天啓の儀と最底辺(8)
午後の訓練場には、鈍く傾いた日差しが射し込んでいた。
カイはいつものように、標的に向かって《ウィンド・ボルト》を放ち、それを《リピート》する動作を繰り返していた。
風の弾丸が木製の標的に当たり、かすかに軋んだ音を立てる。
「……んー、やっぱり詠唱から発動までに2秒はラグがあるな」
つぶやきながら、手帳に細かくタイミングを書き込んでいく。
「《ウィンド・ボルト》! ――《リピート》!」
風の弾が連続で放たれ、標的がわずかに揺れた。
その手応えに頷きながら、再び魔力を練ろうとした――そのとき。
背後から、ふわりと軽い声が飛んできた。
「ねぇねぇ、それってさ、何やってるの?」
突然の声に、カイは一瞬ぴたりと動きを止めた。
振り返ると、そこにはひとりの少女が立っていた。
栗色のショートカットに、明るい茶色の瞳。
制服はFクラス用の地味なものだが、その佇まいだけで場が一気に明るくなるような雰囲気を持っている。
背は低く、小柄で華奢。だがその目には好奇心の輝きが満ちていた。
「……誰?」
警戒を隠さずカイが問うと、少女は人懐っこく笑って言った。
「ティオ! ティオ=フレメル! 同じFクラスの子、で合ってるよね?」
「……ああ、そうだけど」
「やっぱり~。なんか毎日ひとりで訓練してるの見かけたからさ、気になっちゃって!」
ティオは遠慮なくカイの近くまで歩いてくると、彼の使っていた標的をじっと見つめる。
「風魔法? ……っていうか、二回撃った? リピートって、そういうスキル?」
その言葉に、カイはわずかに目を細めた。
誰かに自分のスキルを興味本位で聞かれるのは初めてだった。
「……見ての通りだよ。最後に使った魔法を、再発動できる。ただ、それだけ」
わざと素っ気なく答える。
深入りされたくなかった。
だがティオは気にする様子もなく、笑いながら頷いた。
「へぇー、すごいじゃん! だってさ、魔法って一発撃つだけで結構疲れるし、それをもう一回撃てるなんて、めっちゃお得じゃない?」
「……世間的には“はずれ”って言われてる」
「ふーん、世間って誰? 自分で試してみて、便利だと思ったら、それが正解でしょ?」
その言葉に、カイの表情が一瞬だけ揺れた。
「……君、変わってるな」
「よく言われる~! でもね、Fクラスってさ、変わり者じゃなきゃ生きていけない気がしてて。だから、変わってていいの!」
ティオはそう言って、標的の前にしゃがみこみ、焦げ跡を指でなぞった。
「私もね、あんまり得意なスキルじゃないけど……なんとか工夫して使えるように頑張ってるとこ。だからカイくんみたいに真面目に訓練してる人、ちょっと尊敬するかも」
「……カイ“くん”?」
「あ、ごめん。いきなり馴れ馴れしかった?」
「いや……別に」
カイは目を伏せる。
けれどその頬が、ほんのわずかに緩んだのを、誰にも気づかれないようにしていた。
「じゃ、またね! 今度、魔法の競争とかしようよ! 私、負けず嫌いなんだ~!」
手をひらひらと振って去っていくティオの背中を、カイはしばらく見つめていた。
彼女が去ったあと、風の音だけが訓練場に残る。
カイはゆっくりと手帳を開き、ページの隅に小さく書き加えた。
――観察者、ひとり。ティオ=フレメル。接触:良好。
(……少しずつ、変わってきたかもしれないな)
心のどこかに、あたたかい灯がともったような感覚を残しながら、カイは再び訓練を再開した。
ティオの背中が見えなくなってからも、カイはしばらくその場に立ち尽くしていた。
日差しは斜めに傾き、訓練場の草地が金色に染まりつつある。
標的の木板の影が、長く地面に伸びている。
風が吹き抜け、草が揺れ、静けさの中にどこか穏やかな余韻が漂っていた。
その余韻に、カイは小さく息をついた。
(……変なやつだったな。でも……)
久しぶりに、自分に興味を持って話しかけてきた誰か。
その存在が、思っていた以上に心の深くに染み込んでいた。
20250410タイトル修正しました。