宰相とその息子の対話
これは小説習作です。とある本を開き、ランダムに3ワード指差して、三題噺してみました。
随時更新して行きます。
【お断り】「王、獣、永遠」の三題噺です。
(以下、本文)
宰相の息子「父よ、私が仕えるべき王とは、どのような存在なのでしょうか。」
宰相「私の跡を継ぐべき我が息子よ、王とは心の中には獣を飼う者のことである。そうでなければ王の務めを果たせないからだ。
そもそも王が獣人となることを恐れたら、自らの軍隊を掌握できない。弱すぎる軍隊は国を滅ぼし、強すぎる軍隊は王を滅ぼすのだから。」
息子「父よ、王の仕事は慈悲であるとも聞きました。
王の中に獣がいるとなると、慈悲はどこから湧いてくるのでしょうか。大地が割れ、津波が押し寄せ、嵐が吹き荒れた際に、漆喰の壁、土壁がもろくも崩れ落ちてしまうように、付け焼刃の慈悲では、ここ一番の国難の際に剥げ落ちてしまうと思います。」
宰相「付け焼刃の慈悲を偽善と言い、贋金では贋の忠誠しか買えない事は、おまえが指摘した通りである。
貴人が我が子を乳母に託すのは、このためである。王の子は乳母の腕の中で慈悲の味を知り、それを生涯忘れぬのだ。
かく言うおまえも、乳母には頭が上がるまい?」
息子「おっしゃる通りでございます。私と乳母とは肉でも絆でもなく情でつながっておりますゆえ、乳母に横車を押されたら、私には抗する術がないのでございます。」
宰相「分かっていると思うが、王に慈悲は不可欠でも、王が政に情を持ち込むのは禁物である。争い事を自らの家に招き入れるようなものだからである。」
息子「心得ました。
次に聞きたいのは正義の事でございます。王に正義を愛し、悪を憎む心がなければ法は機能しないと思います。法が機能しなければ人の心は乱れ、人の心が乱れたら国が滅びます。」
宰相「息子よ、正義を愛し、悪を憎むのは王といえども容易なことではない。なぜなら人は自分の欠点を愛するように、できているからだ。王といえども、その例外ではない。
王が大法官を置くのは、このためである。王は気に入らない大法官を罷免することはできるが、大法官が一度、決めたことを拒否はできないのである。」
息子「心得ました。
政の要は民をいたわり、無理をさせず、そして税金はしっかり取ることと聞きました。すぐれた臣下を得るには教育も大事です。また、自前の文化や芸術を持たぬ国は野蛮におちいります。そもそも国には他国から馬鹿にされないだけの体面が必要です。王たるものは、これらの必要事に、どうやって心を配るべきなのでしょうか。」
宰相「担当大臣を置いて王の権限を委譲し、口出しは最小限にすべきである。適当な臣下がいない場合を除き、親政は避けるべきである。王といえども、できないことはできないし、仮にできたとしても全ての者を満足させることはできないからである。」
息子「だから王には慈悲が必要なのですね。罰しなければならない者は大法官が罰すると。」
宰相「その通りである。」
息子「でも、最終的な責任は王に来るのではないでしょうか。臣下は責任を上に放り投げますから。」
宰相「その通りである。王は逃げられぬ。王が逃げたら臣下も逃げ、民も逃げる。国が滅びる時には、これが必ず起こる。ローマ帝国といえども例外ではなかった。」
息子「永遠に続く王統、永遠に続く国などというものはないと言うことですか?」
宰相「永遠に届く道を治めているのは神である。神は王が救えなかった者たちを救う。王は神の臣下であり、王の臣下も神の臣下であり、民も神の臣下である。全てを超越して支配するのは神をおいて他ない。」
息子「王と宗教の関係は、どうあるべきですか?」
宰相「全ては王自身の信仰の度合いにかかっている。こればかりは臣下の方から、とやかく申し上げるべきではない。」
息子「もしも王の信仰を、臣下や国民が受け入れなかったら、どうなりますか?」
宰相「良くて王殺し。悪く転べば内乱になる。これも致し方ないことだ。」
息子「義は神にあり、智慧は寺院にあるとは、そういう意味ですか。」
宰相「その通りである。」
息子「それでは寺院は国の中の国になってしまいます。」
宰相「寺院は貧しき者たちのためにある。王が必要以上の寄進をしなければ、寺院が大きく間違うこともないのである。」
息子「臣下が王のためになすべき、最も大事なことは何ですか?」
宰相「自分の子を慈悲と厳しさをもって育て、王のお役に立つよう育てるとともに、すぐれた者たちを引き上げて王に推挙することである。」
息子「つまり王のまねをすればよろしいのですね。」
宰相「その通りである。」