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3-10.婚儀を終えるまでが婚前(1)

 冬である。王都も雪降る、第十二の月も半ば過ぎ。

 春夏ほどではないにせよ、この年の締めくくりとばかりに王宮内もどことなくそわそわと忙しない。

 そんな中――。


「理不尽」


 柱に掲げられた、王冠を戴く双頭の鷲を織り出すタペストリーの威厳も打ち消す、執務机の上にでろんとだらしなく伸びて突っ伏している生物が、淡い金色の頭部をもぞもぞ動かしてなにか言っている。

 

「いま頃はさ……大祖母さまの離宮で二人……暖炉の火なんか眺めたりしながらさ……」

「暖炉?」


 執務机の前に立っていたマーリカはすっとその黒い瞳を冷ややかに細め、仕事へのやる気のなさを全身で表現しているフリードリヒを見下ろした。

 彼の大祖母、オトマルクの女帝アマーリアがその夫から贈られた小離宮は、最新のセントラルヒーティングが完備されている。

 それというのも。


「あの離宮は、殿下が、私財で、勝手にっ! 修繕ついでに施工した暖房設備で、“冬も春のように快適な暖かさ”ですが?」


 宮内局、整備局、財務局の三大既得権益強い厄介部局の全部を怒らせて大変だった。各局へのとりなしで宰相のメクレンブルク公に大きな借りまで作るに至っている。事あるごとにそのことをちらつかせられ、不本意に仕事が増えることもあるためマーリカは結構根に持っている。

 離宮自体はフリードリヒから求婚を受けた、思い出深い場所ではあるけれど。


「だって寒いと心が折れる……」

「折れるな。冬が寒いのは当たり前です」

「寒いと空腹は人の心を(さいな)むものだよ……私はなによりこの二つをなくしたいと思っている……」


 言葉だけ聞くととても志高い王子だ。実際、そのための施策も指示している。

 寒冷地における凍死者対策で、建物主に補助を出す代わりに、冬季に居室内を一定温度以上に保つことを義務づける法令を定めさせた。基準には王立医院の医学者達の意見を取り入れている。


(すぐ上のお姉様が嫁いだ侯爵家は代々王立医院の研究支援をする家だから、義兄様が王家との昼餐会で生理学研究にも目を向ける殿下をほめていたけれど)


 寒冷地の視察で寒い思いをするのが嫌では通らないから、もっともらしい理由づけに王立医院に意見を聞いただけのように思えてしまうのは、あまりにフリードリヒに失礼だろうか。

 けれどもフリードリヒの我儘は何故か色々と辻褄が合ってしまう。そういった引きと運の強さの持ち主である。

 昼餐会の場では、長姉の夫の公爵令息も国からの品種改良支援の礼を述べていた。

 王国東部に広大な農地を持つ公爵家は、冷害と虫害に強い麦に改良に成功して地方に流通する穀物の約四割を生産している。農業は文官組織の所掌だ。


(このあたりも、おいしいもの好きが高じてな気がする)


 農業牧畜支援と食品衛生の発展、輸送路の開発……諸々。

 すべてフリードリヒが文官組織の長となってから、常に重要課題に位置付けられている。

 食糧の生産向上と安全性を高めることは国力増強につながっているし、内陸の国であるオトマルクの市場で大陸の北海洋で獲れる魚介や他国の食材が出回っているのもフリードリヒのおかげといえばおかげだ。

 食材の豊かさと調理において、美食大国フランカ共和国に負けず劣らずと他国の使者から驚かれもする。

 外交を担う第二王子が、“饗応の美味は徹底すべし”といった方針をとっているためだ。

 

「殿下の我儘が、結果的に国の繁栄に寄与していることは認めますが」

「新婚なのに……言葉に棘がある……」

「いい加減、こちらを片付けてください」


 マーリカは執務机の端に放置されたままになっている書類の束を、バンっと音を立ててフリードリヒの頭のすぐそばに置き直した。


「仕事しろ!」

「折角、父上が結婚休暇二倍にしようって言ったのにっ」

「丁重に遠慮申し上げました。なにより王妃様が陛下に撤回させましたよね?」


 がばっと上半身を起こし、机に両肘を張って意固地に駄々をこねるフリードリヒにマーリカは額を押さえる。(おそ)れ多くも義理の父となった国王も、なんてありがた迷惑なことを言ってくれたのか。

 

「もう半月もないのに今年の内にやることが山積みです。休む暇がどこにあります?」


 メルメーレとの鉄道公社開業も間もなくだ。見習い官吏の受け入れ、年明けに公務につく第四王子ヨハンの挨拶と見学予定などフリードリヒの下で対応するものが重なっている。

 加えてマーリカの執務室を第二王子執務室の隣にとフリードリヒが言い出したため、彼の執務室と続き間になっている秘書官詰所を彼女の執務室に明け渡すことになった。

 秘書官達は、アルブレヒトの部下も加えて彼の管理下で再編成される。いまの詰所の部屋では手狭になり、位置的にも不便だからそのこと自体にマーリカも異論はない。ただ、続き間のドアも無くすのは何故(なにゆえ)にとは思う。


「そういうのはしかるべき者がやるよ。見習い官吏の導入教育は眼鏡の秘書官が請け負うのだろう? ヨハンはアルブレヒトに任せておけばいい」

「眼鏡……カミル・バッヘム筆頭秘書官です」

「あれ、今月から? 年明けじゃなく」


 マーリカの言葉に不思議そうに瞬きして、どさりと背もたれに倒れ込むように身を預けたフリードリヒに、まったくと彼女は嘆息する。

 文官組織の体制変更は年明けから。

 マーリカも書面でそう確認した認識でいたけれど、カミルだけは先行して先月に辞令が出ていた。そのことをフリードリヒが知らないはずがない。


「殿下が促したと耳にしましたが?」

「……言われてみれば、アルブレヒトにせっつかれたね。中継ぎとはいえ荷が勝ちすぎたかな」

「荷、ですか?」

「秘書官等はもうアルブレヒトの下だから忘れていた。適任者がいないなら作るのは悪くないけれど……あれは本人どうなのだろうね」


 カミルに対するフリードリヒの言葉にマーリカは少しばかり驚いた。

 長年第二王子付とはいえ、フリードリヒと接するのは筆頭秘書官が主だ。彼からすれば、古参で隣室にいようとカミルはその他大勢の官吏の一人に過ぎない。


「ん、なに?」

「いえ、関心を向けていると思っていなかったので」

「関心ないけど、私が来た時からいる詰所の主だからね。主任秘書官くらいが都合よかっただろうに……中堅以下の人使いと育成手腕を考えたら、楽をさせておくのも勿体ないけれど」


 なににせよアルブレヒトには彼を引き上げた責任がある、と肩をすくめたフリードリヒにマーリカは呆気に取られる。カミルをとても評価し、アルブレヒトに意外にも厳しい目を向けている。

  

「マーリカ?」

「アルブレヒト殿下に対しても、ただ弟君に甘え、仕事を任せているとばかり」

「その通りだけど? むしろ全部任せて隠居したい」

「……そこはそうなのですね」

「でもねえ。任せたいことと、本人の意向と、実際に出来ることは往々にして違うからねえ。その点、マーリカは全部がほぼ等価で揃っているから頼もしい」


 本当にこの王子は優秀なのか、ただ怠惰を極めているだけなのか。よくわからない。

 左様ですか、とマーリカはフリードリヒに背を向けた。

 時に立場を明確に示してくれたり、助言めいたものを与えたり、裏で牽制してくれていたり。

 マーリカが仕事を進めやすいよう、それとなく取り計らってくれていたことはもうわかっている。


「あれ、どこ行くの?」

「午後は王妃様に招かれているとお伝えしたはずです」

「そうだった」

「明日は議会最終日の挨拶、王太子殿下と協議もあります。書類は本日中にお願いします。逃げてもだめですからね」


 振り返ってマーリカはフリードリヒを軽く睨む。

 明日から設計士と職人、技官が入る。この部屋も一時的に使用できなくなる。

 詰所の秘書官もアルブレヒトの用意した部屋へ引越しだ。書類仕事どころではない。


「そうだっ! マーリカ」

「なんです?」

「ここが使えないなら、我々は大祖母様の離宮に仕事場を移そう!」

「お一人でどうぞ」

「マーリカぁ……」


 王子妃になられても変わりないな、と窓辺に控える赤髪の近衛騎士の呟きは聞こえなかったことにした。

 国王の認めはあっさり済んで、婚儀もまだ先なため正直実感もない。

 マーリカを王子妃と認める場に立ち会ったのは、高位貴族を代表するような重鎮ばかり。

 大々的にお披露目されるような集まりでもなかったため、広く公にはマーリカが正式に王子妃と認められた旨と文官組織における権限について現在公示中である。

 文官組織における立場は、約二週間の認知のための時間をおいた年明けからということになっていた。


 *****


 王子妃の部屋に移ってもう五日になる。

 フリードリヒと同じ寝台を使うようにもなっているが、共寝といっても並んで寝ているだけ。

 マーリカ自身も意外なほど、動揺や困惑することもなく過ごせている。

 というより、婚約前からフリードリヒの私室で彼の仕事を監督して過ごしていたのと大して変わらない。

 

(いまさらと言えば、いまさらでもあるのが……)


 離宮で療養中はほぼ寝たきりでも、フリードリヒと少数の使用人で暮らしていたも同然だった。婚約後は、王宮でも視察などでも王子妃候補待遇で部屋は近く、仕事もあって互いに出入りを許してもいる。

 あとはフリードリヒが平然と普段通りの態度で、“婚儀を終えるまでは婚前”を守ってくれているのも大きい。

 

(若干、身の回りの品と同じように、“抵抗感を麻痺させる”やり口のような気もしないでもない)


 無能殿下などと現場の官吏からは呼ばれているものの、フリードリヒは愚かではない。かつては恐るべき神童なんて高官達の間で囁かれていただけあって、時折垣間見える彼の資質は素晴らしい。

 昼間の彼の言葉ではないけれどまさに「任せたいことと、本人の意向と、実際に出来ること」が食い違う最たるものに思える。

 寝台の上で枕を背もたれにして膝の上に開いた本には集中できず、うーんと小さく唸りながらマーリカがとりとめもなく考えていたら、寝衣のシャツに着替えたフリードリヒが彼の部屋からやって来た。

 

「はあ、今日は真面目に仕事をしたから疲れたねえ」

「常に真面目に仕事をするのが殿下の務めなのですが」

「まあそうかもだけど、人間そうもいかないものだよ……人間だからね」


 いつも通り掴みどころのないことを言いながら、当たり前のように寝台の羽毛を詰めた掛布をめくって、マーリカの隣にもぞもぞと横になろうとしている。

 襟元はひらひらしているけれど簡素な寝衣のシャツを着た、入浴を済ませてこざっぱりとしたフリードリヒは年齢より若いというよりやけに子供っぽく見える。


「それより定刻に間に合わせたのだからほめて」

「それが普通です。今日は大した予定もなかったでしょう」


 顔だけ見れば色気滴りそうなのものだけれど、昼間よりもさらに気を抜いた様子でいるから意識するのもなんだか馬鹿馬鹿しくなってしまう。

 仕事でもマーリカが夜更けにフリードリヒの私室にいて、これまであまり彼を意識せずにいた一因でもある。

 たまに例の“甘やかしたい欲”を出してはくるのだけれど。


「寝ないの?」

「……いえ、そんなことは」


 マーリカが膝の上に開いた本を閉じてサイドボードへ置くと同時に、フリードリヒがオイルランプの灯りを消す。

 いくら天蓋布を閉じてはなく、月も星も明るい冬の夜といえど途端になにもわからないくらい暗くなる。

 マーリカも横になって軽く目を閉じる。そのまま眠ってしまうつもりでいたところに、「ねっ」と呼びかけるようなフリードリヒの声がしてぴくんと(まぶた)を動かした。


「マーリカ、寝た?」

「……寝ないのと人を促したのは殿下では」

「そうなんだけどさ、さっきまでなに読んでたの?」

「……」


 なんだかとても、古い記憶を刺激される。そう、エスター=テッヘン家の親族の子供達が集まって一季節を過ごしていた時の記憶だ。

 いたな、こういう子。自分から寝ようよと呼びかけておいて、人が寝ようとした時に「起きてる?」とか「そういえば昼間誰それがさ」とか延々と話しかけてくるような。


「マーリカ」


 むくっと、無言で身を起こしてマーリカは一度閉じて暗闇に慣れた目で、彼女の方を向いて横臥しているフリードリヒを見下ろした。


「殿下、お休みになられるのですよね? 本ならアルヴァールの伝承の本です。王妃様のところから戻る途中で寄った図書室(ライブラリー)で借りてきましたが、まだ大して読んではいません。これでいいですか」 

「う、うん」

「寝ますよ」

「はい」


 フリードリヒの返事を聞いて、マーリカは彼に背を向けるように寝具の中に潜り込んで再び横になる。

 少し身じろぎして落ち着いたところで囲い込んできた二本の腕に、マーリカは首だけ(ひね)るようにしてフリードリヒを振り返った。


「……殿下」


 たしなめれば、「ハグだよ」と少し籠った低い呟きが後頭部のあたりから聞こえた。背中にフリードリヒの体温が触れる。

 婚儀を終えるまでは婚前で、たしかに婚前の節度はキスとハグまでではあるものの……。


「寝床の真ん中には、婚後まで見えずとも海溝の如き深さの境界線があります」


 捻った首を元に戻して、ぼそぼそとマーリカはフリードリヒへ同じ寝台を使い始めた夜に話した事を繰り返す。

 うん、とフリードリヒの返事とも相槌ともつかない調子で応じる声が、また後頭部から聞こえる。


「マーリカを腕に淵の底へ落ちているなら悪くない」

「……人を勝手に道連れにしないでください」


 マーリカが釘を刺したのを茶化すような口調ではあるけれど、人が意識した途端にそういった言葉を口にしてくるのだから困る。

 寝ようとしていたのに、髪に鼻先を埋めるようにしているフリードリヒに落ち着かない気分になってくる。マーリカは彼を避けるように、仰向けに姿勢を変えた。

 目の端にフリードリヒの横顔の下半分が見えたなと思ったら、こめかみから差した影に思わず瞼を閉じる。


「おやすみのキスがしたい」


 挨拶のような、さっと掠めるような触れ方で目元や頬にキスが降ってきてマーリカは目を開けた。

 いつの間にかすっぽりフリードリヒに包まれるように横臥に向き合っている。

 

「してもいい?」


 いまのがそれでは、と答える前に唇が重なる。

 暗くてよかった。頬が熱い。きっと目も当てられないくらい真っ赤になっているに違いない。

 この状況でも澄ましていられるほど慣れてもいないし、それにこういった口付けは結構間が空いている。


(王太子殿下のところで怒って以来かも……)


 気にしていたとは想像もしていなかった。

 深くなるわけでもなく、少し躊躇(ためら)いがちに()むようにされて、離れていく吐息にマーリカは俯いて目を伏せた。熱くなった片頬をフリードリヒの清潔なシャツの生地にくっつける。


「……油断しました」

「嫌だった?」

「そう思うなら、放してくれてもいいのでは」

「いま、ほどよく暖かいから放したくない」

「……今度こそ寝ますから、殿下もおやすみください」


 動悸を感じるほど動揺する一方で、ほっとするような心地よさも覚える。

 いつからか、フリードリヒの腕の中がそういった場所になっている。

 頭の後ろと背中に触れるフリードリヒの手の温かみを感じながらマーリカは目を閉じた。

 


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