第30話 エピローグ
快晴の青空。
照りつける日差しはほんのりと肌を焼き、吹き抜ける風が心地よい。緑の葉が擦れ合って涼やかな音を奏で、木々に挟まれた緩やかな坂道はどこか懐かしい風流を感じさせた。
その道を、伊月未来と千条涼翔は並んで歩いていた。
四月にしては薄着の2人だったが、春の陽気はそれを気にさせなかった。
「涼翔、八雲たちはどうした?」
「先に行っててくださいって。『わたし達が一緒だとお二人がいちゃいちゃできませんから!』って言ってたわ」
「相変わらず愉快なやつだ」
「伊月が適当に流すから、いつまで経っても誤解が解けないのよ! わかってる?」
「八雲はテンションが高くなると、口を挟む余地がなくなるからな」
「そういうとこが悪いって言ってるの! ちゃんと否定しなさいよ!」
「あまり脳に負担をかけたくないからな。そんなことで死んだらどうする?」
「都合の悪い時だけ死ぬ死ぬって言って! なかなか死なないくせに!」
涼翔の小言を、伊月は軽く聞き流す。
大きな歩幅で坂を上りきると、視界が開けた。
駐車場の先に広がる墓地へ足を向ける。
整然と並ぶ墓石。静寂を裂くように、上空を輸送ヘリが轟音を立てて通過した。
2人は思わず立ち止まり、空を仰ぐ。
「もう、本当にエネミーは出ないのかしら」
「一年だな。闇を倒してから」
クラス測定不能の人型エネミー、闇を撃退してからすでに一年。
過去最長の空白期間は半年。それを大きく超えた今、世界はようやくエネミーの終焉を受け入れつつあった。
三ヶ月を過ぎたあたりからざわめき始め、半年を越えた時には世界中でお祭り騒ぎ。今ではジェネシスを労働に転用し、復興が急速に進められている。
誰もが、もう二度とエネミーは現れないのだと信じていた。
「もし出たらどうなると思う?」
「東京基地がどうにかするだろう」
「どうにかなるの? あの人がいないのに」
「まあ、無理だろうな」
東京基地。今やその人数は一年前の半分にも満たない。
原因はただ一つ、国が下した天ヶ瀬司令への処分だった。
『闇』を退けた直後、彼女は拘束された。
理由は禁じられた核エネルギーを迅雷に搭載し、戦闘に導入したこと。
世界規模で禁忌とされた技術を用いた罪は、日本だけの問題ではなかった。
その責任を問うため、最高責任者であった天ヶ瀬に「死刑」という判決が下った。
だが、その裁きに異を唱えた者は数え切れない。
東京基地の兵士達は抗議の声を上げ、やがてそれは世界中に広まった。
誰もが気付いていたのだ。
あの闇を倒せたのは、天ヶ瀬がいたからだと。
第四世代の切り札、鳳凰と稲光・雷砲式は敗れた。
欧州の守護神シュネー・トライベン、ロシアのバーバチカ、インドのスーラジ、中国のチャイナ・ストライクも次々と撃破された。最後の希望レジェンディア・アースすら及ばなかったあの怪物を。
世界最凶のエネミー闇を討つ術を持ち、実行したのは天ヶ瀬ただ一人。
その事実を誰もが理解していたからこそ、人々は判決を許せなかった。
それでも裁きは覆らなかった。
例外を作れば次が怖い。国際的な均衡のために、彼女は犠牲にされたのだ。
結果、東京基地を去る者は後を絶たなかった。
「天ヶ瀬を裁く国にはついていけない」と。
守るべき拠点は、今や半ば空洞と化していた。
「戻ってきてくれないかしら、天ヶ瀬司令」
「見つかれば死刑だ。戻るはずがない」
天ヶ瀬は、処刑されなかった。
判決当日、暴動は必至と誰もが思っていた。政府も数十機のジェネシスを配置し、血が流れる未来は避けられないはずだった。
だが処刑が始まるその瞬間、姿の見えない謎のジェネシスが現れた。
数十機を一瞬で無力化し、天ヶ瀬を連れ去ったのだ。
行方は知れず、同時にレクスの姿も消えた。
結果、処罰された者は一人もいない。
迅雷はレクスが独力で改造したとされ、2人の名は記録から消された。
残った仲間たちは東京基地を離れ、それぞれ新たなジェネシス事業を立ち上げている。八雲も、藤崎夫婦も、諏訪部もそこに所属し、忙しく働きながらも、今も互いに連絡を取り合っていた。
「エネミーが出なければあの人に役目はない。もし現れれば、またひょっこり顔を出すかもしれんがな」
「なら、現れない方が幸せね」
「酷い言い方だ」
「事実でしょ?」
「まあな」
二人は墓地を歩く。
静かな春の空気のなかで、目的の墓へと足を進めていった。
「このあたり、だったと思うんだけど……」
区画の角を曲がった先に、墓地には似つかわしくない2人が立っていた。
ひとりは小柄で、色素の薄い長い髪を左で結い、黒のフリルを重ねた服にふんわりとしたスカート。どこか少女めいた、不思議な女性。
もうひとりは対照的に背が高く、銀の髪を肩まで垂らし、白いワンピースをまとっている。
「な、なんで」
思わず漏れた声に、2人がこちらを振り向く。
「おやおや? なにやら青春の香りがすると思ったら、伊月君に涼翔君ではないか。墓参りデートとは、キミたちはジェネシスデートといい、相も変わらず可笑しな性癖をお持ちだねえ! あっはっはっは!」
この高らかな笑い声の主は、世界にひとりしかいない。
「天ヶ瀬司令」
「うむ? なにをそんなに驚くことがあるのかね? 涼翔君。私は部下の墓参りに来ているだけなのだよ? 可笑しいところなどひとつもない。そうは思わないかい? レクス」
「ん」
あの頃と変わらない。飄々とした天ヶ瀬と、怠そうな無表情のレクス。
「あ、天ヶ瀬司令がどうして」
「先ほど伝えたつもりだが。キミたちも優翔君のお墓参りだろう? そうだ、ちょうどいい。レクス」
驚愕で硬直している2人に、レクスが音もなく近づく。
スカートの裾を払うと、隠されていたレッグホルスターから冷たい光が覗いた。
抜き放たれた拳銃の銃口が、真っ直ぐ涼翔へと向けられる。
「ッ!」
伊月が即座に身体を動かすが、それよりも早く、レクスは銃を器用に回転させ、涼翔の胸元へ押し付ける。
驚きに身を竦ませる涼翔の手を取り、強引に銃を握らせ、自らの心臓へと銃口を導いた。
「な、なに……。かしら?」
「わたしの。お母さん。おまえの。姉。殺した。だから。おまえ。わたし。殺す」
歪んだ眼光で涼翔を射抜くように見据えるレクス。
だが、その言葉を聞いた瞬間、涼翔の肩から力が抜ける。
小さく息を吐き、安堵にも似た笑みを零した。
「…急に現れてなにをするのかと思ったけど。でも、もし貴方がそうするなら」
涼翔は握らされた銃をレクスに押し返し、今度は自分の胸へと銃口を向けた。
「私の姉が、貴方のお母さんを殺した。だから、殺されるのは私の方よ」
声は震えていなかった。
伊月が全てを打ち明けていたからだ。『闇』との戦いの後に起きた真実。
レクスがティラノサウルスの子供のクローンであること。
人間がエネミーを生み出していたこと。
そして、その施設を銀竜が破壊したこと。
涼翔は知っていた。
だからこそ、目の前の少女の憎しみを受け止めようと、銃口を受け入れた。
「全部、伊月から聞いたから」
涼翔の言葉に、レクスの歪んだ眼光が伊月を射抜く。
そのことは天ヶ瀬から「決して口外無用」と釘を刺されていた。
危険が及ぶからと伊月も了承していたのだ。
だが、銀竜での戦いのあと、涼翔に泣きながら責められ、「もう隠し事はなしにして」と言われ、結局すべてを話してしまった。不甲斐なくも。
「あっはっは! なるほど、もう尻に敷かれているようだねえ伊月君! 無愛想な面の裏で、こんな可愛い子に泣かれて怒られて……。いやはやキミはそういうキャラ付で今後を過ごすつもりかね? 実に愉快だ! もっとやりたまえ涼翔君!」
天ヶ瀬の笑い声が墓地に響く。
まるで事の経緯を見透かしているかのようで、伊月は返す言葉を失った。
「どうする? レクス。貴方は私を殺す?」
涼翔が銃を胸に押し当てたまま、真っ直ぐに問いかける。
レクスは数秒、氷のような沈黙を置き、やがて小さく首を振った。
「おまえ。あいつの。妹。だから。殺す。必要。ない」
「だったら私だって貴方を殺す理由なんてないわ。お姉ちゃんを殺したのは貴方じゃなくて、貴方のお母さん。そうでしょ?」
「そう」
ぽつりと吐き出すように言ったレクスは、銃をしまい、天ヶ瀬の後ろへとすっと下がった。
緊張が解けた涼翔の胸から、ゆっくりと大きな息がこぼれる。
「涼翔。だいじょッ!」
伊月が涼翔へ駆け寄ろうとしたその瞬間、甲高い銃声が空気を裂き、足元の石が粉々に砕け散った。レクスが銃口を伊月へ向けていた。
「おまえ。殺す。必要。ある。お母さん。殺したから」
冷え切った声。刺すような殺意。
だが、その熱は徐々に薄れていく。
「でも。そいつに。免じて。今は。許す」
銃口が静かに下ろされた。
かつて感じた鋭い殺意は消え、残るのは歪な黄眼だけ。
その瞳に宿る色は、ほんのわずかに柔らかさを帯びていた。
「さあて、用事も済んだことだし、そろそろお暇しようかねえ。政府のバカどもに見つかると面倒だ。少年少女! この平和な世界を存分に楽しみたまえ! あっはっは!」
天ヶ瀬が芝居がかった笑い声を響かせる。
その軽口が、空気を緩める。
「ま、待ってください!」
歩き出す二人を、涼翔が思わず呼び止めた。
「あ、あの。私と伊月はいま、山小屋に二人で住んでて。人もあまり来ない場所で。その……」
「うむー。急に惚気られても私は困るのだよ。べ、別に羨ましくなんて思っていないのだがね! とでも言えばいいのかな? あっはっはっは!」
「ち、違います! その。もしよろしければ。一緒に住みませんか?」
涼翔の言葉に、天ヶ瀬は思わず目を瞬かせた。
山奥の小屋での二人暮らし。
体にガタがきている伊月のため、都会を離れて暮らすことを選び、結局、心配した涼翔もついてきた。静かで、穏やかな生活。だからこそ、口をついて出た誘い。
「おやおや。世界を股にかける犯罪者にそんなことを言っていいのかね? 涼翔君。真実を知っているというだけで、キミ達は消されかねないのだよ? 私達といれば命などいくつあっても足りやしない。この一年で、何度殺されかけたことか……。ねえ、レクス」
「結構。快適」
どうやらそれなりの生活をしているようだ。
「お酒。美味しい」
楽しんでいるらしい。
「お肉。美味しい」
味わっているらしい。
まるで旅先の感想のように、ぽつりぽつりと続ける。
その調子に、伊月は思わず苦笑し、涼翔は呆気に取られた。
どうやら二人なりに。いや、思った以上に快適に暮らしているらしい。
「でも! 逃げ続けるのも疲れるでしょうし。少しぐらいなら」
「少しでも関わりを持っているところを見られれば、キミ達にも危険が及ぶ。部下にそんなものを背負わせるほど、私は落ちぶれちゃいないのだよ。できれば今日だって会いたくはなかったのだから。分かってくれるね? 涼翔君」
すべてを背負い、エネミーを世界から消した女の横顔は、どこか疲れて見えた。
「で、でも……」
「残念ながら、これを背負うのは私だけで間に合っているのさ。まあ、レクスぐらいなら置いていってもいいのだがねえ。銀竜は私でも操縦できる。処刑日の襲撃も、|誤差修正機能のオートパイロットを使ったと説明すれば通るだろう。迅雷の改造も“脅された”と言えば済む。どうだねレクス? そういう人生も、案外楽しいと思うのだが」
「いや。天ヶ瀬と。いる。おもしろいから」
あまりの即答に、場の空気が一瞬凍りつく。
次の瞬間。
「あっはっはっは! そういうことだ涼翔君、あきらめたまえ! まあ、キミにとって私は世界でいっちばん面白い人間だから、一緒にいたいという気持ちも分からなくはない! そこに立っている二番目に面白い朴念仁で我慢してくれたまえ! あっはっはっは!」
高らかに笑い、天ヶ瀬はくるりと背を向ける。
「行こうか、レクス」
「ん」
二人が少し歩くと、空気に溶け込むように姿を消した。
突風が墓地を駆け抜けた。
光学迷彩を解いた銀竜が一瞬だけ姿を現し、手を振るように光をきらめかせる。
そしてすぐに姿を消し、空の彼方へと飛び去っていった。
「あれが地球を救った英雄なんだから困ったものだ」
「ええ。でも、あれぐらいがいいのかもしれないわね」
完全に音が消え、2人は優翔の墓の前に立った。
墓石は誰かが磨いたばかりのように陽光を反射して白く輝いている。
伊月と涼翔は肩を並べ、静かに目を閉じた。
言葉にならない想いを胸に、ただ祈るように黙祷を捧げる。
そのとき、不意に電子音が鳴った。
伊月の携帯だ。
画面を覗き込む2人の瞳に浮かび上がった差出人の名前は――千条優翔。
「まったく。今度は誰の悪戯だ」
「さあ。でも、祝福してくれているんだと思う」
表示された内容を見て、2人は自然と微笑み合った。
快晴の空の下、エネミーのいない平和な世界の中で。




