挿話15.護衛騎士の過去の失態
本日二話更新です。最新話にご注意ください。
単話でもなるべくお楽しみいただけるよう書いていますが、挿話14の続きです。
侯爵令息アンハルト・フォン・クリスティアンの無二の友人、第一王子のヴィルヘルム・アグネス・フォン・オトマルクが、「弟が気掛かりだ」とアンハルトに打ち明けたのは出会って四年を過ぎた頃だった。
「どのように気掛かりなのですか?」
伯母が嫁いだ公爵家の庭に用意されたお茶の席。
アンハルトは彼の従姉の公爵令嬢テレーズの侍従のごとく、入れたばかりのお茶を差し出しながら、気難しい顔をしているヴィルヘルムに応じた。
ヴィルヘルムと会うのは、決まって四つ年上の従姉を介してである。
というより、アンハルトはおまけでいるようなものである。
テレーズは第一王子ヴィルヘルムと同い年。
婚約者候補として引き合わせられ、以後、定期的に交流日が設けられている。
その場にアンハルトが呼び付けられているだけだった。
ヴィルヘルムは見目良く、性格もよく、父親である国王陛下に似て身体能力も高い。申し分ない王子だが、少年にしては真面目で堅物すぎた。
「言葉にするのが難しい……」
「ということは、失礼ながら身体的に問題があるわけでもなく、性格に問題があるわけでもない」
アンハルトは、人の言葉に含まれる情報を読み取るのが得意な子供だった。
父親には優秀な武官となるのに腕力以上に重要な資質だと褒められ、それが故に公爵令嬢の従姉から便利で重宝な弟分として扱われている。
アンハルトがこの場に同席しているのも、ヴィルヘルムだけではテレーズとの会話が弾まず、相手をするのを彼女が面倒に感じるようになったのが発端だ。
十歳の王太子の相手を押し付けようと、六歳のアンハルトを呼びつけたのである。
淑やかで可愛いらしい顔をした、従姉の不敬さと横暴さがひどい。
いまは二人でも楽しい時間を過ごせるけれど、なんとなくアンハルトがいないとつまらないと思われているらしい。
交流日の案内が王城からアンハルトの元にも届き、当日は公爵家から迎えがくる。
王家と公爵家の要請だ、侯爵令息のアンハルトに拒否権などない。
「わたくし少し耳にしたのですけど、とても綺麗で賢い弟君なのですってね」
「そうだ。我が弟ながら天の使いかと思えるくらい、素直で愛らしいのだが……」
テレーズの言葉に、うむと誇らしげに頷くヴィルヘルム。
この第一王子は、来年十五歳を迎えたら王太子になる予定であるのに……貴方のがよほど気掛かりだとアンハルトは胸の内でぼやく。
(第二王子はまだ四歳。子供部屋から出ていない王子の情報がそこらに出回っていいはずない。伯母様は根っからの女騎士。王族の情報なんて知っていても迂闊に娘に話すことはしないはず)
あとでそれとなくテレーズから情報元を聞き出さないとと、アンハルトは考える。
騎士団で要職を担う父親に伝えておかなければ。
もうこの頃から、彼の将来の方向は決まりつつあったのかもしれない。
(でも、身体や性格でないなら政治的な気掛かり? 第二王子は幼いし、いまさら王太子争いはないと思うけれど……)
あまり深掘りしないで、このまま適当にうやむやに話題を切り替えるかとアンハルトは判断して、テーブルに用意されているレモンケーキへと目を移す。
いま出したお茶との相性はいいはずだ。
クリスティアン家は武官の家系である。
将来の野営訓練や潜入任務を想定し、たとえ侯爵令息でも身の回りや一通りのことが出来るよう育てられる。
「そうですか。ああそうだ! よければこちらのレモ……」
「骨を、並べていた」
「ンケーキを……骨?」
思わず、ヴィルヘルムの言葉をアンハルトは繰り返してしまった。
骨とは? 並べるとは?
「ああ。清廉なまでに美しく白く清い骨を整然と並べていた。窓から午後の光が入る部屋に幼き弟は一人、柔らかな細い髪が金色にきらきらと輝き、神聖なる儀式に取り組む聖なる童といった様だった。まるで天が作った美しき自然の法則を知る賢者の如く、迷いのない手つきで……並べていたのだ」
堅物王子がいつになく早口で、まったくもって意味不明な言葉を口走ったことに呆気にとられつつ、アンハルトはそんな文句をすらすら言えるのなら、テレーズを褒める時も言葉を尽くせよこの朴念仁と思った。
ヴィルヘルムの不器用さは誠実さの裏返しで、いいところでもあるのだが。
「王子教育もますます忙しくなる。アンハルト、私の代わりに弟の相手を頼めないか? 父上に話は通しておく」
「まだ四歳でしょう? 六つも年上の私では怖がらせるのでは? そろそろ同い年の令息を集める頃でもありましょう」
「もう座学なんて無用なくらい賢い弟なのだ。それに無邪気に国を破壊しそうで怖い……アンハルトくらい頭の回転が早く、気の利く令息が近くにいれば、兄として安心できる」
評価してくれるのは嬉しいが、意味不明な上に兄馬鹿がすぎる。
それに、第一王子にあるまじき失言だ。
さすがに友人として見過ごせないと、アンハルトは公爵令嬢のおまけでこの場にいる令息から、ヴィルヘルムの親友の顔になって、はあっとため息を吐いた。
「ヴィリ、いくらテレーズと僕だけで、大人は遠巻きに人払いした公爵家の庭だからって、“無邪気に国を破壊しそう”なんて。誰がどう聞きつけ利用するかわからない」
「ゔっ……すまん」
四つも年下の侯爵家の少年に諭されて、素直に謝る王子というのも珍しいのではないかとアンハルトは思う。
彼の他に王子やそれに類する少年なんて接したことはないけれど、公爵令嬢の従姉が同じ年頃の他家の令嬢を招いたお茶会の真似事で、ばちばち見えない火花を散らすのを見ていると、たぶんもっと気位が高くて偉そうな気がする。
ちなみに令嬢達のお茶会を見ているのは、テレーズが苦手な令嬢が来る時も呼びつけられるからだ。従弟として軽く自慢げにアンハルトを紹介し、困った時は援護させるので強がりな人だなあと思う。
「アンハルトったら真面目ね。この庭にそんな悪さをする者はいなくてよ。よくわからないけれど、陛下にお話を通してくださるなら第二王子殿下の遊び相手になってさしあげたら?」
ヴィルヘルムとアンハルトの間に入って、テレーズがにこにこ可愛らしく笑んだのに、ひくっとアンハルトは頬の肉をわずかに引き攣らせた。
(いま、僕を売ろうとしたな……この人)
ヴィルヘルムが可愛がっているらしい第二王子や王城の情報を、アンハルトを通じて聞けるのではなんて考えている。
無邪気な好奇心ぽいけれど、やろうしていることは十四歳のデビュー前の令嬢のくせに侮れぬと、大人達から無用の関心を持たれかねないことだ。
(こういうところ、二人揃って危なっかしい)
大体、そこらの子供を相手にするのとは訳が違う。
第一王子の推薦で、まだ幼い第二王子の遊び相手として国王陛下に話を通すだなんて、正式に第二王子の従者として登城して仕えろと命を下されるのと同義だ。
冗談じゃない。
王子の相手なんて、いま一つ頭が回らない堅物王子だけで十分である。
「遊び相手なんて無理です。恐れ多い。それに跡取りとして乗馬や剣の訓練、勉強もある……登城して仕える身になれば、従姉上の用事を聞く暇などなくなりますね」
これくらい言えばわかるだろう。危なっかしいけれど二人とも鈍くはない。
レモンケーキを二人に取り分けてあげながら、アンハルトが少しばかり突き放し気味に言えば、二人ともはっとしてちらちらと互いに目配せしあった。
「それは困るわっ」
「うん、そうか……そうだな。クリスティアン侯爵家は大祖母様も頼りにしている武官の名門だ。将来私を支えてもらうためにも、アンハルトが訓練や勉強を怠るわけにはいかない」
「大人になっても僕がいないと駄目なの?」
「全幅の信頼を持って頼りにできる忠臣は、絶対に必要だろう」
うんうん真剣な顔で頷きながら、こちらが恥ずかしくなることを大真面目に口にするのがこの第一王子だ。
くっそ、これだから大人になったら仕えたいかなと思ってしまうし、テレーズも彼の真っ直ぐで純朴な褒め言葉に落ちてるのだよなと、アンハルトは肩をすくめた。
本来は、第一王子が婚約者候補の公爵令嬢と親交を深める交流日。
いまはもうヴィルヘルムとテレーズの二人でも、それなりに楽しく過ごせるだけの親しさがある。
アンハルトは二人を取り持つ役としては用済みだ。
それなりに理由をつけて二人を納得させ、王家からの連絡や公爵家の迎えを止めさせることだって、たぶんできると思う。
「そうよ。アンハルトは叔父様のように、未来の国王陛下の側近になってもらわなくちゃ。こうして三人でお喋りしたりお茶したりできないもの」
けれど、あえてしない。
本当は、二人のなんとなくアンハルトがいないとつまらないが嬉しいのだ。
「仕方がないですね。未来の国王陛下と王妃殿下の仰せのままに」
その後、第二王子と特に接点もなく過ごせていれば、この日の会話はアンハルトにとってただの楽しい思い出話で済んだのだ。
――無邪気に国を破壊しそうで恐ろしい。
どさっと、と訓練場の床に尻餅をついた無様さなど気にする余裕もなく、アンハルトは二年前に聞いた言葉の意味を噛み締めていた。
木を削って作られた、稽古用の剣を握り直す。
絶対に離してはならない。
目の前に立つ第二王子は六歳。
十二歳になったアンハルトの半分の歳の子供である。
実際、床に座ったアンハルトの目線と、立っている彼の目線の高さはさして変わらない。だからこそ危険だった。
ブンッと幼い力任せに振り回した木剣の空を切る音に、アンハルトは後ろにのけぞるように頭を床すれすれまで倒し、腹筋を使って上体を起こし立ちあがろうとした。
だが、そんな彼に向かって、体重をかけて突き刺しにきた木剣に慌てて左に転がって逃げる。
「中止です、中止! 殿下っ練習は終わりですっ!」
剣術の教師が叫びながら第二王子の両脇から腕を入れて彼を抱え、大慌てでアンハルトから引き離す。
(……完全に狙ってたな)
まだ小さな手が握りしめている子供用の木剣が、手に持った者を狂わせる類の禍々しい邪剣にアンハルトには見えた。
(最初っから、鳩尾狙いで向かってきた。型も持ち方すら全然なっていないのに。怪我しないよう軽く受け流したら、今度は右肘を躊躇わずに……同時に脛に蹴りを入れてきた。持ち堪えたけど、倒れたら足首か膝の腱をやられたはずだ)
先程、振り下ろしてきた動きを考えたら、首の裏を狙ってくるのもありえる。
手が届くとなったらすぐ目を潰そうとし、かわせば右膝を壊しにきた。
六歳児の攻撃にしては、殺意が高すぎて怖すぎる。
剣術というより暗殺術だ。
一体、王子になにを教えてと思いかけ、アンハルトは困惑顔の大人に囲まれている第二王子がしょんぼりしている様子に気がつき、なんとも言えない気持ちになった。
訓練場の壁際まで移動し、壁に背中を預けると大きく息を吐き出す。
「……教えるわけがない!」
日々鍛えているアンハルトだから息こそ上がっていないものの、全身緊張で汗だくになっている。
おそらく数分も経っていない。
教師はすぐに第二王子の動きに気がついた。
背筋にいい知れない薄気味悪さからくる震えを感じたが、アンハルトはかろうじて抑え込む。
自分は騎士団総長を拝命し、剣聖の称号を持つクリスティアン侯爵の息子なのだ。
六歳の子供に恐怖する姿など他人に見せられない。
それにその子供は王族で、親友の弟でもある。
これ以上の騒ぎにするわけにはいかない。
最初に相手したのが自分でよかったと、アンハルトは心の底から思った。
全力で急所や関節ばかりを執拗に狙ってきたが、まだ避けられた。不意打ちや禁じ手を出されても身体能力で耐えた。
もし、他の大した心得もない子供が、悪戯心を起こしたアンハルトのように「一回当てたら言うことききますよ」なんて言っていたら、流血と共に未来が閉ざされる大惨事になっていたはず。
(倒そうとか、負かしてやろうとかいった感情もない。あれだけ殺意高めな攻撃をしながら殺気も一切感じなかった……ヴィリが気掛かりと言っていたのはこのことか)
アンハルトに向かってくる、第二王子の表情を言葉にするなら「ああ面倒だな」の一言だ。
そしてアンハルトが最初の攻撃を避けた時に、きっと思いついたのだ「彼を破壊したら訓練がなくなるかもしれない」と。
何故なら、丁度、訓練している時間だと聞いてここに向かう前。
彼の兄であるヴィルヘルムからアンハルトは聞いていた。
「授業や訓練を全力で怠けようとして困っている」と。
ヴィルヘルムの友人として、王家に仕えしクリスティアン侯爵家の令息として、聞き捨てならない言葉だった。
王族には重い責任を負う。そんな怠けた王子では困るのだ。
以前、相手をしてくれと頼まれた時は面倒を避けたけれど、この堅物王子が困り果てている様子を見たら、彼のために怠惰な王子に一言注意したくなった。
こういうのは大人や身内が注意するより、歳の近い自分のような者がうまく伝えた方が反発もしないだろう。
アンハルトは第二王子のことを少々賢すぎるだけの、普通の幼い王子だと考えていた。少し打ち解けて話せば大丈夫だと。
大間違いだった。
断片的にそうではない情報に触れていたはずなのに、判断を誤り大失態である。
「無邪気に国を破壊しそう……か」
呟いて、とぼとぼとぼと近づいてきた淡い金髪の輝きをアンハルトは見る。
壁から背を離して姿勢を正せば、邪気のない澄んだ空色の瞳がじっとアンハルトを見つめている。髪も瞳も王家の色だ。
第二王子、フリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルク。
「どうやら……またよろしくなかったみたいだ。私が他者に危ないとなれば、稽古はなくなって楽かなと説明したら皆なにも言わなくなった。クリスティアンって侯爵家だし、怪我の治療も困らないと考えたのだけど……」
いや困る。大いに困る。
武官の名門なんて言われているし、アンハルトは跡取りだ。
自分は生贄にされかけたのではと考えはしたが、実際その通りに本人から懺悔されると衝撃が大きい。
「あ、もちろん補償は考えて――あぅっ」
不敬罪以上になるのは間違いないが、「黙れ、このチビガキ」と品の欠片もない言葉を思いつつ、アンハルトはまあまあ力を込めてフリードリヒの額の真ん中を指で弾いた。バチっと幼い額が、大きく音を立てる。
本当に無邪気な上に悪気もなさそうだが、こちらは危うく将来を潰されかけた。
アンハルトは軽く教師他大人達の方を見る。
なんとなくこちらを見ないふりをしている。見逃してくれるらしい。
アンハルトの父親への恐れもあるのだろう。
それはそれで、アンハルトは腹立たしいものを覚える。
「……わからないのなら、覚えるしかないかと。フリードリヒ殿下」
この賢い第二王子を許す気はない。
しかし、アンハルトにおもねるように、いまここにいる大人達が幼い王族を守ろうとも導こうともせず切り捨てたことは、それ以上に彼に取って許し難いことだ。
王太子のヴィルヘルムは弟のことを案じ、精一杯、兄として良い方向へと導けないか心を砕いているというのに。
「王太子殿下の忠臣である自負から、アンハルト・フォン・クリスティアンがそう申し上げます」
「……そう」
頭の位置を下げて伝えたアンハルトに答えるように呟いて、「でも兄上はまだ公務についていないよ」と愛らしい声で指摘してきたフリードリヒに、黙れこのチビガキと再び頭の中でアンハルトは怒鳴った。
この挿話の後に本編2-5−2のフリードリヒとアンハルトを読むと、王太子の友人と第二王子といった微妙な距離感で、本当に長い付き合いの二人なんだなって感じです。






