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傷を抱えた名もなき英雄と、失われた姉を持つ少女は共に戦う ―人型兵器VS巨大怪獣―  作者: すなぎも


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第27話 迅雷・朱天式

 訪れたのは東京基地の南西にひっそりと佇む小さなドッグ。

 三機のジェネシスを収めるのが限界の建物は、外見だけなら古びた町工場にしか見えない。かつて迅雷専用の格納庫として使われ、限られた者しか立ち入れぬ特別な場所。


 錆び付いた扉を押し開けると、油と鉄の匂いが鼻をついた。

 中にいたのは八雲と、いつもの笑顔を浮かべた天ヶ瀬だった。


「司令」

「おやおや伊月君、無事に目を覚ましたか。よかったよかった。これで、このジェネシスも無駄にならずに済むというものだ。ねえ、八雲の孫君」

「……はい。そう、ですね」


 八雲の目は赤く腫れ、頬には涙の跡がまだ残っていた。

 それを隠すように彼女は声を張り上げる。


「み、見てください伊月さん! これがわたしが仕上げた迅雷・朱天式です! どうです、かっこいいでしょう!」


 そこに立っていたのは、もはや旧来の迅雷ではなかった。

 漆黒の装甲は光を吸い込むような深みを湛えている。継ぎ目を走る金色のラインは稲妻のように瞬き、動けば残光が尾を引き雷光が軌跡を刻むだろう。


 そして背には、稲光から移植された紅蓮の翼型。漆黒と金を背景に、ただ一つ赤だけが鮮烈に映える。稲光の遺志を受け継ぎながらも、それを超えようとする新たな迅雷の証だった。


 迅雷・零式が脳裏に焼き付いている伊月からするとそれは。


「ゴチャゴチャしているな」

「そこがかっこいいんです!」


 胸を張る八雲に、伊月は思わず笑みを零した。


「変わらないな。お前は」

「伊月さんも、です」


 二人は短く視線を交わし合い、八雲は待ちきれぬように説明を始めた。


「まず始めに、この迅雷・朱天式は第五世代にあたるネオリンクシステムを積んでいます」

「八雲が組み込んだのか?」

「はい。お爺ちゃん達が寝ている間に少し拝借して勝手に改造しました」

「大丈夫なのか?」

「問題ありません。稲光のデータと何度も照らし合わせましたし、ZXさんからも承認済みを頂いてます。もしダメだったら、その時はZXさんに文句を言ってください!」


 あまりに無責任な言葉に、伊月は肩をすくめた。


「ネオリンクシステムを組み込むこと自体は成功しました。ただし、それに対応する機体強化までは施せていません。以前にも説明しましたが、稲光はネオリンクを前提として設計されたジェネシスで、通常のリンクでは本来の七割程度しか能力を発揮できません。だからこそ伊月さんと涼翔さんがネオリンクすれば莫大な恩恵があったのですが、迅雷朱天式は違います。ネオリンクを用いても機体性能そのものは向上しません。つまり、第四世代と変わる点は“意識の共有”だけ。贅沢なパーツをふんだんに投入しましたので、総合性能では稲光に匹敵する仕上がりになっていますけどね!」


「なるほど」


 漆黒の機体を仰ぎ見ながら伊月は呟いた。

 つまり、この迅雷は稲光の後継でありながら、その根幹では“ただのジェネシス”にすぎない。しかも最大の武器であるレールガンすら備えていない。


「朱天式の最大の特徴は別にあります。それは動力源に原子力であること。すなわち核エネルギーを採用しています」

「核、か。なるほど。……となると、これは八雲の独断じゃないな」


 厳しい眼差しが、天ヶ瀬へと向けられる。


「うむ、その通りだよ。彼女はなにも悪くない。全ては私の指示さ。核をジェネシスに使うことは条約で禁じられている。だが、“奴を倒すには必要だったのだよ」


 天ヶ瀬は懐から一枚の紙を取り出した。国の正式な許可を装った書類。そこには「迅雷強化において核エネルギーの使用を許可する」と明記されている。


「偽装か」

「あっはっはっは! 私もできることならこんなことはしたくはなかったのだがねえ。可愛らしい子供を騙すというのは非常に心が痛む。だが、これが世界のため。わかってくれるね?」


 天ヶ瀬が偽装した書類を八雲に渡し、騙すことで迅雷に核を積んだのだ。

 こういう事態を想定して。


「司令は闇の存在を知っているのですか?」

「あんな化け物のことなんて知っている訳がないだろう? もし知っていたら世界に存在する全ジェネシスを集結させていていたさ。私はただ、最悪の事態を想定し、できる限りを整えていただけなのだよ。それが、司令の勤めだからねえ」


 不敵な笑みを浮かべる天ヶ瀬。

 その目の先には何を見据えているのか。


「キミを呼び戻したのもその一環さ。あの日の"約束"、覚えているかね?」

「もちろんです」

「ならば私から言うことはもうないよ。……五十嵐少佐は勇ましい戦死を遂げた。立派だったよ」

「司令からその言葉を頂いて、五十嵐も喜んでいると思います」

「最後になんと言っていたかね」

「達者で生きろ。バカ野郎、と」

「そうか。……すまないね。君には。いや、君たちにはいつも迷惑をかける。報いることすらできやしない、自分が憎いよ」

「司令に受けた恩を返させて頂いてるだけです」


 2人は視線を合わせ、らしくないと互いに思いながらも握手を交わす。


「お元気で。涼翔を頼みます」

「武運を祈るよ」


 天ヶ瀬の横を通り抜け、八雲の前に立つ。

 まだ幼さが残る小柄な彼女。

 高校時代から、不器用な伊月をよく気にかけてくれた存在だった。


「伊月さん。わたし……わたしは、あなたにこんなことをして欲しくて迅雷を改造していたわけじゃありません。迅雷はわたしの憧れで、それをいじれるのが嬉しくて。いつか伊月さんに乗ってもらうんだって……。だから頑張って改造して……」


 俯く八雲の髪の隙間から、雫が床に落ちて弾けた。


「それなのに……。わたしは伊月さんに乗って欲しくない! こんなの、わたしが望んだ形じゃないんです! だって、これじゃまるで、わたしが伊月さんを」

「止めろ、八雲。涼翔が聞いているかもしれない」


 伊月が制する。

 八雲は分かっている。伊月と天ヶ瀬の狙いを。

 そうしなければ闇を倒せないことを。


「八雲。俺は嬉しいんだ。お前が約束を守ってくれて」

「約束、ですか?」

「ああ。お前は迅雷を実戦で使えるように強化してくれた。なら、次は俺の番だ」

「エネミーを、倒す?」

「そうだ。お前が託してくれた迅雷で、必ずエネミーを倒す。それが俺の役目だ。だから悲しい顔をしないでくれ。八雲は元気に笑ったり怒ったりしている方が似合っている」


 小さな頭にそっと手を置く。

 久々に感じる温もり。

 八雲は擽ったそうに笑みを零した。


「お前がいてくれて本当に良かった。高校の時も、基地に来てからも、ずっと世話になったな」

「そんな……。わたしは、好きで伊月さんのことを気にかけていただけです」

「知っている。お前はそういう優しい奴だ。だから俺は迅雷を託せた。期待に応えてくれて、ありがとう」


 八雲は涙を拭い、微笑んだ。

 伊月は視線を上げ、漆黒の迅雷朱天式を見上げた。


「涼翔には?」

「右手のプラズマ砲を強化したと伝えておきました。最大出力なら一撃で倒せると」

「そうか。……八雲、あまりジェネシスばかりの人間になるなよ。お前はただの技術者じゃない。可愛い女の子なんだからな。涼翔と一緒に、楽しい人生を歩んでくれ」


 最後に軽く頭を叩き、伊月は歩き出す。

 二人が見守る中、漆黒の迅雷朱天式の胸部へと滑り込み、コックピットへ腰を下ろそうとした。

 その座席には、すでに先客がいた。


 澄み切った蒼眼がこちらを向く。

 強張った表情のまま、涼翔がそこに座っていた。


「待たせたな」

「ネオリンク、使うのよね?」

「ああ。使わないと勝てない相手だ」

「なら、私の話を聞いてくれるかしら?」


 迷いを振り切った凜々しい横顔。

 涼翔の蒼眼には、恐れも弱さも映っていなかった。

 そこに宿るのは強い覚悟だ。


 その眼差しを受け、伊月は短く息を呑む。

 やがて静かに頷いた。


「ああ。聞かせてくれ」


 一呼吸置き、涼翔は口を開いた。

 胸の奥にしまい込んでいた想いを。


「卒業式の日、静岡の実家がエネミーに壊されて、私は東京に引っ越すことになったの、お父さんとお母さんと一緒に。お姉ちゃんがパイロットだったから優先的に被災者用のマンションを借りられた。それで、1ヶ月経って、ようやく生活が落ち着いてきた。そんな時よ、クラスSSのエネミーが現れたのは」


 耳を裂くような緊急警報。

 涼翔は両親と必死に避難所を探して走った。見知らぬ街で地図を片手に駆け回るも、避難所はどこも満員で受け入れてくれない。


「まだ時間は経ってなかったし、東京なら内陸だから大丈夫だろうって……。そう思って移動を続けたの。そしたら、急に目の前のビルが崩れ落ちてきた」


 砂埃が押し寄せ、世界を呑み込む。

 死の気配を察した瞬間、父が涼翔を脇の店に押し込み――次に振り返った時、父と母の姿はもう見えなかった。


「気づいた時には……。二人とも、砂埃に呑まれてたの」


 両腕で体を抱きしめる涼翔。

 震える声は、そこで一度途切れた。


 崩壊した街。横転した車、砕け散るガラス、転がる死体。

 暗黒に覆われた空の下を彷徨い続ける。そんな中。


「大通りに出た時、死体を見つけて、お父さんかもしれないって思って近づいたの。そしたら、熱くて。振り向いたら、そこに漆黒のジェネシスがいた」


 赤熱する装甲。燃え盛る炎を必死に受け止めるその姿。

 それは、迅雷・零式だった。


「お姉ちゃんに聞いてたの。迅雷の特徴を。だからすぐ分かった。お姉ちゃんが、私を守ってくれてるんだって」


 その瞬間、全てが途切れた。

 気が付いた時には白い天井。

 そして、医者から話を聞いた。

 両親が亡くなったこと。姉が亡くなったこと。

 ニュースで見た映像で知った。

 姉が死んだのは、私を守るためにエネミーの攻撃を受け止めたからだと。

 数年間、誰とも言葉を交わさず、ただ天井を見続ける日々が始まった。


『死んだ姉を思うのであれば、伊月君を助けてやってくれないかね?』


 その一言を聞くまでは。


「これが、私が伊月に隠していたこと。これで、終わりよ……」


 涼翔が口を閉じた。

 長い髪に顔は隠れ、表情は窺えない。

 ただ、白い頬には涙が流れ、顎から下へ垂れていた。


「そうか。涼翔だったのか」

「ごめんなさい。私があんなところにいたから、お姉ちゃんを殺して」

「それは違う」

「違わないわよ! だって、私がいなかったらお姉ちゃんはきっと生きてた!」


「自惚れるな、涼翔」


 伊月は震える拳を握りしめ、低く、しかし力強く言葉を吐き出した。


「パイロットが命を張って市民を守るのは当たり前のことだ。死ぬ覚悟はジェネシスに乗る前から出来ている。それを、たまたま助けられたからって、自分のせいで死んだなんて……。そんなふうに思うな」


「で、でも……」


 涼翔の声が震える。だが、伊月の瞳は冷たくも揺るぎなく、彼女を見据えていた。


「守ったはずの人に、『自分が殺した』なんて言葉を吐かれるのは、そんなのは……。そんな悲しい想いを、優翔させないでくれ」


 その声には確かな怒りがあった。

 握りしめた拳は震え、爪が掌に食い込む。


 ――優翔が涼翔に殺された。


 そんな言葉を優翔が聞いたら、どれほど悲しむだろうか。

 そう思うだけで、伊月の胸は張り裂けそうだった。


「で、でも、私は……」

「立て、涼翔」


 怯えた瞳で見上げてくる涼翔を、伊月は強引に立たせる。


「俺はずっと探していた。優翔が死んでまで守りたかったなにかを。それを見つけたら決めてたんだ。自分の命に代えても守って見せるって。だから、頼むからそんな考え方をしないでくれ」


 その声がわずかに陰る。


「もし『自分が優翔を殺した』と言うのなら、俺はお前を守れない。だが、優翔に守られて今を生きているのだと、そう言うのなら……。俺は命に代えてもお前を守る。絶対にだ」


 胸に刻んでいた誓い。

 ずっと探し続けていた「優翔が命を懸けてまで守ろうとした存在」。

 今ようやく見つけた。

 守ると決めていた。


「頼む涼翔。俺に、お前を守らせてくれ」


 滲む黒眼が、切実に彼女を見つめていた。

 その瞳に映るのはただ一つ。

 優翔の想いを受け継ぎ、生き抜いてほしいという願い。


「いいの、かな?」


 ぽつりと涼翔が零す。


「私みたいのが。お姉ちゃんに守られて、伊月に守られて。それで、いいのかな?」

「悪いはずがない。大切な人を守りたいと思うのは当たり前のことだ。だから優翔は涼翔を守った。だから今度は俺が涼翔を守る」


 その言葉に、涼翔は小さく頷いた。


「ごめんなさい。こんなことに時間を取らせて……。すぐに出撃しましょう」

「待て」


 席を移ろうとする涼翔を呼び止める。


「……抱きしめさせてくれないか?」


 率直な言葉に、涼翔は驚き、二度まばたきをしたあと、俯いて小さく頷いた。


「べ、別にいいけど。早くしてよね。もう、闇がどこまで迫ってるか分からないんだから……」


 耳まで真っ赤に染める涼翔。

 その姿を見て、伊月は静かに腕を伸ばした。

 

 ――優翔は死んだ。

 

 今こうして生きて隣にいるのは涼翔だ。

 守るべきは、もう幻想ではなく現実。


 柔らかな体を胸に抱きしめ、久しく忘れていた温もりを確かめる。頬をかすめる金色の髪が揺れ、伊月はようやく悟った。これは優翔のものではない。涼翔自身の髪であり、存在だ。


「涼翔。命に代えても、必ず守る」


 誰にも届かぬ声量で、死んだ優翔に誓うように紡いだ。


「行こう、涼翔」

「ええ。分かったわ」


 涼翔が慌ててセカンドパイロット席へ移動する。

 伊月もすぐに席に腰を下ろし、視線を正面に向けた。


『男前になりましたね、マスター』

「うるさい」

『優翔様にも同じようにしてあげていれば、きっと喜んだと思うのですが』

「お前がいないところでしていた」

『……え? マスター、いまなんと』

「集中する。少し黙ってろ」

『私いま非常に驚いております、マスター』


 軽口を叩くZXを切り捨て、伊月は深く息を吐く。

 感情を殺し、思いを殺し、三年間続けてきた「空白の心」を呼び戻す。

 残すのはただひとつ。闇を討ち滅ぼす意志のみ。


「行けるわよ、伊月」

「ああ。ZX、始めろ」

『了解しました。迅雷朱天式、全システムセットアップ完了。ネオリンク・シーケンス、スタンバイ』


 重い声で告げられる手順。

 伊月と涼翔の鼓動が、同じ速さで高鳴る。


『注意してください。これより互いの記憶が流れ込みます。ですが決して深く踏み込まないこと。あくまで“視界の端を流れる景色”のように捉えてください。意識を向ければ、戻れなくなる可能性があります』


「ああ」

「分かってる」


『では、目を閉じてください』


 静寂が訪れる。

 わずかに触れ合う指先から、確かな温もり。

 伊月と涼翔は、互いの気配を胸に刻み、瞳を閉じた。


「ネオリンク」

「ネオリンク」

『ネオリンク』


 三つの声が重なった瞬間、真っ暗だった視界に、色とりどりの映像が雪崩れ込んだ。


 ――これは、俺の記憶?


 幼い日の情景。

 島国の潮風、無邪気に東京基地を走り回っていた少年時代の自分。

 懐かしく胸を締め付ける記憶。

 伊月は深呼吸をし、意識を逸らす。


 続いて涼翔の記憶が脳裏を流れ込んでくる。

 温かな家庭。おおらかな父と母。

 どこか抜けている教師、藤崎。

 そして、満面の笑顔で伊月のことを語る優翔。


 ――憧れ、恋い慕い、守りたかった想い。


 涼翔のすべてが透けて見える。


『ネオリンク、通常作動確認。リンク率。百パーセント』


 ZXの声が、やけに鮮明に響く。

 その瞬間、伊月の心の中に「自分ではないもうひとつの自分」が芽生えたような感覚が広がった。


『なに、これ? 伊月が、戸惑ってる?』

『涼翔も、動揺してるな。だが、不思議と邪魔じゃない』


 考えの全てが共有される。

 それなのに、ぶつからない。

 むしろ噛み合い、補い合う。


 これがネオリンク。


 瞼を開く。


『な、なに! なにか見えるわ!』

『ッ!』


 伊月はいつもと同じ光景を見ていた。

 何本ものレバーが並ぶ迅雷のコックピット。

 だが同時に自分を後ろから、斜め上から見下ろしている視線が存在していた。


『落ち着いてください。それが“意識の共有”です。普段通りに考えていてください。それでも想いは繋がります。もう一つの視点を気にしすぎれば、パニックになります…呼吸を整えて。自分の考えを持ちながら、普段の二人でいてください』


 促され、二人は大きく深呼吸をした。

 それも、まったく同じタイミングで。


 ――同じ息。


 なんとも言えない奇妙な感覚が、同時に二人を襲った。


『息はピッタリのようですね。素晴らしいです』

『そんなこと言ってる場合じゃない。闇は?』

『静岡県の荒野を進行中。レジェンディア・アースは撃破されました』

『遊んでる暇はなさそうね。……でも、こうやって動かすのね』

『そうだ。俺の操作も涼翔に筒抜けか』

『なんか変な感じ。常に見られてるっていうか』

『お互い様だ』


 ――常に考えが響き合う。

 脳の奥底まで曝け出して、互いの思考が筒抜けになる。

 不快なはずなのに、不思議と嫌ではない。

 むしろ、心臓の鼓動さえも重なるような感覚だった。


『……今だけにしたいな』

『……今だけにしたいわね』


 二人の思考が重なる。

 互いに照れるような感情まで共有されてしまい、なおさら胸が締め付けられる。


 そしてもう一人、見知った顔を見つける。

 数ヶ月前まで放課後に笑い合っていた唯一の友人。

 諏訪部友希。


 真っ黒に汚れた作業着で、八雲の横でレンチを握っている。

 以前と変わらぬ人懐っこい笑みは、涼翔の記憶に繰り返し現れていた。

 『頼むから伊月には内緒にしててくれ!』

 八雲と涼翔に何度もそうお願いしている彼。


『伊月』

『気にするな。俺達は、闇を倒す。それだけだ』

『……そうね』


 互いの想いが、ネオリンクを通じて確かに伝わる。

 過去を振り返る余裕はない。今はただ、闇を討つために。


『マスター。涼翔様。遊んでいる暇はありませんよ?』


 伊月は深く息を吸い、視線を前に向けた。


「わかってるさ」


 轟音とともに迅雷が歩を進める。

 漆黒の外装に走る金色のラインが、工場灯に照らされて鈍く輝く。その背には稲光から移植された紅の翼型が広がり、重厚な機体に禍々しいまでの美しさを添えていた。


 金属の床を踏みしめる度に、格納庫全体が振動する。古びた鉄骨が軋み、天井に吊るされたライトが揺れた。伊月はコックピットの中で、力強い足取りが自分の鼓動と重なっているのを感じていた。


 八雲が小柄な体で懸命に両手を振り、涙を堪えながら朱天式の背を見送る。

 天ヶ瀬は不敵な笑みを浮かべたまま腕を組み、じっとこちらを見つめている。

 諏訪部は、視線を泳がせた後、親指をビシッと立てる。


 巨大なカタパルトが口を開けるプラットフォームに辿り着いた。

 固定アームが展開し、迅雷の脚と腰を確実に拘束する。

 足元の磁力リフトが唸りを上げ、機体を発射台の中心へと導く。


 すべてが整った瞬間、格納庫に静寂が訪れる。

 息を呑む八雲と諏訪部、微笑む天ヶ瀬。

 そして、真っ直ぐ前を見つめる涼翔。


「迅雷・朱天式。千条涼翔!」

「伊月未来。出るぞ!」


 伊月の声と共に、閃光が走った。

 轟音を撒き散らし、朱天式は地上へと打ち上げられる。

 圧倒的な重力が機体とパイロットを押し潰すが、二人の意志は揺るがなかった。

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