第17話 日課の祈り
小型トラック、通称パジェロが幌を外し、東京基地の道路を走っている。
司令塔から南に位置する居住区に入り、左側には高層マンション、右側には似たような一軒家がずらりと並ぶ。所々に植えられた木々の間から、地上と変わらない風景が広がっていた。
運転しているのは伊月。助手席には涼翔が座っている。
パイロットスーツを脱いだ涼翔は、黒い制服をきっちりと着こなし、髪はツーサイドアップにまとめられていた。膝丈ほどのスカートからは、黒のストッキングに包まれたしなやかな足が伸びている。
「八雲、残念だったわね」
「東京基地の整備士たちは三度の飯よりジェネシスだ。しょうがない」
八雲の姿はもうなかった。トラックに乗り込み発進する寸前、彼女は。
『すいません! 迅雷のプログラム書き換えが終わったので行きます!』
そう言うと駆け出していった。
その瞳があまりにも輝いていたので、2人は止められなかったのだ。
「そういうものなの?」
「ああ。ジェネシスをいじっているときの彼らには近付くな。スパナを投げつけられるぞ」
「き、気をつけておくわ」
「パイプレンチで首をねじ切られることもある」
「絶対に話しかけないことにする……」
パイロットなら誰でも一度は経験することだ。
愛機について質問しただけで、ジェネシスをいじっている者は手に持っている工具を投げつけてくる。パイロットだとうが容赦はないのが彼らだ。
「それより……」と、涼翔が話題を変えた。
「姉から聞いていた貴方の印象と、稲光に乗っていたときの姿。今の貴方が同一人物とは思えないのだけど」
「……そうだな。涼翔には話しておいた方がいいだろう」
伊月は今までのことを話した。
優翔が死んだこと、1人でZXとシンクロしたこと。そのせいで体がボロボロになっていること。脳に負担をかけないよう、感情をなるべく抱かないようにしていることを。
「そう。だからなのね、印象が違うのは」
「正直、どれが本当の自分だったのか分からなくなってきている。昔の自分が本物なのか、今の自分が本物なのか」
三年間、伊月は自分を殺して生きてきた。
地上の高校では無愛想だと不気味がられ、バカにされても決して怒らず。意味不明な教育に文句を言わず従い、理不尽な現状から目を逸らし続けた。
気づけば、自分がどういう人間だったのかすら忘れていた。昔のように振る舞えと言われても、違和感だらけで実行できない。無愛想な仮面は、いつの間にか外せなくなっていた。
「稲光に乗った時は、周りの熱に当てられて我を見失った状態だった。今思えばかなり危険なことをしていた」
「そう……。大変なのね」
「言われるほどじゃない、心配は不要だ。それより、その……。すまないな。正直、接しづらいだろう?」
今の自分を意図的に作り上げただけに、伊月は自分を客観的に見られる。
そのときいつも思うのは、なんともつまらない、接しづらい人間だということだ。
小さい頃から鍛えたせいでがたいが良く、目にかかるほどの黒髪から覗く目つきは鋭く野性的。そのうえ、常に無愛想な面構えで、口調は簡素。自分だったら絶対に友達にはならない、といつも思ってしまう。
「ふふっ」
鈴の音のような、透き通った笑い声が隣から漏れた。
ジロリと横目を向けると、桜色の唇を手で隠し、笑いを堪えようとする涼翔の姿があった。
「なにがおかしい?」
「いえ。姉から聞いていた貴方とは別人みたいだけど、面白い人だと思って」
まだ笑みの残る顔がこちらを見上げる。
伊月は、やはり無愛想なままそれを見るしかなかった。
「ふふっ。やっぱり可笑しな人ね」
「意味が分からん」
トラックは住宅街を抜け、東京基地の南東の壁に到着した。
壁に作られた一つの扉の横に、守衛が立っている。
「通してもらえるか?」
「おぉ? おぉ! あんた伊月か! なんでこんなところにいるんだ! 今は地上の高校に通ってるって……っと。死んだってことになってるはずだろ? いいのかよここに来て」
三年前から守衛は変わっていなかった。
三十代半ばの男性は興奮した様子で捲し立て、次に隣に立つ涼翔に視線を移した。
「な、なんで優翔ちゃんが! お、おい伊月! おれは夢でも」
「彼女は俺の新しいパートナー。千条涼翔だ。優翔の双子の妹。優翔ではない」
涼翔は深々と頭を下げた。それを見て、守衛はようやく納得したように頷く。
「あ、ああ。そうか。そうだよな。すまねえな、嬢ちゃん。それで、いつものか?」
「ああ。この基地にいて、これをやらないと落ち着かなくてな」
「そうか。……変わったな、伊月」
「お互い様だ」
記憶にある彼よりも随分と老け顔になった守衛に、思わず笑いが漏れた。
本来なら守衛が同行しなければならない場所だが、伊月なら問題ないとして鍵が開 けられ、2人は扉をくぐる。肩を並べ、下へ続く階段を降りる際、後ろから鼻をすする音が聞こえてきたが、振り返らなかった。
「愛されているのね」
「顔見知りなだけだ」
「そうかしら?」
「俺は女が好きだからな。男に愛される趣味はない」
「そういう意味で言ったわけじゃないんだけど」
「知っている」
軽口を叩きながら、二人は足を進めた。
白いタイルに囲まれた階段を進む。
しばらくすると、一つの扉が見えた。伊月は迷わずそれを開く。
目に飛び込んできたのは、一面に広がる芝生だった。東京基地ほどではないが、十分に広く、地下にあるとは思えない景色だ。壁や天井にはプロジェクションマップで自然の景色が映し出され、まるで地下ではなく野原に立っているかのような錯覚を覚える。
美しい野原のあちこちには、黒い石が幾つも置かれていた。伊月は足を踏み出し、見覚えのある女性に目を留める。
無表情で銀色の髪を揺らすその女性は、天ヶ瀬の付き人、レクスだ。他の者とは異なる白い制服に身を包み、上をぼんやりと見上げている。
「一人で何をしている」
おっとりとした目が伊月を見据える。
そこには、やはり殺意が宿っていた。
数秒間見合った後、レクスは何も言わず歩き出す。
「待て。お前は何者だ。なぜ俺に殺意を向ける」
「わたし。おまえ。嫌い。おまえも。私のこと。嫌い。だから。関わらない。それが。お互いのため」
冷たく切り刻むような声音。
瞳に宿る怒りが言葉の一つ一つに乗り、刺すように胸を打つ。
「どういう意味だ。俺はお前のことを知らない。どこかで会ったのか?」
「会ってない。でも。嫌い。もう。話しかけないで」
そう言い、レクスの視線は涼翔へ向けられた。
急に見つめられて戸惑う涼翔に、レクスは小さく頭を下げる。
「ごめんなさい」
2人には届かぬ声でそう言うと、レクスはそのまま階段を上がっていった。
「あいつはなんなんだ」
「分からないわ。天ヶ瀬司令に聞いても教えてくれないから」
レクスのことを天ヶ瀬に尋ねても、適当に言葉を濁されて逃げられてしまう。一応は『付き人』ということになっているが、どう見てもそうは見えない。
いつも天ヶ瀬の後ろを歩き、話しかけても返事をしない。外見からして日本人ではないことは分かるが、先ほどの日本語は短く刻まれていたものの、正確で理解しやすかった。
珍しく一人でいるところを見かけたので話を聞こうとしたが、結局逃げられてしまった。視線からは明らかに嫌われていることが分かる。しかし、伊月には恨まれる覚えがなく、だからこそ余計に気になる相手であった。
「三年前はいなかったんだが」
「新しく雇ったんじゃない?」
「それならそれでいいのだが……。まあ、後で司令に聞いてみるか」
いちいち殺意を向けられるのは勘弁してほしいと思いながら少し歩き、黒い石の前に立つ。
「これは」
「死んでいった者たちの墓だ」
石には、エネミーによる被害で命を落とした者たちの名前が刻まれていた。
ここは、東京基地の墓場である。
「長く留守にしていたな」
伊月は綺麗に磨かれた墓石を指でなぞる。手のひらに伝わる冷たさと、懐かしい思い出が入り混じり、胸の奥にぎゅっとした痛みが走る。目を伏せ、俯いたまま、静かに言葉を紡ぐ。
「今まで逃げていてすまなかった。もう俺は逃げない。だから見守っていてくれ。お前たちの分まで、俺が戦う」
三年間、戦場から身を退いていた。その理由は複雑だ。だが、確かなことは、闘いから逃げていた自分への後ろめたさが確かにあったことだ。
「私も一緒に戦うわ。だから、お願いします」
柔らかい手がそっと触れる。訓練で厚くなった優翔の手とは違う、しなやかで温かい感触に、伊月は。
「……すまない」
「あ、い、いえ。こちらこそ。急にごめんなさい」
手が離れると、伊月はゆっくり目を開け、涼翔の蒼い瞳を見つめる。そこには怒りも緊張もなく、ただ真っ直ぐに自分を見つめる優しさがあった。
「えっと、その……姉と、いつもここで何をしていたの?」
「色々していた。勝手に花壇を作ったり、昼食を食べたり、秘密基地を作ったり。五十嵐さんから逃げる時は大抵ここだった」
涼翔は小首をかしげ、少し笑みを浮かべる。
「ここ、お墓よね?」
「子供の目にはただの過ごしやすい場所に見える」
「……確かに、過ごしやすそうだわ」
風はなくても、地下とは思えないほど適温に保たれ、緑が生い茂るこの場所。子供の目には、墓だと気付かずに遊べる居心地の良さがあった。
「それに、墓と言っても骨が埋まっているわけじゃない。霊が出ることもないだろう」
「そうなの?」
「ああ。ここに名前がある者の多くはジェネシスのパイロットだ。爆死がほとんどで骨すら残らないことが多い」
コックピットという閉ざされた空間での爆発。それがパイロットの死に様だ。生き残ることはほとんどなく、残されるモノは名前だけ。だからこそ、ここに名前を刻む意味があるの。
「悲しいわね」
「それがパイロットだ。五十嵐さんの言葉を借りれば、ジェネシスは俺たちの棺桶。エネミーに殺されることが葬儀で、俺たちは死にに行く。殺されるのが当然だ」
「厳しいのね……。正直、私はそんな覚悟は決めていないわ」
涼翔は横目で墓石を見つめたまま、声には出さずに考えを巡らせている。
「死ぬ気はない。私は守らなきゃいけないの。だから、死ねない」
「それでいい。さっきのは五十嵐さんの言葉だ。俺と優翔だって、そんな風には思っていなかった」
誰だって、死にたいわけではない。だが、パイロットとして戦う以上は、その覚悟を胸に、臆することなく全力を尽くす。そういう意気込みで戦えということだ。
「それで、ここに来た目的は?」
「俺と優翔の日課だ。朝食を取ったらここへ来て、死んでいった者たちを思い、今日も頑張るから見守っていて欲しいと願いをかける。いわば願掛けだな」
「そう。……気持ちが入りそうね」
「自分をしっかりさせるための心構えになる。その後はあそこのベンチに座って、五十嵐さんが怒りながら来るのを喋りながら待っていた」
「全然頑張ってないじゃない……」
「若気の至りだ」
「今の伊月が言うと説得力あるわね」
仏頂面で大きな図体。目つきは鋭いが、悪いことはしなさそうな雰囲気が漂う。その伊月が言うのだから、若気の至りだったのだろう。
涼翔は入り口付近の木製ベンチに腰を下ろした。
伊月は座らず、涼翔を見下ろす形で向かい合う。
「姉の名前はここには?」
「天ヶ瀬司令と五十嵐さんがここではない場所に建てたそうだ。ここにはない。涼翔なら知っているだろ?」
「そう、よね。うん。伊月は、姉のお墓には?」
「一度も行っていない。俺は……。涼翔、優翔のことだが」
首を傾げる涼翔に、伊月はしっかりと向き直った。
「守ってやれずに、本当にすまな」
「止めて!」
涼翔の声が墓地に響く。
「姉のことに関して、貴方に謝れる筋合いはない! そんなこと、お姉ちゃんだって望んでないわよ! だって、お姉ちゃんは……」
凜々しい顔が悲痛に歪む。
彼女の言葉の意味が、伊月には分からなかった。確かに優翔は謝罪など望んでいないかもしれない。だが、優翔の親族である涼翔には謝るのが筋だ。伊月と優翔は同じジェネシスに乗っていたのだから。
「ごめんなさい。急に怒鳴ったりして。先に出てるわね」
そう言うと、涼翔は足早にその場を去った。
頬に流れる涙には、どんな意味があったのだろうか。
呆然と去って行った彼女を思っていると。
「なんか物音がすると思ったら……。てめえ、こんなところでなにやってんだよ」
少し離れた墓石の陰から姿を現したのは、タンクトップに迷彩柄のズボンを履いた椎名だった。肩にはタオルをかけ、額には汗が滲んでいる。
「椎名、さん。貴方がなぜここにいるのですか?」
「き、気色悪いからその口調止めろ! いつものでいい!」
「わかった椎名。それで、なぜここに?」
「お前に突っかかった罰だってここの墓石拭きやらされてたんだよ。ったく、五十嵐さんも人使いが荒いぜ。全部をオレ一人にやらせるなんてよ」
墓石は数百は優にある。
1人でやれば1日かけても終わらないだろう。真面目にやれば、の話だが。
「昨日からやっているのか?」
「ったりめえだろ。終わらせねえと訓練に戻れねえんだよ。あってめえ触りやがったな! やり直さなきゃいけねえじゃねえか!」
掃除道具を手に、濡らしたスポンジで墓石を拭き始める。触った箇所は僅かだというのに、わざわざ一からやり直していた。
「細かいんだな」
「あぁん! 仲間が眠ってる場所なんだ! ったりめえだろうが!」
怒鳴りながらも、その手つきは優しい。随分と慣れている様子が見て取れる。
「掃除道具はどこにある?」
「んなもん上の守衛に言えば貸してくれるに決まってんだろ! 普段はあいつらの仕事なんだからよ」
「そうか。なら、俺も手伝おう」
「あぁん!」
椎名が顔を上げた頃には、伊月はすでに階段に足をかけていた。
「待ちやがれ!」
スポンジを握り潰し怒りを表していた椎名の顔が、目が合うと途端に罰の悪そうなものに変わった。スポンジを持った手で頭を掻きながら。
「五十嵐さんに聞いた。本当に迅雷のパイロットだったみてえだな。蟷螂との戦闘も見たぜ」
「それがどうした?」
「だ、だから! てめえを認めたわけじゃねえし、信用したわけでもねえけど! こないだのことは謝る! 悪かったな!」
柄の悪い目つきでこちらを睨み、指を差す椎名。
謝罪しているようには見えないが。
「そうか。そうだな。椎名、絶対に俺を認めなくていい。信用してくれなくても構わない。だが、敵は共通している。だから互いに全力を尽くそう。ここに眠っている者たちのために……。で、いいか?」
そう言って伊月は階段を上がっていった。
背中が完全に見えなくなると、椎名は地団駄を踏む。
「なんなんだあいつ! 気にくわねえ気にくわねえ! 気にくわねえ野郎だ!」
ズカズカと野原を歩き、墓石を洗い始める。
疲労しているはずなのに、その声はどこか生き生きとしていた。




