0.5
旅というものをしたことは今までに何度かあったけれど、全ての準備を自分でするのは大変なことと知りました。道順を決め日程を決め、人員の選定と物資の準備、移動にかかる諸費用の選定と、通過する土地の領主宛の書状。彼らから受け取る贈り物を聖殿へ持ち帰る輸送隊と護衛。まず思いつくだけでもこの手間です。これでも多くの特権で移動が楽になっているのですから、下々の旅は想像も出来ません。このような事を想像どころか実行するハメになったのも、勇者のせい……、おかげです。やれ「なにそれは可哀そう」だ、やれ「誰それを助けたい」だ、彼が軟弱なことばかり言うせいで、私がお守りをするはめになりました。彼が無垢なのが救いですが、精神操作は疲れるのです。諸々のマネジメントをしつつ週1以上の頻度で魔法を行使させられると、さすがの私も堪えてしまいます。こんなことになるならと準備していた第二案も、候補者が軒並み竜に潰されてしまったのでご破産。凍結です。ホント忌々しい限りですが、彼を捨てて聖殿が潰れては本末転倒。嫌々でも次の旅を準備しないことにはいけません。
「エリファス猊下。お客様です。べラニア伯爵の遣いが挨拶に参られました」
と、こんな感じで普段の仕事が減っているわけではないというのも問題です。勇者に手間取って、枢機卿の職役を疎かにしては、他の枢機卿達の思惑通り政治的影響力を削いでしまう。そうなると権益を固め私の楽園を造るというささやかな夢も進捗が後退するでしょう。勇者を使って一気に進めるつもりが、その運用権にも介入されるし、ホント厄介なこと。
「ドランバークの請求権か称号格上げの催促でしょう。……急ぎではなさそうね。『しばらく』と伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
帝国北部新領の権益は複雑。現地領主や住民間の紛争はもちろん。後援している大貴族と支援を求めつつも権益を独占したい現地領主。同様に各大聖堂と現地の聖堂。法的な問題では皇帝側か否かで態度が変わるうえ、法や権利の問題が絡むと、こうして聖殿も一枚噛むことになる。バラカナ地方を喪失して以来、今や数少ない開拓先なので皆必死だ。かくいう私も他人事ではないのだけれど。私を頼っているべラニア伯爵は有力領主の一人。便宜を図りたいものの、ドランバーク伯は黄金騎士団と繋がりが特に強く、公爵級の称号も司教領と係争することになるので、どちらも簡単にはいかない。無論、べラニア伯も理解しているとは思うけれど、催促を寄越してきた以上、繋ぎ止めるには何か利益をもたらしてやるべきでしょう。法王に請求権を認めてもらうのが難しくとも、ドランバーク伯領に介入しやすくなるような何か。少なくとも黄金騎士団の弱体化は私達にも利益になります。北部新領での競争相手であり、帝国の反聖殿を助長する一因。しかし戦力は聖戦の宛になるので、上手く乗っ取りたいところですが、私の仕事ではありません。ただ、個人的にカミーユ卿とアレーティア卿には借りがあります。心付けの甲斐あってか口止めは守られているようですけれど、強気に要求されると断われない。勇者事業は軌道に乗ってきたばかり。私を恐喝するなら良いタイミングです。かといって彼女達を排除するのは困難。物理的には勝てませんし、修道会を廃せるなら苦労はしません。厄介な案件を特務として押し付けられないか画策しているものの、法王の反応は良くない。いっそ秘跡省の権限で動かしてしまいましょうか。一時的にですが、黄金騎士団の弱体化にも繋がります。……これ以上は後で考えるとしますか。
「少し早いですが会合に行きます。ニヤが戻ったらアルフレーテに付いているよう伝えないさい」
勇者が私の側に靡くよう何人か見目良い女を見繕ってけしかけてみたが、かなり女々しい魂のようで手を出さなかった。ニヤとは仲良くしているようだけれど、獣人が相手では何かと角が立つ。かといって男をやって手を出されても問題。世の潮流もあってか退廃文学が流行し上流階級で同性愛を嗜む風潮はあるものの、聖殿で罪としている以上、布教の広告が罪人では不味い。教典の解釈を変えて黙認する手も無いわけではないけれど、根回しはかなり手間なうえ、そんなことをしている余裕は私にも人類にも無い。私は政争で勢いに翳りがあり、人類は長い戦乱で危機的な人口不足。未だ社会体制は維持できているものの、特に食料生産の点が喫緊の課題です。バラカナ地方の喪失で肥沃な湖水地帯への出口を失い、民間レベルで取引のあった南方大陸の魔族王朝も崩壊して食料輸入が激減しています。ここ数年はルコテシアで豊作が続いたので問題は顕在化していないものの、件の北部新領の開拓を急がなければ。そうなると、その開拓者をどこから集めるのか、という問題が出ます。魔族に土地を追われた者、戦費を賄う重税で逃亡した者、こういった者達で多少体力のある者は冒険者と呼ばれる日暮らしの浮浪者か傭兵になっています。あれらはバラカナの対魔族最前線に集まっていて、机の上にはバラカナ王国の残党貴族連合からさらなる軍事支援の要望を記した嘆願書があるわけです。これを受けた聖殿の回答が冒険者の引き上げでは外道が過ぎる。私利私欲に塗れたとはいえ、流石にそこまで堕ちてはいないでしょう。他の地域でも女性兵士が一般的になるほど男手が不足している状況に変わりはなく……と、まぁこんな状況で『産めよ増やせよ』の教義を曲げようなんて筋が通らない。産んで増やす人類も食料も不足しているとはいえ、我々、女神の代理として人類を導く聖殿が諦めるわけにはいきません。なので勇者にはしばらくニヤと仲良くしてもらいます。
今日も今日とて、在聖殿領の枢機卿他、有力司教が集まって重要な懸案について議論を行う。こういった会議が頻繁に開催されるということは、それだけ問題が山積みなわけです。幸いなことと言えば勇者関連の議題が上がらないことでしょうか。……既に十分な煮え湯を飲まされたので。
「ルコテシアの新税が聖堂も対象となる件で抗議を──」
「帝国が支援を盾にバラカナ王国再建しようと──」
「ハイナース島から食料を輸入──」
「南部での海賊問題と補填費用で──」
どうしようもない問題ばかり。各々地盤の問題を優先させようと躍起になっている。これを上手く裁量するのが私達枢機卿なわけだが、私は魔法を使うことで困っている民衆や有力者から支持を受けているため、特定の地盤が少なく関与せずに済む。それでも最近は余裕がないので、派閥外の利権に干渉して権益を削るようにしているのだけれど。
「それでは次の議題。ホイロイ王冠の紛争だが、異端問題も絡んで緊張が高まっておる。王都では武装した市民の衝突がもう何度も起きており、近郊で戦闘も発生したとか」
これはまた嫌な話題です。下手をすると、勇者降臨を謳って反攻の気運を高めようという時に水を差すことになります。
「王都の大司教は何をしておるのだ。ローデリック。君の推薦で交代させたのだったな。事態は鎮静どこか悪化しておるぞ」
「指導者のヘスを教授職から解かせたそうだ。進歩的な学生や聖職者を追い出して宮廷を固めたと。態度を決めかねていた王子の支持も取り付けたのだから上出来じゃないか」
「そのせいで異端が過激化しているのではないか。大公側には賛同者も多い。火種を繋げてどうするつもりだ」
「どのみち継承問題での衝突は止められんさ。どうせ燃えるなら火種はまとめて焼き尽くしたい。それがわかっているから貴卿も王子側で諸侯を取り纏めておるのだろう?気づいておらんとでも思ったのか」
「むぅ……。だがそれは王子側が勝つ前提での話だ。わしは諸侯が仲裁に動けるよう──」
「案ずるな。帝国に働きかけて支援の準備をさせてある。王子は未婚だからな。次の代で取り込めるとなれば、皇帝を釣るに足る餌よ」
「両者、争うのは勝手だが、保険はかけるべきでないか?王子側を支援する帝国貴族がいるなら反対もいる。皇帝も対立的でなかったかもしれないが、もう歳だ。子息のために冒険するかもしれん。聖殿の不利益となっては君らも困ろう」
「そうだ。たしかに帝国を信用するのはよろしくない。どうだろう。ここはアキリア公に介入させて帝国の離反を防ぐというのは」
「だがそれではアペニカに戦火が波及する可能性が──」
「そもそもアキリア公に何の口実で──」
黙って聞いていると、どんどん話が盛り上がっていく。熱くなっている者達はホイロイの混乱に乗じて利権に食い込みたいけれど、火種が燃え盛った際の火力を恐れて及び腰みたい。派閥の筆頭ローデリック卿を除いて。残りはローデリック卿の勢力拡大を止めたい人かな。
「ふむ。どうやらホイロイ王冠の問題でアキリア公を頼るのはよした方が良いみたいですな。彼にはターゲストへの支援を優先してもらいましょう。周辺が冒険者の流入でバラカナ貴族の支配が弱まっている以上、地域の秩序を保つ有力者は必要ですからな。これでどうです?」
「ううむ……、だが無策は呑めん。勇者を派遣すべきだ。現地の異端を懐柔して、王子側なら帝国を大公側なら諸侯を掣肘できるよう。彼の地で民心を治め信仰を取り戻す。適任であろう?」
必然的に私もか。せめてローデリック派の有力者を遠ざけたい、というところでしょうね。
「さて、それが有効でしょうか。聖殿から派遣となればどちらの貴族も警戒します。異端との話合いが拗れた場合、勇者のイメージダウンに繋がりかねません。それにアペニカでも先にありました南部での海賊被害や、それこそタイホン島の怪物も残っています。私は反対です」
観光でもないのに遠出はしたくない。真面目な話、聖殿領での重要な集会に直接参加出来ないのが不味い。しかも各地の支援者・協力者との連絡まで滞ってしまう。
「呪われた島か……。あの怪物共はいくら勇者とて手に余る。それに近づかなければ大きな被害は無い。むしろ我々より魔族の方が被害を受けているのだ。わざわざ刺激することないだろう」
「海賊も実態は漁民。騎士団と領主に任せるのが良かろうて」
やばい。論破される。助けて、ローデリックおじさん!
「だ、そうだ、エリファス卿。勇者事業の最終目標からして、どのみち異端は避けて通れまい。……法皇には私から承認を得ておく。準備しなさい」
諦めなさいって顔。仕方ありませんか。
「……わかりました。準備には然程かかりませんけれど、大仕事になるでしょう。秘跡省の追加予算案に加えますが、よろしいですね」
質問ではなく、要求。面倒を引き受ける代わりに要求を通す。これが政治です。