第29話 終焉
銀竜は、レクス専用に密かに作られた機体だった。
複雑な構造と膨大なコストを要する可変システム。
関西の鳳凰にしか実装されていないはずの技術を、その身に宿している。
さらに、光学迷彩とステルス機能を備え、レーダーや肉眼から存在を隠すことすらできる。エネミーには通じなくとも、人類には決して見つからない。
日本政府ですらその存在を知らぬ、影に封じられた幻のジェネシスだった。
「司令。これは一体、どういうことですか」
伊月は、レクスの操縦席の後ろにある簡易シートに腰掛けながら、低く問い詰める。そのさらに上に、天ヶ瀬がちょこんと腰掛けていた。
「このジェネシスはなんなのです。先ほどの、本当の敵との戦いに終止符を打つという意味は?」
天ヶ瀬は飄々と笑う。
「これは銀竜。ごく一部の者しか存在を知らない、対人用のジェネシスだ」
「対人用? まさか戦争でも始めるつもりですか」
「あっはっは! 面白いことを言うね伊月君。だが、そんな余裕があるものか。エネミーに蹂躙されているこの世界で、国同士の争いなどできはしないだろう?」
言葉は軽い。だが、その声色には確かな重みがあった。
「ならなぜ対人用など」
「もしも、だよ。伊月君」
天ヶ瀬は一拍置き、声を低くする。
「もしも、エネミーそのものが“人間の手”で作られていたとしたら。……キミはどうする?」
伊月の呼吸が止まった。
「根拠を、教えてください。司令」
天ヶ瀬の眼差しは冗談ではなかった。
確信を宿している。
だからこそ、この“禁忌の兵器”を隠し持ち、闇を退けた直後に出撃している。
信じられる話ではない。
だが、状況がそれを裏付けてしまう。
「伊月君。これは内密に頼むよ? 色々と世話になったキミにだからこそ話すことだ。奇跡的に死なずに済んだようだしねえ」
「わかりました。決して他の者には言いません」
「うむ……。私はねえ伊月君。運良くエネミーの子供を入手することができたのだ」
「エネミーの子供?」
伊月の声がわずかに震える。
「三年前にキミが倒したティラノサウルス。覚えているだろう? あれが子を孕んでいてねえ。さすがはクラスSS、頭を吹き飛ばした程度では死ななかった。それが幸いして子を殺さずに回収することができたのだ。いやはやどこまでも伊月君には世話になる。感謝感激、なのだよ」
クラスが上がれば上がるほど生命力は増す、その事実を伊月も知っていた。
だからこそ「頭を吹き飛ばしただけでは死んでいなかった」という司令の言葉も、信じられなくはなかった。
「その子を解析してみたところ……。分かったのだよ。エネミーは遺伝子操作により人間の手で生み出された生物だった、と。これは、間違いない」
「まさか。そんなことが」
伊月の胸が冷たくなる。
「もし、司令の言っていることが事実だと仮定すると。今はエネミーを生み出している“大本”へ向かっているのですか」
「その通りさ、伊月君。話が早くて助かるねえ。そこを破壊する。そうすれば、エネミーとの戦いは終わる。……この狂った世に、終止符を打てるのだよ」
天ヶ瀬の声色が低くなり、背筋を凍らせる。
伊月の膝に乗る小さな体。
だが、その瞳だけは恐ろしいほど鋭く、確信に満ちていた。
「場所はどこですか?」
「それがまだ分かっていなくてねえ」
「では、どうやってそこへ行くんですか?」
「レクスがエネミー特有の気配を感じ取れるのだよ。クラス測定不能の気配ともなると相当なものらしくてねえ、まだ色濃く残っているそうだ。クラスA程度では全く残らなかったようだが……。それを辿れば見つかるはずさ」
銀竜は止まることなく南米大陸へ向けて飛行している。
スピードはそこまで出していないが、進路を変えることはない。
「なぜレクスがそんなことを」
「なぜ? この期に及んでまだそんな質問をするのかね? 伊月君。キミは、もう気付いているのだろう?」
レクスがエネミー特有の気配というものを感じ取れる理由。
そんなものは一つしかない。
人間にも精密機械にもエネミーの気配を感じ取れることができないのだから。
ならば、答えは一つ。
「レクスが三年前の、ティラノサウルスの子供なのか」
伊月の声は、自分でも驚くほど震えていた。
操縦席のレク巣は何も言わない。
視線を前へ固定したまま、沈黙で答える。
「正確に言えば違うのだがね。あの子は死んだ。私があれこれ弄りすぎてしまったから。だが、幸い遺伝子は残せた。レクスはそのクローン。エネミーの子を人の器に収め直した、全く新しい存在なのだよ」
禁忌だ。
エネミーの細胞を使用した研究は
世界が恐れ、二度と手を出すまいと決めたはずの領域。
それを、目の前の人は平然と踏み越えている。
「人間とも、エネミーとも違う……怪物を作ったと?」
「いやいや。怪物ではないさ」
天ヶ瀬は唇を吊り上げる。
「希望の種だよ。エネミーを終わらせるために生まれた、なにものにも属さぬ第三の存在さ」
伊月はレクスの背中を見つめる。
その小さな肩は、重すぎる真実を一身に背負っていた。
「レクス、本当なのか」
「本当。だから。わたし。おまえ。嫌い」
短いながらに、鋭い言葉を続けるレクス。
「お母さん。殺した。大切な人を奪った。だから。おまえ。嫌い」
伊月は胸が締め付けられるような痛みに目を閉じた。
「そうか。やはり、そうだったのか」
銀竜を操るのは、人間ではない。
優翔を奪ったエネミーの子のクローン。
その事実を受け入れるしかなかった。
「……なぜ人はエネミーを作り、人を襲わせたのですか」
伊月の問いに、天ヶ瀬はあっけらかんと答える。
「理由など無数に考えられるねえ。兵器開発か、悪趣味か、神を気取った愚行か……。だが、そんなことはどうでもいい」
口元に冷たい笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「答えを聞く前に死んでもらう。それで充分だ」
天ヶ瀬はエネミーを生み出した者たちを、容赦なく殺すつもりだ。
話し合いなど、最初から存在しない。
「しかし指令。それでは」
「伊月君。私はね、後悔しているのさ」
天ヶ瀬は、その時の振り返ったかのように深いため息を吐く。
「私がもっと強くあれば。誰かに頼らなければいけないほど弱くなければ……。優翔君も、五十嵐少佐も、ZX君も失わずに済んだ」
身体を伊月に預け、横顔が見える。
「事を済ませるのに言葉は必要ない。これは経験則さ」
苦笑にも似た薄い表情。
けれども、その口調には重たい影が落ちていた。
それ以上は語らない。
ただ、その一言に、過去に誰かの言葉を信じ、そして取り逃がした経験があるのだと、嫌でも察せられた。
不意に、銀竜の速度が落ちた。
「ここ。……この下。気配、残ってる。潜る。大丈夫?」
「ああ、行ってくれ。くれぐれも慎重にな」
「ん」
南米大陸から数キロ離れた大西洋の海上。
銀竜は人型へと変形し、轟音と共に海面へ突入した。暗黒の海を深く沈み、水深二百メートルに達したところで、迷いなく直進を始める。
「気配を感じるのか?」
「ん。わたしにも。同じものがある。おまえには、わからないだろうけど」
確かに伊月には何も感じられない。ただ冷たい水圧と暗闇だけ。
だが、レクスの言葉には妙な確信があった。
やがて銀竜は海底の断崖へと突き当たった。そこには幅・高さともに百メートル規模の洞窟が口を開けている。闇の奥へ迷うことなく進み、やがて天井が高くなり、足で歩けるほどに浅い底へとたどり着く。
そして、目の前に広がった光景に、伊月は言葉を失った。
海底に築かれた巨大な施設。
地上から天井まで百メートルはあるだろう空間に、幾本もの円柱状のガラスタンクが規則正しく並び立っていた。その内部で無数のエネミーが液体に沈められ、眠っている。
大蛇、猛獣、翼竜、そして名も知らぬ異形の影。どれも見慣れたエネミーの姿を持ちながら、まだ生まれ落ちていない胎児のように静かに揺らめいていた。
人工的に整えられた巨大な培養槽の群れ。この光景こそ、天ヶ瀬の言葉の裏付け、「エネミーは人間が作り出した」という恐るべき真実だった。
「どうする。天ヶ瀬」
「奥へ進むもうか。先に叩くべきは人間。光学迷彩を解かないようにね」
「わかった。いく」
周りに人がいないことを確認し、銀竜は跳び上がり飛行型へ変形した。
岩が向きだしになっている不気味なエネミーの保管庫。
数キロ同じ光景が続き、ようやく壁が見えた。
岩の壁には、銅色の巨大な扉が備わり閉じられていて先へ進めない。
「これでは進めないねえ。どうしたものか」
「一匹……。違う。二匹。来る。隠れる」
銀竜が人型に変形し壁際に身を潜めると、洞窟全体が軋むような轟音とともに、銅色の巨大扉がゆっくりと開いた。空気が押し出され、海底特有の冷たく濁った潮流が内部から吹き出す。
「バカな」
その暗闇から現れたのは、二機の旧型ジェネシスだった。
両肩には鎖が繋がれ、後方の荷台を引きずっていた。
鎖に繋がれた荷台には、まるで死体のように横たわる巨獣。
狼に似たエネミーと、甲羅を持つ亀型のエネミーが載せられている。
どちらも微動だにせず引きずられていく光景は、不気味さしかない。
「伊月君。エネミーがジェネシスを動かせると思うかね?」
「それは」
動かせるはずがない。地球に存在する生物でジェネシスを操縦できる生き物など人間だけだ。となれば、やはりエネミーは人間が作り出していた生物だ。
「レクス」
「ん」
銀竜は即座に飛行形態へと変形した。
どうやら先ほどの旧型ジェネシスが戻るまでは扉が開きっぱなしのようで、銀竜は滑り込むように内部へ侵入する。薄暗い洞窟を低速で進み、さらに奥の同型の扉を潜ると、視界が一気に開けた。
広さは東京基地の半分ほど。だが岩壁は荒削りのまま残り、人工的な照明があっても影が濃く、不気味さを拭えない。
天井はかなりの高さがあり、そこに灰色の建物群が並んでいた。窓から漏れる明かりだけが、人間の営みを示している。
銀竜は天井すれすれを飛行し、音を殺しながら奥へと進んだ。
「どうやらここが研究施設のようだねえ。どうだね、レクス」
「ん。お母さん。ここで、作られた。わたし、わかる」
「そうかそうか。では、早速始めよう」
「待ってください、司令!」
伊月は思わず声を荒げた。
「本当に何の話しも聞かずにここを破壊するつもりですか? 事情を知る者がいるかもしれない。それを聞かずに潰してしまって、本当にいいんですか?」
短い沈黙のあと、天ヶ瀬が言葉を発する。
「もうこの世に信じていい人間などいないのだ。政府ですら信用してはならない。誰がここに内通しているか分からない。私はそのせいで、何度も遠回りをさせられた。そのせいで、何人もの無駄な命を……」
そこまで言った天ヶ瀬は、一瞬だけ振り返った。
その横顔は、いつもの飄々とした司令官の仮面を脱ぎ捨て、深い疲労と哀愁に塗り替えられていた。明るく人を導くように振る舞い続けた人間が、決して他人には見せてこなかったであろう影を、伊月は初めて垣間見た。
「伊月君。しっかり私を抱き締めるのだよ? 吹き飛ばされないようにね」
「……わかりました。ただし、文句は言わないでください」
伊月は膝の上に座る小柄な天ヶ瀬の腹の前で手を組み、がっちりと力を込めた。
年の功には敵わない。藤崎しかり、天ヶ瀬しかり。その一言には、数十年戦場を生き抜いた者だけが持つ重みがあり、伊月を黙らせる力があった。
「舌。噛まないで。いく!」
「――――ッ!」
次の瞬間、銀竜が爆発的に加速した。
地下研究施設の闇に轟音が木霊し、圧力に壁が震える。
異変を察し、建物の扉から研究者たちが顔を出す。
レクスは彼らをただ一瞥し、感情の色を帯びぬ声でトリガーを引いた。
銀竜は旋回しながら複数のコンテナを投下。
それらは一定高度で開き、豪雨のように無数のミサイルを射出する。
白光が連鎖し、轟音と爆炎が施設を呑み込む。
コンクリートの壁が砕け、鉄骨が歪み、研究者たちの悲鳴は爆発に掻き消された。
赤黒い火柱が地底を染め、逃げ惑う人影は容赦なく炎に飲まれていく。
「もっと。苦しむ」
レクスの声は冷ややかで感情を欠いていた。
次の瞬間、銀竜のハッチから新たな弾頭が撒き散らされる。
地面に衝突した瞬間、赤い炎が噴き上がり、あたり一帯を灼熱の地獄へと変えた。
逃げ惑う人影は次々と炎に呑まれ、断末魔を上げながら黒い炭と化していく。
「焼夷弾を。こんなことが……」
伊月は呆然と呟いた。
それは戦場で幾度も見た悪夢の再現。
いや、それ以上に容赦のない虐殺だった。
「痛み。知った? じゃ。終わらせる」
銀竜は出口である銅色の扉の前で人型に変形した。
落下の勢いよりも速く、腰に備えられたライフルを抜き放ち、施設の中央へ向けて引き金を引く。
銃弾は放物線を描き、空中で炸裂。
轟音はなく、代わりに黄色い粉末が煙のように広がった。
瞬く間に施設全体へと充満し――人々は胸を押さえ、痙攣し、泡を吐きながら倒れていった。
「生物兵器。こんなものまで」
伊月は藻掻く人々から視線を逸らした。
人の形をした者が、声を上げて苦しみながら無力に崩れていく。
それをただの「処理」としか見ていないレクスの瞳が、逆に恐ろしく思えた。
銀竜は一瞥だけをくれ、何事もなかったかのように変形して高速飛行。
液体に沈められ眠るエネミーには手を付けることなく、真っ直ぐ出口へと駆け抜ける。
そして再び人型に戻り、迷いなくライフルを構える。
「レクス」
「わかってる。みんな。もう。産まれてきちゃ。ダメ。だよ?」
冷淡な声と共に、銀竜の砲口から先ほどとは異なる弾頭が撃ち出される。
「好きで。産まれたわけじゃ。ないけど。ね」
次の瞬間、海底洞窟を揺るがす轟音と共に、岩盤が崩れ落ちた。
銀竜はすぐさま変形し、ブースターを全開にして暗い海中を駆け抜ける。背後では、海底都市そのものが押し潰されるように崩壊を始めていた。
そして、海上へと浮上した瞬間。
「これは」
伊月は絶句する。
南米大陸が燃えていた。
かつて緑に覆われた大地は崩れ去り、夜空を焦がすように黒煙を吐き出している。
「核弾頭なのか?」
七か国の合意なしには決して使うことを許されないはずの禁忌。
その力が、今まさに南米大陸の南西を焼き払い、灰へと変えていた。
漆黒の大地に、劫火の赤が浮かび上がり、すべてを呑み込んでいく。
「終わりなのだよ」
灼熱に染まる大陸を前に、天ヶ瀬は静かに告げた。
その声音は勝利を宣言するもののようであり、同時に長い戦いを終えた者の疲労が滲んでいた。
「これでもう、エネミーは現れない。我々は勝ったのだ。……これで平和な日常が、当たり前の日々が戻る。もう戦わなくていい」
「……本当に、これで終わったのか」
伊月の胸には、虚ろな問いが残る。
ただ目の前で、エネミーが巨大な容器に収められ眠っていた光景を見た。
そして、それが容赦なく破壊されていくのを見た。
だが、自分の手では何もしていない。ただ、見届けただけだった。
「終わり、なのか」
呟きは誰に届くこともなく、熱波にかき消された。
「終わりだよ」
天ヶ瀬は振り返らずに答えた。
その横顔には、不思議なほどの哀愁が漂っている。
「さあ、長居は無用だ。レクス、行こうか」
「ん」
銀竜は光学迷彩を纏い、炎上する大地を背に飛び去っていく。
後にこの爆発は「南米が密かに隠し持っていた核が暴発した」と処理された。
こうして、人類とエネミーとの十年に及ぶ戦いは、幕を下ろしたのだった。




