第5話 生き延びる者の夜
夜は、唐突に訪れた。
霧が濃くなり、森の奥から低い唸り声が重なって聞こえ始める。
空気そのものが重く、吸い込むたびに胸の奥がじりじりと焼けるようだった。
「……ここで夜か」
大男が短く吐き捨てる。
彼の声にも、わずかな焦りが混じっていた。
老人はすでに足元がおぼつかない。
杖に体重を預け、何とか立っている状態だ。
「無理に進めば、夜の魔物に捕まる」
「止まっても、同じだ」
そう言いかけて、俺は首を振った。
「……いや、違う」
二人の視線が集まる。
「ここだ」
俺は、少しだけ道を外れ、岩陰に向かって歩いた。
大地の流れが、そこだけ穏やかだ。魔力が渦を巻かず、静かに循環している。
「地脈が落ち着いてる。ここなら……耐えられる」
大男は半信半疑の顔だったが、老人を支えながら従った。
岩陰に身を寄せると、周囲の空気がわずかに変わる。
魔力の圧が、確かに軽い。
「……不思議だな」
老人が、かすれた声で言った。
「さっきまで、肺が焼けるようだったのに」
俺は地面に膝をつき、両手を当てる。
深く、ゆっくりと呼吸をする。
大地の鼓動に、耳を澄ます。
――整えろ。
――流れを、ほどけ。
派手な魔法じゃない。
ただ、詰まっているものを流し、暴れている力を静めるだけ。
地面が、わずかに温かくなる。
まるで、大地が息を吐いたようだった。
「……来ないな」
大男が、闇の向こうを睨みながら言った。
確かに。
さっきまで感じていた魔物の気配が、遠ざかっている。
戦っていない。
剣も、魔法も使っていない。
それでも――生きている。
老人が、静かに笑った。
「王都は、間違えたな」
「……何をですか」
「価値の測り方だ」
その言葉の直後、老人の体がぐらりと揺れた。
「っ――!」
俺と大男で、慌てて支える。
「……もう、いい」
老人は首を振った。
「体が、ついてこない」
彼は地面に腰を下ろし、夜空を見上げた。
星が、驚くほど近い。
「若い頃はな……世界を理解すれば、すべて制御できると思っていた」
「……」
「だが違った。理解するだけじゃ、足りない」
老人は、俺を見る。
「お前は、聞いている。世界の声を」
その目は、澄んでいた。
「……この山域は、いずれ重要になる」
「なぜ、そう思うんです」
「この濃度、この安定……偶然じゃない」
老人は、小さく息を吐いた。
「その力を、無能と切り捨てた王国は……」
「……」
「必ず、後悔する」
それが、最後の言葉だった。
老人の手から、力が抜ける。
静かで、あまりにも穏やかな別れだった。
大男が、深く頭を下げる。
「……弔うか」
「夜が明けてからだ」
今は、生きることを優先する。
長い夜だった。
魔物の遠吠えは何度も聞こえたが、近づいては来なかった。
やがて、空が白み始める。
霧が晴れ、山の稜線が姿を現した。
朝の光を浴びた森は、信じられないほど美しかった。
「……生き残ったな」
大男が、ぽつりと言う。
「ああ」
それだけで、十分だった。
俺は立ち上がり、山の奥を見据える。
王国が捨てた土地。
価値がないとされた場所。
だが――
ここには、確かに生きられる道がある。
「行こう」
大男が頷く。
もう、振り返らない。
王都も、ギルドも、
“価値なき者”と呼ばれた過去も。
追放は、終わりじゃない。
――ここからが、始まりだ。
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