3-10.婚儀を終えるまでが婚前(3)
年越しの夜会はその呼び名通り、楽しむ者達で明け方近くまで続く。
とはいえ、日付が変り、国王が新年を寿ぐ言葉を掛けたら夜会自体は一区切りだ。
フリードリヒは、それよりもずっと早い時間にマーリカを伴い、大広間を出て王族の住居区画へと戻ろうとした。
彼曰く、年越しの夜会は臣下や貴族達が楽しむためのもの。
例年、第二王子として出席し、貴族達からの挨拶を受け、概ねその年デビューした令嬢に言葉をかけて踊る相手を務め、親交ある者達と適当に会話する。
必要最小限の義務を果たせば、彼としてはまったく用の無い場でいる必要もない。
そんなフリードリヒにマーリカは、国王の言葉は聞いたほうがよいのではと引き留めたが、あれは臣下に向けた言葉だよと軽く流されてしまった。
そればかりか、新年初日の昼餐会で家族が顔を合わせる場で疲れた顔を見せる方がよろしくないと、マーリカの顔をじっと見て説かれれば折れるしかない。
納得したというよりは、ああいえばこういうフリードリヒに根負けしたのと、その囁きの誘惑に負けたに近い。王宮に戻った途端に押し寄せてきた仕事を片付けて疲労していたのは事実だ。
おかげでぐっすりよく眠って、清々しい目覚めの新年の朝である。
「本当によかったのかな……」
呟いたところでもう夜は過ぎて、いまはのんびりとした朝である。
普段であれば朝食も身支度も済ませて第二王子執務室へ赴いている時間だ。
フリードリヒはまだ眠っている。
年の初めの二日間は祝日であり、王族も流石に新年ばかりは休みだ。
(ゆっくり眠ったからか、かなりすっきりしたかも。睡眠大事!)
一昨年、昨年と変則的だっただけで、聖人を讃える聖誕祭の祝日から新年二日の祝日までが冬季休暇期間で、マーリカもその時期に帰省していた。
初めて王都で迎えた新年である。
マーリカはそっとベッドから降りると、うんっと天井に向けて両腕と背筋を伸ばし、ガウンを羽織って窓辺へと移動した。
外は庭園の冬枯れの枝が雪に白く、きらきらと朝日に輝いている。
地面を見れば柔らかそうな雪で足跡一つなく真っ白になっているから、夜のうちに新しく降ったらしい。
(エスター=テッヘン領はいま頃、この倍は積もっているだろうな。実家の侯爵家じゃなく領地に帰ると主張したお母様のために帰りは鉄道を使うらしいけど)
新婦側の立会人として、婚姻を認める場に出席していたマーリカの両親は、王家の客人として西庭の離れの部屋を用意されて滞在している。
姉達夫婦と共に昨晩の夜会でも姿を見かけたが、公の場で王子妃となったマーリカから気安く近づくわけにもいかない。マーリカの家族と王族一家との食事の席もあったため、双方、祝いも挨拶も済ませている。
だから家族の側も、行列をなす貴族達から祝いの挨拶を受けるマーリカ達の元にくることはなく、夜会では言葉も交わしていなかった。
「王妃様やテレーズ様から聞いてはいたけれど、お母様があんなに沢山の人に囲まれるほどの人だったなんて。結婚後は王都にほとんど出ていないのに」
マーリカの母エレオノーレは若い頃、清廉優雅な美しさでデビュー前から評判の侯爵令嬢だった。同世代の令嬢令息達の憧れを一身に集めた存在だったらしい。
そんな母が何故か、社交界デビューしたその年に随分年上のマーリカの父親に一目惚れし、社交期間中それはもう勇猛果敢にアプローチしたらしい。
最初は適当にはぐらかし躱していた父だったが、どういった経緯なのか秋になる頃には婚約の約束をさせられ、求婚するに至っていたという。
「たしかにお母様って、見た目は淡い茶色の髪と瞳の楚々とした美人でおっとりしているけれど、物事への熱量高めなところあるから……」
刺繍でものすごい大作を何枚も刺したり、領地の祭も張り切って振る舞う料理や飾り付けなどが大変なことになり、毎年領民を驚かせている。どうも父は母のそういうところに参ってしまったらしい。
いまや娘の目からみても母には過保護で甘い。
それはそれとして、マーリカの父を恨めしげにじっと睨む、母と同世代以上の男性が何人もいたのが怖かった。
文官組織で見覚えのある顔もあって、マーリカがフリードリヒ付の秘書官になるまで職場で風当たり強かったのは、もしや父親のせいもあったのではと思ってしまったくらいだ。
(父親似の黒髪黒目な、エスター=テッヘン家の者って……)
寝起きで下ろしたままの自分の髪を一筋掴んでじっと見つめ、マーリカはあり得ると目を細める。
小さく肩をすくめて、窓の外から室内へと視線を巡らせる。
「一通り困らないようにしてくれたみたい。朝はゆっくりでいいとハンナに言っておいたのに……」
暖房設備の通った部屋だが、寒がりなフリードリヒのために暖炉に火が入れられている。おかげでマーリカも、寝衣にガウンを羽織っただけの格好で窓辺にいても寒さを感じない。
テーブルには食器が並べられ、パンの入った籠や、スープや付け合わせの料理が入っているらしい二重底に熱湯の入った大小の保温容器が用意されていた。
王族すら休む新年の祝日でも、王宮使用人の仕事に休みはない。
もちろん交代制で王宮に残っていい者が担当してくれているが、新年の朝くらいゆっくりさせてあげたい。
簡単な身支度くらいはマーリカも出来るし、フリードリヒもやろうと思えば自分のことは出来る人だ。
そうでなければ視察だ式典だと公務で方々へ出掛けていられない。
フリードリヒの視察先には、国の施策が行き届いていない地域や王宮の目が届きにくい施設が年にいくつか入る。
「これじゃ早朝から仕事しているのと変わらないのでは……?」
少しばかり首を傾げて、マーリカはベッドを見る。
あと半時間くらいしてもまだ眠っているようなら流石に起こそうと、フリードリヒについて考える。
「これとなにか忙しくしていたわけでもないのに、骨休め感を出して寝ているのに釈然としないものを感じる……」
大体、祝日返上で年の瀬ぎりぎりまでマーリカがやっていた仕事の三分の一ほどは、フリードリヒの執務代行も当然だった。
本当にまったく……と、ぼやいていたらベッドの上からごそごそと衣擦れの音がした。
うぅんと小さく唸る声が聞こえて、フリードリヒが身じろぎする。
「ん〜……朝からなにぶつぶつ言っているの? マーリカ……?」
まだ寝ぼけているらしい。
目を瞑ったまま、マーリカが隣で寝ていると思っているようだ。
腕を伸ばし、寝台の上をもぞもぞ探っていたフリードリヒだったが、少し間を置いてマーリカがいないと理解したらしく、うーんと小さく呻いて身を起こした。
「マーリカ……おはよう」
「おはようございます」
「新年から早起きだ……。窓辺にそんな格好で寒くない?」
「早くもないし、寒くもないです」
身を起こしてもフリードリヒはまだ眠そうだった。
無言で手招きしてきた彼に、マーリカは寝台に戻るとその縁に腰掛ける。
「今日ほど惰眠を貪るのにいい日はないのに……」
なんとなくそうされる気はしていたけれど、背後からフリードリヒの両腕が回されて、マーリカの背中に顔を埋めるようにフリードリヒが彼女に寄りかかってくる。
愛情表現というよりは、寝起きの幼児が母親の背にべったり甘えてきたような感じだ。
とにかくまだ眠いのだという彼の意志だけははっきり伝わってくる。
目覚めてもぐずぐずと惰眠を貪ろうとするのはよくあることだ。
「もう始業も過ぎた時間です。半時間待っても起きないようなら、揺り起こそうと思っていました」
「始業って……新年の祝日に……王都の貴族はどこも昼まで寝ているよ。君の侍女だってまだ来ていない……」
「昼餐の支度の頃くらいでゆっくりでいいと、昨晩の内にハンナに言いつけたんです」
「まだもうしばらくは誰も来ないならなおさらだよ……もう少し寝ない?」
尋ねながら横倒しに倒されて、殿下と少しばかりフリードリヒを咎める。
朝寝坊は休日の醍醐味だ。マーリカだってのんびりした朝を過ごすことはあるので理解できるけれど、ここで自堕落に二度寝をしたら、折角用意してもらっている朝食は無駄になり昼餐会の支度も慌ただしいものになる。
「もう……っ」
「いいねこういうの、マーリカと結婚したと実感するよ。君、私が目が覚める頃にはきっちり身支度整えてソファで大衆紙にまで目を通しているのが常だからねえ……私室で仕事していた延長でしかない」
昨年中は、王子妃と認めれられた後も継続して王族付きの公務補佐官だったのだから当たり前だ。
その気になれば我儘を通せるフリードリヒと違って、むしろそんな我儘に対応できるよう定刻より前に職務につく支度や準備はする立場だった。
くるりとマーリカは背を向けていたフリードリヒへと半回転して、彼と顔を合わせる。
「当然です」
「そうだけど。そういったマーリカばかり望んでいるわけじゃないから」
鼻先が触れ合いそうな近さと、思いがけないフリードリヒの言葉に少しばかり動揺してしまう。
いつの間にか頭の後ろに大きな手を添えられて、フリードリヒの顎下に寄せられていた。とくとくと自分の心臓が脈打つ音が聞こえる。たぶんフリードリヒにも聞こえているだろうとマーリカは思う。
「……半時間だけですよ。用意されている朝食が無駄になりますから」
ぼそりと不承不承に呟いたけれど、回されたフリードリヒの腕の袖を掴んでマーリカは額を彼の胸元につける。
我ながらフリードリヒに甘い上に容易く陥落していると思う。
「そ、そういえば……揃って翌日も休日というのは、これまでなかったですね」
「マーリカが離宮で療養していた時がそうだったけど? 君の実家にいた時もだよね」
「う、言われてみれば……」
「まあ共寝じゃないし、大体君すぐ事案扱いしてくるし、こうして過ごせるのは感慨深い」
それも言われてみれば、そうだ。
フリードリヒの言葉にマーリカは顔が上げられなくなった。
恥ずかしさに身悶えたくてもフリードリヒの腕の中ではそうもいかず、マーリカはもぞりと小さく肩を動かす。
「どうしたの?」
「……婚前の節度と口にしながら……これではまるで説得力が……」
「そう? いまもってなかなか厳しいと思うよ」
「ですか」
「うん。立場さえ正式に固めてしまえば急く理由もないけれど……」
だったらどうして、人が恥入っているのに顔を上げさせようとしてくるのだろう。
本当に、まるで説得力がない……頬に唇に触れるフリードリヒの手と指先が嫌じゃない。
「誰も、どんな立場も替えはきくはずだけど。どうしてか、マーリカ以外はないから……」
「え?」
「尊重したいけど、もっと強固に妃にしてもおきたい……この、理屈に合わないのなんだろうね。アンハルト曰く、私がマーリカをあ……、ああ……」
囁くようだった声音を急に低く落として、羽毛を詰めた掛布を跳ね除けるように身を起こしてフリードリヒは後ろを振り返った。
しばらくそのままじっとして、嘆息するように長く息を吐き出す。
再びマーリカの顔を見たフリードリヒに、なにかと彼女は目で問いかけたが答えは返ってこなかった。
「うーん……ちょっと潜ってて」
「は? わぷっ!?」
ばさりと掛布を頭から被せられ、突然視界も息も塞がれ一体なにとマーリカは面食らう。
被せられたものを除けるより早くフリードリヒがベッドを降り、なにやらばさっと布の音がして、部屋の出入口へ向かっていく足音が聞こえて、マーリカは掛け布から顔だけ出した。
布の音はベッドの天蓋布だったらしい。いつも端に布を寄せて留めている紐が解かれて広がっていた。中途半端に開いた隙間から丈長のシャツだけ羽織ったフリードリヒの後ろ姿が見える。
いまのいままで気が付かなかったけれど、静かな室内に控えめに部屋の扉をノックする音がした。
叩き方からしてハンナや王宮使用人ではない。
(どちらかといえばこれは……)
フリードリヒが扉の前に立って細く開き、「なに?」と来訪相手に尋ねる。
地を這うように低い声と重い口調はマーリカもあまり聞いたことがないものだ。
「新年の朝から来るだけの用件だろうね、アンハルト」
威圧しているに近い。
いくら祝日の朝になにか用件を伝えに来たからといって、そこまで不機嫌にならなくてもいいのに。まったく仕事嫌いにも程がある。
(他の誰でもないクリスティアン子爵なら、相当緊急の用件だと思うのだけど)
なにかの伝令かもとマーリカが思った通りだった。それもフリードリヒの護衛を務める近衛騎士班長にして、秘匿された王太子ヴィルヘルムの側近で諜報部隊の局長が直々に。
王宮使用人だけでなく特殊任務につく武官も年中無休であるらしい。それなのにこの対応は彼に気の毒過ぎる。
「夜会明けのお休みのところ申し訳ありません」
「目は覚めてたよ。間が悪いというだけで」
天蓋布の隙間から、ばちっと音を立てるかの如くアンハルトとマーリカの目が合った。
散々フリードリヒとのやり取りを見られている彼であっても、一応、夫婦の寝室で寝衣にガウンの薄着であるところを見られるのは恥ずかしい。
だから潜っててだったのかと、掛布を首まで被ったままマーリカは膝を抱えるように縮こまる。
ごほんと、気まずさを誤魔化すような咳払いの声がした。
「っ……本当に、お休みのところ申し訳……」
「違う、違いますっ! クリスティアン子爵っ!」
アンハルトの含んだ物言いに、思わずマーリカは声を上げる。慌てたマーリカの声にフリードリヒも振り返り、そんな彼を見て「なるほど」とアンハルトが呟いた。
なにが「なるほど」なのかはわからないが、ひとまず誤解は解けた気配にマーリカは息を吐く。
「……身支度前だよ。要点だけ」
「メルメーレ公国の現君主が重篤な状態と急報が」
「重要局面だったのに……いらないことしかしない国に思えてきた」
「重要局面? まさかまた独自に動いて」
「ないよ。君の名を口にしたのがよくなかった」
「な、は? それはどういう……おいっ!」
「二十分後に出直して」
にべもなく扉を閉めて、フリードリヒがとぼとぼと戻ってくる。
天蓋布を荒っぽく開いて、ぼすんとベッドに倒れ込んだフリードリヒにマーリカは怪訝そうに眉を寄せた。
「殿下……?」
「公国君主が倒れたらしいけど、問題ない」
「……大有りです」
隣国の、オトマルクと他二大国との間にある小国の君主が、後継者問題が片付いていない状態で。
うつ伏せに新年早々理不尽すぎるとぼやいているフリードリヒを見下ろして、マーリカは嘆息した。






