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Ⅱ.管理官ノルベルト・アントン・フォン・タンハウゼン(2)

 呆気にとられて目を丸くするというのは、まさに目の前の事務官のようなのを言うのだろう。

 応接室を出た近衛騎士達は、デニスに声をかけることなく出ていったが、後からまた来るとも限らない。

 ノルベルトは最低限の事情は説明しておくことにした。

 話しておけば、この青年がノルベルトを煩わせることはない。


「……馬鹿ですか?」


 しばらく黙り込み、ようやく口から出てきた言葉がこれである。

 心底から理解に苦しむといった様子だ。


「具体的になにをしたかは聞いていない。しかし、本当に第二王子に危害を加えたのならばもう戻るまい」


 ノルベルトの言葉に顔を顰めたのも、彼に余計な仕事を任せない調整官がいなくなり、戻ってくるだろう元々いた調整官三人のことを考えてのことだろう。

 彼等が面倒を青年に押し付けていたことはノルベルトも知っている。

 青年がそれを上手く処理していたことも。


「王族相手では……そうでしょうね」


 ノルベルトは青年の、成り上がり特有の部分を買っていた。

 こういった人間は、自分の地位を上げることと維持することに力を惜しまない。

 つまりは自己の利益のため、仕事の手を抜いても一定の成果は保つ。

 彼を直に使役する者が多少無能であっても保身のためにそれを補う。

 その地位に成り代われる余地があったなら、成り代わろうとしただろうが、残念ながら王宮使用人と官吏は明確に区別されている。現実的に無理なことに彼は労力をかけない。

 一言でいえば、ノルベルトと同類である。


「迷惑な……」


 デニスが口の中で呟いた言葉に、まったくだとノルベルトも口には出さずに同意する。

 ノルベルトが失脚した時のように、莫大な保釈金を払い罪を許されるような選択肢もないだろう。

 何年になるかはわからないが、最低でも禁錮刑は免れない。

 なにかと無茶を通す第二王子に対し鬱屈はあったにせよ、訴えるだけならまだなんとかなったかもしれないが、危害を加えたというのであればどうにも仕方ない。


(珍しく気骨のある、官吏であったが)


 ノルベルトも昔は、大臣の座も狙っていた長官職だった人間だ。

 部下を見る目はあるつもりである。

 彼が失脚したのは、当時、女帝と呼ばれ権力の座に君臨する者が敵と見做した勢力の側に属していたことによる。

 若い頃は慢心もあった。目立たぬが優秀だと思っていた目下の者に足元をすくわれた。

 恨みはない、相手もノルベルト同様、相手の思うところと己の仕事をしたまでである。


(因果なものだな。儂を追いやった家の者が王宮を追われる様を、今度は上官として眺める側になるとは)


 定刻をもう半時間ほど過ぎている。

 後のことは今後知らせが届くだろう彼女の処分次第だと伝え、ノルベルトは今度こそ帰ろうとデニスから離れた。

 部署の出入口まで進み、扉に手をかけ、耳を打った言葉に足を止める。


「本当、馬鹿すぎる……っ」


 ノルベルトは青年の、成り上がり特有の部分を買っていた。

 初等学校の教育もまともに受けていない者が上位の事務官になるには、多少頭や知恵が回り、物覚えがよく、目端がきく程度では難しい。

 腹の底を隠し、軽んじられ時に泥を啜るような屈辱に耐えられる自制心。

 自分より一段上の強者に取り入り、同等以下の者とは連帯する、人の機微を理解できる聡さ。

 必要と時機を見て、恨まれぬ方法で簡単に裏切り、再び近づくことも平気でできる厚顔さ。

 それらがなければ、彼のような生まれ育ちでは、知識も仕事も地位も得られない。

 

(それだけの能力がある者は、二つに分かれる)


 単に利己的なだけの者と。

 理不尽への憤りを持ち合わせている者と。


「たしかにその通りだ、デニス」


 彼は、かつてのノルベルトと同類である。

 まさかノルベルトが反応するとは思っていなかったのだろう。

 振り返ったノルベルトに、青年はぽかんと間抜けのような顔をして彼の方を向いていた。

 

「だが、彼女のような者の役目でもある」


 とはいえ、こうも馬鹿正直かつ真正面からそれを決行する者もいないが、と。

 口には出さずにノルベルトは帰路についた。

 

 *****


 翌朝、登城したノルベルトは部署の入口で思わず立ち止まってしまった。

 彼の目には、本日すべての意欲を失ったかのように机に突っ伏している上級事務官の青年と、まったくいつも通りに書類に目を通している、拘束されているはずの調整官であるマーリカの姿が映っている。


(……なにがあった?!)


 さすがのノルベルトも、目の前の光景に対し理解が追いつかない。

 頭の中では無数の疑問を浮かべたままノルベルトが彼の席につけば、やや早足にマーリカが彼の前にやってきた。

 おそらく報告と謝罪といったところだろう。


「おはようございます。タンハウゼン管理官。その……」

「別室で聞く」

「承知しました」


 承知しましたではない……と、ため息を吐きたい気分でノルベルトは応接室へ足を向ける。

 関わりたくもないが、組織における立場上、彼女の上官である。

 どこからもなんの連絡も届いていない以上、本人から聞くしかない。

 応接室に入ってすぐ、ノルベルトはマーリカから謝罪の言葉を聞いたが、彼女が謝れば迷惑な状況が消えてくれるわけではない。時間の無駄だ。

 それよりも、何故彼女がいまこの場にいることが許されているのかである。


「ここにいるということは、なにか事実誤認が?」 


 ノルベルトは昨日の定刻の頃に、近衛騎士がやってきてマーリカの所属確認を受けたことを話した。

 彼女に、具体的になにをしたかは聞いていない。しかし、第二王子執務室で待機命令を無視し、危害を加えた現行犯で拘束されたことは聞いていると伝える。

 

「お聞きになっている通りです」

「聞こえなかったか、具体的な内容は聞いていない」

「あ……その、はい。昨日、近く実施されるフリードリヒ殿下の視察のルート変更についての要望書が届き、第二王子付秘書官へ確認しに向かいました……」


 ノルベルトの促しに、マーリカは昨日彼女の身に起きた出来事を順を追って報告した。

 一通り報告聞き終えて、ノルベルトは「わかった」の一言で応接室から彼女を退室させた。

 応接室に一人残り、腰掛けているソファの肘掛けに右腕をついて、深く長い息を吐きだしながら、右手で額の真ん中を支えるようにして彼は項垂(うなだ)れた。


(なにが、起きている――!!)


 事の仔細を聞けばなおさら、彼女が拘束もされず通常通り働いていることが不可解である。

 第二王子に苦言を呈して不興を買い、言い争うなかで詰め寄り衣服にでも触れて拘束されたのだろうとノルベルトは想像していたが、事実はそれをはるかに上回る。

 近衛騎士の言葉通りに、マーリカは第二王子に危害を加えていた。

 護衛騎士と会話している間待っていろと第二王子に指示されたにも関わらず、それを無視して彼に詰め寄り、壁際まで追い詰め、胸ぐらを掴んだのち、彼の頬を平手で複数回往復で打ちながら説教したなどと。


(取り調べるまでもなく、即、幽閉塔送りだろう!)


 マーリカ自身もそのように考えていたようである。

 しかし、取調官から色々と手違いもあって起きた事で、第二王子にこれ以上になにか危害を加える恐れもないだろうから解放すると告げられたらしい。

 本人は護送と言っていたが、官舎の門まで近衛騎士に気遣われながら送られたらしい。

 朝を迎え、謹慎や召喚命令も届いていなかったため、通常通りに仕事場にきたとのことだった。


(どんな手違いだろうが、王族に暴力を振るった事実に変わりはない)


 国王と宰相が認めた上級官吏といった点で、穏便に事をおさめようとしている可能性はあるにせよ……さすがに拘束もなにもないというのはあり得ない。

 幽閉塔でないにしても、王城の一室に留め置くなど表沙汰にはせずに拘束することはいくらでもできる。

 ノルベルトが応接室を出れば、マーリカは各所への追加依頼の書面を作成していた。

 通り過ぎる時にちらりと手元を見たところ、事件の発端となった第二王子の要望の調整にかかっているようである。


(解放されたからと、まったく普段通りに仕事に従事する側もどうかと思うが……)


 ノルベルトは、いつ武官組織から知らせがくるかと、気もそぞろに一日過ごしていたが結局その日は何事もなかった。次の日も、また次の日も、そのまた次の日も同様。

 事件などなにもなかったかのように静かに日々が過ぎ、十日が過ぎた頃に突然、内務大臣からノルベルト宛に召喚命令が使いの者の手で内密の扱いで届いた。面会日は明後日と随分急な設定である。


(彼女ではなく、何故、私に?)


 まずは上官からその責任を問うということなのか。

 それならそれでノルベルトも身を守るしかないが、なにかそういった雰囲気ではなさそうである。

 長年、文官組織に身を置いてきた官吏の勘としか言えないものではあるが。


(それはそれとして、さすがに休ませねばなるまい)


 部下が疲弊しようと倒れようとどうでもいいノルベルトではあるが、あのような事件を起こしてまた目立つような事態を起こされても迷惑である。 

 第二王子の視察ルート変更について要望通りに各所調整した後は、何件あるのか数えたくもない実施済みの豊穣祭関連行事の記録整理が積み上がっているが、別に急ぐわけでもない。

 先週の安息日は休んだようだが、先の休日返上の日数くらいは消化していい。


(志もあるが、どうにも仕事中毒の気もある)


 正直にいえば、事件の処置がはっきりわかるまで来るなと言いたい。

 言えなかったのは、ひとえに人員不足のせいである。

 人員として使えるのなら、元いた中級官吏三人より、マーリカ一人の方が使える。

 質の面でも、文官組織の一部における人手不足は深刻なのである。


(丁度いい、内務大臣の手で突然また武官に押し入られても困る。第二王子の要望については彼女の責任で対応させ後処理まで実施した後は謹慎処分としたとすれば、多少こちらの体面にもなる)


 ノルベルトは、書類仕事に勤しんでいたマーリカを呼ぶと、繁忙期であったため言い渡せずにいたと告げ、また勤務に関する規定違反として、明日から五日間の謹慎処分を下した。

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