#15 泡沫の夢
こうして幼年期の彼女、“テュカ・ミリグラス”の狂騒は一幕を閉じた。
物語の序章を飾るにはおどろしい人形劇をやり切り、ただ一人の観客である白髪の少女の関心が冷めやらぬことを確信した語り手“ヴィンク・アルカード”は物語を本章へと乗り出すべく幕を開ける。
それはテュカが世界より勇者の配役を賜る道すがら。
序章より何も得られず、ただ横たわる母の姿を前に帰還したテュカは、また晴れることのない日常へと舞い戻っていくつもりだった。
テュカが生還を果たしてから、程なくして母が亡くなるまでは。
この事柄を皮切りに、テュカ・ミリグラスという人物の物語は怒涛の勢いで巻きあがっていく。
手始めに母国に巣食う唯一の魔人を打ち取った。
もはや何の因果も持たない相手に単身乗り込んだ彼女は、電光石火とよべる手腕で敵の首級をもぎ取り凱旋した。
世代を跨ぎ、何代もの間国家に仇を尽くした伝説上の相手を気まぐれに裂き、首をぶら下げ街を練り歩く彼女の姿に誰一人として取り合うものはいなかったという。
一般認知も薄い、得体も知れない生首を引っさげ、売れる場所を探し求める子供というのはさぞ不気味なものであったのだろう。
そして近寄るのも畏れ多い彼女は憲兵に連行され、町の街路から姿を消した。
そうしてあの不気味な子供が民衆の話題から去られていく最期の日。華美たる騎士達の行軍が街中を練り歩く。
騎馬が旗本をなびかせながら祝言を上げ、プレート着込んだ騎士団がホルンを奏で、角杯に負けず劣らずの声量を張り上げる伝令使が元首より拝聴した文言を一字一句復唱する。
“これより我ら共和国は全盛時代を迎える”“武器を携えよ、異教との聖戦に備えよ、約束された勝利は近い”
そう世論喚起する伝令使を筆頭に、揺るがぬ足取りで蹄鉄とレギンスを踏み鳴らす騎士団の行路は、共和国民全てに侵略戦争の時代の訪れを告げる式辞のようであった。
そしてこの時代の核となる存在。飽くなき行軍を繰り返す騎士団の中心には必ず彼女の姿があった。
鎧に着せられたように不相応の体躯で、軍馬に座するも傍に控えた騎士に馬上のたずなを引かれる子供の姿。
テュカ・ミリグラスの姿が。
そうして彼女の姿が民衆の前を横切ると必ずどこからか声が上がるのだ。
“聖騎士テュカ・ミリグラスが国家の暗雲を晴らした、それはこの時も、そしてこれからの時代も”
こうして時代の転換期が幕を上げた。
長年強大な魔力の影に抑圧され、久しく他国の干渉など許されなかった共和国に訪れた千載一遇の好機。自らの手に収まった、より強大な力を飼い殺す選択など国家には毛頭なかったのだろう。
しかしながら旗本へと祭り上げられた当の本人は澄まし顔で、我が道である狩りに精を出していた。
魔を宿した獣が人里で厄災を起こせば、どこからか聞きつけた彼女が地を駆け、翌日には獣の肉を片手に騎士団のお膝元へと帰っていく。
殺人が起これば相手がいかに凶悪であろうと瞬時に首をもぎ取りまたしても帰っていく。
もはやこの時期には民衆ですら彼女が勝利をもたらす御子だと疑うものはいなかった。
国家が宣戦の布告をなし、民衆が戦争準備に駆け廻り、その間も獣を狩り続ける彼女は時に戦地を更地に変えながら屍を築き上げていった。
時は満ち、剣が峰に立つ共和国。
国境を挟む軍と軍が対峙する軍の庭。
その横隊広がりし軍隊の中で、先陣を任された国の顔は彼女にあった。
幾らか様になるように軽装鎧を着こみ、自ら馬上でたずなを握り、戦果の証より賜りし聖剣を携える彼女はまさしく聖騎士にたがわない。
そうしてテュカ・ミリグラスの“聖騎士”としての初陣が幕を開ける。
テュカは駆ける。
開戦のホルンを合図に単身敵陣へ切り込む騎士の姿はまさしく一騎当千の神話の戦士そのもの。
万にも及ぶ敵勢の動揺をよそに合戦場を駆けるたった一騎の騎馬。
やがて軍馬の背を蹴り、跳躍ののちに地に足を付けたテュカは身一つの命で走り出す。
弓弦より放たれた矢じりのような距離の詰め方はまさに風切り。
敵手に弓をつがえるいとまも与えぬその疾駆は、戦場より唯一舞うことの許されたたぐいまれなる破魔矢。
風を裂きながら放たれた光輝燦然の矛に、敵方も存亡の戦いだと兵の奮起が雄たけびへと変じて重圧に化け、一突きたるたった一人の子供に対して万雷の咆哮で向かい入れる。
そして二つの軍が交差する。
無数の長槍を一斉に突き出す先手をかわし、馬上より繰り出される剣技の二陣を避け、後詰めで面食らう兵の山を逃げ切った彼女は、呆然とする両軍を残して戦場を走り去る。
そうして翌日、聖騎士テュカ・ミリグラスは敵国で息する魔人の息の根を止めた。
国賊テュカ・ミリグラスの誕生であった。
母国を捨て、結果利敵をもたらした代価として国賊喜劇の役者となったテュカ・ミリグラスは依然、懲りることもなく魔と邂逅しては世界のひと書きに厚みをもたらしていく。
物語もまた悲劇から喜劇へと転じたおかげかようやく陽気が戻り、語り部であるヴィンクの趣向に合った演目であってか、凝らした技巧がひかり、興の乗ったこの男好みの色付けがもたらされていく。
世界を舞台に理を跳梁跋扈していくキャストと、もはや主目的を見失いつつあるストーリーテラーが織りなす各々の独壇場は、語り部が怪演で舞台を壊すか、役者がその命で歴史に幕を下ろすかのチキンレース。
破綻の際でしか成り立たない各々の独自の独善を押し付ける世界観の構築は摩訶不思議に、だがそれは違いなく、一つのピリオドドラマとして一級の品へと完成されつつあった。
それはこの日の為に仕上げられた様々な逸品が催事に参列する中、これから急速に磨きあがっていく一品の飛入りというのは民衆が最も喰いつくに値する好物そのもの。
街路の縁で奇声をあげる男に意識を向けたら最後、その生きざまで心を掴んで離さない女の生涯が足元をすくいあげていく。
そうして一人、また一人と人々を縛り付けていっては心を掴んで離さない。
心を奪う魔性の演目。
やがて壮大な佳境へと流れる物語に観客も沸きに沸き、いずれ迎える終幕を見届けるまで往生するオーディエンスが人垣を成しては、またしても新たな来場者を受け入れていく。
ヴィンクと少女の二人だけの空間から始まった物語。それがいつしか幕引きを見守る後継人の心で満たされていた。
大舞台はいつしか仕上がった。
ならばと、ヴィンクは改めて締めをここにいる全員に向け、独りよがりな演技を止める。
そうして怪演とは程遠い、王道たる正道な好演で最終章の幕を開ける。
それはテュカ・ミリグラスの終着点。
神話より語り継がれる原初の魔人との邂逅にて最後の大立ち回り。
彼女の英雄記で最も人の手で親しまれ、愛されてきた周知の閉目。
詩や童話に疎い者ですら耳に残った童心蘇る山場は、今もなお閉ざされていく物語の結びも構わず盛況を呈する。
待望の終焉と延命の懇願。
彼女の結末を知る者こそ揺れ動く心の熱が舞台を燃え上がらせ、物語の紙片は味こく魅入る者たちに噛み締めさせていく。
色あせ、いずれ記憶から消えていってしまうだろうこの瞬間。
かりそめに相応しく、一片、また一片と舞台から解き放たれていく物語の一幕は、いずれ今日という日々が過ぎ去り、潮目とともに心惹かれた舞台があったことすら記憶の内から去られていくことだろう。
だがこの皆に籠った熱を心に留めておきたいと思う者がいれば。
それだけで、この舞台は本物へと姿を変え、催事に並ぶに値する一級品として完成していたのだろう。
そうして、仕上がった作品に品評者達は割れんばかりの喝采を送る。
そしてそれを作り上げた製作者もまた頭を下げ、この情景を焼け付ける。
自らもまた、皆で作り上げた初めての真心を込めた、この有終たる名作を決して忘れぬよう。




