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人生が神々の遊戯であるとはよく言ったもので、唐突に、脈絡無く、アクシデントは起こる。
遠回りを嫌って林を突っ切ろうとしたら、帝国軍御一行様と鉢合わせだ。20人程、見たところまともな装備なのでおそらく正規兵。騎士は2人。味方の陣営に帝国の勢力はまだいない。敵である。敵側とはいえ傭兵同士ならば戦う理由も無いので先の男のように雑談でも出来るのだが、正規兵の、それも騎士がいるとなれば俄然緊張が走る。帝国軍からすれば自分達は敗軍の将兵であり、落ち武者狩りの対象だ。戦場に残っている傭兵はほぼ敵兵であり、単騎とはいえ仲間を呼ばれる前に始末したいはず。私としては単騎では取り逃がしや、死兵となって抵抗されると無駄に損耗する可能性が高いので何とか逃げたい──が、それを許してはくれなさそうだ。臨戦体勢が早い。もう何度もこうして来たのだろう。
「皆々様、こちらは争うつもりはありませんのでどうか武器を収めては──」
正面からの突きを剣で捌き、そのまま懐へ入って喉を切り裂く。左右へ回り込む兵を認める。左手の兵を睨み、動揺で穂先が浮いた瞬間を見逃さず、間合いを詰め革鎧ごと胸を貫く。剣が折れる。すぐさま腰の剣を奪い、身を翻して構える。
「貴様、強いな。我々は帝国でも精兵と呼ばれる練度を誇る。それを2人、いとも簡単に切り伏せるとは」
騎士の一人、兜で顔は見えないが、若い声だ。金属を多く使った鎧に装飾まで施すとは、貴族か勢いある新興領主の騎士か、なんにせよ金がある。しかも雑兵にまで革鎧が行き渡っているとなると、少数精鋭の何か…、騎士と従士か。だがそう考えると騎士2人に取り巻き20は多い。従士を残して親玉の騎士だけが討たれるとは考え辛いから、この一行は貴族とその側近、護衛だろうか。可能性は低いが編成的に騎士団の可能性もある。そしておそらく今話している若い鞍上が大物。騎士2人の外装に差は無いが、長く生きると、醸し出される雰囲気から格というものがわかるようになってくるのだ。
「お褒めに預かり光栄です。閣下。いかがでしょう?ここは双方退きませぬか。私もこの数と闘うのは骨が折れますし、閣下が勝たれましても相当な痛手となりましょう。いかなしがらみで王冠に参られたかは存ぜませぬが、徒に兵を損じては帝国の本領へ帰ることも儘なりますまい」
「ふんっ、傭兵風情が知った口を聞く。貴様を逃して兵を呼ばれては戦場を抜けられん。先は不意の遭遇で隊伍が乱れたが、今なら数の利を活かせる。……それに、私も強いぞ」
少し距離はあるが、確かに私を相手にして弱くはなさそうに見える。だが彼我の力量差を感じさせる程の相手ではない。半分以上は虚勢だろう。いくらか時間を稼げば逃げてくれると思いたい。状況では単騎で不利の私が追うことはなく、向こうは留まることに不利益しかないはず。だから帰ってくれ。私も早く帰りたいのだ。
「いやはや、いかにもその通りでありますな。ですがよくお考え下さい。戦の勝敗は決して、もうしばらくしております。追撃の手も離れましたが、それはお味方も遠くへいかれたわけでありましょう?しかしこちらは足の遅い本陣が近くに留まっているわけですから、大声で敵軍ありと叫ぶだけで部隊が飛んで参りましょう。ここで私に構う構わずに関わらず、変わらぬ時間で援兵が来るわけですから、早々に逃げられるのが得策かと」
ちなみに遠くへ行くと逝くで掛かっている。小粋な戦場ジョークだ。……センスが出るな。
「よく回る口だ。よほど死にたくないとみえる」
「傭兵ですからね。命あっての物種です。手柄は十分立てましたから、見逃して頂けましたら私も黙って逃げますよ」
「傭兵に情けを駆ける心があるとも思えんがな」
「ですが、損得勘定は出来ます。専業ではありませんので算術は得意です」
嘘ではない。兼業の傭兵がいるというのも事実だ。戦地を転々とする性質、死体漁りと盗品売却が副収入となる都合、商売に関わる者も多い。
「……確かに貴様の言にも理がある。貴様が言を翻して兵を呼んだとしても、我らのすることは変わらんか。よかろう。提案に乗ってやる。こちらはなぜか兵が減っていることになるわけだが、お互い、何も見なかったことにしようではないか」
「感謝いたします。さらば留まる故もありませぬ。これにて失礼」
背を見せず剣を構えたまま下がる。弓兵は混戦とみて抜剣しているが、手投げの飛び道具を使う者もいる。
「っ、待て!」
なんだ、まだ用か。……いや、ここは気付いてやるべきだったな。敗北して主力は追撃を受けている。その上で未だ戦地周辺にいるとすれば、迷子にほかならない。戦域を離脱する際に森に入って追手を撒こうとしたのだろう。それで追撃を躱せたかはわからんが、少数ゆえ身を隠して進んでいたら、敵主力の近くに来てしまったと。これは危険だ。その上戦闘直後で敗軍となれば心身共に疲弊していることは想像に難くない。とはいえ身分のある方にとって敵兵に道を尋ねるなど屈辱だ。であれば、何も言う前に独り言を呟いて差し上げるべきだろう。いやはや、世にこれほどの配慮と慈愛を持ち合わせた人物がいかほどいるだろうか。私は異教徒だが、聖殿に列聖されてしまうかもしれないな!
「このまま進めば大公の軍勢があります。引き返しても死体漁りや近隣の村々を略奪しに向かった傭兵がいるはずです。東であれば森が続きます。もうじき日が沈みますが、この大戦です。根城とする野盗がいても、今は遠くへ離れているでしょうなぁ」
ついでに手袋をしたままだが、東を示すサービスも付けておく。兵らが青い顔をしているが、敵による望外の親切に驚いているのだろう。
「あ、あぁそうか…いや、そうではない」
違うのかぁ。今日は空回りが多いような。
「ではなにか」
「その首級……。貴様が獲ったのか?」
馬上の金属塊が下馬し寄って来て、私の右腰を指す。
「これですか?ええ、討ち取りました。形だけの若造が2人と中年。一団に固まって兵を率いておりましたので。知らぬ紋章で名のある家門とは思えませぬから、まとめて身軽にして差し上げましたよ。おかげで今日は稼げました。名も知りませぬが、彼らには感謝いたしませんと」
名家の一門かその配下であれば身代金を期待できるので生け捕りにするが、そうでなけるば手柄の徴は軽い方が良い。身分や地位を表す装飾は残しつつ兜などの金属を外すのは一手間だが、人間の頭は存外重いのだ。持ったまま戦うと余計な疲労となるし、安全に剥ぎ取るため露払いをしていると盗まれる可能性もある。だが生け捕りにしてしまえばそれを以て早々に戦場を離れられる。ゆえに私は生け捕りを好むのだが、相応の者を見つけられるかは運がいるうえ、名のある貴族は後方にいることが多く、適当な首級を集めるに留まることも多い。
「感謝だと?どういう意味だ!」
合わせて後方のお付き共もざわつき始める。
なんだ?気が立っているようだが、何か癇に障ることでも言っただろうか?トラブルの予感がしても検討つかない点が異文化コミュニケーションの難しいところだ。こういう時は善人振るに限る。
「……食事をする際には『いただきます』といいますよね?日々を生きるため糧に感謝する。こういった心を忘れた時に人は獣となります。戦場という非日常でこそ、信仰心が試されるのでしょう」
感情的になっている人間にはとりあえず信仰、道徳、規範、この辺りを説くのが無難だ。ちなみに神学の問題であるが、食事に際し命に感謝する習慣は魔族を起源とするらしい。対して彼ら聖殿の信仰に於いては水が血や植物に形を変えるように、命も姿を変えているに過ぎず、各個体の生死はそれぞれ定められた運命であるとしている。魔族と対立する聖殿は基本的に魔族に関わるものを否定しているものの、あまりに一般に浸透した慣習を否定は出来ず、その糧となる運命を与えた女神に感謝する、と解釈を付けているらしい。
「ふざけるな!私の仲間が豚や鶏と同じだと言うのか!」
仲間?まあ確かに異種族に対して同族は仲間か。首級の元の人間のことかとも思ったが、仲間を殺す殺されるは戦場の常。この騎士殿は私目線で見ても実力は同格で、そうなれば場数は踏んでいるはず。基本的な心構えは身に沁みていると思われるが。
「比喩としてはそうですね。食卓の畜肉に当たりましょうか。種族でいえばそもそも豚と鶏も違う種でしょう?」
「貴様あ!!!兄上は!……父上はぁあ!!!」
一直線に斬りかかって来る。速い。だが、こちらは既に抜剣している!
前へ跳ぶ。鉄塊の隙間、ヘルムと鎧の継ぎ目を目掛け、全体重を乗せて剣先を滑らせる。
「ぅぐっ!」
捉えた。鈍い。胸甲を貫いたがやはり帷子か。鉄が擦れ軋む不協和音は金属音によって途切れる。剣先が欠けた。帝国精鋭の剣とはいえ、こう乱暴に扱ってはままならんか。渾身の一突きを堪えてみせた騎士は、踏みとどまった姿勢のまま、上体の回転のみで斬り上げてくる。体は前傾に倒れ行く。避けられない。ならば!と、力の赴くまま騎士にもたれかかり、そのまま倒れ込む。間合いさえ潰してしまえば、攻撃を受けるが今確実な死を避けられる。
「カミーユ!」
高い声だ。声の主を見ることはできないが、少しくぐもっているから、もう一人の騎士だろう。
そうか、この狂乱の騎士はカミーユというのか。女みたいな名前だな。
消える浮揚感。金属のぶつかる音。複数の足音。思考の起こりよりも先に身体が動く。大地より飛び上がり2,3歩距離をとる。
風が心地良い。陽は木々に遮られ届かず、薄暗く湿った世界は、血に眠る太古の記憶を呼び起こす。
「あ、あれは──」
陰気で血腥い。戦場はいい場所だ。滅び去る価値のあるものの在処に相応しい。
「──何の獣か分からんが、その獣人にも似るという形と見えるようで見えぬ奇怪な面妖。霞がかって朧げなという話は本当だったか。……お伽話に聞こえし人狼。邪神の尖兵。ここで殺さなければ。ミカ、どうやらこれは運命だったらしい。今日の戦いも、父上達の死も、仇が人狼だったから!奴の餌になんてさせん。この化け物に仲間を渡すわけにはいかない!」
転げた拍子に留め具が外れ外套が脱げてしまったらしい。頭巾も一体だったので、おかげで正体を晒してしまった。体を起こし相手を認めれば、銀の君。なるほど、女のような名前とはまさに女ゆえにか。
「……そうですか。ようやく貴女の戦う理由がわかりました。お知り合いなのですね。お父上と、ご同僚ですかな?ですがただで渡すわけには行きません。報酬は金で代えられますが、功績はいかんともし難い。今敗れて死ぬか飢えて死ぬかの違いです。であれば、この首は譲れませんな」
しかしこれは一般論。金には困っていないので、名も無い首くらい欲しければくれてやってもいい。だが一匹の戦士として、挑んで来る相手から理由なく逃げることは憚られる。相手が明確に格下でないのであればなおさら。
「や、やっぱり食べるんだぁ……」
ミカと呼ばれた騎士が震える声で鳴く。こちらは比べて弱そうだ。周囲で竦んでいる従士と大差ない。しかし正面に装備で勝る同格がいる以上、雑魚とはいえ数の不利は響いてくる。
「ミカ殿でしたか。それは誤解ですな。内臓は鮮度が重要。時間の経ったものとなると食用には不向きです」
脳は美味いが、私も流れの者とはいえ人間社会に潜伏しているので、人前で食人は基本的にしない。目撃者全員か、または隠れて食べるのだ。
「ほざけ。貴様は殺す。聖殿がその存在を見過ごしても、女神に導かれし人々は邪悪を見抜く」
言いたいことは幾らもあるし、面倒な戦いをせずに済むならばそうしたいが、もはや向こうにその気は無いらしい。退く気が無いなら逃げてやる理由も無い。
「まこと理解し難い。人とは理性であると学んだのですがねぇ。獣っぽい見た目の私の方が理性的ではありませんか。これを説いたのもまた人であったと思うしかないのでしょう」
「口を閉じろ。化物が人を説くな」
カミーユが駆ける。
「おお、怖い怖い。怒りか恨みか。これを獣から感じることは無いぞ」
軽口を叩いて考察を放棄し、戦闘に心を向ける。大股に開き重心を落とす。欠けた剣を構え、敵を睨む。一撃必殺。双方持てる力は互いを一撃で仕留めるに十分。
「つぇああぁあ!!!」
カミーユは一歩で間合いを詰め、大上段の柄が動く。それを認めた後大きく後ろ跳びに躱すが、それは相手も予想済み。踏み込んだ前脚の力だけで地面を蹴り、私を捉える。深青の瞳が私を睨む。怒り悲しみ恨み苦しみ、そしてそこに確かにある喜びを、私は見逃さない。勝利の確信と闘争本能の充足を。良い戦士だ。若いのによくぞここまで鍛えたものだ。とても首級の血縁とは思えん。特異個体というやつだろうか。まれに種族の域を超えた個が生まれると聞く。人間相手であれば敵う者は限られよう。人間であれば。接地した片脚の爪先にほとんど溜めをつくることなく、少しの筋肉と脚部の回転による関節の伸びだけで、さらに後方へ。大剣が振り下ろされ、切先が長き右耳の中程を裂く。切先が大地を抉り、無理に攻撃を伸ばしたカミーユの体勢は崩れた。私は接地と共に上段に構え、獲物を認める。眼下には前屈になって晒されたうなじ。切先の欠けた剣を掲げる私はさながら処刑人だ。彼女は今、どんな顔をしているだろう。勝利の確信が死の予感へと変じ、何を思うのか。学者は受け容れられざる死の否定と言った。だが、死した者の言葉は紡がれない。柄を握る両手に力が入る。大きく息を吸って振り絞った肺を戻せば、私は世界に独り。奥で騒ぐ雑兵の雑音は消え、乱れる銀の髪に残光が煌めく。耀きに目を細めれば、体が動かない。なぜか。臆して強張っているものとは違う。拘束されているような不自然さ。しかしそれは一瞬。体は拘束を振り切って動き出すが、その一瞬は、我々にとって勝負を決めるには十分だった。銀の煌きは長髪から細剣に替わり、痛みよりも先に視界の血沫で傷に気づく。異様な切れ味。我々の体を切り裂いて肉を断ったのだ。世に知られた名剣か、魔術のある宝剣か。主武器とした大剣に変哲は無かったゆえ油断したのか?出血で力が抜け、剣を取り落とす。何とか踏みとどまるが、視界の端に斬り返してくるカミーユが映る。次は私が見下ろされる番。私はどのような顔をしているだろう。残念なことに、自分の顔は見られない。
死の予感。だがそれ以上は無い。
更なる出血を無視して上体を起こし、その勢いで腰を回転させ、最小の回避挙動と合わせて左腕を振るう。カミーユの追撃が右肩を裂く。左手の爪を伸ばし胸甲辺りから大きく切り裂いた手応えがあるが、致命傷ではなさそうだ。大動脈や腱を捉えた弾力が無い。体が地に伏し、遅れて胸甲の残骸が落ちてくる。顔だけ向ければ、左上半身をはだけさせたカミーユが切先を突き付けている。
「その剣、いいものです。魔術の類でしょう?見た目以上に傷が深い」
しかも中々塞がらない。先程急速に左手の爪を伸ばした様に、人狼は代謝を操作することで肉体を変形させることができる。だが、それを阻害している何か、おおよそ人間相手には過剰と思われる効果があるらしい。
「……父から譲られし魔物狩りの宝剣。女神の祝福を受けし宝物を人間同士の戦場に持ち出すことには反対だったのだが、私の気まぐれか女神のお導きか。人間相手ならば切れ味抜群の細剣に過ぎない。これが効くということが、人狼が人類ならざる証左だ」
「はは……。蒙昧ですな。それは祝福ほどのものではありませんよ。明らかに人の魔術です」
神々の超常の力である奇跡や祝福を研究し、その効能を真似て編み出された技術が魔術─他にも魔導などいくつか呼び方がある─で、先天的素養によって用いられる超常の力が魔法だ。魔術は近年の聖遺物収集熱の高まりをうけ、冒険者と共に注目を集めているが、魔法使いなど滅多に現れず、聖殿では協力的な者を女神の代行者と位置付けていた。
そして、神々の祝福を受けた聖遺物が近くに存在すれば我々が気づけないはずがない。我々は、特に私は霊感にも優れており、霊的な効能が強ければ強いほど、気配も強くなる。
「気味が悪い。なぜそう飄々としていられる。死ぬんだぞ?仇と敵意を向ける相手に、なぜ平然と言葉を返せる。申し訳なさというか、罪悪感に駆られたりはしないのか。貴様には人の心が無いのか……」
首筋に宝剣が突きつけられる。
「罪を悔い詫びれば見逃すと?それは貴女自身の罪悪感ですよ。理屈では世の常道を理解していながら、一時の情動で反してしまった。それを貴女自身が道徳的な敵と考える我々を赦すことで、自身の徳とし相殺しようとしている。違いますか?」
「や、やめろ──」
「しかしその惰弱な心を飲み込み精神を確かに己のものとしなければ人たり得ない。貴女には力がある。そもそも罪とは人間の──」
「もうやめてくれ!」
血が噴き出す。トドメを刺された。
だが、伝えるべきは伝えた。これほどであれば、順調にいけば彼女は数年で私を超えるだろう。おつむの方はわからぬが、人であるうちは、私の言葉を忘れることは出来ない。悩み苛まれ、侵食され、そうして、彼女は私になるのだ。
人の奥底にあるのは、純粋な魂。苦しみの果て、全てを捨てた先にある楽園で待っているぞ。
侵食感染する思想。このアイデアを広められないことが、ただ少し残念だ。だがそれも彼女が──。