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夕日は燃え、骸を埋める平原をその陽で隠す。
矢は屍を飾り、剣は墓標に擬す。
敗軍を追う猟犬は彼方へ消え、動くは骸に群れる鴉と流れる雲のみ。
「……あぁ、──」
美しい。
思わず口をつく。
──いつ以来であろう。心動かされるは。
この、輝かしくも昏く、高尚にして堕落した、醜悪な絶景。悍しき明けの王よ、汝を湛う世界はかく美しき。瞼を閉じ、今に伝わる名句の数々を思う。足りぬ。そして、足りぬ。今、私を包む世界、この瞬間を著すに、過去幾万の麗句では不足だ。
「傭兵殿、なにをされているのですか」
何者か。無粋な奴め。
目を開き、せめて焼き付けようと眺める。
今日ここで、千を超える命が消えた。恐怖と興奮、絶望と希望、数刻全て純然たる精神を闘争の渦に閉じ、その底に今、満足と渇望がある。
「堪らぬのか。哀しきか、嬉しきか。ですが、渇き欲するからこそ、人は苦しむのでしょう」
私には、この様を称えることができない。
残念であるものの、しかし、それほどのものと再び出会えたことは歓びである。
この世に未だ私を感じせしむものがあろうとは。日よ、汝は美しい。
「むぅ。よくわかんないけど、変わった方ですね。傭兵でしたら戦闘後の今が稼ぎ時でしょうに。だのに呆けてる方がいて、ふっと気になったんですよ。まぐれで生き残った新兵かとも思いましたけど、その出で立ち、ただ者じゃないでしょう?……まあ、尋常じゃないのは頭もみたいですけれどね」
殺すぞ。──止めだ。
躰が突き動いたが、どうにも気が向かない。それに、少しは強そうだ。騎士か、金のある傭兵か。馬付きで質の良い武具に、鍛えられた肉体。それにしては護衛がいないのは不自然だが、討たれたと考えることもできる。
「……興が醒めました」
「んぇ?興がなんて?……ああ、そうだ。一昨日の芸人一座。いやー、あの踊り子さん達、可愛かったですよね。見ましたか?」
尋常じゃねぇ頭なのはキサマだよ。誰か知らぬが。
「ええ、ええ。そうです。そうでしょうとも」
なんというか、まさに何と言うのか、呆れて言葉が出ない。珍しく感傷に浸っているというのに、つまらん真似をしてくれる。
「やはりデカい戦ですと大物の貴族も出てきますし、金が動く分、上物も出てくる。若くて見目の良い。ちょっと幼い気もしましたが、人の数も多い分、ああ云うのが好みな方もいるみたいですしね」
私に言っているのか?馬鹿を言うな。誰がただの人間を好むか。異種族を性好する者もままいるが、私には厳しい。
「色恋は文芸の一つの有力な命題ですが、私はそこに技法以上の価値を見い出せていません」
「わからないけどわかる。難しいこと言ってるね。僕、頭悪いからもっと易しく喋ってくれない?」
無知む知。
知らぬということを知ることが、知への第一歩──と言っても無駄だろう。
「芸は悪くありませんでしたが、好みの女はいませんでした」
面倒くさいので適当に返しておく。
「それは君、どんな楽園から来たんです……」
楽園ね。世広しといえど楽園といえばエリゼかヴァル。どちらも古い地名だが、ヴァルを楽園という意味で用いるのはもはや我々くらいで、諸種族は冥界や地獄と訳すことが多い。そして、この男は明らかに同胞ではない。となるとエリゼに擬えたのだろうが……。
「あいにく、そう華やかなる園は存じ上げぬのです。聞くところによると何処か彼方にあり、争いや老いは無く、美男美女が揃い、皆歌い踊り過ごす、満たされぬ者無き酒池肉林だとか。一度は目指してみたいものです。あなたは何か存じておりますか?」
しかしそのような世界が楽園とはな。飽きと停滞、連続性の永遠に囚われる牢獄ではないか。そんなものは終わることへの恐れから来る妄想に過ぎない。諸種族はエリゼを夢見るが、私には理解できない。諸文明の発祥と聞く地とは信じられない。
「おっ、そういう話、好き?」
「今は傭兵紛いのことをしていますが、昔学問をかじりましてね。旅の途中、説教師もしているのですよ」
実を言うとと言っても隠すことでは無いのだが。隠すのは正体だけで十分だ。
「学者?説教師?……あー、聖職者志望?なんというのか頑張ってね。夢とか憧れとかで冒険して、結局は野盗か傭兵ってのは珍しくないでしょ。といっても、そういう手合いは心も身体も弱くてすぐ死んじゃうけど、君みたいに腰に首級を3つもぶら下げてる人はまずいない。それ、結構上の首でしょう?」
別に夢破れたわけではない。詩作の才能が微妙とは自覚しているが、誰かに師事すればこれも多少のものにはなるのだろう。というか文学はほとんど趣味なのでどうでもいい。旅の合間、しばしの気休めだ。専門は神学で錬金術もこなす。
「そのようで。ですから日暮らし以上には余裕がありましてね、死体漁りなどせず物思いに耽っていたわけです。ご理解頂けましたか」
「まあ、変な方には変わりないけど」
「何も言いますまい。……そういうわけで、聖地エリゼには興味があるのですけれど、面白い話でも?」
期待してはいないが、感傷に浸る気は折られてしまったし、雑談も悪くはない。まもなく日が沈み帰ることになるが、それまではどうせ暇なのだ。
「ふふんっ、聞いて驚け、僕はその楽園の出身なんだ」
なんだ冒険者か。冒険者といっても、未開の地や魔族の支配域を冒険して遺物を回収する者と、資金と実力をつけ貴族への成り上がりを目指し政治的な冒険をする者がいる。政治的な冒険の場合適当な出生があると望ましいので、元貴族や落胤、派手さを求めて神話に起源を求める者もいる。まあ、どちらの冒険にしろ金がいるので平時は傭兵と同じような仕事をしているのだが。黄金郷の件や東部新領開拓で数年前から流行っているらしい。知っていますか?冒険して結局は野盗か傭兵というのは珍しくないそうですよ。
「ほお、楽園から。でしたら死霊か何かですか。戦場跡ですから相応しいでしょうけれど、出戻るにはちと早いのでは」
我々の楽園は死後の世界である。荒野に魂が集い、朽ち果てるまで彷徨い続けるのだ。
「いやいや、冗談じゃない。楽園はそういう神話じゃないよ!」
「信仰の都合神話を神話に過ぎぬと言い切っては些か問題がありますが、現実的に、楽園は神話や御伽話でしょう。モデルとなったエリゼという土地はありますけれど、その地にあった文明も1000年は昔に魔族に滅ぼされたといいます」
少し歴史について触れる機会があれば知っている話だ。エリゼの神話を知らぬという種族は知らないから、その神話の終わりとしてエリゼという土地の歴史を知る者は民衆にも多い。
「だから、そのエリゼ出身なんだって。で、現地人の僕が神話は嘘じゃないって言ってるんだよ」
「ふーむ。なかなか面白い言い方ですのでお付きあいしますが、ではなぜその楽園を出たのです?神話の通りならば目指しこそすれ離れる理由は無さそうですが」
「ああ!信じてないね!」
「それはそうでしょう。で、どうなのです?」
「だから言ったでしょ?神話は嘘じゃないんだ。はるか昔魔族に滅ぼされて以来、今もその支配下。で、僕はそこから逃げ出して来たの」
「それはそれは。ではもはやエリゼは楽園ではないと」
いわく、戯曲は終幕が重要らしい。見たこと無いが。
「今はね。でも楽園の遺産は多くが遺ってる。子供の頃の記憶だけど、魔族も価値がわかるようで研究に残しているらしい。だから僕は出世していつか故郷を取り戻すのさ!」
「70点。神話の基本を踏襲しつつも、しかし終わりは突然滅ぼされて終わりとせずに新たな物語の続きを予感させる。神話部分が薄く物語の骨子が弱いですが、終わり良ければ全て良し。粗野な見た目によらず、才能ありますね。古い神話を根拠に貴族を目指すのは冒険者の常套ですが、ここまで練られるなら吟遊詩人を目指してみては?良い貴族のお抱えを狙う方が現実的ですよ?」
吟遊詩人の話す楽園神話は、終わりに困ってありきたりな機械神に頼るものが多い。ある種のテンプレートだが、そればかりではつまらない。一昨日の一座にいた吟遊詩人もそうだった。無学な兵士にはウケていたが、私にはつまらなかったので内容は忘れてしまった。
「いやだから本当なんだ……ってもういいよ。みんな同じ、誰も楽園を信じちゃいないんだ」
おや、少し拗ねてしまったか。信じていないのは神話でなくて君をだよ、と言うと辛辣すぎるな。見ず知らずの人を気まぐれで自殺に追い込むのはさすがに心が無い。ここは煽てておこう。話はそこそこ面白かった。この才能を潰すのは惜しい。
「しかし言い換えれば神話の踏襲とは則ち、あなたの話に誤りは無く、出自についても信憑性はともかく不自然な点は無いということでもあります」
「……ん?なに、君、僕を馬鹿にしてるわけじゃないの?」
「もっともそれを示す証拠が無いので与太話の域を出ませんが──」
「与太話……、やっぱ誰も僕を信じてくれないんだ」
「──いえ、いえ、そのようなことは言っていません。むしろ逆と言えましょう。少々迂遠な言い回しをしすぎましたね。簡潔に言ってしまえば、あなたの話は信じられる。ですがそれでは足りません」
「足りない?」
「ええ。貴族も農奴も、皆生きるに忙しいのです。その内の僅かな自由をあなたの言葉に割くには信用が足りない」
「信用……。生まれも信じられない僕に、信用なんて……」
「ふむ。しかし、生まれの正しい者など貴族の他に何がおりましょう」
結局のところ、必要なのは建前と実力というわけだ。虚仮では駄目だが、看板は立派であるに越したことはない。
「じゃあ、どうしようも無いっていうの」
「先程も申し上げましたが、あなたには才能があります。どうです。ここから戦場跡を一望できますが、何か思うところはあるでしょう?それを口にすればよろしいのですよ」
よし、ゴールだ。上手く発言を継ぎ接ぎして誘導できただろう。詐欺師の才能があるやも知れん。……嬉しくないな。
「……だめだ。これじゃ、まだ」
「ふむふむ」
「これじゃ戦いは終わらない。でも、僕ならもっと上手くやれる。……よし、決めた!善は急げだ。さっそく伯爵に相談しよう!君には励まされたね。名も無き傭兵君。あの気まぐれは女神のお導きであったのかもしれないな。であれば君は女神様の遣いだ。いづれ縁もあろう。また会おう!」
まくし立てて青年は瞬く間に馬を翻して駆けて行く。
「…………んんん?」
勢いに押されて何も言えなかったが、何か盛大な勘違いがあったような。少なくとも私は失敗していた気がする。名前も聞きそびれてしまった。が、まあいい。彼の言うとおり、また縁があればその時に思い出すだろう。
帰ろう。
闘争の昂りは醒め、夕日はもはや哀愁を感じさせるのみ。
今日も良い一日であった。