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3-5.必要なことは外さないからずるい(1)

 おそらくは木材のために管理されている森へ通じる道なのだろう。

 真っ直ぐに伸びるブナの木立に囲まれた道は通り抜ける道と、緩い傾斜を見せて明らかに人の手の入った森の奥へと続く道へと分かれていた。

 やや傾斜しているとはいえ、山ではなく平坦な土地なため、馬車の中から見る分には森を抜ける普通の道である。

 森へ向かう分岐の手前で馬車は止まり、フリードリヒとマーリカは馬車を降りた。 

 

「見に行こうなんて簡単に仰いましたが、事前に手を回してきたのですか?」

「まさか」

「は?」

「だから現場まで行くのはアンハルトと我々だけだよ」

「それは職権濫用です」


 馬車と護衛騎士は林道に待機、随行者とその護衛にいたっては街道沿いで休憩である。

 公道を通る分には問題ないが、公園など公開されてもいない森に領民でもないのに手続きなしで無断で立ち入るのは王族や調査権を持つ官吏とはいえ微妙だ。

 材木のために管理されている私有地と明らかにわかる場所なら尚更である。

 マーリカは騎乗していた馬から降りたアンハルトを見たが、彼は軽く肩をすくめただけだった。


「まあ、何度か捜査で武官が立ち入っていますから」

「そういった問題ではありません。そもそもクリスティアン子爵は近衛騎士班長ですから捜査と無関係ですよね」

「ん、んっ……まあ捜査は別の者達ではある」

「さっと見るだけだよ。私がいて、マーリカは事故の当事者なのだから、さしたる問題にはならない」


 フリードリヒに馬車から降りる時に支えられ、そのままエスコートするように取られていた手を引っ張られて、アンハルトが先導する道をマーリカはいいのだろうかと訝しみながら進む。

 事故現場は森に入ってすぐの、小さな湖のある開けた場所であった。


「ここ?」

「はい。報告通りであれば、我々がきた方向とは反対のあちら側から森へ入り、分岐した道の湾曲に沿って暴走した馬車が湖に突っ込んだ形です。フリードリヒ殿下」


 片側の車輪が外れたことで、斜めに傾いて走っていたからだろうと説明するアンハルトにうなずくフリードリヒの隣でマーリカは少し顔を上げて首を巡らすように周囲を見た。

 馬車の転倒事故の現場で、死にかけた場所であるが長閑(のどか)で落ち着ける雰囲気の場所である。

 初夏の頃なら散歩やピクニックに丁度いいような……そんな場所だ。もっとも町がある場所からは少し距離があるため、そのような目的でここまでくる人は少ないかもしれない。

 

「馬車が傾いた側に湖があってよかった」

「それはそれで、エスター=テッヘン殿が危機に陥る要因にもなったのでなんとも言えませんが……大きな怪我を負わずに済んだ点は幸運でしたね」


 フリードリヒの言葉に、アンハルトは神妙な表情で答えた。

 マーリカも相槌(あいづち)を打つように小さくうなずく。

 馬車の転倒事故ではあるが、マーリカはそれほど大きな怪我を負わずに済んでいる。

 左腕を捻挫し、左足の骨にヒビが入った程度で、全身打ち身や小さな擦り傷なども負ってはいるが、いまはすっかり完治している。


「馬が繋がれたままというのもあり、湖まで木々にまともにぶつかることなく馬車の角をかすった程度だったのは奇跡に近いかと。エスター=テッヘン殿には神の加護がある」

 

 よく見れば、周囲の幾本かの木の幹にえぐれたような傷跡がある。

 マーリカの怪我が事故に対して比較的軽傷ですんだのは、木の幹に衝突することなく湖の浅瀬をいくらか進んで減速してから横転する形で半分沈んだため、馬車自体は大きく破損しなかったことが大きい。

 真冬であったためマーリカは衣服を着込んでいて、綿の入ったキルティングの帽子(ボンネット)をかぶり、毛布やクッションを積んでいたためそれらによっても守られたこともある。

 だが、薄く氷が張っているような冬の湖に突っ込んで、半身浸ったため、体が冷えて死にかけた。

 意識を失ってもいて、救助が少しでも遅かったら危なかったという。


「こんな場所に……」


 知らずマーリカは呟いていた。

 不意に、ざわざわと森の木々を揺らし、冬の訪れを思わせる冷たい風が林道を吹き抜けていく。

 冬場にこんな場所、そう都合よく通りかかる者などいない。

 たまたま近くで訓練中だった騎士団の一部隊が馬の(いなな)きや、物音を聞きつけて駆けつけていなければ……と考えて、頬に触れる空気に冷やされたためではなくマーリカは肩をわずかに震わせた。


「マーリカ」


 右手を握る締めつけが少し強まって、マーリカは左隣に立つフリードリヒを見上げた。

 

「寒い? こういった場所は夏も涼しいからね。秋も深まればなおさらだ」

「大丈夫です。コートも着ていますから」

「そう」

「事故の現場とお聞きしても静かでそんな様子でもないためか、見てもあまり実感がわきませんね」


 マーリカを震わせたのは、救助が遅ければ危なかったという事実だけである。

 彼女の目に映っている景色は静かな湖の姿であり、損傷が最小限で済んだためか馬車の残骸など、事故があったと思わすようなものはなにも見られない。

 繋がれていた馬は溺死したそうで、かわいそうにと思うと同時に馬車も含めてその賠償はどうしたのだろうといったことが気になった。王家で処理したのか、あるいは事故に見せかけてメルメーレ公国貴族が工作したものであるから、()の国とのやりとりで賠償させたのかもしれない。

 その顛末の詳細資料は武官組織側で管理されているため、マーリカは当事者であってもよく知らない。


「まあ、馬車の残骸などとっくに片付いているからね」 

「ですから、その……そう心配いただかなくても」

「心配?」

「ええ」


 なにか考えるようにうつむいたフリードリヒに、違うのかとマーリカは疑問に思う。どう考えてもマーリカを気遣ってくれているような彼の態度だと思ったのは、思い違いだったのだろうか。


「殿下?」 

「ああうん、そうだね。それもあるけれど……これでマーリカが馬車が苦手になっても、解放しようと思えないから嫌だったら悪いなあといった考えのが大きかったものだから」

「はあ」


 ただ繋いでいただけの手の指が、マーリカの指と絡んで握り直される。

 王子として臣下を従えることにおいては冷静な、フリードリヒらしくない気遣いだなとマーリカは思った。

 

「殿下らしくもないお言葉ですね」

「私は慣れたものだけど、普通はそういうものではないだろうからね」


(慣れたもの……狙われるようなことが? 王家と外戚バーデン家の確執で四歳の時に幽閉されかけただけでなく?)


 考えてみれば、王立学園の事件でもフリードリヒは悪漢を鎮圧することに手慣れていた。なにしろ、帯剣していた自分の剣も抜くことなく、たった一人で大の男を五人も瞬く間に行動不能にしたのである。

 

(とても誇り高き王族の戦い方ではなかったけれど。急所や関節ばかりを狙い、相手の腕を取って武器を奪う、手足を潰すといった……大体、剣技は苦手と公言していて、どうして特殊訓練を受けた武官じみたことはできるのか)


 拳銃で威嚇され、その銃口を向けられても顔色ひとつ変えず、説得ともつかない言葉を相手に投げかけながら愉悦じみた笑みまで浮かべた。人とは微妙にずれた感性だから以前に場慣れしすぎている。


「慣れたものとは、その、どういった意味でしょうか」

「ああ、ほら私、結構偉いから。特に公務に就いて成人前は色々とね。どうやら私を戦の引き金に考える者もいるようだし、迷惑な話だよ。私、痛いのと苦しいのは嫌いなのに……マーリカが二度危ない目にあったのも私に近しいからだ」


 こんな場所でなんて話をさらっと打ち明けてくれるのだと、マーリカは思わず半眼になってフリードリヒから湖へと視線を戻した。

 少なくともマーリカの手を握っていない手で顎先(あごさき)をつまんで、のんびりとした調子で話す内容ではない。なんとなくフリードリヒの警護が気になりアンハルトの姿を探せば、すぐ側にいたはずなのに姿が見えない。


(何故! もはやわたしの事故のことなどどうでもいいっ)


「クリスティアン子爵はっ……どこへ……」

「アンハルトなら、ついさっき待機させてる馬車と護衛達のところへ行ったけれど?」

「殿下を置いて?!」

「視認できる範囲内にいるし問題ない」


 気を使ってくれたのではとフリードリヒの言葉に、この人に気を使う以上に一体なにに気を使う必要があるのかとマーリカは呆れる。以前から思っていたが、あの近衛騎士班長はフリードリヒを一人で自由にさせすぎる。

 いくら侯爵家の嫡男としてフリードリヒが幼少の頃から付き合いがあり、彼の特殊技能じみた強さを知っているにしてもである。

 

「護衛の職務怠慢では?」

「アンハルトが? 付き合いが長いから私を好きにさせる加減を心得てるだけだよ。彼が本気を出せば、マーリカが殺意を見せれば即座に反応して対処するだろうね」

「一度、取り押さえられてますから……遠慮しておきます」


 フリードリヒがそこまで言うなら、マーリカを取り押さえた時の彼はかなり手加減してくれていたことになる。

 それはそれで腕利きの武官の名門侯爵家の嫡男がどうして近衛騎士班長なのか、もっと上のどこかの隊長職などになってもいいのにと疑問も浮かぶが、マーリカ同様、フリードリヒに気に入られて離してもらえないのかもしれない。 


「まあでも、マーリカは私をどうしてもいいよ。許す」

「……殿下はよくても、それは他の方々が許さないかと」

「ふむ、なにか一筆書く?」  

「そういった問題ではないかと思います。どうしてそんな馬鹿げたことを」

「離す気がないから」


 再び冷たい風が吹く。

 ざわざわと木々の枝が揺れて鳴る中でマーリカは、彼女に顔を向けたフリードリヒが微かな苦笑に目を細めるのを見た。マーリカは彼の眼差しから逃れるように繋がれている手に視線を落とす。


「この手は……もしや、逃亡防止のような?」

「そうかもしれないし、マーリカの注意をこちらへ向けたいだけかもしれない。不思議なことに自分でもわからないのだよ」


 その考えがマーリカにはいまひとつ理解しづらいフリードリヒではあるけれど、彼自身はそうではないはずだと思うと落ち着かないような気分になってくる。

 絡めている指が熱い。不意打ちで口説くようなことを言わないでほしい。

 

「そ、そういえばっ。クリスティアン子爵は近衛騎士班長なのに、ずいぶん事故について詳しいですねっ」

「だって、アンハルトが指揮した捜査だから」

「え?」

「アンハルトは兄上の秘匿された側近で、諜報部隊の局長だよ」

「は? きょく……」

「公安と対諜報を担う諜報部隊第八局長。あ、表向き副官が局長ってことになっているけれど」


(だから、こんな場所でなんて話をっ!)

 

「そろそろアンハルトの立場を不審に思う頃だろうし、王都に戻れば王子妃確定だから伝えてもいいかなと……久しぶりに殺気のこもった目をしているね、マーリカ」

「殺気を発しても、クリスティアン子爵がいらっしゃるので殿下は大丈夫では?」


(隊長職どころか、王太子直属部隊の局長……これからどう接したら)


 馬車に戻って、アンハルトについては公務につく直系王族しか知らないことだから内緒だと言われてマーリカは、「わたしは殿下をどうしてもいいのですよね」と彼の頭を平手で叩いた。

 人をらしくもなく気遣ったかと思えば、とんでもない情報をついでとばかりに二つも三つも伝えてきて、それに王都に戻れば王子妃確定なんて、フリードリヒがヴィルヘルムに持ちかけた条件が通ったことなど聞いていない。

 

「陛下のお使いがなくても、わたしと一緒にわたしの実家に行くつもりでしたね?」

「君のお父上、なかなかの難物だからね」

「婚約時にわたしの好きにすればいいと、伯爵家の当主としてありえない緩さで許可の書面送って済ませた人です。異議は唱えないと思います」

「ふむ、ならマーリカ次第ということか」


 王家の決定に否やとは言えるはずがないとマーリカは嘆息した。

 別に拒否する気はないけれど、もう少し、人に伝える伝え方というものがあるだろうと思いながら向かい合って座るフリードリヒをマーリカは軽く(にら)んだ。

 

「また馬車に酔うよ」

「もう酔いません」

「そう。それはなによりだ……今夜の宿に着いたら起こして」


 マーリカを翻弄するだけ翻弄しておいて、その憤りや呆れをひとしきり受け止めたら、うとうとしはじめたフリードリヒに、これ以上翻弄されるのも馬鹿馬鹿しいと毒気を抜かれて彼女は小さくため息を吐いた。

 翻弄されたが、自覚していなかった恐れや、仄かに抱いていた不審や、ここ最近の気掛かりをあっという間に解消されてしまってもいる。

 こうしたマーリカよりもマーリカのことをわかっているようなところに、胸の奥深いところを掴まれて後戻りできなくなりそうに思えるから困ると、微かな寝息を立て始めたフリードリヒの顔を彼女は眺めた。


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王立学園視察の事件やマーリカとフリードリヒのエピソードなど色々大増量しています!
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