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読んでいただいてありがとうございます。苦い恋シリーズの「誰のための幸せ」が4月25日にリブラノベルズさんから電子書籍で発売されました。これも皆様のおかげです。よろしくお願いします。
「なぁ、モーリス、お前、最終的にはリディアーヌ嬢と結婚するんだろう?」
「当たり前だ。俺がどう思っていようが、それが家の決定だからな」
「でも、リディアーヌ嬢と婚約はしてないんだろう?」
「父親同士でそう決めてるから、婚約してなくても問題ないんだろうよ」
「もう少しリディアーヌ嬢に優しくしたらどうだ?贈り物とかも全然してないだろう?」
「何故?どうせあいつは俺の傍にいるんだ。何かを贈る必要なんてない。優しくしようがしまいが、あいつが俺の傍にいるのは当たり前のことなんだし」
「だからって、婚約していないのなら結婚しない可能性もあるんじゃないのか?」
「婚約に縛られたくないからちょうどいいんだよ。リディは実質婚約者みたいなもんだけど、もし他に好きな女が出来れば、リディとは婚約してないただの幼馴染だ、と言えば切り抜けられるしな」
「へぇ。リディアーヌ嬢がちょっと可哀想な気がするけど……」
「いいんだよ。リディだって、俺っていう婚約者みたいな男がいるから他の女共に自慢出来るだろうが」
「おーおー、もしそれでリディアーヌ嬢がお前に振られたら、簡単には新しい結婚相手が見つからないかもな。何せ、婚約者でもないのに婚約者面してた女っていう悪評が立っちまうから」
「そしたら、俺の愛人にでもしてやるさ。幼馴染の俺が引き取ってやれば、向こうの親御さんたちも安心するだろ。下手な男に嫁がせるよりは、俺の愛人にした方がましだろ?」
「そういうもんかねぇ」
「当たり前だろ。リディの方が俺に惚れてるんだから、俺から離れてなんか行くわけないだろ」
人気のない廊下でそんな会話を笑いながらするモーリスとその友人の声を、リディアーヌは陰に隠れながらそっと聞いていた。
別にリディアーヌは、自分がモーリスの婚約者だと言いふらしたことはない。
周りにそう思われているのは何となく知ってはいたが、幼い頃からずっとそうだったので、リディアーヌもそれが当たり前だとずっと思っていた。
確かにモーリスの言う通り、二人は婚約はしていない。
親同士が仲が良く、将来はモーリスと結婚するのだろうと漠然と考えていた。
そのことに何の疑問も思っていなかった。
父や母に婚約をしなくていいのか聞いたことはあったが、二人は大人になってから決めればいいと言っていたのだが、今、ようやくその意味が理解出来た。
父も母も分かっていたのだ。
子供の頃の想いは、成長するにつれて変化していくことを。
リディアーヌの目から涙が溢れた。
物語で読むような強い想いではなかったけれど、リディアーヌはモーリスのことが好きだった。
けれどモーリスはリディアーヌのその想いを、リディアーヌが隣にいることを、当たり前のものだとしか受け止めていない。
当たり前に隣にあって、それは何も特別なことではなくて。
最終的には妻ではなくモーリスにとって都合の良い愛人にするつもりの女性に、特別な気持ちなどないのだろう。
離れなくては。
今まで一緒にいたけれど、モーリスから離れた方がいい。
モーリスは騎士として皇宮に勤務しており、リディアーヌは侍女として勤務している。
会わないようにしようと思えば、いくらでも出来る。
よく考えれば、今まではリディアーヌが時間を見てモーリスに会いに行っていたが、それを止めれば向こうから会いに来ることはない。
どうせモーリスはリディアーヌの行動など何も見ていないのだから、明日から避けたところでモーリスが気が付くこともない。
そう思うと、少しだけスッキリした。
二人の関係は、案外リディアーヌの行動で決まっているところがあるので、リディアーヌが動かなければ接点がなくなる。
だから、リディアーヌはもう自分からモーリスに会いに行くことも、しゃべりかけることも止めることにした。
それがきっとモーリスの望みでもあるのだから。
そう思いこれからのことを考えていたら、涙が次から次へと勝手に溢れてきた。
リディアーヌは、今だけはそれを自分に許した。
ここでモーリスに対する気持ちを全てを流しきって、明日からは彼に対する気持ちを何も持たないリディアーヌに生まれ変わらなければ。
今ここには誰もいない。
誰も見ていないから、変な噂が流れることもない。
「……私、本当に鈍いわよね……」
小さい頃一緒に遊んだモーリスと今のモーリスが違うことから目を逸らしていた。
リディアーヌの手を引いて目を輝かせていた少年は、もうどこにもいない。
モーリスが友人に語っていたことこそ、彼の本音なのだ。
モーリスのために流す涙はこれで最後。
これからは、彼がいるという当たり前の生活ではなくなるのだ。
リディアーヌは声を殺して涙を流し続けた。