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読んでいただいて、本当にありがとうございます。
『なぁ、知ってるか?リディアーヌ嬢の噂』
『聞いた聞いた。何でもモーリスじゃない男性と外出してたらしいじゃん』
『ただの外出じゃないって。デートだったらしいぞ。それもすごく仲良く歩いてたってさ』
『モーリス、捨てられてんじゃん』
『だよな。あーあー、俺モーリスがいたからリディアーヌ嬢のこと、諦めたのに』
『さすがにもう遅いって。一緒にいたの、宰相室の童顔子爵らしいぞ』
『うわ!あの人か。リディアーヌ嬢、侍女だから接点はありそうだよな』
『お互い童顔ってことで気が合ったのかもよ』
『ははは、そうかも。ところで、その噂、モーリスは知ってるのか?』
『さすがに誰かが言ってるだろ?けっこう、噂になってるし。そういえば、とあるヤツが勇気を持って童顔子爵にリディアーヌ嬢と付き合っているのか真正面から聞きにいって、笑顔で肯定されたらしいぞ。あと、リディアーヌ嬢の可愛らしさをここぞとばかりに聞かされたらしくて、午後からは魂が抜けてたな』
『お、おう、そうか。勇気あるなそいつ。んじゃあ、俺たちの目の保養はもうなくなるのか。リディアーヌ嬢の可愛らしさで癒されてたんだけどな』
『モーリスが関係ない男になったから、ムリだよなぁ』
『ケッ!俺、あいつのこと気に入らないから、ざまぁ見ろって思ってる』
『ちょっと分かるかも。あいつ、最近、ちょっと自信過剰だったからなぁ』
騎士たちが笑いながらそんな話をしていることを、リディアーヌは知らなかった。
そして、モーリスも知らなかった。
モーリスには誰かが言っている、全員がそう思っていたので、わざわざ不機嫌になることが分かっている話題を出す者はいなかった。
「お父様、お母様、お帰りなさい」
リディアーヌは、帝都にある屋敷に帰って来た両親を出迎えていた。
たまたま両親が帰ってくるのがリディアーヌの休日と重なったので、こうして屋敷で出迎えることが出来た。
「ただいま、リディ」
「お父様、今年のリンゴの出来はどうでしたか?」
「うん、よかったよ。シードルの出来もよさそうだ」
リディアーヌの実家は、メトロス男爵という爵位を持っている。
男爵といっても、元はただのリンゴ農家だ。
先祖が当時の皇室に納めたリンゴから作ったお酒、シードルを皇妃がいたく気に入り、リンゴ園と製法を守るために男爵の地位を与えたのだ。
メトロス男爵領で作られるシードルは、甘く優しく飲みやすいと評判だ。
今でも貴族女性は好んでメトロス・シードルを飲んでいる。
そんな家なので、代々の男爵は民に交じってリンゴ園とシードル作りの管理をしている。
リディアーヌも皇宮に勤める前は、領地でリンゴの収穫などを手伝ったことがある。
「お母様、手紙は読んでいただけましたか?」
「もちろんよ」
母には近況を知らせる手紙を送っており、そこには当然、オルフェのことも報告してあった。
「リディ、あなたはもう大人なのだから、自分のことは自分で決めればいいのよ。お母様は反対しませんから」
「モーリスのことは……」
「いいのよ。だって、あなたとモーリスは別に婚約を結んでいるわけではないわ。ただ私たちが親しいからといって、子供たちをその関係で縛るつもりなんてないから。ねぇ、あなた」
「そうだよ。可愛いリディを持っていかれるのはしゃくだが、リディがマークス子爵がいいというのなら、それでいいよ」
「モーリスはねぇ、あの子、昔からちょっと自信過剰だったから、リディには合わないんじゃないかと思ってたのよね。娘を大切にしてくれそうにない男性は嫌だったのよ」
「でも、家のことはいいの?」
リディアーヌは一人娘だ。
リディアーヌ次第で、男爵家をどうするのか決めなくてはいけない。
モーリスの家は同じ男爵家で、彼自身は一人息子だが、あちらは領地がない騎士系の男爵家だ。
国から爵位に沿ったお金が支給されている。
もし、リディアーヌがモーリスと結婚していたら、メトロス男爵家の領地を継ぐか、それとも領地を国に返して今まで通り支給されるお金をもらうかの選択をしなくてはいけなかった。
モーリスは、有名なシードルの産地であるメトロス男爵家の領地を国に返す気はなさそうだった。
天候に左右されるが、それでもメトロス男爵領で作られるシードルの売り上げは、国から支給される男爵位の金額を上回っていた。
もっとも、彼自身は農園の仕事をする気はなかったので、管理する人間を雇うか、リディアーヌが農園の管理をすることになっていただろう。
「うちは元々、ただの農園主だったから、そこまで爵位にこだわってはいないよ。今だって、私たちは従業員たちと一緒に農園で仕事しているからね。うちのシードルは皇妃様も気に入ってくださっているし、他国の方にもお土産で渡すことがあるとも聞いてる。だから国に領地を返したって、皇帝陛下が農園を取り潰すこともないだろう。農園と従業員が守られるのなら、私たちの代でメトロス男爵家が終わってもいいと思ってる」
父が、日に焼けた穏やかな顔でそう言った。
「お父様」
「まぁ、そんなことにはならなそうだけどね。君の将来の旦那さんから丁寧な手紙をもらったけど、うちのことをよく調べたようだね。君が一人娘であることも、シードルのこともよくご存じだった。だから、心配することなんてないよ」
マークス子爵が噂通りの人物なら、彼の領地に農園が一つ増えたところで問題なく運営してくれるだろう。
手紙には、男爵夫妻が働いている間はサポートをして、将来のために今いる従業員の中から、もしくは新しく人を雇って管理出来る人間を育てていくことや、メトロス・シードルを守っていくつもりだと書かれていた。
爵位も、リディアーヌとの間に子供が出来たらその子に受け継がせると書いてあった。
「リディ、私たちは今まで、君がモーリスに合わせて少し無理をしているんじゃないかと心配していたんだ。年々、リディの笑顔が作ったような感じになっていっていたからね。でも、今はとても自然な笑顔になっている。それを引き出してくれたのがマークス子爵なんだろう?娘の笑顔を取り戻してくれた相手に反対は出来ないなぁ」
「そうね。リディ、マークス子爵の名前が出る度に自然と顔がほころんでいるわよ。あなたってば、そんなに分かりやすい娘だったのかしら。それとあなた、義父上、と呼ばれたらちゃんと返事をするのよ?いいわね?」
「はいはい。ささやかな父親の抵抗さえも奪われたな。諦めて返事をするよ」
「これ以上ない縁だと思うから、マークス子爵を大切にしなさいね」
「はい、ありがとうございます、お父様、お母様」
農園のこともシードルのことも、オルフェはきちんと考えてくれている。
リディアーヌは今この場にいないオルフェのことを想って、微笑んだのだった。