聖暦1000年。
預言書にある救済の始まり、ミレニアム。魔族との戦いで追い詰められた人類にとって、それは希望の年であった。ゆえに聖殿は預言を準り救世主を喚ぶ。かつて女神と共に邪悪な竜を討ち、人類を救った勇者を。
叡智の結晶たる召喚魔術と数多の生贄の上で、偉大な魔法使いが人々の祈りをあげる。
「時は来ました、勇者様。救いの主よ、今こそお目覚め下さい」
そして再び、星が墜ちた。
「お姉様!お姉様!空が……」
儀式の間にほど近い聖殿のバルコニーからティアの指す方を見上げれば、なんと奇怪なことか、空が円に裂け虹の光が溢れているではないか!その虹彩は不気味な程色濃く、絶えず変化する環。もし平時にこのように不気味な超常の現象があれば凶兆と考えるだろう。だが今年はミレニアムで、今日は祝祭の裏で秘密の儀式が執り行われているのだ。悪い兆しではないはず。
「落ち着けアレーティア。きっと儀式が始まったのだろう。この程度で狼狽えていては黄金の騎士が侮られてしまうぞ」
言いつつも、ティアの不安気な表情を見て、自然と抱き寄せてしまう。私より一回り小さく若い、美しい金髪の娘。私に妹はいないが、もしいたとして彼女のように愛おしく思うだろうか?聖騎士となり家族と縁を断った私にとって、姉と慕ってくれるティアは唯一の家族なのだ。だから彼女が健やかであってほしいと動いてしまう。聖騎士の先輩としては常に泰然自若とすべしと範を示すべきなのだろうが、秘儀の警備ゆえ従士達の目も無いので甘やかしてしまう。ティアも併せて手を合わせてくるから、引き締めねばと思っても振り払えない。秘儀は極秘かつ大規模とはいえ、黄金郷の事件から帰還したばかりの私達まで動員しているのだから、極めて重要なものなのだろう。時期を鑑みれば、救世主関連だと察しはつく。だからこそ緊張感を持って当たらなければならないのだ──との思いとは裏腹に、ティアの豊かな金髪を撫でていると、轟音と共に地響きが起きる。
「きゃっ!」
「くっ、なんだ、この揺れは」
急いで外を確認するが何事も無い。いや、虹に動揺する群衆の声も無くなったのは不自然だ。揺れに騒いでいるべきだろう。彼らの集まる広場は建物で見えないが、言葉を失う何かがあったと見るべきか。
「姉様、広場へ向かいましょう!」
「いや、儀式の間だ。本殿が騒がしい。儀式の邪魔はするなと言われているが、これは緊急事態だろう。そのための警備であるはず。それに広場の方は聖殿騎士団の管轄だ、彼らに任せよう」
自惚れるつもりは無いが、私はかなり強い。聖騎士のみならず人間でもトップクラスだろう。相方を務めるティアも相応で、肉体的に未熟な少女ゆえ私には及ばないが、それでも常人とは一線を画すものがある。いわゆる妖精の取り違え子や単に超人などと呼ばれるもので、魂が精霊のものなのだとか。魔術の素養や超人的な身体能力など先天的な素養を持ち、諸種族で稀に産まれている。それを強行軍で招集し、儀式の間に近い場所へ詰めさせたということは、何かが起こり得る可能性があったわけだ。
異様に静かな聖殿内を駆け地下にある儀式の間へ向かう。近づくに連れ剣戟悲鳴、戦闘の音が聞こえてくる。
「失礼するぞ!」
石扉を蹴破り突入すれば、死屍累々。骸は聖殿騎士団と私兵のものか。儀式の間は水女神の神殿らしく一面に水を張られているが、大量の血が混じりまさに血の海といった有様。
「何者か!」
惨劇に立つ者は2人。声の主である女魔法使い殿と、翼を持つ巨大な赤いトカゲ、馬の倍以上はあろうか。魔法使い殿が場の水を操り抑え込んでいるようだが、味方は全滅している。天井があったであろう場所は崩壊しており、地下にも関わらず虹の光が降り注ぐ。
「黄金騎士修道会騎士会員のカミーユだ。助勢する」
「同じくアレーティアです!」
私は大剣を抜き、ティアは鉄槌を構える。いつも通り元気満点な顔をしていて安心だ。修羅場はいくつも潜っているが、これほどの惨劇は無い。動揺が無いか心配だったが杞憂だったらしい。それはそれで少し悲しいが。
「貴女達があの……。いえ、後にしましょう。竜は火を吹きます。私が防ぎますので、その隙に仕留めて下さい」
あれが竜。伝説に聞いたことはあったが、まさか実在するとは。なぜここにいるのか、なぜ戦っているのか、儀式はどうなったのか。気になることはあるが、眼前の脅威より優先すべきことではない。
「わかりました。ティア、私が先行する」
右翼から駆けティアが後に続く。竜は首を鎌げる。馬なら怖じ気付いているか興奮しているか、他の仕草でも多少わかるが、爬虫類はわからない。人型なら予備動作から予測して動くのだが……、と余計なことを考えていると火炎が飛んでくる。咄嗟に避けるが、炎は水柱に防がれる。連携失敗、無駄に濡れて血生臭くなってしまった。その隙にティアが左翼に周って竜の右脚を打ち据えれば、奇妙な呻き声をあげて体勢を崩す。そこを逃さず、長い首の付け根を斬りつけるが手応えは鈍い。鱗が飛び散り少量の血が跳ねている。生物の構造として心臓のある胴体から末端への付け根には血管があり急所だろうと踏んでの攻撃だったが、誤ったか?それとも鱗で威力が落ちたか、運悪く急所を外したか。何にせよ頭部を落とせば死ぬはずだ。……昆虫は頭が無くても動くと聞いたことがあるが、竜はどうなのだろう?なんだか不安になってきたぞ。
竜が吠え、上体を上げて翼を羽ばたかせる。口から炎が漏れているが、高所からの火炎放射は厄介だな。魔族との攻城戦で受けた時は、熱で視界と行動を抑制されて困ったものだ。
「流石に逃がしては不味いのですよ。ケジメを付けきれません。主催の一人として立場がありましてね!」
魔法使い殿が杖を掲げると、竜の動きは鈍ってもがき始める。なにかに拘束されているようだが、魔法はわからん。というか竜は逃げるつもりだったのか。人型以外のことはわからんな。わからないことだらけだ。
「ティア、殺るぞ!」
考えるのを止めて、解決に動く。今度は二手に別れ仕掛ける。私は注意を引くために正面を横切って左翼へ。竜が暴れて壁の石材が飛んでくるが、投石で止められる程ヤワじゃあない。竜の咆哮─悲鳴か。広げた翼で見えないが、背後に周ったティアの攻撃だろう。動きや心理はわからなくとも、戦士ゆえに恐怖や悲鳴には鋭いぞ。瓦礫を足場に跳躍する。頭の高い奴だが、弱点の首で嵩増し過ぎだ。功名心や出世欲、過ぎた競争のメタファーならば、聖殿に堕ちたのは皮肉だな。
大きく振りかぶって叩き斬る。空中ゆえ技は無い。筋力と質量の暴力もあってか、手応えは大きい。深く裂いた肉から鮮血が噴き、全身に派手に浴びてしまう。これはいよいよ血生臭い。2,3日は残りそうだ……。
「はぁ、はぁ…、カミーユ卿とアレーティア卿でしたね。よくやってくれました。助かりましたよ」
倒れた竜の停止を確認して、魔法使い殿が口を開く。
「任務ですので、とはいえ説明願いたいですな。竜とは何なのか。なにゆえ墜ちてきたのか。黄金郷の件があったばかりです。こう続けて尋常ならぬ事が起きては、愚直な仕事人とはいきません。私にも人並みの好奇心はある」
枢機卿である魔法使い殿と先輩の私が話しているので黙っているが、ティアの顔には「私も気になります!」と書いてある。吹き抜けた天井から届く光のせいか、本当にわくわくキラキラしているようだ。……あれ、いつの間に虹の光は無くなったのだろう?正直気味が悪かったので良いのだが。
「何と問われても困りますね。多少の推測は出来ますが我々にもわかりません。わかっていれば、みすみす腹心を失うようなことはしませんよ。あんなのが来るとわかっていたらバリスタなり投石機なり準備してます……」
魔法使い殿は瓦礫に腰を下ろし、ため息をつく。
「……そう言われては何も問えません。ですが何も見なかったことに、とはいきませんよ」
わかれば教えろ。さもなければ、今後協力しない。
「ま、そうですよね。仕方ありません。でも口外厳禁です。実際に竜の姿を確かめた者は多くありませんし、無用な混乱を招きますので。……下がって身を清めてきなさい」
話は終わり、か。素っ気無い気もするが、高位聖職者ともなれば考えるべきことも多かろう。
「それでは失礼。ティア、行こう」
「はい。魔法使い様、失礼します」
後日事態の処理は聖殿騎士団が担い、簡単な聴取で私達の竜事件はひとまず終わりとされる。公には祝祭を狙った魔族の破壊工作とされた。以来、2年。私は報せを受けていない。戦争が頻発しているのもあるが、聖殿からの要請もある。事件解決の功労者として、恥ずかしい呼び名だが竜狩りなどと持ち上げられてティアと別々に難題を押し付けられことからも、竜は隠したい話題だったのだろう。被害が大きく事件そのものの隠蔽は諦めているようだが。約束が違うと問い詰めても良いが、事ある毎に口外厳禁と念を押されているので他の者の目がある中、大きな声では言いづらい。口外してやってもいいのだが、それでは喧嘩になる。聖殿も負い目か色々と権利関係の便宜を図ってくれているし、いらんと言っても会に金品が寄付されているのだから、誠意自体はあるのだろう。ゆえに今しばらくは黙っているつもりだ。が、それはそれとして早いことティアを返してほしいものだな。
声が聞こえ、目が醒める。白い石造りの天井に同じ素材の柱、さながら白亜の神殿といった様で、何かで見た古代の建築物に似ている。その中央、円形の浅いプールに僕は立っていた。なぜだろう。少し懐かしいな。
「……君は誰?」
プールの縁から女性が見下ろしている。身長と同じ位の杖─装飾が多く先端には宝石の飾りが付いている─を持ち、三角帽を被った優し気な方。歳は20歳前後だろうか。濃い青みを帯びた金髪が美しい。
「私はエリファス。女神様よりあなたを託された者。さあ、手をお取りになって。共に魔をうち払い、世界に光を取り戻りしましょう」
彼女の微笑みを見て、無意識にその手を掴む。
「そうだ。思い出した。僕は選ばれたんだ。楽園を取り戻せと、女神様に」
「楽園を?」
プールから引き上げられた一瞬、気のせいかもしれないが、彼女の顔に影が差した気がした。
「はい。ここに来る前、頼まれたんです。楽園を取り戻せって──うっ!」
ここに来る前?わからない。そもそもここは?それに楽園ってなんだ?女神様に会った?僕は今まで何を──
「ええ。私達も伺っておりますよ。魔族を討ち楽園を取り戻す。それこそ勇者様の使命。我らが女神様より賜りし希望なのですから」
楽園、使命、水、希望、だんだんとイメージが浮かんでくる。草花の生える神殿と、そこから見える碧い海。楽園だ。そこで青い髪をした女神様が、僕に頼んだのだった。過去?そんなことはどうでも良いじゃないか。僕にとっては、使命が大事なんだ。楽園を取り戻し、エリファスの希望となることだけが。
「ああ、そうだったね。少し動転していたのかな。しっかりしないとね」
「ふふっ、おかしな方。召喚でお疲れなのかしら。今侍女にお召し物を持たせますから」
いつの間にか現れた侍女の女性に引かれてプールを後にする。もう少しエリファスと話をしたかったけど、そこで自分が裸と気付き、みっともなく急いでしまった。恥ずかしさと、自分の身体を誇れなかった悔しさ。でもそれは直ぐに、彼女に会えたという喜びに上書きされた。初対面なのになぜ嬉しいのだろう?……女神様に選ばれた僕と、導いてくれる巫女。この運命の出会いが嬉しくないわけないじゃないか!
「お疲れ様です。魔法使い殿。儀式は上手くいったようで」
初老の男が話かけてくる。魔法を行使した疲れもあってか声では誰かわからなかったが、振り返ってよくよく顔を見れば、彼が同じ派閥の枢機卿の一人であるとわかる。不愉快だ。この出世欲に憑かれた人間達が、そして似た者である自分が。だが私は人間と違って美しい。外見は当然ほとんど永遠に若々しく、声は清らか。しかし心はどうだろう。否である。現状に満足せず、というほどではない。俗な部分もある。醜いわけではないし、比べれば程々で良いとも思うが、他が完璧であるために目立ってしまう。そして先の召喚が、その不快感に拍車をかける。
「あれが上手くいったように見えて?失敗でないことを成功とするのでしたら、聖職者として精進が足りないのではありませんか?」
精進が足りないのは私もだ。竜が墜ちて来たことは良い。いや何も良くないのだが、あれは儀式を準備した魔術師、錬金術師達の失態である。原因の解明や竜の考察は任せるとして、その後の対応は現場責任者である私の問題だろう。魔法使いともあろう私がいて竜を倒せず、数少ない信用できる戦力を失った。しかも外部の警備に当てていた聖騎士達に助けられる始末。竜を討てる騎士となれば必然だったのかもしれないが、それはここ数年で大きく名を上げている黄金騎士修道会の顔、白銀のカミーユであったので口封じに始末も出来ない。守秘の頼みを破る人物には見えなかったけれど、想定外の目撃者を生んでしまった事実は変わらない。不幸中の幸いとすれば、竜の骸には本来の目的物である異世界の魂が入っていたこと。抽出しようとしたら、竜は人型になり……戻り?意識を取り戻してしまったので、とりあえず台本通りに演じて信じ込ませることは出来たようだ。竜が墜ちるアクシデントで無駄になったと思っていたが、リハーサルをしておいて正解だった。だが素体にと用意した筋骨隆々な英雄のものとは異なり、中性的な見た目になって、魂は女性である。肉体は竜のものなのか、素体が基となっているのか、混じっているのか。予め儀式の素体に施しておいた催眠は機能しているようだが、召喚時、魂に仕掛けた洗脳と記憶の編集は微妙とみえる。楽園に関心を示しているのは素体の影響だろう。材料とした魂の人格消去が不完全なのか竜の人格か、なんにせよ英雄の人格編集は失敗。催眠で記憶と人格が修整されなければ、勇者は発狂し処分せざるを得なかったかもしれない。私欲でかけた催眠に助けられたという事実は心の汚い部分を見せられているようで苦々しい。
「手厳しいですな。ですがあれに活躍してもらわねば我々も困るのです。儀式の改良が出来ても生贄が準備できません。あまりに想定外とはいえ、能力はあるのでしょう?魔法使い殿」
異世界からの魂召喚には大量の生贄が必要だった。大して活用できない人口で救世主が造れるならと、ミレニアムの祝祭にかこつけて巡礼者を集め巻き込んだが、次、同量の魂を用意するのは困難。
「わかっています。だから私が直接指揮を執るのです」
勇者事業全体を指揮する立場ゆえ、元々は配下を同行者として行かせるつもりだったが、竜との戦いで候補者が全滅してしまった。そのうえ色々と想定外の勇者を監視するのみならず、適宜調整する必要もありそうとなれば、私が出ざるを得ない。
「強力な駒を己のものに──」
「口が過ぎましてよ。我らは皆女神に仕える身。聖殿の勝利のため各人が力を尽くすのです。違いますか?」
とはいえ、転んで、ただで起き上がるほど私は甘くない。勇者事業の主導権を渡すつもりは無いぞ。
「ええ。水女神の教えが危機にある今こそ、奮励努力せねばなりません。弛んでおりませんかな?」
あの程度の勇者で状況を覆せるのか?ということだろう。いや、疑問というよりは問責か。
期待はしていなかったのでパッと見で魔法の才が無いのはいい。技術不足─身のこなしを見るに、おそらく皆無。少なくとも騎士の従士以下─なのも、催眠と併せれば鍛える時間は多少あるのでギリギリ妥協できる。枢機卿達の期待するような、かつて女神の遣わされた勇者、数々の魔法を操り圧倒的な武力を持った救世主には程遠いが、儀式はあくまで奇跡の模倣。不確定要素は下振れを想定し、計画の本命はあくまで人間の総力によるものである。勇者は所詮力を集結させるための道具と象徴に過ぎない。そのためにも魔法や実力といったインパクトは重要になるが、そこは聖殿の力で宣伝して補える。だが精神の惰弱は問題だ。武器を持てば人が変わるという可能性もあるが、それはそれで布教を兼ねる勇者事業にとってマイナスとなるだろう。しかし、生まれ持った性質を変えるには強いトラウマが必要で、心が壊れるか反対に凶暴になるか、なんにせよロクな結果にはならない。付き添って都度調整するしかない。驚異的な竜の力!とかないのかなぁ……。
「元はといえばあなた方人間の堕落が原因でしょう。聖戦には敗れ、挙げ句異端が蔓延る。直轄領の支配も不安定。それを解決して差し上げるというのです」
だから黙って支援しろ。
「もちろん、魔法使い殿の協力には感謝しております。ですが事業に出資している立場として、ただ見守るだけではいきません」
勇者事業の見返りが不安だから、破綻する前に資産─勇者の運用権─を確保するつもりか。商人なら良い判断と褒めてやろう。儀式の準備や勇者の装備等を彼らに依存している以上、無碍にも出来ない。
「……勇者の運用については私の一任と決定していましたが、しかし必要な時には助言を伺うべきかもしれませんね。そこは頼りにしておりますよ」
ならば良し、とでもいうように頷いて、彼は去る。
今後、私の方でも物資を調達できるようにしたいが、私にはその手のコネも審美眼もない。魔法使いとしての力や地位に依存して、兵を集めたり諸侯を支援しなかったせいか。人間と関わりを避けていたのも響いてくるな。
切れるカードが少ないなら、せめて防御札を集めたいものだが、しばらくは手許にある札でやり繰りする他ないだろう。勇者を鍛えるついでに派閥の領地で"魔物"を討伐するとしよう。
なんにせよ、まず、勇者。私が私以外に切れる唯一の逆転カード。勇者には私しかいないように─私がそう仕込んだのだが─、私にも勇者しかいない。
◆
召喚されて一週間。訓練の傍ら、エリファスからこの世界のことを教わった。この世界は大きな内海を中心に西側と東側の岸に渡る大きな北の大陸と南の大陸が存在し、内海の中央、北の大陸から突出したアぺニカ半島に、この聖殿と呼ばれる人間の宗教組織は勢力を持つ。北の大陸は主に教えを同じくする人間の勢力だったが、南東部に根拠地をもつ魔族の侵攻により東部と南の大陸を経由して西部までが支配されてしまっているらしい。この状況を打開すべく行われた大聖戦が失敗したため、最後の希望として勇者の僕が召喚されたそうだ。頑張らねば。
「じゃ、これからよろくニャ、ユーシャ様」
そして彼女……彼?はニヤ。猫人という種族だそう。エリファスの救貧院出身で、気に入られてペットにしてもらっているらしい。紫っぽい毛色で猫耳と尻尾が付いている。年齢はわからない。ティーンの少女っぽいが、華奢な男の子にも見える。聞きたいけど尋ねるのは違う気もする。失礼かもしれないし。名前はニャーと鳴くからニヤと呼ばれているそうだが、他の猫人はニャーとは鳴かないのだろうか?まだあまり人と会っていないから、知らないことだらけだ。あとはこの世界に人間以外にも魔族や亜人と呼ばれる種族─総じて人、人類と呼ぶ─がいるということだろう。他にも人ならぬ凶悪な者達が存在するらしいが、関わらないに越したことは無いと言われた。疑問は尽きないが、それはこの世界に来たばかりというだけでは無いと思う。でもまあ、重要なのはエリファスは素晴らしい人ということ。貧しい人々に救いの手を差し伸べるのはまさに女神様の遣いだ。
「うん。よろしく。今日エリファスは──」
「ニャ!いくらユーシャ様といえ呼び捨てはダメニャ。ちゃんと様をつけるニャ。魔女様か、エリファス様ニャ。ホントはみんな聖女様って呼んでるけど、まだ列聖?されてないからダメって言われるニャ」
と、このようにエリファス様は住民の人気が高いらしい。美人で心優しいのだから当然といえば当然だけど。
「そうだったね。変身するんだっけ?」
この世界の人は変身するらしい。聞く限りみんなが全てというわけではなく、歴史的にも数少ないとか。前世では……ん?前世?聖殿の教えでは前世など存在しないはず???
「らしいニャ。死んだら聖女様になるニャ。変身すごいニャ!」
変身!すごい!かっこいい!……あれ、なんだっけ?
「でも、変身する必要が無いように僕が強くならないとね。今日はよろしく頼むよ」
今日は魔物討伐を頼まれた。ニヤはそのお供。初めての実戦ということで、先行した聖殿所属の騎士達にも協力してもらう予定らしい。詳しい作戦は聞かされていないが、説明されてもどうせわからない。言われた通り魔物の親玉を倒すだけだ。
一日歩いて翌日、目的の土地に着く。馬に乗ることが出来れば当日中に着けるのだが、乗馬は練習中だ。勇者の肉体なだけあって体力や身体能力は高いとはいえ、さすがに剣の訓練をしながらでは馬には乗っているだけで精一杯。長時間は尻が厳しく、しかし体力は高いので馬にはニヤと荷物を載せて徒歩で進むことになった。エリファスは緊急の会議で後から追うとのことだったが、馬を乗り継いで先に到着していたらしい。
「では確認しますね。目標は魔物の討伐と農場の奪還。女神の代理たる聖殿に歯向かう不埒者を成敗しします。おそらくは高台にある屋敷に立て籠もっていると予想されますので、勇者様はそこを目指して下さい。今回魔物と認定されているのは旧農場管理人とその兵士のみですが、その支配を受け入れている農民たちも同罪ゆえ破門済みです。なので道中では抵抗にあった場合、殺して構いません。武器を捨て懺悔すれば、命は助けてもよいです」
というように、魔物は元人間らしい。女神様に逆らうと魔物になると教わった。魔族も魔族が神と崇める偽神に逆らった者を魔物とするそうな。見た目は元のまま、人間と同じ言葉を発し人間と同じ様に振る舞うが、正体は醜悪な怪物で人間を騙すための演技だという。なんと邪悪なことだろう。
「了解。とりあえず偉そうな奴をやっつければいいんだね。でも、生き物を殺すなんて初めてだし、上手く出来るか心配だなぁ」
昔、飼っていた犬を死なせてしまったことがあって……、そんなことあったか?思い出せないし気のせいだな。
「初陣は誰でも緊張するニャ。でもユーシャなら堂々とするニャ」
「あれ、ニヤは経験があるかんじ?」
「ベテラン、ニャ。聖女様の行くとこならどこでもお供するニャ」
「ニヤは子供の頃から育てているんです。遠くへ布教に行く時も連れていったりしたので、実際に経験豊富ですよ」
エリファスとあまり差は無さそうに見えるが、女性に年齢の質問はダメだろう。エリファスは名家の生まれで、ニヤの世話は使用人がしていた、とかかもしれない。
「なんだか姉妹みたいで羨ましいなぁ」
「ちょ、ニャ、それは恐れ多いニャ」
「ふふふっ、勇者様、お喋りはそこそこに、そろそろ参りましょう」
エリファスの顔色をうかがうようなニヤと、いつも通りの微笑みを浮かべているエリファス。ニヤは何か気に障ることでもあったのだろうか?
「そうだね。2人はどうするの?」
「後ろから付いていきますよ。ご安心下さい。ニヤもいますし、聖殿騎士団から護衛も付けていますから」
最初にして最大規模の騎士団。正確には騎士修道会という名称なそうだ。
「なら安心だ。よーし、これが伝説の第一歩、勇者テル、いざ参る!」
戦端を開いてしばらく。農場の東西に展開した騎士による攻勢は圧倒的で、中央の屋敷を残して制圧を完了。後は勇者に突撃させ手柄を立てさせるだけと御膳建て完璧。死体と捕虜の数からして屋敷内の兵はほとんどいないでしょう。そのうえ、農奴として再利用する農民はほとんど殺さずにいるのというのですから、忌々しいものの、流石の手際と認めざるを得ません。
「エリファス枢機卿猊下、捕らえた魔物を処分しようと思うのですが、改心の機会を与えますか?」
騎士の一人が尋ねてくる。
なんで私がそんな面倒なことを……、と思いましたが、彼らの立場的にも私を無視して行動は出来ません。聖殿騎士団はローデリック卿─同じ派閥で協力者ですが、仲が悪いというか、個人的に嫌い─の影響下にありますが支配されているわけではありませんし、そもそも修道会なので聖殿内部の権力闘争にはあまり関わりたく無いのでしょう。しかも相手が魔法使いで枢機卿となれば、なるべく機嫌を損ねたくない相手です。私でも配慮します。
「いえ、手間ですので処理しておいて下さい」
「では秘跡を願えますか。司祭を連れておりませんので」
普通は後方要員も含めて準備完了ではないかと不満に思ったが、これは私にも責任がある。最低限の人数で、と要求した弊害だ。勇者事業に便乗して名声を得るというローデリック卿の考えは見え透いており、彼も勇者事業の重要な後援者なのですから妨害する理由は無いのですけれど、実際に召喚して使役するのが私であるのですから、いい気はしません。今は無くとも今後介入されても面倒。だから息のかかった戦力は少なくしようと計ったところ、しわ寄せが来たわけですから、因果応報とはいえ、気に食わないもの。
とはいえやらないわけにもいかないので、しぶしぶ捕虜の元へ行って適当な聖句を唱えつつ、執行を促す。
「そういえば勇者はまだでしょうか。屋敷に入ってからしばらくですけれど。ニヤ」
騎士を付けて行かせたから敗れたということは無いでしょう。魔物を取り逃したとしても、まあ、よろしい。
「……ニャンか騎士が手を振ってるニャ。呼んでるっぽいニャ」
思いつく内容としては、勇者の負傷。精神が未熟で技術不足とはいえ、素体は一級品なので、問題となるほどの怪我は負わないと思いますが、アレのこと。少しの傷で騒いでいるのやも。
「わかりました。向かいましょう」
手を振る騎士に応え、屋敷の中へ。
「エリファス卿、少々面倒なことになりました。勇者殿が、その……」
精悍な面構えをした騎士が、気不味そうな顔をしているのは滑稽だ。そんなことになる事態は滑稽では無いのでしょうけれど。
ニヤに目配せしているから、聞かれても良いのか?ということでしょうか。亜人を信用出来ないのは理解しますが、私の飼い猫を疑うのはよろしくない。
「構いません。私に忠実な奴隷です」
「はっ、彼は躊躇っております。人の形をしたものを殺したくない、と」
「……はぁ?」
儀式の間で護衛を全滅させた竜が、何呆けたことを言っているのでしょう。善良な人間を殺したくないというならまだわかりますが、魔物は善でもなければ人間でもない。訓練用の木偶に剣を振るうのと何が違うのか。それ以上に、女神の理想を体現する事業を拒むとはどういった心理なのか。
「ああ、エリファス、見てくれ。彼は人間だ。殺すなんて僕にはできないよ。何とか助命できないのかい?」
「おお、聖女様。そうです、私は他の領主達に脅されていたのです。法皇様に逆らうつもりはありませんでした。これからは──」
「ニヤ。黙らせて」
「ニャ!」
魔物は即座に床に押し付けられる。
「魔物はあくまで人の真似をしているに過ぎませんが、例えばこの者が人間であったといたしましょうか。この者は聖殿が所有する農場の管理を任されていたにも関わらず、その信頼を裏切って収穫を横領しました。まずこれで十分死に値します。聖務を妨げ、人類の救済を遅らせたのです。それは救世主たる勇者様自身の否定にもなります。そのうえ破門され、女神の祝福を失っているのです。祝福無き人間は赤子でない限り存在するべきではありません。背教者の勝利とは、女神と貴方の敗北。勇者アルフレーテ、貴方と背教者、どちらも世に存在することは出来ません。貴方が決めなければならないのです」
静かに杖に力を込めて、勇者を見つめる。彼は少し呻いて眼から光を失い、浅い眠りに落ちる。
この世は悪夢。されど覚めない夢はありません。ですから少しばかり、踊っていただきます。
「……そうだね、その通りだ。僕が間違っていたよ」
無表情に、器械的に、未だ命乞いを振り絞る人型に、剣を振り下ろす。
今はこれで良しとするしかありません。繰り返していけば、この催眠も馴染んでいくはずです。大きく一つため息をついて、撤収を命じる。
間もなくして、ローデリック派の枢機卿団に組織された軍勢が反乱領主の連合に攻撃を開始した。それに伴って私は勇者を導き、半島北部を粛清する。その後、南部の魔族を撃退するまでにおおよそ2年。この頃には、召喚した魂に残っていた記憶はほとんど消え去り、催眠も人格に馴染んでいましたが、その反面、素体の本能が強く表れるようになり、楽園の解放を求めるようになります。それは結果として魔族と戦うことになるので良いのですけれど、他の諸問題を優先するために未だしばらくは誘導を続けなければないけません。
20万字くらい書いたので適当に投稿していきます。
ブックマークと評価でptが増えるとヤル気が上がります。下さい。
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