だから悪役令嬢は聖女になった。
8000字ほどの微ざまぁ→微百合短編です。今回はちゃんと?ファンタジー。
幼少時、がたがたと震えながら三日三晩泣いたことを、フレキサは思い出す。
(『愛の蟲毒に濡れて』の世界に転生したと知った時は、早く死ぬことばかり考えていたわ……)
それは〝全滅エンドを愉しむ〟という悪趣味な乙女ゲームであった。悲恋裏切り当たり前、どろどろとした人間ドラマが売りの、転生御免な世界だった。
(でも結局私は、恐怖に勝てなかった。何もせずに死ぬことに、耐えられなかった……。だって今度こそ、生き残りたい! そうよ、生きることは素晴らしい! だから私は、ゲーム展開を捻じ曲げてでも聖女になったのよ!)
細菌テロに巻き込まれて死に、転生してさらなる地獄に叩き落とされた。そんな苦難を思い、涙を滲ませる。執務室から眺める窓の外が、少し眩しい。
(教養や礼法や武芸をガンガン学んだのは、早期に妃候補に選ばれるため。ディアン殿下に取り入ったのは、可能な限り早く婚約して修道院に行くため。修道院に行ったのは……何がなんでも、聖女になる、ため)
この世界は、薄く広く瘴気に満ちている。王国周辺でも近年、瘴気をため込んで毒を放つようになった〝毒人〟や、さらに症状が進んで知性を失った〝屍人〟が現れ、問題になっていた。瘴気や毒人、屍人に対抗できるのは、癒しの力を学んだ聖女だけ。
(でも状況は悪化してる。『悪役令嬢』の私がいないのに、貴族学園での乙女ゲームイベントは進んでるみたい。ディアン様……)
フレキサは、生で見た攻略対象、ディアン第一王子に恋をした。悔しいことに、男前のイケメンであった。どこか頼りないところがある点も含めて好みドストライクで、できれば添い遂げたかった。だが残酷な運命は、目の前に迫りつつあった。
(婚約者の私を浮気防止に修道院に追いやった後、学園で広く交流なさってるとか……。それでヒロインのロティラとも、接触して、しまったのね……)
王太子の妃候補であるフレキサの耳には、よくない話がいくつも届いていた。もちろん、野心をもって彼に近づく令嬢たちには、正当な立場にある者として釘を刺している。だが、王子から言い寄っている相手には、手の出しようがない。
ヒロインの男爵令嬢ロティラ。ディアンは彼女との身分違いの恋に夢中だと、専らの噂であった。
(きっとゲームの展開を恐れて、自分だけ助かろうとしてたから……罰が当たったのね。もっとあの方に寄り添って、そのお心を掴んでおくのだったわ。そうすれば……)
あり得たかもしれない可能性を思い浮かべ、フレキサは首を弱く振った。
(問題のヒロインは強引だけど確保したし。そうね……最後に、なぜ王子たちがあんな愚かな真似をするのか。ゲームの背景を、少し追求してみましょう)
涙を拭い、立ち上がる。
時間だ。
「どうぞ」
いつも通り、ぴたりと約束通りの来訪。ノックに応えると、扉の向こうからメイドと男性二人が現れた。フレキサは近寄って礼をとって出迎える。
「学園でお忙しい中、お越しいただきありがとうございます。ディアン様」
「君こそ、執務と修道院、聖女の責務で忙しいのだろう? フレキサ」
「いいえ。さぁ、ルネット様もどうぞ」
王太子のディアンと、公爵令息のルネット。ルネットは王子の幼馴染でもあり、側近として将来は宰相の座を約束されていた。両人が席に着いたのに続き、フレキサもソファーに浅く腰掛ける。
「それで。本日はどのようなご用件でしょうか」
「学園にいない君の耳にも、届いているかとは思うが」
「ボロニア男爵家のご令嬢……確かロティラ嬢、でしたか。妾にでもなさるので?」
王子が我が意を得たりというように笑みを浮かべ、しかし首を振る。
「申し訳ないのだが、フレキサ。君との婚約は破棄したい」
(は? 私を愛していると随分言ってたし、だから浮気防止にと修道院に入れておいて……どういうこと?)
ヒロインを正妃に迎えようとする、という王子の動きはわかっていた。だがあまりに常軌を逸している。フレキサは裏切られた気持ちに加え、ゲームの進展状況が気になり、胸がざわついた。
「私を側室や妾に、でもなく。一足飛びに破棄と。ご意図をお伺いしても?」
「ロティラを妃にするとなれば、当然私は王太子からも降ろされるだろう。もしかしたら、父に縁を切られる可能性もある。だが私は……!」
(恋にのぼせて、自分に酔っている!? まさかこれ、自分で盛った毒に影響を受けてるとか……)
上気した頬で語る王子を見て、フレキサは頭の奥がすーっと冷めていくような感覚を覚えていた。
「共に生き抜こう、国の未来を切り拓こうと……そう誓ってくださった、のに?」
「だからこそ君のために、こちらの有責として婚約を破棄したい。フレキサは、自分の道を歩んでほしい……ルネット」
「ああ。フレキサ嬢。この俺が支えよう。聖女のままでは……教会の影響力が大きい。王族との婚姻は難しかったろう。だが俺ならば、君を迎え入れることもできる」
(はぁ!? 私に瑕がつくことでも心配してるの!? 余計なお世話よ!)
王子ばかりか、隣の公爵令息まで乗り気なようである。「生き残り」を賭けて必死なフレキサとしては、こんなお花畑を目の前にすると、100年の恋も冷める勢いだ。
(だめだ……どれだけ愛情があろうとも、こんな人と一緒じゃ生き残れない! というか、人が生き延びることに必死なのに、舐め腐ったこの態度。許せないわ……! その醜い本心、暴き出してやる)
「殿下は有責での婚約破棄や廃太子を、軽くお考えのようですが。身を堕としたあなたを、ロティラが慕ってくれると思っているのですか?」
「彼女はそんな浅薄な娘ではない! 私を愛している!」
ディアンが勢いよく立ち上がる。隣のルネットも席を立ち、王子の背中に手を置いてなだめにかかった。
「その通りだが落ち着け。無駄に彼女に苦労をかけることもないだろう? フレキサ嬢。ここはディアンのために、君からの破棄、としては」
「ルネット殿から口を出すことでは、ございませんね? それとも、私を何度も口説いては袖にされた意趣返しですか?」
横から口出しされ、カチンと来てそのまま煽り返した。公爵令息は半笑いで、肩を竦めている。
「あれは挨拶みたいなものじゃないか。やだなぁ、フレキサ嬢」
「ルネット、どういうことだ……?」
王子が公爵令息の肩を掴む。ルネットは振り返らず、小さく舌打ちしているようだった。
「もしかして、私を口説いていたのは殿下に対する意趣返しですか? ディアン殿下は、ルネット殿の妹君と大変仲がよろしいですし。この間も、二人きりで遠乗りに出たと。メンティ嬢が『兄は馬に乗れないので、殿下が付き合ってくださって嬉しかった』と仰ってましたよ?」
王子が青ざめている。ルネットの妹への溺愛ぶりは有名だ。現に今も、王子を血走った眼をして見ていた。
「ディアン、貴様! 妹に手を出したのか!」
「違う、誤解だ!?」
「おや、ご存知なかったようで……ごめんなさいね」
少し溜飲が下がったところで、フレキサは冷静になる。にらみ合う二人に対し、優雅にほほ笑んで見せた。
(連れ出すと言えば、イベントの進行具合が気になる……。殿下、妙にロティラが自分を好いてるという自信を持ってますし。彼女を奪い返され、ルートが進むと本気で国や世界が滅ぶ。危険ですし、個別ルートに入ってないか、確認してなくては)
「ところで。お二人ともそのロティラを、連れ回したらしいですね? 東の森や新しいダンジョンに行ったとか?」
「っ。あれは……森は屍人が出たから、それの退治だ。兵を引きつれて行ったが、ロティラも手伝ってくれた」
「ダンジョンは家から命じられた調査だ。周囲の土地に毒素を撒いていたからな」
(ロティラはゲーム通り強いらしいですし、戦力として連れて行ったと……? しかし困った。重要なイベントを、進められている。これは、最後のフラグも回収しているのでは?)
フレキサはサーっと血の気が引くのを感じた。ストーリーは、もう後半に入っていると見てよかった。
「その。まさかとは思いますが。王都地下墓地の神殿になど、行っておられませんよね?」
「なんだ、あそこを知っているのかフレキサ。何もなかったが」
「古びた祠があっただけだし……君が触ったら崩れてしまってたな、ディアン」
(祠壊したんかー!? 王国終わった!?)
頭を抱えたい思いであった。後戻りのできない状況を理解して、フレキサは震えようとする手を必死になって握り締める。
「なるほど……道理で彼女が影で男を誘惑してるだの、噂が立つわけです。お二人が、人の立ち入らない場所へ連れ回していたのが原因でしょうね」
「ロティラはそんなことしない! 彼女が想っているのは私だけだ!」
「そうだ、フレキサ嬢! 言葉が過ぎるぞ! 俺のロティラに!」
(なんで二人してロティラからの好意を確信しているの……? まさか、二人とも、もう? これはやはり、ロティラ本人をなんとしても連れ去るしか……)
ルート分岐まで済ませた可能性を理解し、背筋が凍る。その場合、いくら聖女の力があっても助からない可能性が高い。
その時。折よくメイドが入室してきた。フレキサは近くまで来たメイドが捧げる盆から、手紙を受け取って中身に目を通す。
「ああ、ちょうど王城にいたようで。父からの連絡です。破談は承ったと」
「なっ!? 早すぎる、いつの間に……!」
「それはまぁ、人払いもせずに話し続けるのですもの。そちらの有責ということで、誠意を見せていただきます」
王子の顔が、なぜかみるみる青くなっていく。フレキサは小首を傾げた。
「フ、フレキサ……考え、直しては」
(いまさら翻意!? この方、私を舐めているの!?)
生き残りに必死なフレキサにとって、王子の態度は逆鱗に触れるものだった。にこやかな笑みの下に怒りをしまい込み、震える声を押さえて口を開く。
「もう国王陛下の耳にも入ったことでしょう。私などより、直接御父上にご相談なさった方がよろしいですよ? 王太子の座を、守るためにも。お二人揃って」
「俺はなんの関係も……」
「今回の件を教唆したルネット殿のこと、父が怒り心頭のようで。正式に、ミルトル公爵家に抗議が行きます。無事だといいですね? 側近や次期当主の椅子」
二人が顔を赤くしたり青くしたりしながら、小刻みに震えはじめた。元より両人とも素行が悪かったため、実はもう後がない立場だった。
「お話はようございますね? では私は用がありますので。これにて」
「待ってくれフレキサ!? 私を愛してるんだろう! なら――――」
「殿下は私を愛してくださらないでしょう? ならご縁がなかったということで。殿下のご乱行が知れ渡ったのか、国外から縁談もいただいておりますし。私は、私を大事にしてくださる方の元へ行きます」
「そんな!? 君が浮気しないようにと、修道院にやったのに! こんな……裏切りだ!」
「それをあなたが言うのですか? ロティラを追い回していた、あなたが」
王子はハッとした様子で、顔を真っ青にしている。弁明の言葉がいくつも口に登りかけているようだが、声になっては出てこなかった。
(ま、言えませんよね。彼女の力が目的で、接触してたなんて。でもどうせそれを言い訳に、恋愛を楽しんでいたのでしょう? 愚かで醜い、王子様。こんな人だとは……思わなかったわ。ゲームで最悪の選択をし続けるわけね)
愛情は確かにあったからこそ、胸も痛む。少しの後悔を、涙と共にのみ込んだ。
(私は生き残りたい。だからこそ、頼りにならないあなたとは。人生を甘く見ているあなたとは――――絶対に、相容れません)
フレキサは立ち上がって顔を上げ、冷酷にかつての婚約者を見下した。
「さようなら。私を愛してくださらない、ディアン殿下」
◆ ◆ ◆
(さよならだけのつもりだったのに、手間取ってしまった……。本番はこちら、なのよね)
人気のない郊外に止めた、馬の繋がれていない馬車に近寄る。近くに、少女の姿があった。フレキサが近寄ると、使用人たちが礼をして下がる。彼らが声の聞こえないところまで遠ざかったのを確認し、フレキサは怯えを飲み込んで口を開いた。
「強引なことをしてすみません。殿下らのいないところで、どうしても話がしたかったのです」
「先ほどの様子は別室で見せていただきましたし、使用人の方たちに事情も聴きました。私がこのまま残ると、国が滅ぶと懸念しておいでだと」
言葉を返す男爵令嬢ロティラは、特に動揺の様子もない。ほっとしかかったフレキサは、少しの気を引き締めた。
「ええ。もう少し話していいというなら、残ってください。理不尽だと怒るのなら、このまま帰って私の所業を言いふらして構いません。私はこの後、流刑地のような誰もいない場所に行きますので」
「公爵閣下には、大恩があります……そんなことは致しません。ですが、フレキサ様が、なぜそこまで……」
「……もしこのまま最後まで話を聞いて、私と一緒に来てもいいというなら。あの馬車に乗ってください。あなたはこの国に残ると、大変な目に遭います……」
簡潔に応え、ちらりと馬車を見る彼女に向かって、安心させるようにと奥歯を食いしばってほほ笑む。
「ディアン殿下らが、あなたに付きまとっていた理由。ご存知ですか?」
「私は逆らえなかっただけで、ディアン様らのご意向など……」
「東の森の屍人は、瘴気由来の伝染病によるもの。新しく発見されたダンジョンは、早い段階で危険な毒物を封じた遺跡だとわかっていた。王国の地下墓地はこの国の瘴気根源である、さる祟りを祭った場所……ここで育った者なら、誰でも知っています」
フレキサが問い詰めると、男爵令嬢は一瞬怪訝そうな顔をした。だがすぐ毅然とした表情を取り戻し、真っ直ぐに見つめてきた。
「何が仰りたいのです? フレキサ様」
「さすがにどこかで、彼らの目的に気づいたのではないですか? なぜそれでも、ついて回ったのです?」
(攻略対象たちは、ヒロインの力を狙っている。でもゲームで彼女は、その心情を語らない。現実のこの子が何を考えているのかは、未知数。もし殿下や王国に恨みでも抱えているなら、強引に取り押さえて連れ去らないといけない。
さぁなんと答えます?)
強く、高い意思すら感じるその青い瞳を見つめ返す。密かに唾を飲み下し、緊張した面持ちで彼女の様子を見守った。
(――――毒の王、ロティラ)
〝毒の王〟計画。先代国王が秘密裏に企てた、瘴気適応者の作成・利用研究計画である。数人の被験者が生き残っており、ロティラはその一人であった。あらゆる毒・病気・呪い・瘴気に耐え、一度受けたものは自分で生成できる。ゲームはこの人間BC兵器であるヒロインを巡った醜い争いの結果、王国ごと滅んでいく様を描いていた。
前世の最期を彼女の姿に重ね、フレキサは身震いした。
(最凶最悪のこの子をゲーム進行通りに王国に留めると、世界が滅ぶ。連れ出すにも、毒への耐性が必須。だからこそ聖女になったけど……この爆弾に勝てるかは、正直わからない)
無意識に胸の前で聖印を切り、フレキサは固唾を飲んでヒロインを見守る。ロティラが数度迷ったように口を開いては言葉を呑み、ためらいがちに告げてきた。
「……ご意図が分かりません。そもそもなぜ、私のことをご存知なのです。学園に来ていないフレキサ様とは、面識もないはずですが」
「あなたと同じ理由です。瘴気適応者の実験施設で見つかった子どもを世話したのは、私の父。私はその時の資料を見たから、あなたを知っている。あなたは父と面識があるから、私の名を知っている」
「…………ああ、なるほど。あの件をご存知なら、わかりませんか?」
少女のにこやかな顔の下から。
瘴気のように悍ましい。
激しい感情が滲み出る。
「私は、生き残りたいのですよ――――!」
フレキサは、ハッとなった。
「あそこで死んだみんなの分も! 明日をも知れないわが身であろうとも! 私は最後まで、生き残りたい!」
(三日三晩泣きわめいて、鏡に映った自分に生存を誓った……私と、同じ、顔)
叫ぶロティラの透明で澄んだ顔、揺れる瞳に感じるのは、強い命の輝きであった。恨みや憎しみなどとはかけ離れた、暖かな蒼が目に焼き付く。
(なんという生命の光……! とても、眩い)
その痛みすら感じる顔と声に、フレキサは身を震わせた。自分と同じ、あるいはずっとずっと強い衝動が肌に突き刺さる。
「……でも生き残りたいなら、それこそなぜです。最初から王国を逃げ出せばいいのに。どうして学園に入って、王子たちに従っていたの?」
「……逃げたら、どこかで追手に捕まると思ったんです。だから誰も歯向かえない力を手にした上で……一人ひっそりと生きようって」
(やはりわざと最強の毒・病気・呪いのある場所に連れてってもらったのね……すべて意図通りだった、と。この人も必死、なんだわ)
フレキサは拳を握り締める。能天気な王子の顔が頭をよぎり、すぐに消えた。
「最初からディアン様らと添い遂げるつもりは、なかったと?」
「ええ。媚毒を飲ませてくるような方の傍には、いたくありません。いずれ殺されます。毒自体は取り除きましたが……もう近寄りたくありません」
(やっぱり毒飲んでた!? だから殿下もルネット殿も、ロティラに好かれてるって疑わなかったのね……。というかロティラが解毒してるなら、あの人たちが恋に酔ってたのは。自分で盛った媚毒の影響じゃなくて……素?)
返答を受け、フレキサはゲームの設定を思い出していた。本来なら、攻略対象から渡される媚毒を飲んだらルート分岐が決まる。だが裏技的に、持てる毒の種類を取捨選択することが可能なのだ。さらに先ほどの王子たちの態度が頭を過り、その愚かさに身震いして……すぐに忘れた。
(それにしても、なんて方。しつこく食い下がりそうな攻略対象全員に近づいて、わざと媚毒を盛らせたんだわ。強かで……危うくて。とても――――)
「フレキサ様は……なぜ私一人を追放しようとしないのです? 先ほど、一緒にと仰っていましたが」
言い知れない魅力を感じていたところに言及され、フレキサは少し口ごもる。
「それは――――」
フレキサは今度こそ生き延びたかった。だがそれ以上に彼女の胸にあるのは。家族のことでも、王子のことでもなく。
「――――主人公に救いがあって、ほしかったのよ」
かつてゲームで見た、何をしても非業の死を遂げるヒロイン。何も語らない彼女の滲み出る思いが、目の前にあって。
「だから悪役令嬢は、聖女になった」
今。鎖のような使命となって、フレキサを縛り付けた。驚き、紅潮し、その瞳に涙を溜めるロティラに向かって、晴れやかにほほ笑む。
「二人だけなら長く生きられる、小さな拠点を用意したわ。聖女の私なら、あなたの瘴気に蝕まれずにそばで世話してあげられる。あなたを脅かす敵のいない、安住の地で。ずっと」
フレキサは膝を深く曲げ、礼をとる。
「あなたの国に案内してもよろしいかしら? 我が、毒の王よ」
頭を下げて待つフレキサの目が、近くまで寄ってきたロティラの足先を捉えた。衣擦れの音が、彼女もまた膝を折ったことを伝える。
「――――愛しき我が民よ。私があなたを、守りましょう。たった二人だけの国で、末永く」
ふわり、と背中に二本の腕が回り。頬を寄せるように抱きしめられた。それはゲームのラストで、王子とヒロインがしていた掛け合い。
(ああ――――安心する。生きる希望が、湧く)
前世で手に入らなかったものが、王子がくれなかったものが流れ込んでくる。胸の奥からこみ上げるものを、こらえながら。フレキサは主人と見定めた少女を支えるように、立ち上がった。
(このお方と二人、絶対に生き延びて見せる)
二人手を取り合い、馬のいない馬車に乗り込む。車はフレキサの魔力でほのかに輝く幻影の馬を象り、静かに遠く東へと進んだ。
夕日を背に。たった二人だけの、楽園に向けて。
〝毒の王〟ロティラ。後に「瘴気の国」と揶揄される国家の王となる。
急に「ここに国を建てましょう」と言い出した彼女に、フレキサが振り回される日々は。
もう間もなく、始まる。