③
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いつも通りの訓練を終えたモーリスは、何故か違和感を覚えていた。
「モーリス、どうかしたのか?」
「……何でもない」
「ははぁ、あれか、お前目当ての女性がいないかどうかチェックしていたのか!」
にやにやしている同僚を、モーリスは軽く睨んだ。
ここ何日か何かが足りない気がしてずっと違和感を覚えているのだが、それが何か分からなくて少し苛立っているのだ。同僚のからかう声にさらに苛立ちが募った。
「最近は騎士の訓練を見てる女が多いからなー。あっちのアイツ、それで彼女が出来たらしいぞ」
「そうか。よかったじゃないか」
「おう。羨ましいよな」
原因の分からない苛立ちを同僚にぶつけることはさすがに出来ないので、話を聞きながら適当に相槌を打って話を合わせた。
「羨ましいって、お前、恋人がいたよな?」
「いるぞー。っつーか、恋人じゃなくて、婚約者な。つい先日、婚約したんだよ」
「婚約?それは、おめでとう。でも急に婚約なんて、どうかしたのか?」
先日話をした時は、恋人はいるけれど縛られたくない、というようなことを言っていたはずだ。
モーリスもリディアーヌにまだ縛られたくなかったので、とても共感した覚えがある。
「ありがと。うちの親に怒られてさー。男ならきちんとケジメをつけろって。捨てられる前に彼女のことをちゃんと捕まえておけって言われてさ」
「捨てられる?」
「あぁ。その辺は母にがっつり言われた。中途半端なままだと見限られるって。彼女の気持ちの上にあぐらをかいているとスパッと捨てられるってさ。男を見限った時の女性の気持ちの冷め方、舐めるなよ、だってさ」
「ふーん、そんなもんか。恋人に見限られるなんて、よっぽどだな」
「あぁ。一度冷めた愛情は、よっぽどのことがなければ戻らない。女性の気持ちを蔑ろにする男はいらないんだってよ」
「それは……」
そういえば数少ない女性騎士たちが、酒の席で似たようなことを言っていた。
彼女たちは仕事に誇りを持っているので、騎士としての彼女たちの気持ちを蔑ろにして文句を言ってくる男などいらない、と宣言していた。
愛情は無限にあるわけではないし、外見がすっごく好みの男性でも冷める、と言って盛り上がっていた。
それを聞いたベテラン騎士たちが深く頷いていたことを覚えている。
「お前はいいよなー。リディアーヌ嬢のことは家族公認だもんな。あぁ、でもリディアーヌ嬢にちゃんと言葉にして伝えてやれよ。何だったら、正式に婚約した方がいいぞ」
「そんなこと、する必要ないだろ。だって、家族ぐるみで付き合いがあるんだし」
「ふーん、まぁ、それならそれでいいか。って、あれ?あそこにいるのリディアーヌ嬢じゃないか?」
「え?」
同僚が指した方向を見ると、リディアーヌが誰かとしゃべりながら歩いていた。
リディアーヌと一緒にいる相手が女性であることに、モーリスは安堵を覚えた。
「あー、あれって確か、ミラー伯爵夫人、じゃなくて、元夫人か。あの人は皇妃様付きの女官だったはずだ。リディアーヌ嬢は、皇妃様付きの女官に異動するのか?」
「……いや、そんな話は聞いてないが……」
そういえばモーリスは、リディアーヌが誰と親しいのかあまりよく知らない。
リディアーヌが友人の話をしていたような気もするが、まともに聞いていなかったので覚えていないのだ。
モーリスの視線の先で、話をしながら歩いている女性二人に男性が加わった。
「うわー、フェレメレン様じゃないか。噂は本当だったんだな」
「そうみたいだな」
宰相補佐であるノア・フェレメレンが皇妃付きの女官で、色々とあったミラー元伯爵夫人と付き合っているらしい、という噂は聞いていた。
そのノア・フェレメレンがリディアーヌに向かって何かを言ったのか、リディアーヌが笑顔を彼に向けた。
三人で楽しそうにしている姿を見て、モーリスは胸の奥がもやもやとした。
リディアーヌにだって個人的な付き合いのある人がいる。
いちいちモーリスが何か言うことではない。
けれど、モーリスの知らないリディアーヌが存在していることに、何故か苛立ちを覚えた。
「本当にリディアーヌ嬢が傍にいるモーリスが羨ましいよ」
同僚が心の底から羨ましいと言ったのを聞いて、先ほどまであった苛立ちは消えてちょっとした優越感が出てきた。
そうだ、リディアーヌはモーリスの傍にいるのだ。
今は仕事か何かで忙しいのかもしれないが、落ち着けばリディアーヌはモーリスに会いに来るだろう。
今までと変わらず、いつものように。
それがモーリスにとっての当たり前の日常なのだから。
リディアーヌがドロシーと話をしながら歩いていると、騎士たちが訓練を終えて談笑していた。
あの日以来、リディアーヌはモーリスのもとへは行っていない。
きっとあの集団の中にモーリスもいるとは思うけれど、会いたいとは思わない。
会ったところで、何を話していいのか分からないし。
「リディアーヌさん、やっぱり騎士が気になりますか?もし騎士の方がいいのでしたら、ノア様に近衛とか、あまり関係のなさそうな騎士の方を紹介してもらいますか?」
ドロシーがさっそくノアにお願いしてくれたらしく、次の休みの日にノアの後輩の文官を紹介してもらえることになった。
けれどリディアーヌが騎士の方を見ていたので、ドロシーが気を遣ってそう提案してくれた。
近衛騎士なら普通の騎士団に所属しているモーリスとはあまり接点がないだろうけれど、リディアーヌの好みが騎士というわけではない。
「ち、違います、ドロシーさん。騎士を見ていたのは、今までのクセなだけです。ついついモーリスの姿を探すクセが抜けなくて……」
「そうだったんですね。でも、少し分かります。私も、その……いつも図書室の廊下でノア様と会っていたので、あの廊下に行くとついついノア様を探してしまうんですよね」
「あ、やっぱりいつもあそこで会ってたんですね。えーっとじつは、私、お二人が逢い引きしているところをちょっとだけ見たことがあって……。お二人の間に流れる甘い雰囲気、羨ましいです。私も恋人が出来たらお二人のようになりたいです」
リディアーヌの言葉に、ドロシーは顔が赤くなるのを止められなかった。
「あ、逢い引きって……。誰にも見られていないと思っていたのですが」
「さすがにこれだけ大勢の人が働いている場所なので、私の他にも見ちゃった人はいますよ」
「リ、リディアーヌさん、待って。え?本当に?他の人にも、み、見られてた?」
「安心してください。見ちゃった人は皆、ドロシーさんが離婚するまでは黙ってましたから。ドロシーさん見守り隊を結成していたんです」
「見守り隊?」
「はい。いつもさりげなく助けてくれるドロシーさんのこと、皆、好きなんです。ですから、皆で見守っていました」
離婚してノアと正式にお付き合いを始めるまで、ドロシーは自分のことで頭が一杯になっていた。
それにもし誰かに見られていたとしても、ドロシーのことなど誰も興味がないと思っていたので噂にもならないだろうと勝手に思っていた。
まさか、見てしまった人たちが離婚まで黙っていてくれていたなんて、思ってもみなかった。
「その……ありがとうございます。おかげで変な噂が流れることもなく、無事に離婚出来ました」
他にも実家や某王女のことなど色々とあったけれど、変な噂が立たなくてよかった。
「フェレメレン様はドロシーさんのことをとても大切にされているので、そんなフェレメレン様が本当に誰か紹介してくれるのなら、私のことを大切にしてくださる方だと思うんですよね」
「もちろんだよ。ドロシーの知り合いに下手な人間は紹介しないよ」
リディアーヌの言葉に、いつの間にかやってきたノアが笑顔でそう答えた。
「フェレメレン様、この度はありがとうございます」
「いや。こちらこそ、ドロシーと親しくしてくれてありがとう。君に紹介するのは宰相室の後輩なんだが、まぁ、知っての通り宰相室は中々の激務でね。誰も彼もが仕事中毒者ばかりで、恋人が出来ないヤツが多いんだ」
「お噂は色々と……」
宰相室というのは、宰相を中心に補佐であるノアとその部下たちが、日夜上がってくる書類と様々な案件に追われて監禁され……ではなくて、忙しく仕事をしている部署だ。
当然ながら、エリート集団でもある。
リディアーヌはたまに仕事として簡単に食べられるサンドイッチなどを届けることがあるのだが、そういう時はたいてい忙しい時期なので、まともに机から顔を上げる人間はいない。
書類を見ながらお礼を言われるので、いつもそっと置いて帰っている。
そう考えると、平気な顔でドロシーとの時間を捻出していて口説き落としたノアは凄いなぁ、とリディアーヌは素直に感心してしまった。
「今は忙しくないから、今度の休みの日に急に仕事が入るということはないはずだよ。あぁ、相手が誰かは当日までのお楽しみということで」
「はい。ありがとうございます」
「一応、最終確認だけど、リディアーヌ嬢は本当にそれでいいの?俺としても紹介する以上、最終的には結婚も視野に入れてほしいんだが……」
「もちろんです。私も結婚を前提にしたお付き合いがしたいです。フェレメレン様の心配はモーリスのことですよね。フェレメレン様、私は、傍にいることが当たり前の人間としてしか認識してくれない方を夫に持つ気はありません。いえ、傍にいることが当たり前でもいいんです。ですが、想い合って傍にいるのと、幼い頃からの惰性で傍にいるのは違うと思いますし、最終的に結婚するから今は放置でいいと思っているモーリスに何かを期待する気も、もう起きません」
「……そうか。それは、すまないことを聞いた。そうだな、俺もドロシーが傍にいてくれることを当たり前にしたいが、お互いの気持ちはとても大切だよな」
「はい。とても大切なことだと思います」
当たり前だから何も言わなくてもいい。
当たり前だから何もしなくていい。
偶然聞いてしまったモーリスと友人の会話からそれを知ってしまったリディアーヌの心はもう決まっている。
「ですから、フェレメレン様。改めて私に良い方を紹介してください。お願いいたします」
「あぁ、任せておけ」
頭を下げたリディアーヌに、ノアはしっかりと頷いたのだった。




