第25話 決意
涼翔は暗闇で膝を抱え、小さく丸まっていた。
顔を埋めた膝が濡れているのは、涙のせいだ。
「私が……。私が取り乱したから。もし、あの時冷静でいられたら……」
震える声が、ひとりきりの闇に溶けていく。
伊月は未だ意識不明。医師は「目覚めないかもしれない」と告げた。
五十嵐も戦死した。残ったのは、自責と空虚だけ。
「ネオリンクさえできていれば……。伊月も、五十嵐少佐も……」
嗚咽が喉を震わせる。
数か月前まで普通の女子高生だった涼翔に、背負えるはずもない重さ。
「私なんて、いなければよかったんだ。そうすれば、お姉ちゃんが。もういっそ」
『それは違います、涼翔様』
突然響いたのは、無機質なのに不思議と温かい声。
「……ZX」
姿はない。ただ音声だけが、闇に寄り添う。
『私はすべてを記録しています。優翔様との記録。伊月様との記録。そして貴方との記録も。だからこそ言えます。涼翔様、貴方は、ここで終わっていい人ではありません』
「私はただのセカンドパイロットよ。伊月がいなければ何の役にも立たない。ジェネシスだって起動できない。ただの補助役なんだから……」
震える声に、ZXは静かに答える。
『違います。補助ではなく、共に戦う仲間です。マスターが守ろうとした未来は、涼翔様が生きている限り、決して消えません』
涼翔は息を呑み、顔を上げた。
「意味なんてない! 伊月が死んだなら私なんてもう誰の役にも立てない! 生きてる意味なんてない! そうでしょ、ZX! 答えなさいよ!」
『……答えましょう。まず第一にマスターは死んでいません。涼翔様、軽々しくマスターが死んだなんて言うな。マスターは絶対に死んでない』
その声音に、涼翔は思わず身を縮めた。
感情を持つとはいえ、機械の声に抑揚などあるはずがない。けれど、そこには確かな怒りが宿っていた。
『失礼しました。以前のマスターの口調がつい出てしまいました。子供の頃、冗談交じりに吹き込まれたのです』
静かに、いつもの淡々とした調子へ戻る。
『改めて申し上げます。マスターは必ず戻ります。私はそう確信しています』
「なんで? そんなの分からないじゃない。医者だって、もう目覚めないかもしれないって」
涼翔の瞳に、再び涙がにじむ。
『私はマスターの全記録を保持しています。優翔様と共にいた頃から、離れ離れになったあの日も。衛星カメラ越しに、その背を見続けてきました』
「そ、それって……」
『ご安心を。天ヶ瀬司令の許可は得ています』
そんなことじゃない……と反論しかけた唇が震える。
『誤差修正機能として、私はマスターの“生きようとする意志”を何度も補足しました。真っ直ぐで、優しくて、折れない心を持つマスター。涼翔様、数字が示しています。彼は必ず立ち上がる、と』
機械仕掛けの声が告げる確信に、涼翔は思わず息を呑んだ。
それは気休めではなく、積み重ねた記録から導かれた“未来予測”だった。
「もし。もし戻ってきても。もう、どうにもならない。だって伊月はお姉ちゃんを愛してたんでしょ? ネオリンクを使えば私は伊月から嫌われる。そんなの、嫌よ……」
『違います。マスターは貴方を嫌いなどしません。断言します。2人と共に歩んできた私を信じてください』
「信じたい……。信じたいけど、怖いの。お姉ちゃんを失って、伊月にまで背を向けられたら。私、本当に生きてる意味なんてない」
涼翔の心に焼き付いた光景が蘇る。
三年前のあの日、友は全て死んだ。そして一年も経たぬうちに両親と姉を失った。中学を卒業したばかりの少女には、重すぎる現実だった。正気を保てなくなった涼翔は、病院の白い天井を見上げ続け、心は死んでいた。
そんな涼翔に手を差し伸べたのは――不気味に笑う一人の女性。
『キミが優翔君の妹か。ふむ、どうだね? 優翔君と同じように、伊月君と一緒に戦ってみないか?』
天ヶ瀬だった。
『死んだ姉を思うのであれば、伊月君を助けてやってくれないかい? 彼はまだ優翔君を追い続けている。伊月君は優翔君に囚われ、優翔君は伊月君に囚われているのだよ。伊月君を優翔君から解放するためにも、優翔君を伊月君から解放するためにも。キミが必要なのだ。だから、力を貸してくれるね?』
伊月未来。彼の名前は姉からよく聞いていた。
『私、好きな人がいるの。伊月って言うんだけど』
会う度会う度、満面の笑顔でいつもそう言っていた。
惚気ていた。
『伊月はね、エネミーを絶滅させたら結婚してくれっていつも言ってくるの。司令の前でも、上官の前でも。いつもは恥ずかしいから誤魔化しちゃうんだけど。本当はすぐにでも結婚したい……。えへへ、こんなこと言えるの涼翔だけなんだから。内緒にしてよ?』
幸せそうな表情だった。
姉ほど幸せそうに笑う人を見たことがなかった。
優しく、厳しく。子供っぽさが残る姉。
そんな姉を、涼翔は大好きだった。
だから涼翔は立ち上がった。
パイロットになり、東京基地に所属し――そして、伊月と出会った。
姉を殺した罪を償うために。
せめて姉が好きだった人の力になりたいと。
不意に電子音が鳴る。大切そうに握りしめていた赤い優翔の携帯ではない。席の傍らに置いていた、自分のスマートフォン。涼翔は恐る恐る中を覗き込む。
そして。
「……そっか。分かったよ、お姉ちゃん。そうだよね。お姉ちゃんの言う通り」
赤い携帯電話を胸に抱き、涼翔は顔を上げた。
「ZX。伊月が来るまでにスタンバイを終わらせとくわよ。すぐに行けるように」
『了解しました。涼翔様。それでこそ、私のマスターです』
その瞳に迷いはない。
手早く出撃準備を始める。
脇に置いた赤い携帯が下に落ちることに気付かずに。




