副騎士団長レオンだった。
「ふ、副団長…?」
「驚かせたな。すまない」
「いえ…」
どうしてここに。
そう思ったけれど、聞けない。
片手には書類の束を持っているのを見て、先輩へ話があるのかと探すが部屋には誰もいない。
「いや、魔法陣のことで確認したいことがあってね。だが、食事中だったか。すまない」
「いえ! まだ食べる前でしたし、私に分かることであればお答えします」
「いや、君が食べ終わるのを待つよ。急ぎの話ではないし」
「いえ!それは申し訳ないので」
慌てて首を横に振る。
副団長を待たせるなんて、とても落ち着いて食事を続けられそうにない。
「そうかい? 実はここなんだけど」
彼は手にしていた書類を広げ、該当する箇所を指で示した。
「ああ。これは……」
距離の近さに緊張しながら、差し出された書類に目を落とす。
確かに私の担当範囲ではあるけれど、この部分は先輩と相談したうえで決めたものだ。
私だけでは即答できない。
「すみません。一度、サイオン様に確認を取らないとお答えできないです。問題はないと思いますが」
「そうか。サイオン様はいつ頃お戻りになるかな?」
「そうですね…。もうそろそろ戻ってくると思います」
ちらりと時計を見て答える。
「そうか。申し訳ないんだけど、少し待たせてもらってもいいかな?気にせずにお昼を食べていて欲しい」
「あ、はい」
断る理由もなく、私は頷いた。
レオン副団長は向かいの席に腰を下ろすと、手元の書類に目を通し始めた。
時間もないし気にせず食べるしかない
そう思ったのにいざフォークを手に取ると、どうにも落ち着かなかった。
目の前にいるのは、王宮でも知らない者はいないほどの美形だ。
そんな人が同じ部屋にいて、しかも私の昼食が視界に入る位置にいる。
「…すまない。やっぱり気を遣わせてしまうね」
書類から顔を上げたレオン副団長が、困ったように微笑んだ。
「いえ、そんなことは」
「食事の邪魔をするつもりはなかったんだ。私は別の場所で待つことにするよ」
そう言って、彼は書類をまとめて席を立つのを見て、けれど申し訳ないような気持ちになる。
「あ、あの」
思わず呼び止めると、彼はすぐに振り返った。
「ん?」
「そこまでしていただかなくても大丈夫です。私の方こそ、気を遣わせてしまってすみません」
「いや、君が謝ることじゃないよ」
柔らかく笑ってから、彼はふと私の弁当に目を向けた。
「それは君が作ったのかい?」
「え?」
「いや、失礼。さっきから気になっていてね。見慣れない料理だったものだから」
言われて、私は弁当に視線を落とした。
こちらの世界ではあまり見かけないおかずなので、目についたようだ。
「はい。自分で作りました」
「これは何?」
「からあげです…」
レオン副団長が興味深そうに弁当箱を覗き込む。
ものすごく居心地が悪い。
「…良かったら食べてみますか?」
この気まずさを打開しようと出てきたのが、お弁当をすすめるという選択肢だった。
言ってから、はっとする。
レオン団長が少し驚いたように目を瞬かせた。
何を言っているんだ、私は。
ほぼ初対面の相手に、いきなり食事を勧めるなんて。
しかも、私の作った得体の知れない料理を。
前世の記憶がある私にとっては馴染み深い家庭料理でも、この世界の人にとっては見慣れないものばかりだ。
騎士団長ともあろう人が、こんな得体の知れないものを食べるわけがない。
「あ、いえ! 今のは忘れてください。お気になさらず…!」
慌てて取り消そうとしたところで、彼がふっと笑った。
「いただいてもいいかな?」
思わず顔を上げる。
レオン副団長は、先ほどと変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。
「どんな味なのか、気になっていたんだ」
そんなふうに言われてしまえば、もう断ることもできない。
私は心の中で、盛大に頭を抱えた。
その日から昼休みになると、ときどき研究室へ来るようになった。
「リリア。今日は何が入っているの?」
何度見ても見慣れることの出来ない人物が、私の机のそばで足を止める。
「肉じゃがと、だし巻き卵です。食べますか?」
「ああ。ありがとう」
彼はごく自然に礼を言い、差し出した皿を受け取る。
初めてお弁当を勧めたときは、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。
最初こそ騎士が研究室にいるというだけで落ち着かなかった。
私だけではなく周りの魔術師もそうだ。
けれど何度か顔を合わせるうちに、彼が気さくで話しやすい人だということも分かってきた。
みんなで仕事の話をすることもあれば、魔法とは関係のない雑談をすることもある。
そして最近では昼休みに彼が来ると、まずお弁当の中身を尋ねられるようになった。
「このじゃがいも。味がよく染みているね」
そう言って、彼はもう一口食べた。
どうやら、本当に気に入ってくれているらしい。
騎士ってこんなに気軽に人のお弁当を食べるものなのだろうか。
そんな疑問はあるものの、喜んで食べてくれるのは素直に嬉しかった。
そんな昼休みが続いて3ヶ月。
レオン団長は毎日来るわけではない。
騎士団の仕事も忙しいらしく、二、三日顔を見せないこともあった。
魔法陣の話をすれば、彼は専門外ながらも興味深そうに耳を傾けてくれる。
騎士団での訓練の話を聞くのも面白かった。
何より、私の作った料理をおいしそうに食べてくれる。
それだけで手間をかけてお弁当を作るのも悪くないと思えた。
「今日はレオン様来ないよ、たぶん。外交の護衛任務についてるって」
書類を整理していると、同僚のカイルに声をかけられた。
「そうなのね。じゃあカイル食べない?」
「お言葉に甘えて」
「ありがとう」
「こちらこそ」
待ってましたとばかりに椅子を引く、カイルに笑ってしまう。
彼とは同じ研究室で働く仲だ。
レオン様が来るようになってからはなんとなく二人で食べる機会が減っていたけれど、もともとはこうしてカイルと昼食を取ることも珍しくなかった。
「今日は何?」
「鶏肉の照り焼きと、ほうれん草のおひたし」
「お、いいね。相変わらずうまそう」
カイルが身を乗り出す。
軽口を叩きながら、二人で昼食を広げる。
「それにしても。騎士副団長がここで食事をするってすごい光景だよな」
「そうねぇ」
「今護衛についてる相手も副団長に入れ込んでるらしいぞ。名指しで指名されたって」
容姿端麗で、物腰も柔らかく、女性に優しい。
特定の相手を作らず、いろいろな女性と親しくしているらしい。
いわゆる、女たらし。
もっとも本人を見ている限り、悪い評判ほど態度が悪いわけでもない。
むしろ誰に対しても礼儀正しく、気遣いのできる人だと思う。
「まあ、確かに格好いいものね」
何気なくそう返すと、カイルは目を丸くした。
「えっ、格好いいと思ってるんだ?」
「そ、それは…。事実でしょう?」
「ふうん?」
カイルは意味深に呟いた。
そして、私の肩をぽんと叩いた。
「まあ、好きになっちゃだめだよ?」
「え?」
「だって、あの人だよ? 優しいし、格好いいし、一緒にいたら勘違いしちゃいそうだけどさ。ああいう人を本気で好きになったら苦労すると思うよ」
深刻な忠告というより、仲のいい同僚に向けた軽い冗談。
だから私も、笑って返せばよかったのだと思う。
「…別に、好きとかじゃないし」
そう言った声が、思ったよりも小さくなった。
カイルは「ならいいけど」と笑って、別の仕事へ戻っていった。
それから数日後。
午後の仕事を終え、私はカイルと連れ立って研究室へ戻るところだった。
「そういえば、頼まれてた魔法陣の修正、終わった?」
「うん。あとはサイオン団長に確認してもらうだけ」
「相変わらず仕事が早いなあ。俺の分も手伝ってくれない?」
「嫌ですよ」
「即答かよ」
カイルが大げさに肩を落とすので、思わず笑ってしまった。
そんな他愛もない話をしながら廊下を曲がった、そのとき。
「あれ、レオン様じゃないか?」
カイルの声に、つられて視線を向ける。
少し先の窓辺に、レオン様が立っていた。
その隣には、見目麗しい女性がいる。
艶やかな髪に上品なドレス。
立ち居振る舞いからして、身分の高い令嬢なのだろう。
彼女はレオン様を見上げ、楽しそうに微笑んでいた。
「まあ、レオン様。もうお時間なの?」
「ええ。そろそろ戻らなくては」
「残念ですわ。せっかくお話しできましたのに」
「私も楽しい時間を過ごさせていただきました」
レオン様はいつもの柔らかな笑みを浮かべて答えた。
その言葉に、女性は嬉しそうに頬を緩める。
やがて彼は、別れの挨拶をするように彼女の手を取った。
ごく自然な仕草だった。
女性も慣れた様子でそれを受け入れている。
「…ああ、あの方。今回の外交護衛対象。レオン様を指名したっていう隣国の姫。やっぱり、ずいぶん気に入られてるみたいだな隣国。どうやら自国に引き抜こうとしてるらしい」
「…レオン様を?」
「うん。かなり本気みたいだ。向こうとしては、あれだけの実力がある人を自国に置きたいんだろうね」
私は何も言えず、ただその光景を見ていた。
レオン様は女性に優しい。
容姿端麗で、物腰も柔らかく、誰に対しても礼儀正しい。
そんな彼を、女性が放っておくはずもない。
分かっている。
分かっているのだけれど。
「…おい?」
隣から顔を覗き込まれ、はっとする。
どうやら何度も呼ばれていたらしい。
「何?」
そして、私の顔を確かめるように少し身を屈める。
「気分でも悪いのか?」
「違うって。大丈夫」
「本当に?」
「本当」
そう答えても、カイルはまだ納得していないらしい。
私の顔を覗き込んだまま、眉を寄せている。
いつもはからかってばかりなのに、こういうときは妙に優しい。
「ありがとう。でも、本当に何でもないの」
「そっか。ならいいけど」
カイルはそう言って、ぽん、と私の頭に手を置いた。
「無理すんなよ」
「子どもじゃないんだから」
「はいはい」
軽く笑いながら、彼は私の肩を抱くようにして歩き出した。
「ほら、戻ろうぜ。腹減った」
「もう食べたでしょう?」
「甘いものは別腹」
「それ、女の人が言う台詞じゃない?」
「偏見だろ!」
いつものやり取りに、私もようやく笑った。
そのとき廊下の向こうから戻ってきたレオン副団長が、こちらを見ていることには気付かなかった。
「こんにちは。今日は一緒に食べてもいいかな?」
研究室にやってきたレオンさまは、いつもの柔らかな笑顔でそう尋ねた。
「もちろんです」
私は弁当箱を少し端に寄せ、彼のために場所を空ける。
「今日はサンドイッチを持ってきたんだ」
「わあ、ありがとうございます」
「今日はからあげ?」
「はい、からあげです」
からあげはレオン様のお気に入りだ。
嬉しそうに口へ運び、ぱっと表情を明るくする。
「おいしいね」
「良かった」
「外側は香ばしいのに、中は柔らかい」
そう言って、彼はもう一口食べた。
おいしそうに食べてくれるのが嬉しい。
感想を聞くのも、彼の知らない料理を教えるのも楽しい。
彼が笑ってくれると、私まで嬉しくなる。
そんな自分に、もう言い訳ができなかった。
相手は王宮騎士団の副団長。
容姿端麗、物腰柔らか、女性に大人気。
おまけに、特定の相手を作らず女性と親しくしているという噂まである。
対する私は、研究室にこもって魔法陣をいじるのが好きな地味な王宮魔術師だ。
勝ち目があるとかないとか、そういう以前の問題では?
これはあれだ。
始まる前から終わっている、無謀な恋というやつではないだろうか。
「リリア?」
「えっ?」
気づけば、レオン様が不思議そうにこちらを見ていた。
「難しい顔をしてた」
「な、何でもありません!」
慌てて首を振る。
恋心を自覚した途端、本人を前にして平静を保てなくなるなんて。
あまりにも分かりやすい。
私は心の中で深くため息をついた。
こんな気持ちレオン様にバレたら気まずい思いをさせるだけだ。
「そういえば、最近皆さん忙しいんです」
気を紛らわせるように話題を変えると、レオンさまは研究室を見回した。
「確かに、いつもより人が少ないね」
「近々、夜会があるじゃないですか。今回の研究成果を披露するための」
「ああ、そうだったね」
「その準備で、皆さん忙しいんです。今回は魔術師全員出席なので」
「準備というと、研究資料の整理かな?」
「いえ、そういう仕事ではなくて…個人的な準備です」
「個人的な?」
不思議そうに聞き返され、私は少し笑った。
「夜会に着ていくものとかです。普段、みんな着飾ったりしないので」
王宮魔術師の仕事着といえば、基本的にはローブだ。
研究室で作業するにも、魔法陣の試験をするにも都合がいい。
そのためこういう催しがあると、衣装を用意するところから始めなければならない人も多い。
「なるほど。それは確かに、仕事とは別の準備が必要だね」
笑う表情についときめいてしまって、慌てて話題を探す。
「わ、私はローブでいいかなって思っているんですけど…まずいですかね?」
何気なく尋ねたつもりだった。
けれど、レオン様は少し考えるように視線を上げた。
「今回の夜会は、研究成果のお披露目も兼ねているんだよね?」
「はい」
「そうなると、ローブでも問題はないと思う。ただ、式典にふさわしいものを一着用意しておくのもいいかもしれないね」
「ですよねえ」
思わず机に頬杖をつきそうになる。
衣装を選びに街へ出る。
考えただけで億劫だった。
普段からおしゃれに気を遣っているわけでもないし、何を着ればいいのかもよく分からない。
できることなら、いつものローブで済ませたい。
「カイルにも言われているんです。ローブは駄目だって。街に買いに行こうって誘われているんですけど」
「へぇ。そうなんだ」
「はい。美味しいものを探しに出るのは好きなんですけど、服を探すのはちょっと億劫で」
カイルは親切で言ってくれているのだろう。
分かっているけれど、考えるだけで疲れてしまう。
「それなら、私でよければ付き合おうか?」
「…え?」
今、何と?
「女性の衣装に詳しいわけではないけれど、王都の店ならいくつか知っているよ。君が困っているなら、案内くらいはできると思う」
あまりにも自然な申し出だった。
まるで仕事の相談に乗るのと同じくらい気軽に。
けれど、私にとってはまったく気軽ではない。
好きかもしれないと自覚したばかりの相手と、休日に街へ出かける?
それは、もしかして…いや、違う。
彼は親切で言ってくれているだけだ。
きっと、誰にでもこうなのだろう。
「お気持ちだけで十分です!」
勢いよく断ってしまった。
レオン様が、少し目を瞬かせる。
「ああ、そうか。急に誘ってしまってすまない」
「いえ、その、どうしても必要ならカイルと一緒に行きますから。街のお店にも詳しいでしょうし、私よりずっと服選びに慣れていると思うので」
「それはどうだろうね」
レオン様は、少しだけ首を傾げた。
「カイルは確かに街に詳しいだろうが、夜会に出るための服となると話は別かもしれない」
「そうなんですか?」
「研究成果を披露する場だから、華美すぎずけれど場にふさわしい装いがいい。会場の雰囲気や、ほかに出席する方々の服装も考えたほうがいいだろうね。女性はその辺りが特に難しい」
すらすらと説明されて、思わず聞き入ってしまう。
言われてみれば、確かにそうだ。
私は夜会など、ほとんど出席したことがない。
そもそも普段は研究室にこもりきりで、流行の服にも社交の場の作法にも疎い。
「せっかくですから、ローブの下に隠れているあなたの魅力も見てみたいな」
「なっ…!」
思わず顔を上げると、レオン様は悪戯っぽく笑っていた。
からかわれたのだと気付いても、顔の熱はなかなか引いてくれない。
「…レオン様、女性の服にもお詳しいんですね」
「それなりには、だよ。こういう場に出ることも多いから」
ちょっと嫌味かと思った言葉は、しれっと返されてしまった。
そう言って、彼は手元の書類を揃えた。
「どうせ買いに行くのなら、私に任せて欲しいな。あなたに似合うものを、一緒に探してみたい」
あまりにも自然な申し出だった。
押しつけがましくはない。
しかも最後には、私に似合うものを探したい、なんて。
「…そこまで言われたら断りにくいです」
「デートのお誘いを受けてくれてありがとう」
「なっ!デーっト!?」
結局、私は彼の申し出を受けることになった。
夜会に着ていく服を買いに行くだけ。
ただ、それだけのことなのに。
約束の日を決めるレオン様の横顔を見ながら、私は心の中で頭を抱えた。
これって、もしかして。
いや、違う。
服を選んでもらうだけだ。
そう自分に言い聞かせても、胸の奥が落ち着かない。
どうして私は、こんなに期待してしまうんだろう。
午後の研究室にレオン様がやってきた。
「こんにちは。魔法陣の件なんだけど、今少しいいかな?」
「はい。ちょうど確認したいことがあったんです」
私は書類を取り出し、先ほどまで考えていた魔法陣の修正案について説明した。
彼はいつものように真剣に耳を傾け、いくつか質問をしたあと納得したように微笑んだ。
「なるほど。確かに、その方法なら騎士たちの魔力消費も抑えられそうだ」
「はい。実地試験でもう少し調整できれば、かなり安定すると思います」
そのときだった。
「おーい、ちょっといい?」
背後からカイルの声がした。
「あ、レオン様。お話中すみません。ところでさっきの資料、どこに置いたっけ? リリアが整理してくれたやつ」
「え? ああ、机の右側の棚。上から二段目よ」
「助かった。あ、明日お二人で買い物でしたね。レオン様、リリアをよろしくお願いします」
「…貴方は私の保護者か何かかしら」
カイルは声を立てて笑い、私の肩をぽんぽんと叩いてから資料を取りに行った。
その背中を見送りながら、私もつられて笑ってしまう。
「カイルとは、ずいぶん気心が知れているようだね」
「ああ、同じ研究室ですから。もう長い付き合いなんです。遠慮がいらないというか…兄妹みたいなものですね」
「兄妹、ね」
レオン様は静かに繰り返した。
表情はいつもと変わらない。
けれど、なぜかその言葉を確かめるような響きがあった。
「はい。カイルは誰にでもあんな感じですよ」
「まあ、確かに」
レオン様は微笑んだ。
それ以上は何も言わず、レオン様は手元の書類へ視線を落とした。
私は首を傾げたものの仕事の話に戻ると、すぐにその疑問も頭の隅へ追いやられてしまった。
だから、気付かなかった。
私がカイルと笑い合っていたあいだ、レオン様がほんの少しだけ、面白くなさそうな顔をしていたことには。
そして、約束の日。
私は朝から、部屋の中を行ったり来たりしていた。
クローゼット代わりの衣装棚を開けては閉め、結局また開ける。
別に今日着ていく服を買いに行くのだから、今の服なんて何でもいいはずだ。
そう思うのに、さすがに普段の仕事着というわけにもいかない。
かといって、気合いを入れすぎるのもおかしい気がした。
「…何やってるんだろう、私」
思わず独り言がこぼれる。
相手はレオン様だ。
容姿端麗で、物腰も柔らかく、女性に優しい。
いろいろな女性と親しくしているという噂もある。
そんな人が仕事の延長のようなものとはいえ、私の服選びに付き合ってくれる。
それだけのことなのに昨夜は寝る前まで、何を着ていこうかと悩んで決めきれなかった。
私は深く息を吐き、落ち着いた色のワンピースを選んだ。
他所行きの靴を履いて、髪もいつもより少しだけ丁寧に整える。
鏡の前で最後に全身を確認してから、私はようやく部屋を出た。
待ち合わせ場所に着くと、レオン様はすでに来ていた。
淡い金色の髪を後ろでゆるくまとめ、今日は騎士の制服ではなく濃紺の上着を身につけている。
普段から目を引く人なのに、今日はいつにも増して華やかに見えた。
「おはようございます」
私に気づいた彼が、柔らかく微笑む。
「おはよう」
「すみません、お待たせしました」
「いや、私も今来たところだから」
レオン様はそう言って、私の姿に目を向けた。
ほんの一瞬、視線が止まる。
「仕事着以外を見るのは初めてだね。その服もよく似合っているね」
「……っ。ありがとうございます」
ただの挨拶だ。
きっと、こういうことを自然に口にできる人なのだ。
そう思うのに、頬が熱くなるのを止められない。
「じゃあ、行こうか。いくつか心当たりのお店があるんだ」
「そんなに詳しいんですか?」
「それなりに、かな」
レオン様は楽しそうに笑った。
「心配しなくていいよ。今日は君に似合うものを探したいんだ」
あまりにも自然な言葉だった。
だからこそ、胸の奥が落ち着かない。
「…よろしくお願いします」
「ああ。こちらこそ」
彼は歩き出し、私もその隣に並んだ。
街へ向かう道はいつもと変わらないはずなのに、今日だけは少し違って見える。
隣にいる人を意識するたび、歩幅までぎこちなくなりそうだった。
そんな私の様子に気づいたのか、レオン様がふとこちらを覗き込む。
「緊張している?」
「あ…」
「さっきから、ずいぶん静かだから」
「…実は少し。街へ出るのも久しぶりですし」
「そうなんだ」
「はい。仕事が楽しいと、つい時間を忘れてしまって」
「君らしいね」
くすりと笑われた。
君らしい、なんて。
何気ない言葉なのに、まるで私のことをよく知っているみたいに言うから困る。
「でも、たまにはこうして外へ出るのもいいと思うよ」
「そうですね」
「今日はゆっくり見て回ろう。時間は気にしなくていいから」
そう言って微笑む彼は、やっぱり優しかった。
女性に人気があるという話も、こうして一緒にいると納得してしまう。
相手を緊張させない距離の取り方も、さりげない気遣いも。
だからこそ、勘違いしてはいけない。
私は胸の内でそっと釘を刺した。
今日一日、楽しく過ごせればそれでいい。
それ以上を望むのは、きっと危険だ。
そんなことを考えているうちに、街の中心にある商店街へ着いた。
色とりどりの布を並べた店や、華やかな装飾品を扱う店が軒を連ねている。
休日ということもあってか、人通りも多かった。
「まずは、あそこに行ってみようか」
レオン様が指さしたのは、落ち着いた外観の衣装店だった。
「仕立ても丁寧だし、店主も相談に乗ってくれる。初めて選ぶならいい店だと思うよ」
慣れた様子で扉を開ける彼についていくと、店内には上品なドレスや、繊細な刺繍の施された衣装が並んでいた。
思わず、足が止まる。
「わあ……」
「せっかくだから、いろいろ見てみよう」
レオン様は店主に軽く挨拶をすると、私のほうへ向き直った。
「普段、どんな色を着ることが多い?」
「えっと…。茶色とか黒とか。基本仕事着ですから」
「なるほど。落ち着いた色が好きなんだね」
「派手な色は、あまり似合わない気がして」
「そうかな?」
レオン様は少し考えるように私を見た。
「せっかくだから、普段は選ばない色も試してみたらどうかな。似合うかどうかは、着てみてから考えればいい」
そう言って、彼は店内を見渡した。
やがて、淡い青緑色のドレスの前で足を止める。
柔らかな色合いに、控えめな銀糸の刺繍。
華美すぎないけれど、光の当たり方によって生地がほのかに輝いている。
「これはどう?」
差し出されたドレスを見て、私は目を瞬かせた。
「…綺麗ですね」
「うん。君の瞳の色にも合いそうだ」
さらりと言われて、胸が跳ねた。
瞳の色。
そんなところまで見ていたのだろうか。
「試着してみる?」
「えっ、でも……」
「気に入らなければ、別のものを探せばいい。せっかく来たんだから、遠慮しなくていいよ」
穏やかに促され、そのドレスを試着することになった。
着替えを済ませ、鏡の前に立つ。
淡い青緑色は思っていたよりも肌になじみ、銀糸の刺繍が動くたびに小さく光った。
普段のローブ姿とはまるで違う。
なんだか、自分ではない誰かになったような気分だった。
「…どうでしょう?」
試着室から出ると、店主がにこやかに頷いた。
「まあ、とてもお似合いですよ」
そして少し離れたところにいたレオン様もこちらを振り向いた。
その瞬間。
彼がほんのわずかに目を見開いた。
いつも穏やかな彼が言葉を失ったように見えて、私は急に恥ずかしくなった。
「や、やっぱり変でしょうか?」
「…いや」
レオン副団長はゆっくりと首を振った。
「よく似合っている」
その声はいつもより少しだけ低い気がして、どうしても落ち着かなかった。
店を出ると、通りには昼前の穏やかな空気が流れていた。
手にした包みを眺めながら、私は改めて選んだものを思い返す。
「あの、本当にありがとうございます」
「普段からお世話になってるお礼だから。気に入ったものがプレゼント出来て良かった」
「はい。一目惚れです」
そう言った私に、彼は満足そうに笑った。
「それは良かった。他にも候補の店はあったのだけど」
「本当に詳しいんですね」
たくさんの店を知っていて、私が迷っているときにも的確に助言をくれた。
「ああ。姉と妹がいるからね」
きっとお姉さんも妹さんも、おしゃれに詳しいのだろう。
レオン様の姉妹なのだから、さぞかし美しい人たちに違いない。
「さて、買い物は早く終わったし、お昼でもいかがかな?」
「はい。お腹空きました」
正直に返事をすると、レオンさまが楽しそうに笑った。
「実は最近、いい店を見つけたんだ」
「どんなお店ですか?」
「それは着いてからのお楽しみ」
そう言って歩き出した彼についていく。
しばらくして辿り着いたのは、少し奥まった場所にある小さな店だった。
扉を開け、先にレオン様が中へ入る。
続いて私も足を踏み入れたその瞬間、ふわりと鼻をくすぐった香りに思わず足が止まりそうになった。
どこか懐かしい。
けれど、この世界に来てからも何度か嗅いだことのある香り。
案内された席につき、メニューを開く。
そして、私は思わず目を見開いた。
「気付いた?」
向かいに座ったレオン様が、嬉しそうに笑う。
「ここはショーユを使った店らしいんだ」
「あ…」
顔を上げると、彼と目が合った。
「色々聞いてたから。この店を見つけたときから、君と一緒に来たいと思ってたんだ」
彼からしたら何気ない言葉のはずなのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「…ありがとうございます」
「どういたしまして」
「さて。好きなものを頼もう」
私はもう一度、メニューを眺める。
多少の違いはあるものの、日本食に似たメニューがたくさん書かれている。
さっきとは違う意味で、胸が弾んだ。
夜会当日。
鏡の前に立った私は、何度目かわからないため息をついた。
淡い青緑色のドレス。
あの日、レオン様選んでくれたものだ。
派手すぎないのに、銀糸の刺繍が光を受けると淡く輝く。普段の私からすれば、十分すぎるほど華やかな服だった。
「本当にこれで大丈夫かな」
一人で呟いてみても、答えてくれる人はいない。
結局髪もいつもより少しだけ整えて、最低限の装飾品を身につけた。
鏡の中の自分を見ていると、なんだか落ち着かない。
これを選んでくれたのがレオン様だと思うと、余計に。
似合っていると言ってくれた。
あのときの声を思い出して、頬が熱くなる。
「…今は忘れよう」
私は小さく首を振り、夜会場へ向かった。
会場は王宮の大広間だった。
研究成果のお披露目を兼ねた夜会ということもあり、普段研究室にこもっている魔術師たちも、今日は皆思い思いに着飾っている。
見慣れた同僚たちが別人のように見えて、私は少しだけ笑ってしまった。
「お、いた。リリア」
聞き慣れた声に振り向く。
「カイル」
「ちゃんとドレス着たんだな」
「ちゃんとって何よ」
「いや、ローブで来るんじゃないかと思ってたから」
「私だって場に合わせるくらいはするわ」
「はいはい」
カイルは楽しそうに笑った。
「でも、似合ってるよ」
「ありがとう」
「まあ、せっかくだし楽しもうぜ」
「うん」
そう返したところで、会場の入り口がざわめいた。
何事かと振り返る。
そこにいたのは、数人の護衛を伴った隣国の姫だった。
艶やかな衣装に身を包み、堂々とした立ち姿。
周囲の視線を集めることにも慣れている。
「あ、レオン様だ」
カイルが小さく呟いた。
姫の姿を見つけた彼が、軽く会釈すると姫も笑顔で近づいていく。
「レオン!」
親しげな声が響いた。
レオン副団長も穏やかに応じているが、何を話しているのかまでは聞こえない。
ただ、姫がとても嬉しそうにしていることだけは分かった。
胸の奥が、きゅっと痛くなる。
「いやぁ、絵になるな」
「本当ね」
それだけ答えて、私はグラスへ視線を落とした。
以前聞いた噂を思い出した。
女性に優しくて、特定の相手を作らない。
そういう人なのだから、隣国の姫と親しくしていても不思議ではない。
そう思っていたのに。
「どうした?」
カイルの声が近くから聞こえた。
「え?」
「急に黙ったから」
「何でもないよ」
「嘘」
カイルが私の顔を覗き込む。
「顔に出てる」
「出てない」
「出てるって」
「…本当に?」
いつものように笑われて、私はようやく少しだけ笑った。
「ちょっと、人が多くて疲れただけ」
「じゃあ、あっち行こう。壁際のほうがまだマシだろ」
「うん」
カイルと一緒に移動する。
その時、私は気づかなかった。
少し離れた場所で、レオン様がこちらを見ていたことに。
「レオン様」
姫は笑顔のまま、レオンの隣に並んでいた。
「こうしてまた会えて嬉しいわ」
「ああ、私も。最近会えていなかったから、元気そうでよかったです」
「相変わらずね」
「何がですか?」
「誰にでも優しいところ」
姫は楽しそうに笑った。
「でも、今日は少し違うみたい」
「……?」
「さっきから、あちらを気にしているでしょう?」
レオンは一瞬だけ言葉を失った。
視線の先には、カイルと話しているリリアがいる。
「そう見えますか?」
「ええ」
姫は楽しそうに目を細めた。
「なるほどね」
「何かありました?」
「秘密」
それ以上は言わず、姫は話題を変えた。
しばらく他愛のない会話をしたあと、姫がふと真面目な顔になる。
「レオン」
「はい」
「私の国へ来る気はない?」
「…またその話ですか」
「本気よ」
姫はまっすぐ彼を見つめた。
「あなたなら、私の側近として迎えられる。騎士団を辞めても、困らないようにするわ」
レオンは少しだけ困ったように笑った。
「申し訳ありませんが、それはできません」
「どうして?」
「騎士団を離れることはできませんから」
「…それだけ?」
姫の問いに、レオンは黙った。
そして、ほんの少しだけ視線を動かした。
人混みの向こう。
淡い青緑色のドレスを着た彼女が、カイルと笑っている。
「…いや」
レオンは静かに言った。
「それだけじゃない」
「やっぱり」
姫はそれ以上追及しなかった。
ただ、どこか意味ありげに微笑んだ。
「ちょっと飲み物取ってくる」
カイルがそう言って離れていった。
私は一人になった。
さっきよりも少しだけ、気持ちが落ち着いている。
でもふと視線を上げると、レオン様が話している姿が見えた。
私はレオン様の何を知っている?
昼休みに一緒に弁当を食べたこと。
魔法陣について話したこと。
街で服を選んでもらったこと。
それだけだ。
それなのに。
私はいつの間にか、彼のことを特別に思ってしまっていた。
「…馬鹿みたい」
小さく呟く。
「リリア」
振り向くと、レオン様が立っていた。
普段の騎士服とは違い、濃紺の正装に身を包んでいた。
仕立てのいい上着がすらりとした体によく似合っていて、襟元には細かな銀糸の刺繍が施されている。
いつもは無造作に見える淡い金色の髪も、今日はきちんと整えられていた。
会場の明かりを受けた横顔は、思わず見入ってしまうほど綺麗だった。
「…どうしたの?」
「い、いえ」
見惚れていたことを悟られたくなくて、慌てて視線を外す。
「少し話さない?」
「あ、カイルが飲み物を取りに行っていて…」
私は会場のほうを振り返った。
「それなら大丈夫だよ。カイルには先に声をかけてあるから」
「カイルに会ったんですか」
「うん。リリア、時間は大丈夫かな?」
「…はい」
「会場は暑いし少し移動しようか」
レオン様のエスコートで、人の少ないバルコニーへ出る。
夜風が頬を撫でた。
「そのドレス、やっぱり君によく似合ってる。とても綺麗だ」
「あ、ありがとうございます。レオン様が選んでくださったから」
言ってから、少し恥ずかしくなる。
「選んでよかった」
沈黙が落ちる。
私は何か話さなければと思った。
「隣国の姫君とは、仲がいいんですね」
「気になった?」
「いえ。そういうわけでは…」
「そう?」
「……はい」
自分から出した話題にすぐに失敗したと気付いたが、取り消すことはできない。
誤魔化そうとしたけれど、うまく笑えなかった。
沈黙が気まずい。
色々と話したいと思っていた内容が全く出てこない。
先程の姫のように楽しげな会話を、私はすることが出来ない。
「私、そろそろ戻りますね」
立ち去ろうとした腕を、そっと掴まれた。
「待って。どうして帰ろうとするの?」
「いえ…」
「最近、ずっと私から離れようとしているように見える」
「そんなこと…」
言いかけて、私は俯いた。
「あの」
「うん?」
「隣国に行かれるって本当ですか?」
レオンが黙った。
私は苦笑する。
「すみません。噂で聞いて」
「確かに私は、姫から誘われたんだ。私の国へ一緒に来てほしい、と。でも、断ったよ」
「…騎士団を離れられないから、ですか?」
「それも理由の一つだね」
「…それだけじゃないんですか?」
思わず聞いてしまった。
レオン様は少しだけ笑った。
「うん」
そして、まっすぐ私を見る。
「そばにいたい人が、できたんだ」
息が止まった。
「今までの私は、騎士団の仕事が一番大事だった。どこへ行くかも誰と会うかも、それほど深く考えたことはなかった」
レオン様は静かに続ける。
「でも、今は違う」
一歩、こちらへ近づく。
「昼休みになると、リリアのところへ行きたくなる。リリアが誰かと楽しそうに話していると、仕事が手につかなくなる」
「…え」
「今日もカイルと一緒にいるのを見て、正直あまり面白くなかった」
「う、そ。そんな」
思わず目を見開く。
「カイルはただの同僚で」
「分かっている」
レオン様は苦笑した。
「分かっているのに、気になったんだ」
その言葉に、胸がいっぱいになる。
「それを考えて、ようやく気づいた」
彼の手が、そっと私の手に触れる。
「私は、君のそばにいたいんだと思う」
「…私?」
「リリア以外に、誰がいるの?」
優しく笑われて、涙が出そうになった。
彼のような人が、私を好きになるはずがない。
そう決めつけていた。
「でも…」
「うん?」
「レオン様は、女性に人気があって」
「否定はできないけど」
「女たらしって」
「それはひどい噂だね」
レオン様は困ったように笑った。
「私は断るのが苦手で、女性に頼まれると無下にできなかった。うちの家系は女性が強くてね。女性を丁寧に扱えが家訓なんだと思うくらい」
「そ、そうだったんですか」
「でも最初に食事に誘ったときも、街へ行こうと言ったときも。自分から動いたのは初めてだったんだ。最初断られて、少し落ち込んだ」
「だって、緊張するんです!」
「私もだよ」
「レオン様が?」
「ああ」
意外すぎて、私は目を瞬かせた。
「君といるときは、何を言えばいいのか考えてしまう」
「……」
「だから、思ったより私は余裕がないんだよ」
その言葉が嬉しくて、私はようやく笑った。
「私も、ずっと余裕なかったです」
「知ってる」
「知ってたんですか?」
「顔に出ていたからね」
二人で笑う。
そのとき、バルコニーの扉が開いた。
「……あ」
カイルだった。
「なんだ。ここにいたのか」
私とレオンを交互に見て、何かを察したらしい。
「……俺、邪魔?」
「カイル……」
「いや、いいや。邪魔だな。戻るわ」
「待って」
思わず呼び止める。
カイルは振り返った。
「…何?」
私は少し笑った。
「ありがとう」
カイルは一瞬きょとんとして、それからいつものように笑った。
「何のことだか知らないけど、まあいいよ」
そしてレオンを見る。
「ちゃんと大事にしてくださいね、副団長」
「もちろん」
レオン様は迷いなく答えた。
カイルは満足そうに頷いて、今度こそ扉の向こうへ消えていった。
「…いい友達だね」
「はい」
「少し妬けるけど」
「え!?」
「ははっ」
レオン様が笑う。
その笑顔を見て、私はもう一度、胸の奥が温かくなるのを感じた。
数日後。
いつもの昼休み。
私は研究室で弁当箱を開いていた。
「今日は何が入っているの?」
顔を上げる。
レオン様がいつものように向かいの席へ腰を下ろしていた。
「今日は、からあげとだし巻き卵ときんぴらごぼうです」
「それは楽しみだね」
「食べますか?」
「もちろん」
差し出した弁当を、レオン様が嬉しそうに覗き込む。
最初の日と同じ光景。
でも、今はもう、あの日とは違う。
「…そういえば」
レオンさまがふと思い出したように言った。
「最初に食べたからあげ、あれがきっかけだったかもしれない」
「からあげ?」
レオンは笑って、私を見る。
「リリアのことを、もっと知りたいと思ったきっかけ」
「……もう」
恥ずかしくなって俯く。
そんな私を見て、レオン様は楽しそうに笑った。
今日も昼休みは、いつもと変わらない。
魔法陣の話をして。
研究の話をして。
くだらない話をして。
そして二人で、同じ弁当を囲む。
ただひとつ違うのは。
もう私はこの時間を「好きになってはいけない人との昼休み」だと思わなくていいことだった。
多くの方に読んで頂きまして、本当にありがとうございます。現在二章執筆中ですので、完結したしたら連載版として投稿出来たらと頑張っております。その際はよろしくお願いします!




