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3-10.婚儀を終えるまでが婚前(2)

 日が過ぎるのは早い。

 目が回りそうな忙しさでマーリカが仕事を片付けるうちに、気がつけば今年最後の日を迎え――いまはフリードリヒのリードでくるりくるりと大広間を回り、マーリカは壮麗な天井画と煌びやかなシャンデリアの輝きを踊りながら見上げている。

 臣下を労う宴は、正式に王子妃と認められて初めての公の場。

 王都住まいの貴族が中心とはいえ、軽いお披露目に近い形で国王ゲオルクから挨拶の締めくくりに促されての、始まりのワルツだった。

 フリードリヒの長い手足の動きに合わせて、マーリカの銀糸を編んだレースを重ねた白灰色のドレスの裾がふわりと揺れる。その度に、二人を囲んで集まっている人々の間から「素敵ね」と囁き合う声や羨望のため息がマーリカの耳に聞こえてくる。


(怠惰を極めている人なのに、王子として公の場に出れば人を魅了して余りあるのだから……)


 素敵という声の大半は、きっとフリードリヒに向けられたものだ。

 向かい合うフリードリヒは、金ボタンを二列に並べた胸元は黒地を配した上着を着ている。袖や背面は白で、飾り紐や縁飾りは金を使っているが、青や赤ではなく黒を差し色にしているのは珍しい。

 残る称賛はフリードリヒの見立てによるマーリカのドレスや、王妃から届けられた王家所有の真珠のティアラに向けられたものとマーリカは考えていた。

 実際にはマーリカに対する羨望や称賛も大いに含まれているのだが、マーリカの自己認識は両親のおかげでフリードリヒの隣にいて見苦しくはない程度、取り立ててて称賛されるほどではないであった。

 なにしろマーリカの周囲は美貌が飽和状態である。親兄弟から親類に至るまで容姿に恵まれた者揃いで、王家の人々もまた同様。その中でも一番輝くようなフリードリヒと四六時中一緒にいるから自惚(うぬぼ)れようがない。


「マーリカは踊りやすい」 

「殿下と比べると拙いですが……」

「背丈が合うからかな、楽でいい」  


 フリードリヒの言葉にマーリカはふと思う。

 マーリカと婚約する前は多くの令嬢から挨拶を受けたり、または紹介されたりして、こうして踊ることもあったのだろうなと。

 仕事においては怠惰極まりないフリードリヒだが、彼の怠惰さを補い生活を支える臣民に対しては結構まめに気を配る人だ。踊る相手が気詰まりなことにならないように合わせていたのだろう。 


(殿下と踊ると、自分にダンスの才能があるのではと錯覚しそうになる。怠けていても一通り無難にはこなせるのだから王族の教育ってすごい)


 音楽に合わせて自然に誘導されてしまう足運び、強引さのないリード、そっと添えられているようで重心が崩れないよう支える手。

 空色の瞳に見つめられ微笑まれれば……気分が良くならない女性はいないと思う。

 日頃、フリードリヒの実態に呆れているマーリカですら悪い気はしないのだから。

 これでどうして長年相手が決まらなかったのか不思議だ。


(殿下にその気はなくても、我こそはと想い募らせる人やそれを後押しする人も出てきそうだけれど……)


 そんなことをマーリカが考えたのとほぼ同時に、軽く伸ばした腕を少し強く引き寄せられる。再び組み合った耳元で、マーリカの結い上げた髪の後れ毛をフリードリヒの吐息がくすぐった。


「難しい顔して、なにを考えてるの?」

「あ……いえ、すみません」

「答えになっていない」


 低く落とした囁きにマーリカは思わず首をすくめたくなる。無駄にしっとりといい声だから困る。

 ぴったりと寄り添い、右に左にと揺れて回る動きに、心まで揺さぶられるようで落ち着かないけれど、たしかに答えになっていない。マーリカは考えていたことを白状した。


「……殿下の婚約者になりたい方は本当にいなかったのかと」

「そんなこと? 候補の令嬢達からは敬遠されていたけどねえ」


 なんだといった反応でマーリカの手を軽く持ち上げ、後ろに下がるようにステップを踏んだフリードリヒに頬が少しばかり熱くなる。言葉にして口にするとなんだか恥ずかしいような気がする。

 フリードリヒが文官組織の官吏達に“無能”と呼ばれていることは、候補に挙がっていた令嬢達も知るところだ。妃となればなにかと苦労するといった共通認識まで形成されていたらしい。

 メクレンブルク公爵令嬢ことクリスティーネが教えてくれたのだが、この様子だと本人も知っているようだ。


「正直に言って、私の面倒をみたいなんて女性はマーリカくらいでは」

「わたしも別に、殿下の面倒をみたいわけではありません……」


 マーリカが呟けば、なにがおかしいのかくすりと笑ったフリードリヒになんとなく内心むっとする。

 面倒をみたいわけではない、臣下として、妃として彼を支え助けたいだけだ。

 令嬢達の親は、フリードリヒのことを優秀な王子として認めているが、幼少の頃から人を選ぶ難しさがあり、なにかと王家のいざこざの渦中にいる印象も持っている。

 加えて、フリードリヒが臣下に対し公正な姿勢を貫いているため、政略結婚しても旨みが少ない王子と考えているらしい。これもクリスティーネがマーリカに教えてくれたことだ。

 つまりは王太子妃ほどの晴れがましさもなく却って面倒を抱えそうだ……と、これと積極的に動く者が少なかったから、フリードリヒものらりくらりと婚約者を決めずにいられた。

 マーリカとしては、なんとなく複雑な気分になる理由だ。


「それに、そのような言い方をご自分でなさるのは感心しません」

「そう?」


 華やかなワルツの楽の音に乗って踊りながらする話ではないなと思いながら、持ち上げられた右手を軸にくるりとマーリカは回って、可笑(おか)しそうに苦笑するフリードリヒの顔を見た。

 怠惰で呆れること度々だけれど、支えたいと思うだけの資質と懐の深さを持った王子ではある。

 王家に仕えし上級官吏として登用されていたとはいえ、末端の現場にいて彼に不敬を働いたマーリカに機会を与え、見える世界や人生の可能性を広げてくれた人だ。

 勝手気ままでわかりにくいけれど、マーリカにとって必要な言葉や行動は惜しまず、王族であるのにマーリカの意思を尊重してくれるところに惹かれてもいる。

 フリードリヒは公正だから、他の人にもそうだろうと思うと胸の奥が少しちくりとするくらいに。


「内情に詳しくないご令嬢なら惑わされそうに思えます」

「さらっと失礼なことを言わない」


 愉快そうな笑みの滲む口調だけれど、たしかに失礼だ。少しばかりマーリカは反省した。

 こんな公の場で、踊りながら、想像で嫉妬めいた気持ちになるなんて自分が信じられない。


(もう王子妃と正式に認められた後なのに……)


 一番の臣下で、妃はマーリカでなくては駄目だとフリードリヒに思い続けてもらいたい。

 もしもフリードリヒが彼の危うさで逸脱したなら、彼を止めるのも最悪の場合は王子の地位から失脚させるのも自分の役目だ。他の誰にも譲る気はない。そんな気持ちがマーリカの中にたしかにある。

 いつの間にと思うけれど、振り返れば結構早い段階からそれに近いものは芽生えていたようにも思えるため、フリードリヒの執着が重いなんて、もう言えたものではない。


「終わり。いつになく上の空だったね」


 すっとフリードリヒが組んでいたマーリカの手を離し、指を軽く掴む。

 同時に曲が終わって、手の指に口付けられた。

 互いに手袋もしていて礼儀の延長のようなものなのに、踊っている間に考えていたことや周囲の微笑ましげな眼差しも感じて面映い。

 踊りたい人々が次々とマーリカ達が踊っていた場所へと進み出てくる。

 軽やかな雰囲気の曲の演奏が始まり、楽しい宴の雰囲気に大広間全体が包まれた。


「もしかして、疲れてる? 考えてみたらぎりぎりまで仕事だ支度だと忙しくしていた」

「仕事は殿下のせいですよ。ですが、この程度は平気です。わたしを理由に抜け出そうと考えていませんか?」

「……脅威の連勤記録保持者だけに、君、見かけによらず体力あるよね」


 楽しむ人々と入れ替わるように、フリードリヒにエスコートされてマーリカは移動した。

 国王や王太子夫妻の席も近い、大広間全体の様子が見渡せる場所で成婚の祝いを述べに列を作り始めた人達にフリードリヒと共に応じる。

 王宮で地位の高い人や有力貴族からは婚姻の認めの際に祝いの言葉を受けているため、概ねそれ以下で婚儀にも招かれていない人やフリードリヒと親交のある人が次々とやってくる。

 マーリカはフリードリヒの隣で挨拶に応じお礼を述べるばかりだ。婚約して約一年が経ち、流石に慣れてそれなりに振る舞えるようにはなっているものの、社交への苦手意識はなかなか消えない。

 祝福してもらっているというのに申し訳なさを感じる。


「やれやれ、ひとまず義務は果たしたかな」


 一通り応対し、落ち着いたところで疲れたとフリードリヒが呟いた。

 首の後ろに手を当ててほぐすようにしながら、もうこの場に用はないといった彼の無関心さが、手に取るようにマーリカにはわかる。

 そういえば昨年も早々に年越しの宴を抜け出し、マーリカが療養で滞在していた離宮にいた。


「殿下、まさかもう帰ろうなどと」

「え、だめ? まだここにいたい?」

「いたい、いたくないといった問題ではないです」

「あとは皆楽しむだけだからいいって。父上みたく新年を迎えたらまた挨拶するわけでもなし」

 

 その国王の挨拶くらいまではいた方がいい気がする。

 少なくともフリードリヒの弟王子のアルブレヒトもヨハンも会場を満遍なく移動して、人々と談笑しているのだから。王太子のヴィルヘルムも夫妻でずっと臣下の挨拶に応じては労いの言葉をかけている。


「皆様、王族として働いているように見受けられますが?」

「私は、もうすることない」

「ご兄弟を助ける立場で……殿下」

「兄上も弟達も優秀だから、いまさら私の助けなどいらないよ」


 若くして即位し一日も休まず臣民のために働き続けてきた国王は、来年の春まで休暇を取って英気を養っていると公表されている。

 末の王子のヨハンも王立学園を卒業して早々公務に就くことになり、適齢期を少し過ぎた第二王子も妃を迎えた。第二王子の公務を補佐していた第三王子も一人前の王族として、来年から文官組織の大半を監督する立場となる。

 順調に王子達が成長し、世代交代を視野にいれてのことと世間は受け止めている。

 きっかけは腰を痛めたからだが、静養中にヴィルヘルムの働きを見て国王もその気になりつつあるらしい。

 そのような背景もあって、今年の年越しの夜会の主催者は国王代理を任された王太子ヴィルヘルムだ。

 国王は今宵は臣下への労いの挨拶のために出席しているだけ。

 ヴィルヘルムは次代の王として注目されているため今日は気が抜けない。王太子妃のテレーズも同様である。

 アルブレヒトやヨハンにとっても、今夜は今後の貴族達との関係作りのための機会だった。

 お祝いの挨拶に応じるだけで、安穏と過ごしているのはフリードリヒとマーリカだけである。


「帰るのにいいタイミングだよ? 目立たずさっといなくなるには間が大事だから」

「殿下……」

「――妃殿下、言うだけ無駄ですわ。フリードリヒ殿下が早々に姿を消すのは毎年のことですもの」


 よく通る美しくも圧力のある女性の声に、マーリカは聞こえてきた方向へと顔を向けた。

 白蝶貝の閉じた扇を口元に、大きくひだを重ねたクリーム色のドレスも華やかなクリスティーネがにっこりと淑やかに微笑んでいた。


「メクレンブルク公爵令嬢」

「クリスティーネと気軽にお呼びください。それとも、妃殿下になられても友情に変わりないつもりでいるのは、烏滸(おこ)がましいかしら」

「そんなことはっ」


 しゅんと、妙に可愛らしい仕草で俯いたクリスティーネに慌ててマーリカは答えた。


「わたしのことも、いままで通りに呼んでほしいです」

「まあ、妃殿下」


 そろりと頭を持ち上げたクリスティーネと目が合う、にっこりとクリスティーネは周囲に見せつけるように顔を上げて微笑みを浮かべた。そんな彼女にマーリカは呆気に取られる。


「お二人の婚姻が成されて本当に喜ばしいことです。マーリカ様、婚儀も待ち遠しいですわね」

「ありがとうございます。クリスティーネ……も、春が楽しみですね」

「ええ、次にお目にかかる時はわたくしもご夫人方の仲間入りです」

 

 クリスティーネ様と、口にしかけたマーリカだったが妙に圧の強い紫色の眼差しでじっとクリスティーネに見つめられ、ぎこちなく敬称を省いた名前だけして応える。

 マーリカが王子妃になったから公爵令嬢のクリスティーネに対して敬称は不要と察したからだが、父親の宰相メクレンブルク公が官吏を諌めるのに似た眼差しは心臓に悪い。流石は親子だ。

 ご令嬢からご夫人になっても、年輩夫人達に負けることなく社交界に君臨しそうとマーリカは内心苦笑する。

 華やかで淑やかで(したた)かなのにどこか可愛らしい。マーリカとしては見習いたいものである。


「本当、抜け目がないというか……始まって早々、王子妃の友人の地位を喧伝なんて烏滸(おこ)がましいにもほどがある」


 二人を側で見ていたフリードリヒが眉をひそめ、ため息を吐きながらマーリカのドレスの袖を軽く引っ張る。そのまま腕を取られてマーリカはフリードリヒの傍らにぴったり寄り添うよう引き寄せられた。


「あら、フリードリヒ殿下がわたくしに嫉妬する日が来るなんて。人生とは愉快なものですわね」

「私は、マーリカが君の権謀に巻き込まれるのを防ぎたいだけだよ」

「マーリカ様とわたくしは、よきお友達でしてよ」


 マーリカ自身もちょっと意外だけれど、クリスティーネとは社交の場で顔を合わせ言葉を交わすうちに打ち解け、親しくなった。

 苦手意識のある社交界に思いの外早く慣れることが出来たのは、地方の伯爵令嬢であったマーリカにクリスティーネが自ら声を掛けてくれて、マーリカを未来の王子妃として扱い、親しい高位令嬢達を紹介してくれたことも大きい。それに、クリスティーネとはなんとなく話していて相通じるものがある。


(なんと言っても、何故か惚気だと思われてしまう殿下の愚痴を、正しく愚痴だと理解してくれる人だもの!) 


 少しばかり宰相に似た圧の強さや怖さも感じるけれど、そうでなければ大勢の令嬢達を従わせるだけでなく慕われることもないだろう。

 彼女達が礼儀を知らないどこかの令息などに理不尽な目に遭えば、黙ってはいない人なのだから。


「そうです。失礼ですよ、殿下」

「マーリカ……君、本当になにか弱みでも握られていない?」

「ありません! なんてことを仰るのですか!」

「君たちが気が合うというのが、いまもって不可解だ」

「本当に失礼ですわね……立場や場所は異なりますが、マーリカ様とわたくしは相通じるものがあるのです。殿方で王族であるフリードリヒ殿下にわからなくて当然です」


 クリスティーネの言葉にマーリカは小さく頷く。

 大いに首を縦に振って頷きたいけれど、頭に載せている真珠のティアラが落ちてはいけない。

 公爵家の護衛騎士の息子なんて平民同然な恋人を、公爵令嬢である彼女に相応しい立場にするべく働きかけ実現してしまうなんて普通じゃない。

 優雅に当たり前のように振る舞っているけれど、クリスティーネも彼女を若い令嬢と侮る者達を相手に最善を尽くしてきたはずだ。彼女の言う通り、王子のフリードリヒにはわからない困難もあったはずである。


「むしろ殿下は、わたくしが殿下にも王子妃の地位にも興味がなかったことに感謝すべきですわね」

「私にも王子妃の地位にも興味はないけど、ことあるごとに恩を売ろうとはするよね……君は」

「感謝……そうですね、殿下ではなくわたしがですが」

「ん?」

「もしクリスティーネが殿下にも王子妃の地位にも興味があったなら、わたしはこの場にいないと思いますから」


 フリードリヒとクリスティーネの婚約はすんなりとまとまり、きっと文官組織もしっかりしたクリスティーネの影響を受け、マーリカはフリードリヒと出会うことすらなかったかもしれない。

 見た目も家格も釣り合いが取れている二人だから、きっと祝福もされるだろう。


「もしもなにも、そんな安穏とした隠居から最も遠ざかるようなこと全力で回避する」

「たしかに……フリードリヒ殿下はそうですわね。わたくしとしたことが愚かな発言でした」


 まったくだ、ええまったくと急に和やかに微笑み合うフリードリヒとクリスティーネの方が、マーリカには不可解である。とはいえ、もしもと現実はこうして違ってもいるし気にしないことにした。

 

「ふむ、そうなるとやっぱりマーリカともいずれ出会うだろうねえ……結果は変わらない」

「まあ、それこそ運命というものですわね」


 クリスティーネの口から飛び出した予想もしなかった言葉に、マーリカはびっくりして目を見開いた。

 思わずすぐ側にいるフリードリヒの顔を見上げる。

 フリードリヒも時折、大袈裟な調子でそのようなことを口にすることはある。

 しかしそれは、初めてフリードリヒの執務室をマーリカが訪れ、彼の怠惰さと気儘さに業を煮やして彼を壁際に追い詰め引っ叩いた時に、なにか衝撃というか強く彼の思うところを刺激したというだけのことだ。

 クリスティーネが口にする運命とはきっと意味合いが異なる。


(そもそも殿下はご自分のことすら替えが利くと口にするくらい、人間関係に淡白な感覚の人だから運命なんて信じてはいないと思うし)


 フリードリヒの横顔を見つめながらそんなことを考えていたのに、そんなマーリカに彼は柔らかい微笑みを見せて「そうかもね」と応じたため、マーリカは二度びっくりしてしまった。

 

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