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傷を抱えた名もなき英雄と、失われた姉を持つ少女は共に戦う ―人型兵器VS巨大怪獣―  作者: すなぎも


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第20話 朽ちた学び舎

 どこまでも続く夕暮れの荒野を、稲光は浮遊移動していた。

 深紅の外装はオレンジ色の光に照らされ、巻き上がる砂塵がかすかに機体を包む。南西へ向かう視界の先には、既に片付けられた街の痕跡が広がっていた。


「神奈川もだいぶ片付けられたな」

「ええ。綺麗に何もなくなっているわ」


 二人はコックピットから外の風景を眺め、静かに言葉を交わす。操縦はZXの自動制御に任せられており、リンクは使われていない。それでも、万が一に備えてパイロットスーツは着用していた。


「それにしてもよく天ヶ瀬司令が出撃を許可してくれたわね」

「規則には緩い人だからな。余程のことがなければ文句は言ってこない」

「でも、理由も聞かずに許可をくれるなんて」


 二人が出撃しているのはエネミーの出現によるものではない。

 目的地は静岡県中程。破壊され、すでに整理された街の跡地だ。


 涼翔が「そこに行きたい」と言い、距離があるため見回りのついでに稲光で向かうと五十嵐に申し出たが、私用で使うなと激怒された。

 そこに偶然散歩していた天ヶ瀬が現れ。


『普通の世の中であればキミたちは高校三年生なのだから、存分にジェネシスデートを楽しむといいのだよ! ただし、健全なお付き合いに限るよ? もしエネミーが現れて行為中! なんてことになったら、オペレーター諸君が嫉妬で泣くからねえ! あっはっはっは!』


 と、いつもの軽妙な調子で、出撃が許可された。


 稲光はもはや日本にとって不可欠なジェネシスである。通常なら国の許可がなければ自由に出撃できないが、天ヶ瀬の言葉があれば問題はない。2人はそのまま、遠慮なく機体を進めたというわけだ。


「任務以外で基地を出たのはいつぶりだ?」

「入隊してからほぼ初めてよ。特に地上に出る予定もなかったし」

「たまには地上で息抜きしろということだろう。エネミーが出現した時にだけ地上に出ると、地上そのものが嫌な場所になってしまう」

「そうね。前までは地上で生活するのが当たり前だったけど、今はもう」


 静岡県に入ったと、ZXが知らせる。

 その途端、右手に破壊された街が現れた。片付けられた荒野と、放置された廃墟の境目。まるで別世界を覗いているかのような光景に、2人は息を呑む。左手の荒野の向こうには、静かに波打つ海が広がっていた。


「地上に出ても俺たちが見るのは悲惨な光景ばかり。それはいいことではない」

「テレビで見る賑やかな街を疑う目で見るようになったわ。本当にあそこは日本なのかって」

「職業病だな。休みの日くらい地上に出て、適度に遊ばないと気が狂うぞ」

「皆はそうしているものね」

「ああ。ジェネシスをいじるのが生き甲斐の整備班はともかく、パイロットはよく遊びに出かけている」


 パイロットといえど人間である。多少の休息は必要だ。

 文句を言う市民はいない。


「でも、伊月はいつも訓練してるわよね?」

「俺はそれが当たり前になっているからな。伊達に幼い頃から東京基地に閉じ込められていたわけじゃない。自分で言うのもなんだが、隊員の鏡だ」


 思わず漏れる嘲笑。それは決して誇れるものではなかった。


「私は伊月のパートナーよ? だったら、それに付き合うわ」

「涼翔は数ヶ月前まで市民だったんだ。無理をするな」


 涼翔が無理をしていることは、少しでも彼女に関わる者なら知っていることだ。気丈に振る舞うことでそれを隠しているが、数ヶ月前まで普通の女子高生だった彼女が伊月に合わせていれば、無理が出るのも当然のこと。


「休むことも仕事のうちだ。司令に言って連休を取らせてやる。八雲と一緒に温泉でも行って来い」

「い、いいわよそんなの! 私は稲光のパイロットなんだから」

「休みをとっても涼翔を責める人はいない。お前の頑張りは誰もが認めている。五十嵐さんも、司令もな」


 入隊して数ヶ月で、涼翔は何体ものエネミーを倒してきたのだ。伊月とZXが一緒とはいえ、それは十分に称賛されるべき成果である。

 さらに涼翔は、その功績に驕ることなく、伊月の訓練に付き合い精進してきた。それは他のパイロット達も認めており、少しの休暇で他者から責められることはない。


 むしろ、喜んで送り出されるだろう。


「じゃあ、伊月も一緒に来てくれる?」

「俺もか?」

「だって、八雲と二人じゃいつものお泊まり会と変わらないし。せっかくなら大勢で行った方が楽しいと思うから」

「それはそうだが……。俺が一緒に行っても楽しくなるとは思えないぞ?」

「またそんなこと言って。貴方は自分で思っているほどつまらない人間じゃないわよ? 少なくとも、私が今まで会ってきた人の中で2番目に面白い人よ」

「そんなに評価されている理由はわからないが……。一番ではないんだな」

「ええ。一番は天ヶ瀬司令だから。八雲とよく話すの。あの人は変だって」


 ふふっと、柔らかな笑い声が漏れた。いつも真面目な涼翔が、冗談とはいえ目上の人間を面白いと言うのは珍しいことだ。


 ――いや、こっちが本当の涼翔なのか。


 八雲とよく話す、と涼翔は言っていた。ならば今の、年相応の話題で笑顔を見せる涼翔が、彼女本来の姿なのかもしれない。


『涼翔様。今の状況は録画されています。後で天ヶ瀬司令に見られても知りませんよ?』

「あっ……。ち、違います天ヶ瀬司令! これは冗談といいますか! あ、あの、えっと……」


 ZXの忠告に、涼翔はしどろもどろになりながら弁解する。その様子をちらりと見て、伊月は笑みを浮かべた。やはり、これが本来の涼翔なのだと。


「涼翔。どう考えても天ヶ瀬司令は変人だ。訂正することはない。そろそろ俺も言ってやりたかったんだ。可笑しな言動は何だ。高笑いを止めろ。年齢は幾つだ。いつもタイミングよく現れる理由を教えろ」

「ちょ、ちょっと伊月! それは言い過ぎよ!」

『マスター。さすがにその発言は不味いかもしれません。特に高笑いに関しては極秘事項になっていますので。決して本人に直接聞かないようにしてください』

「そ、そこを止めるのね……」


 呆れた様子の涼翔に、伊月はぶつぶつと文句を続ける。

 ZXは何も言わず、それを黙って聞いていた。


 やがて稲光が動きを止めた。

 廃墟の街と片付けられた荒野の境界線。その中に、一つの学校が建っていた。破壊は免れているものの、風化が進み、壁には罅が入っている。屋上には、吹き飛ばされて乗ったのだろう、電車の一両が夕日に照らされて静かに佇んでいた。


「ここよ。私が来たかった場所は」


 そう言い、涼翔は稲光から降り、ボロボロの学校へ足を踏み入れた。


「ZX。大丈夫か?」

『問題ないと思われます。マグニチュード六・二までの地震なら耐えられるかと』

「わかった。いつでも出せるようにしておいてくれ。なにかあったら連絡を」

『了解。マスター、楽しんできてください』

「……ああ」


 2人はゆっくりと廃校へ歩を進める。入口の扉はかつての光沢を失い、錆びた金具が茶色く濁る。踏み込むたび軋む床板が足音を吸収せず、軽く震えるように鳴った。


 廊下に入ると、壁は色褪せ、かつて掲示されていた掲示物の跡が茶色い染みとして残っている。窓ガラスの多くは割れ、外からの風が吹き込むたび、カーテンだった布片が微かに揺れ、乾いた埃が舞い上がった。


 三階に到着すると、廊下の突き当たりにある教室の前で足を止める。扉の窓ガラスはほとんどが割れ、ひびが蜘蛛の巣のように広がっている。ガラスの破片がところどころ床に散らばり、太陽の光を受けてかすかに輝いた。


 涼翔は慎重に破片を踏まないように足を運び、扉を押し開ける。きしむ音と共に扉が開き、教室内の光景が目に入った。


 机や椅子はかつての形を留めつつも、いくつかはひっくり返り、脚の一部が折れているものもある。窓枠は歪み、外から差し込む夕日の光が割れたガラスを通して斑に入り込む。


「ここが、私のクラスだった場所。そして、ここが私の席だった」


 涼翔はゆっくりと教室内を見渡し、かつて自分が座っていた机の列に目を止めた。埃をかぶった机に手を置き、誇りを拭う。


「卒業式だったの。それなのに、襲われたの……」


 黒板には、生徒たちが描いたであろう絵や文字が色あせながらも残っていた。


『卒業!』


 中央に大きく書かれ、ピンク色のチョークで囲まれている。

 涼翔はそれを、懐かしむようにじっと見つめた。


『元気でな!』

『高校に行っても仲良くしようね!』

『ずーっと友達だからね!』

『我らの友情、永遠に不滅』


 廃れた教室には似つかわしくない、明るく無邪気な文字たち。

 彼らはいま、生きているのだろうか。

 元気に高校へ通い、友達と仲良く過ごせているのだろうか。


「彼らと連絡は?」


 涼翔は黒板に触れ、手で文字をなぞりながら首を横に振った。


「みんな、死んじゃった。卒業式が終わって、打ち上げに行こうってなって。それで……」


 窓の外には広がる荒野。砂塵が微かに舞い、赤く染まる夕陽に照らされている。遠くの海は光を反射して揺れているのに、どこか冷たく、静まり返った印象だ。


 遠くに見えるはずなのに、その距離はエネミーからすれば目前と言える距離。

 ジェネシスは、間に合わなかったのだ。守れなかった。


「涼翔はどうして無事だったんだ?」

「卒業式が終わったら姉と会う約束をしていたから。卒業式が終わって、この黒板にみんなで絵や文字を描き込んで、また会う約束をして。それでお別れしたの」


 それが幸運だったのだ。

 そうしていなければ、涼翔もあの日死んでいたに違いない。


「そうか……」


 涼翔が黒板に書かれた三年前の日付を指でなぞる。

 あの頃、まだ優翔は生きていて、迅雷は現役だった。


「隊を代表して謝罪させてもらう。守ってやることができなくて、すまなかった」


 最敬礼をする伊月。


 伊月ははっきりと覚えていた、三年前のあの日のことを。

 優翔が休みを欲しいと五十嵐に申し出たが、パイロットのくせに甘ったれるなと叱られ、そこに天ヶ瀬が現れて優翔に外出許可を与えた。

 前日からはしゃいでいた優翔に理由を尋ねても教えてもらえず、当日、優翔が地上に出たその間、伊月は自室でZXと雑談をして時間を潰していた。


 そのとき、クラスCのエネミー「虎」が出現したのだ。

 タイミングは最悪だった。迅雷はオーバーホール中。分解されてバラバラの状態。復旧するのにも数日かかる状態だった。だからこそ天ヶ瀬は優翔に外出許可を出していたのだ。


 それでも伊月は出撃する気でいた。

 ZXと自分なら量産機でも十分な戦力になると考えていた。


 しかし、それは許されなかった。

 万が一、伊月が第二世代で戦死したとなれば迅雷のパイロットがいなくなる。

 そうなれば、日本の戦力は大幅に低下する。


 結果、伊月は待機。

 主力の第二世代で「虎」を迎撃し撃破したものの、静岡は攻められた。

 その攻められた場所。それが涼翔の母校であるここだったのだ。


「あのとき俺が……。なんて、言い訳を聞いてくれる相手もない」


 黒板を指でなぞりながら、一つ一つの文字を目で追う。

 その中に、見慣れた名前があった。


『みんな元気でいようね。高校に行ってもよろしく! 千条涼翔』


 涼翔は他の書き込みも見回している。

 夕日に照らされる彼女の姿は、切なく、儚い。


「東京基地で慣れたつもりだったが、やはり遣り切れない」


 全力を尽くしても、どうにもならないことがある。

 伊月も所詮は隊の一員にすぎない。上の命令には従わねばならない。天ヶ瀬が司令になってから隊は大きく成長したと聞くが、それでも所詮は隊。国の命令なくしては動くことも許されない。


「伊月は悪くない。誰も悪くない。でも、やっぱり……」


 涼翔は弱々しく、黒板に手を置きながら呟いた。


「ごめんなさい。私だけ、生き残っちゃって……。もし私も死んでいれば、そっちでここに書かれていたこと、全部できたのかな」

「涼翔!」

「大丈夫。私は生きてる。だから、私だけ生きて、ごめんなさい……」


 そう言って、涼翔は黒板に向かって深く頭を下げた。


「もう、こんなことにはならないように、覚えておこう。一緒にな」

「そうね。そうしてくれると、私も少し楽になるかもしれないわ」


 二人は黙祷を捧げ、謝罪の言葉を心の中で繰り返す。

 夕暮れに沈む教室の中で。


 一つの電子音が静寂を破った。

 鳴ったのは、伊月が持参していたスマホだった。


 差出人は『千条優翔』。内容は『ごめんなさい』。


 いつもの怪奇現象とも言えるそのメールに、伊月は視線を黒板に向け、黙祷を続ける涼翔を見守った。両手で赤い携帯電話を大切そうに抱えている。

 それは、優翔が使っていたものだ。


 隊支給のものとは別に、伊月と優翔は小学生の頃、色違いでプライベート用の携帯を買っていた。メールと通話しかできない簡単なもの。涼翔が赤、伊月が青。


 今、涼翔がそれを大事そうに握っている。


「ごめんなさい……」


 頬を伝う涙。まだ弱く、未熟な彼女。

 大人でも耐えきれない現実に、必死に向き合おうとしている。


 伊月は手を伸ばす。だが、その手は途中で止まった。

 表情は歪み、額には汗が滲む。


 伊月もまた、克服していない。

 優翔と涼翔の違いを。だからこそ、彼女を慰めてあげることはできない。


 せめて、今できること。

 黒板へ向かい、黙祷を捧げること。それが伊月の、精一杯だった。


「……そろそろ行くか」


 涼翔が落ち着いたのを確認して、伊月は口を開く。


「待って。私が伊月をここに連れてきたのは、ただ場所を見せたかったからじゃなくて……」


 珍しく歯切れの悪い涼翔。

 天ヶ瀬や五十嵐にはよく見せる態度だが、伊月や八雲にだけ見せることは今までなかった。頬を微かに朱に染め、息を少し詰めながらこちらの反応を慎重に窺う。


「なんだ? 隠し事はなしだ。正直に言ってくれ」


「……わかった。じゃあ、その、伊月はネオリンクを使うつもりなのよね?」

「ネオリンク、か。危険は伴うが、どうしても倒せないエネミーが現れたら、俺は使いたいと思っている」

「私、同じ意見よ。もしクラスSSが現れて、どうしても勝てない相手になら使いたい」


 2人の視線が自然と重なり合う。

 八雲は、ネオリンクに失敗した者は軽い頭痛で済んだと話していたが、伊月の場合は最悪、命を落とす可能性が高い。その覚悟を、互いに静かに確認し合う。


「問題ない。俺の覚悟はできてる。それより、俺が心配なのは」


 伊月の無愛想な視線が、涼翔の爪先からつむじまでをじっくりとなぞる。思わず見とれてしまう整った肢体と顔立ち。凜々しさを備えながらも、その輪郭はまだ幼さを残しており、線の細い身体つきはどこか頼りなく映った。


「な、なによ急に人の体をじろじろ見て!」

「い、いや、すまない。そういうつもりじゃない」

「じゃあどういうつもりよ!」

「涼翔が、俺の記憶を見てパニックにならないかと不安でな。俺はだいぶ人と違う生き方をしてきた。……だから、涼翔にはまだ早いのではと思ったんだ」

「それって外見で判断できるものなの?」

「できない、な。軽率だった」


「わかればいいのよ。それより……。ネ、ネオリンクを成功させるために……私の過去を知っておいてもらった方がいいと思って。どこで生まれて、どこで育って、どうやって生きてきたか。そうした方が、伊月に負担はかからないでしょ?」


 心配そうな上目遣いを寄せる涼翔。

 伊月はその視線を数秒受け止め、硬い笑みを浮かべた。


「そうだな。お互いの過去を知っておけば、成功する確率は上がるだろう。なら、互いの過去を話そう」


 近くの机に積もった埃を腕で払って座るように促す。

 伊月は今にも崩れそうな窓辺に腰を下ろした。意外にもまだ頑丈らしく、体重をかけても軋む気配はない。


「あ、あのね。私は――」


 涼翔は話した。自分の産まれや、どのような両親に育てられたかを。学校ではどのように過ごし、仲が良かった友達とどのようにして遊んでいたか。話しを聞けば聞くほど、普通の女の子として育てられていた。


 特別に変わっていたことと言えば双子の妹であり、姉はジェネシスのパイロットだったということ。そのことを教えられたのは中学に入学してからだったという。それまで優翔は病気を患っており、東京の病院で過ごしていると教えられていたそうだ。


 小学中学年にもなると薄々気付いていたのだが、それらしい質問をすると優翔が悲しげに笑って誤魔化していたので、深くは聞かなかった。

 伊月は優翔と同じ病気で入院している友達として聞かされていたらしい。元気でやんちゃな手間の掛かる友達だったと、優翔は言っていたそうだ。


「否定はできないな。こうなる前の俺は、もっとうるさくて熱血系だった」

「何事にも真っ直ぐで、これと決めたら一直線な人だって言ってたわ。バカだけど、人の気持ちを考えられる優しい人だって」

「そうか。なら、最初に会った時は驚いただろう」


 涼翔との初対面は稲光のコックピット。あの時は余裕がなく強く当たっていた。


「いえ。人の気持ちを考えられる優しい人って思ったわよ。でも、変な人だなって」

「あれが優しい?」

「初めて伊月を見たの、ゲームセンターだったから。椎名さんと喧嘩してた時」

「ああ。あれを見ていたのか」


 ゲームをしていたら乱入され、対人はやりたくないからと何も言わずに逃げたのだ。それが見つかり文句を言われ、胸ぐらを掴まれそうになったから投げ飛ばした。


「あれも優しいところなんてなかったと思うが」

「私も地下シェルターで震えてたから。貴方が椎名さんを投げ飛ばして、すかっとしちゃったわ。シェルターに避難している人を侮辱するなんて、私も許せないもの」


 そんなこともあったか、と伊月は思い出す。

 パイロット時代には分からなかった、エネミーが地を揺らす恐怖。シェルターに入ることでそれが理解できた。だからあの時はついカッとなって投げてしまったのだ。


「恥ずかしいところを見られていたな」

「そんなことない。その、少し、かっこよかったわよ。あの時の伊月」


 涼翔は言うと、ほんのりと頬を染め、上目遣いにこちらを見上げてきた。

 伊月は言葉を失い、わずかな沈黙が落ちる。


「あっ、い、いや。そ、そうか。いや。その。そ、そうか」


 視線を逸らすように窓の外を見やり、無愛想な顔を取り繕う。

 だがその頬が微かに赤いことを、涼翔は気付いていた。


「あまり脳に刺激を与えるような発言はしいないでくれ。下手したら死ぬ。俺の場合は、冗談でなく」

「しょ、しょうがないでしょ! どうせネオリンクを使うことになったら知られることなんだし! 正直に話しておいた方がいいじゃない!」

「それは、そうなのだろうが……。それでも、な」


 横目でちらりと涼翔の様子を窺う伊月。

 涼翔も恥ずかしげに目を伏せ、ちらちらとこちらの様子を窺っていた。


「らしくないじゃない。取り乱すなんて」

「よ、余程のことがないとこんなことにはならないんだが。少し時間をくれ」


 そう言って立ち上がり、伊月は窓の外に体を向けた。

 竜胆色に染まる空。思わず手を伸ばしそうになるほど鮮やかな色合いに、伊月は気持ちを落ち着ける。


 隣に涼翔が立った。

 同じように、同じ空を見上げる。寂れた教室で夕日に照らされる2人。


「私ね。まだ伊月に内緒にしていることがあるの。だから、まだネオリンクはできないと思う」

「そうか」

「でも、いつかきっと話すから。ちゃんと、貴方の目をみて話すから。その時は、聞いてくれる?」

「ああ。気長に待つ」


 淡泊な短い返事。

 だが、それが今の伊月らしい。

 どれぐらいの時間、肩を並べて立っていただろうか。気付けば夕日が海に沈んでいっていた。

 

 伊月は軽く息を吐いてから振り返ろうとした。


「誰じゃ! こんなところでなにをしておる!」


 廊下から怒声。即座に銃を抜き、振り返る伊月。

 そこに立っていたのは、白い髭を生やした老人。垂れ目がちな目で鋭くこちらを睨み付け、手には古びたモップを握っている。


「動くな。動いたら容赦なく」


 腰元に携えていた拳銃を引き抜き老人に向けて構える伊月。


「せ、先生、ですか?」


 驚きの声を上げたのは涼翔だった。信じられないものを見ているかのように目を見開いている。


「お、お前さんは……ち、千条か? 千条涼翔、なのか?」


 老人の手からモップがガタンと落ちた。

 同時に扉の影から覗いたのは、同じ年頃の老婆。伊月と目が合うなり慌てて退いたが、すぐに老人の元へ駆け寄る。


「ここは立ち入り禁止区域だ。なぜここにいる。説明がなければ容赦はしないぞ」

「止めて伊月! この人は私の担任の、藤崎先生よ!」


 その言葉に、老人と老婆は小刻みに震えながらこちらへ近づいてきた。

 足腰が弱っているわけではない。驚きと信じられぬ思いで、足がもつれているのだ。


 やがて、老人の頬を大粒の涙が伝い落ちた。


「ち、千条。生きておったか。よかった。よかった……」

「先生……。先生!」


 引き金にかけた指を止める。彼女の頬を伝う涙が、すべてを物語っていた。


「よかった。お前さんだけでも……生きていてくれて。本当によかった……」

「先生も、よくご無事で……」


 涼翔は自分より小さな老人の手をとった。その表情は、ようやく肩の荷を下ろしたかのように安堵に満ちている。

 伊月はその様子を見て、銃を静かに仕舞った。

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