第26話 敗北。涙
この天井を見上げるのは二度目だった。
最初は悪夢に魘され、涼翔の手を握れずに倒れ込んだ夜。
苦い記憶が甦る。
「情けないな……ぐっ!」
身を起こした瞬間、肺の奥で骨が軋み、視界が歪んだ。
包帯の下から滲む血の匂い。動かすたびに痛みが走り、まるで戦場の余韻が肉体に焼き付いているかのようだった。
それでも伊月は、横たわったまま体の状態を一つずつ確かめた。
「あばらは、数本いったな。頭部出血。右足は打撲か……。腕はまだ使える」
立ち上がり、カーテンを開く。司令塔の医務室。人影はない。
つけっぱなしのテレビが、戦場を映し出していた。
レジェンディア・アースと、あの闇が対峙している。
映像の中で、白い仮面に深く抉られた穴が見えた。
「五十嵐」
伊月は悟った。
嵐雲のパイルバンカーが残した爪痕を見て。
機体は跡形もなく、男の姿もない。
彼は命を賭けて仮面を穿ち、それでも帰らなかった。
「そうか。死んだか」
それは覚悟していたはずの結末だった。
だが胸に残るのは割り切れぬ虚しさ。
あの無骨な少佐が、未来を繋ぐために散ったという事実。
「五十嵐、さん……」
幼い頃から殴られ、叱られ、時に励まされてきた。
親代わりであり、師であり、背中を追うしかなかった男。
五月蠅くて、乱暴で、不器用で。だが、その拳の痛みの裏に、確かに温もりがあった。伊月と優翔を、戦場に立てるまでに育ててくれた、唯一無二の存在だった。
『達者で生きろや、バカ野郎』
最後に残した言葉まで、あの人らしかった。
憎まれ口で全てを隠し、未来だけを託して逝った。
「俺は、なにも返せていない」
落ち込んだとき、悩んだとき、五十嵐の乱暴な言葉に救われたことが幾度もあった。だが感謝を告げようとした瞬間、拳が飛んできた。子供の頃の伊月には理解できなかった。
今なら分かる。死と隣り合わせの世界で、依存させないための不器用な優しさだったのだ。
「なんでだ……! なんで俺は守れないんだ! 大切な人ばかり……。本当に守りたい人ばかり殺されて!」
拳を握りしめ、歯を噛み締める。
五十嵐もまた、いつか自分が死んだ時に残される者が傷つかぬように、距離を取っていたのかもしれない。だがその覚悟すら、受け継ぐ前に逝ってしまった。
「まだ、なにもしてやれてないのに! それなのに!」
テレビが甲高く響く。
『おぉっと! レジェンディア・アースも押されている! 稲光は大破! “不死身の侍”五十嵐も戦死! このままでは日本は終わりだ! 頑張れレジェンディア・アース!』
「ふざけんな……」
伊月の口から漏れた声は、怒りに震えていた。
「ふざけんじゃねえ! 誰が不死身だ! 俺たちは人間だ! いつ死ぬか分からねえで戦ってんだ! 勝手な名前で、勝手に美化して……! ふざけんじゃねえぞ!」
パイプ椅子を蹴り飛ばした。金属音が壁を叩き、無機質な床に響き渡る。
「どうしたの! い、伊月君。起きたの?」
音を聞きつけて医務官が飛び込んできた。
肩で呼吸をしていた伊月は、深く息を吐いて呼吸を整える。
振り返る頃には、すでにいつもの無表情が出来上がっていた。
「闇は。五十嵐さんは」
「闇はまだ生きているわ。五十嵐少佐は……。戦死した」
「そうですか。では、俺は行きます」
「ダ、ダメよ! まだ寝ていなきゃ!」
制止を振り切り、伊月は足を進めた。
「伊月! 起きたのか!」
廊下から駆けつけてきた椎名が声を張る。
その頭には包帯が巻かれていた。
「伊月、五十嵐隊長が」
「知っている。それより戦況はどうなっている。なぜレジェンディアがいる」
あまりにも淡々と、無愛想に話しを進める伊月。
その態度に椎名の顔がかっと赤くなった。
「なんでそんな顔でいられるんだよてめえ! 死んだんだぞ! 五十嵐隊長が!」
「今はそんなことを言っている場合ではない。戦況を報告しろ」
「ふざけんな! 五十嵐隊長を殺したのは、オレと……てめえだ! てめえがオレなんか守らずに闇を倒してりゃ隊長は死ななかった! なんでオレなんか助けた!」
その言葉に、伊月は無言で椎名の胸ぐらを掴んだ。
その手はわずかに震え、顔は怒りに歪んでいた。
「勘違いするな。俺はお前を助けたんじゃない。俺は学藤崎さんを守っただけだ」
低い声で吐き捨てるように言う。
「それに、五十嵐を殺したのは俺たちじゃない。五十嵐本人だ。あの人の言葉を忘れたのか」
耳の奥に蘇る、あの男の声。
『ジェネシスは俺たちの棺桶だ。エネミーに殺されることが葬儀。死んだらそれで当然だ。出て行った俺たちのせいだと思え』
それは、五十嵐の部下である椎名ならば知らないはずがない言葉。
「引きずるな。五十嵐の死を。俺たちにはまだやるべきことがある」
伊月は突っぱねるように言い放った。
「伊月、お前」
「それよりだ。なぜレジェンディア・アースが戦っている」
「あ、ああ。五十嵐さんが闇を攻撃して、一瞬だけ奴の動きが止まったんだ。その隙に鳳凰とシュネー・トライベンが止めを刺そうと出撃したけどやられた。その後すぐにスーラジ、バーバチカ、チャイナ・ストライクも投入されたけど全滅だ」
「そして今は、レジェンディア・アースか」
天ヶ瀬が総力を挙げている証。
各国が誇る守護神のようなジェネシス達が集められ、それでも押し返せていない。レジェンディアの圧倒的な火力ですら闇には届かず、逆に抑え込まれている。勝敗はもはや時間の問題だった。
「頼む伊月! 日本を、いや、地球を救ってくれ! お前に頼るしかねえんだ! オレなんかに言う資格がないのは分かってる! でも、もう、他にいねえんだよ!」
椎名は目を伏せ、拳を震わせていた。
竜雲が来なくても稲光は倒されていた。ダメージを与えられる武装はレールガンだけで、それも失われていた。
「天ヶ瀬司令は」
「ドッグで伊月を待ってる」
その一言に、伊月は静かに頷いた。
「連れて行ってくれ。俺を、あの人のところへ」




