第23話 闇
東京基地司令塔ドッグは緊張に包まれていた。
『クラス測定不能』――前代未聞の警報に、整備員は予備機の流雲を動かし、修理班は破壊されたジェネシスを慌ただしく直し、パイロットは最終チェックを終えると次々にコックピットへと飛び込んでいく。
「第三部隊、出るぞ!」
カタパルトに固定された流雲が、轟音とともに次々と射出される。
本土に上陸もしていないうちから、すでに十八機が出撃していた。
誰もが理解していた――これまでの敵とは“何かが違う”。
その予感は稲光に乗り込む伊月の胸にも重くのしかかっていた。
「八雲。稲光は出せるか」
「あと少しで整います!」
ZXの定期診断を急ぎ終えた八雲が席を譲る。
モニターが点灯し、海上を進む“それ”が映し出された。
「……なんだ、これは」
伊月の声が震えた。
モニターに映る“それ”は、漆黒の人影。
四肢は細長く、肩幅は異様に広い。鎖骨の位置には白い仮面のような突起。そこに空いた二つの黒い円は、まるで感情を欠いた眼孔のように虚ろに見開かれていた。
そして、その歩み。
海面をゆっくりと進む様子は、人間の真似事のようにぎこちなく、だが確かに「人」を模していた。無駄に腕を振り、首を傾げる。まるで人間の仕草をなぞろうとしているかのように。
「ZX。こいつは」
『測定不能のエネミーです』
「そんなことは聞いていない!」
伊月の怒声に、ZXは短く沈黙したのち答えた。
『……これは模倣です。人間の形を意図的に真似ています。理由は不明ですが、理解不能な行為が、恐怖に近い感覚を呼び起こします』
「今までいろんな生物に模したエネミーを見てきた……。そう来るのも当然か」
理解の言葉を口にしつつも、額から汗が一筋、頬を伝う。
見ているだけで背筋が凍りつき、心臓が握り潰されるような嫌悪。
なぜそう感じているのか。自分でもわからない。
「お待たせ、伊月!」
涼翔がコックピットに滑り込み、シートに座る。
伊月は彼女を一瞥し、低く言った。
「涼翔、落ち着け。絶対に取り乱すな」
「……分かった」
ZXが画面を切り替える。黒き人型が映し出され、涼翔は口元を押さえた。
「な、なに、コイツ」
言葉にならない吐息。
それだけで理解できる。伊月とZXの恐怖は錯覚ではない。
それは、存在そのものが人間に拒絶される忌まわしき姿だった。
「ねえ、なんなのよコイツ! いったい何の形をした敵なの、伊月!」
「落ち着け涼翔。そんな状態ではリンクが乱れる。深呼吸しろ」
強い声に、涼翔は肩を震わせる。
数秒、冷静な伊月の瞳と見合い、ようやく頷いた。
「ごめんなさい。取り乱したわ。それで、これは」
「分からん。今までにないタイプだ。ZX、出撃命令は?」
『まだ下りていません。現在は待機命令です』
「オペレーターと回線を繋げ。直接確認する」
ZXが即答し、すぐに回線が繋がる。
だが、スピーカーから響いたのはオペレーターではなく。
『やあ伊月君。残念だが、キミたちは待機なのだよ。しばらく大人しくしていてくれたまえ』
モニターに現れたのは、相変わらず飄々とした笑みを浮かべる天ヶ瀬だった。背後では、慌ただしく走り回るオペレーター達の声が飛び交っている。
「司令、アイツはいったい何なんですか? どんなエネミーなんですか?」
『見れば分かるだろう? これは“人間”だよ。首が不自然に生えていなかったり、四肢の比率が常軌を逸してはいるがね。それでも“闇”は人間を模している。そう見えないかね?』
伊月は息を呑む。
確かにその姿は、猿やゴリラの類でもなく異様に歪んだ“人”。
模倣であるはずなのに、あまりに人間に近すぎるがゆえの嫌悪が込み上げる。
「俺たちは」
『繰り返すが待機だよ。私としては出撃させたいが、政府が許さないそうでねえ。全く、日本のトップはなにを考えているやら』
その時、轟音。
海岸線で迎撃にあたっていた五機の流雲が、海上を進む“闇”へ一斉に砲撃を浴びせた。だが次の瞬間、閃光と共に爆ぜ、五機ごと跡形もなく消し飛ぶ。
大地は抉れ、直径数十メートルのクレーターが生まれた。
そこに残骸も、煙さえもなかった。
「なにがあった!」
『不明です! エネミーの眼部から膨大な熱源反応。直後に地面が爆裂しました!』
「司令。出撃許可を!」
『困るねえ伊月君。私だって本音を言えばキミ達を出したい。だが政府の意向に背けば、私の首が飛ぶのだよ。理解してくれるね?』
ここにいる者は皆、隊の人間。
政府の意向を無視しては動けない。たとえそれが、明らかな誤りでも。
それが今の日本。全てを縛り、命令のみに従わせる国。
『だが、このままでは静岡が壊滅するかもしれないねえ。……そういえば、静岡は涼翔君の故郷だったかな?』
その一言で、背筋が凍る。
ZXが敵の進行ルートを即座に投影。赤い点が浮かぶ。
そこは。
「伊月! 藤崎先生が!」
「司令、出ます!」
『やれやれ、穏やかじゃないねえ。だが出撃許可は出せないんだよ。上の命令だ、どうしようもない問題さ』
「行かせてください! 藤崎先生はまだあそこで暮らしているんです!」
『涼翔君まで。だが、私にそれを言われてもねえ』
「司令! あの人は守るべき人です! 未来を作る灯なんです! ここで殺させるわけにはいかない!」
『困った困った……。だが、私も命令違反はできないのだよ』
「だったらもういい! ZX。リンクシステム起動させろ! 稲光・雷砲式、出るぞ! 踏み潰されたくなかった道を開けろ!」
『おやおや伊月君、命令違反とは。それは死刑に値するんだが』
「構わない!」
叫びは、もはや迷いの欠片もなかった。
「俺はもう見ているだけなんて嫌だ! 守りたいものは俺の手で守る! 政府も、処罰も関係ない! 俺は俺だ!」
天ヶ瀬の口元が微かに緩む。
『……なるほど。ならば、せいぜい英雄として散るがいいさ。あっはっは!』
「いくぞ涼翔!ZX!」
「ええ! リンクシステム起動!」
涼翔が主導でリンクを開始する。
心に乱れがある時は失敗するはずのそれが、何の問題もなく、静かに成功した。
「悪いが行くぞ、司令」
『だが無駄だよ伊月君、涼翔君! すでにカタパルトの電源は落としてある! 出られるとすれば、整備班だけが知っている九番と十八番の予備カタパルトだけだ! キミ達はそれを知る由もないあろう? キミたちは地上に出られない! 残念だったねえ! あっはっはっは!』
甲高い高笑いがコックピットに響き渡り、一瞬の沈黙を生んだ。
そして。
「……感謝します、司令。おかげで冷静を取り戻しました」
『おや? 私が出撃を止めようとしているのに、なにを感謝するのかね? まったく、司令とは不幸な職業だよ!』
「いいえ。ありがとうございました。では、行ってきます」
伊月の言葉を最後に、通信は一方的に切れた。
振り返り、涼翔と目を合わせる。互いの瞳に、迷いはもうなかった。
「行こう」
「ええ」
稲光の両眼に光が宿る。
歩き出した瞬間、整備士たちは驚愕したが、その表情はすぐに理解へ変わる。
彼らは知っていたのだ。この二人が、あの予備カタパルトの場所を目指していることを。自然と道が開ける。九番カタパルトが眼前に現れた。
伊月は深呼吸を挟み、高らかに叫ぶ。
「伊月未来、千条涼翔。稲光・雷砲式、出る!」
轟音と共にカタパルトが火を噴き、稲光の巨体が夜空へと打ち上がる。
命令違反。処罰は免れない。
それでも、二人の背に後悔はなかった。
彼らを見上げる整備士たちの目には、畏怖ではなく、確かな希望が映っていた。




