第13話 過去
クラスAエネミー、蟷螂の襲来から数日。
教室に残った生徒はたった9名になっていた。
机の列にはぽっかりと空席が目立つ。かつての賑やかな声はなく、教員の数すら減っていた。多くは内陸への転勤を願い出し、あるいは逃げるように去っていった。もはや学級崩壊と呼ぶのも生ぬるい有様だ。
街そのものは破壊されてはいない。
進行を許したわけでもない。
それでも人々の心は折れた。
『不死身の侍』と呼ばれる五十嵐の部隊が2分と持たずに壊滅する映像。あの映像は、隣街が滅んでも故郷を守り抜こうとした住民たちの意志を消し去るには十分だった。。
「……今日はここまで。街で遊んでから帰るように」
誰かの号令が響く。しかし、あの可愛らしい声はもうない。
八雲の姿も、この教室にはなかった。
力なく立ち上がる生徒たちが次々と教室を去る。
伊月は鞄を手に取り、無言で屋上へと向かった。
「諏訪部」
屋上に寝転がっていた諏訪部に声をかける。
彼は腕を枕にして、雲ひとつない青空をじっと眺めていた。
「……話、聞いたぜ。迅雷のパイロットだったらしいな」
「黙っていてすまなかった」
「謝る必要はねえだろ? オレはただの一般市民だ。教える理由なんてもともとねえんだからよ」
ゆっくりと体を起こし、諏訪部は伊月と向かい合った。
いつもの飄々とした笑みは消えている。
鋭く、真っ直ぐな目が伊月を射抜いていた。
「伊月。お前は変わっちまったのか? それとも、オレが見てた“伊月未来”って人間が最初から間違いだったのか?」
諏訪部は東京基地での伊月を思い出していた。
学校で見せる無口で冷めた態度とは違う。
整備士に怒鳴り散らし、五十嵐に食ってかかる姿。怒りを隠そうともしない顔。
あの場所にいたのは、確かに諏訪部の知っている伊月だった。だが、同時にまるで別人のようでもあった。
そして何より。
日本を救った迅雷の元パイロット。
クラスAエネミーを討ち果たした、新たな稲光の操縦者。
その現実が、諏訪部の胸に重くのしかかっていた。
「本当の俺は、あっちの姿なのかもしれない。だが」
「じゃあお前はオレを騙してたのかよ! そんな仮面被ったみてえな面で、ずっと本性隠してオレと接してたのかよ!」
「違う。これには訳が」
「訳? 伝説のパイロットがこんなしけた所で生活してる訳? そんなの一般市民のオレに聞かせていいのかよ?」
「ああ。お前には知って欲しい。だから」
「なんでだ! なんでこんな所にいやがる! あんなにジェネシス動かせるなら今すぐ東京基地に行ってジェネシスで闘えよ! エネミーを倒せよ!」
諏訪部は伊月の胸ぐらを乱暴に掴み上げた。
喉が軋み、布が握り潰される音がした。
血走った眼が至近距離から突き刺さり、瞳孔は狂気じみて開いている。
いつも人懐っこい笑みを浮かべ、軽口を叩いていた青年の面影はそこになかった。
「……俺は、お前に全部話すつもりだ。だから」
「今更お前の話しを聞かされてオレにどうしろってんだ! 素晴らしい武勇伝に拍手しろってのか!」
「落ち着け。俺はなんでここにいるかを」
「オレが落ち着いてねえっていうのかよ! 伝説のパイロットさんはよお!」
諏訪部の腕に力がこもり、次の瞬間、伊月の体は壁へと突き飛ばされた。
鈍い衝撃音が屋上に響く。
その目に宿るのは尊敬でも友情でもなく、煮えたぎるような憎悪。
この状況で何を言葉にしても、もう届かない。
伊月はそれを悟った。
「お前なんてさっさとパイロットになっちまえ! 地球を守れよ! 特別な力があるんだからよ!」
澄み渡った青空に、諏訪部の怒鳴り声が響く。その背中は大きく揺れ、肩は震えていた。取り乱し、そして、どこか寂しげだった。
――どうすればいいんだ。
伊月には答えが見つからなかった。
東京基地で育ち、幼い頃から訓練と戦闘シミュレーションばかり。笑い合える同い年の友人など、これまで一人もいなかった。諏訪部はようやくできた、ただ一人の友。だからこそ、どう接すればいいのか分からない。
「さっさといっちまえよ……」
背を向けたままの諏訪部の呟き。
伊月は返す言葉を持たない。
「……すまない」
絞り出すように言葉を残し、歩き出す。
もう二度と、彼とは会えないのかもしれない。
初めて出来た友達。
つまらない自分と一緒にいてくれて、笑って、騒いでくれた友達。
別れたいはずがなかった。
だが、どうすれば繋ぎ止められるのかも分からない。
握った拳に爪が食い込み、顔は苦痛に歪む。
それでも歩みは止まらなかった。
「おやおや? なにやら臭いと思ったら青春の匂いだったのかね? いやいやその年齢だ、年相応の経験と言えるよ。大いに臭わせたまえ、あっはっはっは!」
突如、屋上の扉が開かれ、陽光の中に現れたのは天ヶ瀬とレクスだった。
天ヶ瀬は小柄な身体をそらし、両手を大げさに広げながらいつもの甲高い笑い声を響かせる。風に揺れるサイドテールは、彼女の上機嫌を示しているかのように見えた。
「…………」
その後ろでレクスが伊月を射抜くように睨みつけていた。モニタールームで見た時の無表情とは違い、黄色い瞳にははっきりとした怒気が宿っている。
笑みを浮かべる天ヶ瀬と、冷たい殺気を放つレクス――まるで氷と炎のような対照だった。
「司令とレクスが、どうしてここに」
「いやねえ。この間は不本意な形で別れただろう? だからこうして、私が直々に会いに来たのだよ」
天ヶ瀬は顎に指を当てて、芝居がかった動きを見せる。
「そしたら、こんなことになっていて。いやはや、長生きはしてみるものだねえ伊月君。そうは思わないかい? 思わないよねえ、こんな世の中じゃ! あっはっはっは!」
「……司令が来たということは」
伊月は一歩踏み出し、目を細めた。
「彼女に……会わせていただけるのでしょうか?」
彼女。千条優翔の姿をした、稲光のパイロット。
あの日、稲光を降りた直後のことを思い出す。
周囲の者に腕を掴まれ、基地を追い出されるように引きずられたこと。
言葉を交わそうと必死に抵抗したが、黒いスーツを着た屈強な男たちの壁はびくともしなかったこと。助けようとした整備士たちの手を、天ヶ瀬が片手の仕草で制したこと。
『彼は部外者でねえ。五十嵐少佐が契約書を書かせたと思っていたのだが、そうではなかったようだ。なので今すぐにここから出て行ってもらわなければならないのだよ、諸君。日本を守った英雄にこういう手荒い真似はしたくはないのだが、規則は規則。守らなければ上がうるさくてねえ、あっはっは!』
軽快な口調に隠しきれない威圧感。
天ヶ瀬の可笑しな喋り方に、初めて会った者は不審を覚える。だが、司令官としての手腕が一流だということは誰もが知っていること。
気性が荒いベテラン整備士たちは顔を見合わせ、結局は素直に退いた。
『すまないねえ、伊月君。そのうち迎えに行くから、申し訳ないがそれまで待っていたまえ』
そう言われ、伊月は力ずくで基地を追い出された。
それから三日。それが今日である。
「彼女は我が基地の人間。会いたいというのなら、キミには隊に入ってもらわないといけなくなる。当然、パイロットとしてねえ」
軽薄な言葉の端々から、しかし圧が滲み出ていた。
笑顔のまま、獲物を逃さぬようにじりじりと絡みつく視線。
伊月の胸に、嫌な汗がじわりと滲む。
「俺は、パイロットにはなれません。今更なったところで死ぬだけです」
「もちろんそれなりの対応をつけての話しだよ。第四世代に乗れるキミを、むざむざ殺させはしない。我々もそれほど無知ではないさ」
「ですが」
「関係ないようだし。オレはいくぜ」
諏訪部は屋上を後にする。
「待ちたまえ諏訪部君! キミはなぜ彼がパイロットになれない体になってしまったか、知っているのかね?」
意味深な言葉に、諏訪部の足が止まる。
「パイロットになれない体?」
「そうなのだよ諏訪部君。彼だって好きでこんなところにいるわけではないのだよ。よければ全てを知って欲しいのだが。伊月君はどうだね?」
「……もともと話すつもりでした。俺から話します」
食えない人だ、と伊月は思う。
あれだけ取り乱していた諏訪部を、ここまで簡単に落ち着かせ、話を聞かせる状態に持っていくとは。まるで全てを把握していたかのような言動だった。
厳しい面持ちでこちらを睨む諏訪部に、伊月は口を開いた。
「第四世代のジェネシスの仕組みは知っているな?」
「ああ。2人の頭を使ってジェネシスを動かすんだろ? それぐらいは知ってる」
「なら話は早い。3年前、クラスSSのエネミーと戦っている最中、俺のパートナー、優翔は死んだ。敵の攻撃で死んだんだ」
その言葉に、諏訪部の表情が引き攣る。
「……角が刺さったときか?」
「そうだ。即死だった。跡形もなく消え去った。だが、それでも俺は敵を殺さなければならなかった。そのために、第三世代のシステムを使ったんだ」
「それって、人間の脳がついていけなくて実装されなかったやつだろ?」
「そうだ。だが、俺はそれを使った。SSに勝つには、そうする他なかった。だが俺は第三世代のシステムを使い、あいつを殺したんだ」
拳を作り、それを見つめる。
嘆息を挟み、手の平を開いて空を見上げる。
いつまでも変わらぬ青空が、そこには広がっていた。
「人間が扱えるはずもない第三世代のシステムを使った俺の体はボロボロになった。主に脳がだ。医者にはいつ死んでもおかしくないと言われている。これ以上、脳に負担をかければ死ぬと」
それが、1人でSSを倒した代償だった。
2人で処理していた膨大な情報量が、すべて一つの脳に流れ込み、脳を破壊したのだ。医師は、リンク経験が多かったため即死は免れたと説明したが、本当かどうかは分からない。即死を免れたとしても、回復しない致命傷であることに変わりはない。
「だから俺はなるべく脳に負担をかけないよう自分を封印した。怒らず、騒がず、刺激の強い感情は殺した。常に冷静でいることで、脳にストレスを与えないようにしたんだ」
「それが、学校にいるときの伊月、なのか?」
問いに、伊月は小さく頷いた。
「隊を追い出されたのもそれが原因だ。優翔がいなければ第四世代には乗れないし、いつ死んでもおかしくない。そんな者を乗せるジェネシスは日本にはない。だから俺はここにいる。他に行くあてもない」
「まさか、公園の吐血は?」
「感情を表に出しすぎたんだ。迎えが来たと思ったんだが、そうでもなかったようだな」
自虐的に笑う伊月。
だが、顔を上げて諏訪部を見た時には、いつもの無愛想な表情に戻っていた。
「公園で肩を貸してくれて、ありがとう。本当に嬉しかった」
「それは……。でも、やっぱりオレは……」
走り出す諏訪部の先に、レクスが回り込んでいた。
静かな瞳が諏訪部を見据え、後ろから天ヶ瀬が現れると、諏訪部はすぐに身を退く。
「これは私からのプレゼントだ。我らはいつでも君たちを受け入れる」
「……ッ!」
諏訪部は紙を握りしめ、屋上を後にした。
その背中はすぐに視界から消えたが、それでも伊月は目をそらせなかった。




