第1章 ミハタノハツ(御機の初) 肆
迷走中。
原文が色々解釈できてしまう凄さ。
区切る場所や濁点·半濁点のつけ具合で意味が広がるんですよね······
このあと場面が変わるので短めです。
『キツノナトホムシサルアヤ(東西の名と穂虫去るアヤ) ④』
「カナサキ様は東西南北について色々な事柄に置き換えたり、例えたりしてワカ姫様に説明します。今度は植物になぞらえて語って聞かせています。ワカ姫様はとても真剣に、興味深そうに時に驚いたり、感心したりしながら聞いており······」
『木は春に若葉を芽吹かせ、夏は青葉を茂らせ、秋は丹色の紅葉となり、冬は落ち葉となり根に還る。これも同じキツサネなのだよ。
根は寝で北――冬という季節は葉が落ち根に還る。木が寝ているとも考えられるね。そして寝ている間、根を通して英氣を溜める。氣を溜めるで北だ。
春は芽吹く=兆すこと、だから“兆し”の東だね。また木の幹の東でもある。兆すとは日の出の瞬間と同じで、日頭だから東だね。
夏は日が強く高く、木々も勢い良く茂り、花も咲き、良く栄える――そう、“栄える”の南だね。そんな勢い良く栄える花や木々を“皆が見る”ので南とも言える。
秋は木々の葉が紅葉し、世界を美しく錦に染め尽くす。この“錦”が西であり、“染め尽くす”の西でもある。また秋は栄えたものが尽きていくという側面もあるね。これも尽きるの西だ。
このことから分かるように、巡る季節も方位に当てはめられる。
そしてもう一つ、“ヲ”について。ヲとは中心であり、天神様がいらっしゃる場所。政を行う中央という意味でもあるね。
これを足して東西中南北と言い、“ヨモとナカ”――四方と中央でキミが治める国を表しているのだよ。
では国を治めるキミについても木や方角になぞらえて話をしよう。
木は(春の)東に芽吹いて、花や葉は(夏の)南に茂り、木の実は(秋の)西に実る。そして(冬には)木の実はその身を分けるように元の木から離れ、根元で氣をため、次の春にはまた新たに芽吹き、繁殖していく。
それは人も同じなのだよ。夫婦で子を作り、栄えていくのだからね。
だからその様子を木と実の関係になぞらえて――根から氣を吸い上げ兆す“木”を男神、氣をもらい子をなす“実”を女神とみたて――夫婦神のことを“キミ”と呼ぶようになったのだよ。
これでキツヲサネの話はおしまいだ。』
おぉ〜。
拍手が止まらない。
もう感心しかないよね!
昔の日本人というか神様?の事象を捉えて言霊として思いを込めて表現する技術?感覚?がすごい。一文字に込められた意味とか現象とか、何重にも折り重なっていて······
季節の移ろいが、それに沿った人々の生活が、映像として感覚として、文字から伝わってくる気すらするよ。
ただの『東西南北』·『春夏秋冬』ていうコトバではないんだって――やっぱり“言霊”なんだって、生きてる言葉だって思ったよね。
ヲシテ文字ってすごい力を秘めている気がする!!
それとキミの由来、なるほどなって。
確か昔は統治する人(男)と祭司する人(女)がセットで国を治めていたみたいだし(卑弥呼とかね)、的を射ている話だと思う。男女の違いは決してマイナスじゃなく、適材適所というか専門分野、得意分野が違うだけだと思うし、難しいことはそれぞれ協力しあい、カバーし合ってってのが理想だよね。
(歴史の先生が雑談で女性が上位だと国が平和に治められるが、男性上位だと争いが始まるって言ってたような?)
夫婦で同格って、男女平等よりもっとこう柔らくて、でも結びつきはむしろ強い感じがしていいよね。
ただ家族は最小単位の国みたいなものだから、夫婦仲良くできなきゃ国の運営もコケそうとは思う。
確かに1人じゃ子孫繁栄は無理だし、夫婦じゃないと国が栄えないって、その通りだね。
当たり前のこと?
そうかもしれない。
でも僕はこうして知れて良かったと思うよ。
“今”の時代って一人のトップがひとりで背負い舵を取る統治方法だけど、実は“生まれない”からバランスが良くないのかも。
古代みたいに頼れるパートナーと治めれば、背負うものを分け合うことができるし、困ればすぐに相談したり、時には意見がぶつかったりしながらも、バランスは取れるのかも。だって1人じゃ生まれない考えや方法も“相手”がいることで生まれるし。心にも余裕が持てそうだし、常にパートナーがいる、頼れる安心感は半端ないよね。
政=間釣り合うこと――人と人とのバランスをとること、だよね。その最小単位は自分と相手、2人なんだよ。男神様と女神様で政を行っていくってのも道理かもしれないね。
長くて立ったものって、昔から男性の比喩に使われています。
なので木も男神様なんだろうな、と自分なりに解釈して表現してみたのですが、難しいッス。




