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5.その夜、なんとなく

「マーリカ、私は決意した! 君のために王国王に私は、なる!」


(――は!?)


 ここは大国・オトマルク王国の王都リントン。

 栄える街を見下ろす高台にたつ王城でも奥まった場所にある一室。

 高位貴族すらもそうそう立ち入ることはない、王族の私的生活の区画であり、第二王子の私室である。

 そしてとっぷり夜も更けた時間だった。

 

 その言葉だけを拾いあげれば、私室に連れ込むほど入れ上げた女性に対する睦言の類に思えなくもない。

 しかしながら金彩の施された豪奢な天蓋枠付きのベッドの上。

 フリルをこれでもかと重ねた白いリネンの寝巻き姿で、わんぱく盛りの子供のように仁王立ちで宣言する御歳二十六の成人男性とあっては、なにをトチ狂ったんだこの王子といった感想しかない。

 しいて付け加えるなら、ここが話の漏れる恐れの少ない私室でよかったですねというくらいである。


「なに堂々王位簒奪宣言してるのですか。正気ですか? 乱心ですか? 乱心でしたら王族専用のいい隔離塔を知っております。いますぐ無期限静養の算段をつけましょう」


 本日最後の決裁書類をベッドに立つ第二王子の足元から取り上げながら、マーリカは努めて淡々とそう言って書類の署名を確認した。


 フリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルク。


 深謀遠慮を要求される王国の文官組織を管轄する、この国の第二王子。

 マーリカの目の前、ベッドに仁王立ちになっている金髪碧眼の美貌の青年である。


「君こそ、なにさらっと王子を幽閉塔に入れようとしてるのさ。私は正気だ」

「いっそご乱心いただいた方が平和になるかと……主に我々文官が」

「私はそんなに君たちに恨まれてるのか、マーリカ」

「一部では激しく」

「あ、そう」


 ベッドの脇に控え立つマーリカに向かって、フリードリヒは両足を投げ出すようにして、ぽすんと彼はお尻をベッドに落とした。

 彼を受け止めたベッドの表面がぼよんと弾んで軽く波打つ。

 フリードリヒは両腕を真っ直ぐ前に突き出し、ぼよよんと振動の余韻をひとしきり楽しむようなそぶりを見せて、腕を下ろすとそのままじっと静かに動かない。

 そうしていると、整った顔立ちと相まってなにか深淵な考えを巡らせているように見えるのだが、そう見えるだけとマーリカは嫌というほど知っている。

 一部で自分が激しく恨まれていると聞いてもけろりとして気にもしていない様は、ある意味では懐深い人物と言えないこともない。

 しかし、それもまた彼が独特の感性の持ち主であるためだと、マーリカは理解しつつあった。

 根は善良なのだが、どうにも喜怒哀楽のポイントのようなものが一般のそれとは若干ずれているように思える。


「それでまたどうして、そのようなこと口走るに至ったのです? 殿下」

「いやさあ、君があまりにも人手不足を訴えて、時折青黒い顔色してるからさ。とはいえ、家臣は王に、父上に仕えているわけだから勝手には動かせない。そもそも王太子の兄上と違って私にそういった権限はないし……」

「人員補充のくだりには若干ときめきを覚えましたが、殿下も人事権はお持ちでしょう。そもそも現場の末端にいた私を筆頭書記官に任命したわけですから」

「んー、君の場合は懲罰枠とかで大臣たちが調整したから」

「ああ。なるほど」


 一年と月余(げつよ)仕えて、ようやく得心がいったとマーリカは思った。

 執務へのやる気のなさとその思いつきで文官を振り回し、“無能殿下”と二つ名を文官から与えられているフリードリヒの気まぐれのあおりを受ける部署にマーリカはいた。

 二十五連勤の疲労で錯乱し、フリードリヒの執務室に乗り込み、彼の襟元掴んで往復ビンタを数回したマーリカは一旦は護衛の近衛騎士に捕らえられたものの、何故か不敬罪にも問われなかった。

 それどころかフリードリヒが気に入ったからという理由で何故か秘書官に抜擢されて今に至る。

 往復ビンタされた相手を気に入るなど、特殊性癖でもない限り有り得ないと思っていたのである。

 少しばかりその気があるのではないかと、フリードリヒのことを怪しんでいたマーリカはそうではなかったらしいとほっとした。


「懲罰というのならば、納得です」

「え?」

「ん?」

「どうして、納得……」

「納得でしょう。顔と運だけとはいえ、第二王子に危害を加えたわけですし」

「なにを言うんだ、マーリカ! あれはそう、僕の人生に新たな風が吹き込んだ、まさに扉が開――」

「閉じろ!」


(やはり特殊性癖……いやいやまさか、「人間叱られなくなったら終わり」とも仰っていたし、きっとそういうことだ。そういうことにしておこう)


 ごほん、と。

 マーリカは咳払いを一つした。

 手にした書類を書き物机に積まれた書類の上に載せて、「結構です」と呟く。

 気を取り直して。

 先ほどの、王都流行の娯楽小説にある「盗賊王におれは、なる!」といった主人公の台詞をもじったような宣言はいつもの思いつきであり、他の者は聞いていないから実害はない。

 もちろん、公の場で繰り返したなら遠慮なく乱心扱いで幽閉塔に放り込む。


「マーリカ、君またなにか剣呑なこと考えてない?」

「まさか。殿下、本日のお仕事はすべて終わりました」

「ん、いつも私の残業に付き合ってくれてお疲れさま、マーリカ」

「そうお思いでしたら、私が監督しなくても片付けてください」

「えー」

「えーではありません。わたしは殿下の母君ではないのですよ」

「当たり前だよ。君が母上など困る」

「失礼いたしました」


(流石に失言だった。資力も権力もない弱小伯爵家の令嬢如きが王妃殿下などと皮肉にしても不敬が過ぎる。殿下だからこれで済んでいるけれど、他の王族の方なら大問題……ん? よく考えたら、そもそも他の王族の方々ならそんな皮肉必要ないのでは?)


 とはいえ、今日はいつもより早く終わった。

 マーリカが上着の内ポケットから銀時計を取り出して時間を見れば、まだ日付が変わったばかり。よしっと、彼女は内心で歓喜の拳を握る。

 今日は官舎の自室に戻って、いつもよりゆっくりと睡眠が取れる。

 なんだったら朝寝坊だって可能だ。

 明日は珍しく、仕事も用事もない安息日である。

 そう、安息日である!

 

「では、殿下。わたしはこれにて失礼いたします。ゆっくりお休みください」

「え、帰るの?」

「はい」

「なんで?」

「いや、なんでと申されましても……仕事も終わり、官舎に戻れる時間ですから」

「もう遅いけど」

「深夜残業の文官のために、午前二時まで裏門は開いております」


(そう、この二時に間に合わなくて連日、この部屋の長椅子で寝る羽目に……)


 男装の文官とはいえマーリカは、二十一歳となったばかりの、古くから続く由緒正しき伯爵令嬢だ、普通に自分の部屋のベッドできちんと休みたいと思うのは当然のことであった。

 そう、当然のこと――。

 年頃の男女、それも第二王子とその筆頭秘書官の女性が、深夜王子の私室に二人きりでいるというこれまた当然の意味について――残念ながら、両者ともあまり深くは考えてはいない。

 なにしろ彼らは、本日処理しなければならない決裁書類を巡り、宿題を嫌がる子供と、その子供を戒め宥めすかして宿題に取り組ませようとする母親のような攻防をしていたので。

 いまのいままで、およそ色恋めいた雰囲気などは皆無であったのである。


「明日は安息日だし。もうちょっと付き合ってよ」


 なんとなく。

 そう、なんとなくだ。

 マーリカが私室に寝泊まりするのが当然となりつつあったフリードリヒにとって、彼女が官舎に帰ってしまうのは少しばかりつまらないことであった。


「殿下、先ほど、“残業に付き合ってくれてお疲れさま”と仰いましたよね」

「言ったけどさあ。仕事だけなの? 冷たくない?」

「仕事ですから。なんですか、破廉恥事案(セクハラ)ですか?」

「違う。リバーシが四十九勝、五十敗、三引分じゃない。勝ち逃げ良くない」

「勝ち逃げもなにも、勝ってますから」


 ふふん、と。

 マーリカが若干胸を張ってフリードリヒを斜に見下ろせば。

 周辺諸国では、その外交手腕において、“晩餐会に招かれればワインではなく条件を飲ませられる腹黒王子”と誤解され、恐れられている。

 特に深い考えはないが、美貌のために妙に迫力のある微笑みを彼は返した。


「ふうん。次、勝負して負けるの嫌なだけじゃないの? マーリカ、王子相手でも負けず嫌いだし」

「勝負に主従は関係ありません。大体、勝つまでやると言い張るのは殿下でしょう」

「三本勝負で!」

「いいでしょう」


 明日が安息日だからなのか、いつもより早く仕事が終わった高揚感からか。

 マーリカもまた、まあ少しくらいならいいかといった気分になったのだった。

 なんとなく。

 そう、なんとなくだ。


 *****


 ランプの光だけの薄明かりの部屋。

 象嵌細工も美しい小テーブルに美貌の男女は向き合い、盤上の平たい円盤状の石をぱちりと置いてはひっくり返す攻防を繰り返す。

 両者の実力はほぼ拮抗していた。


「殿下、ボードゲームは妙にお強いですよね」

「自分は強者と言わんばかりの発言だ、マーリカ」

「わたし、結構強いので」

「さっき負けたよね」

「……だから、妙に強いと」


(正直、普通に強い。例の下町美味探求の連載といい、仕事以外のところでは結構才気あるのが解せない……っ!)


「いま五十勝、五十敗、三引分だよね」

「はい」

「私が全勝したら完全に勝利だよね」

「そうなりますね、全勝すればですが」


 淡々と、愛想のない表情で応じてマーリカは盤上を眺めた。

 フリードリヒが先手で黒、マーリカが後手で白。

 黒が少し多い。


(ふむ、このまま進めばたしかに二敗……三本目で勝てば五十一勝、五十一敗、三引き分けですが。今日は妙に勢いづいているし……)


「私が勝ったら、マーリカ」

「なんですか、賭けですか? 王子が賭博はよろしくは……」


(あそこに置いてくれれば勝機もあるけれど……)


「ずっと私の側にいてほしい」


(しかし殿下は手堅い打ち手、まさかそんなヘマはしな……え?)


「殿下っ、それは」


 マーリカはフリードリヒの顔を見て、だから気がつかなかった。

 ぱちりと石を置いたフリードリヒの指先が彼の本心と不安を表すようにわずかに震えていたことを。


「私は王子だから、人がなにか言うかもしれないけれど」


 ゆらめくランプの光に、澄んだ空色の眼差しがいつもより艶めいた色で揺れているように見えて、不覚にもどきりとしてしまったのは思いがけないことに動揺したからと、マーリカは自らを落ち着かせるため息を吐いた。


(本当に、腹立つほどに顔がいい)


「マーリカ……?」


 文官の間では有り得ないけれど、女性の秘書官が美貌の王子に絆されてああも尽くしているとでも言われているのかもしれないと、マーリカはフリードリヒから盤上へと目線を落とす。

 マーリカは社交の場には出ないから貴族社会の噂は知らない。

 フリードリヒの容貌はそういった威力を持っていて、その見せかけで周辺諸国を翻弄すらする。

 だから絶対に彼の顔にはつられないと、マーリカは決めている。

 側でその威力を知っているからこそ誠意がないし、それになんだか癪だ。


「殿下」


 マリーカは、いつになく淑やかに呟き。

 ぱちり、と静かに石を置いた。


「マーリカ……? あっ……ええっ!? 待った!」

「待ったはなしです」

「や、そこ……置くつもりじゃ……間違えて……」

「情けない言い訳しないでください。第一、秘書官が殿下の元を去るのは殿下が原因かと」

「えーええ……だって、ああもういいよ! 仕事も含めて色々、君じゃないと僕はもうだめだっ」

「なに令嬢口説くようなことを言っているんです」

「口説いてるんだよ!」

「なにを今更……四十七連勤に耐えられる秘書官だからですか?」


 ぱちぱちぱちと機械的な手つきで斜め一列の石を真っ白にしながら、マーリカが冷淡に呟けば。


「あーうん……や、違う! それもそうだけどそうじゃなくっ」

「では、急な思いつきに合わせて調整する秘書官」

「う~それは……いや、それも魅力的だけどさ」

「なんです? まさか令嬢への手紙の代筆もできる秘書官ですか?」

「実に重宝だけど……あのさ、マーリカ、さっきの言葉の意味わかってる?」

「ええ、ご心配なさらずとも」

 

 ぱちり、と縦一列も白に変えて、マーリカは再びフリードリヒを真っ直ぐに見た。


「わたしは王家に仕えしエスター=テッヘン家の者です。殿下がわたしを不要と仰るまで、勝手に職を辞してお側を離れるなど家名に賭けてあり得ません」


(無能でも、少なくともこの人は公正である点で仕えるに値しない人じゃない)


「勝負あったのでは?」

「あー……うん、そうだね。負けたね」

「では、次の勝負を」

「いや、今日はもういい」

「わたしがまた勝ち越しますが?」

「裏門、閉まる時間でしょう。次に預ける」

「はあ……ですか」


 珍しいこともあるものだと、マーリカは瞬きする。

 珍しいことであったが、フリードリヒがもういいというならもういいのであるし、またなにか気まぐれを起こさないうちにさっさと撤収するのが吉である。


「では、片付けますよ」

「うん」


 マーリカが盤上の石を袋に集めようと手を動かした時。

 いつもはマーリカが片付けるのを見ているだけなフリードリヒも、なんとなく、彼女の持つ袋へ石を寄せようと手を伸ばした。

 怠け者とはいえ、王族として最低限の鍛錬はされた指がほっそりと白い手の甲に重なる。


「殿下?」

「ん、いや……これは事案ではっ」

「それはまあ」


 流石にこれでめくじら立てることはないと、わずかに残る石を袋に集めようとしたマーリカだったが。


「殿下」


 慌てておいて何故か手を握っているフリードリヒにマーリカは呆れて、眉を顰める。


「……君が、私に尽くしてくれるというのなら」

「はい?」


 いつになく真面目なフリードリヒの声音に、マーリカは首を傾げた。

 あまりに真摯な響きだったので、握られた手が彼に引き寄せられていくのをなんだかただぼんやりと眺めてしまっている。

 ばらばらばら……と、乾いた小さな音を立てて、集めた石が袋からこぼれて小テーブルの上に散らばる。


「そんな家臣を手放すほど私は愚かじゃない……たぶん」

「たぶん……」


 フリードリヒの口元近くまで引き寄せられはしたものの。

 触れることはない中途半端な位置で停止している手と掴んでいる彼の手を見ながら、マーリカは彼の言葉を繰り返した。

 そんな彼女にうんとフリードリヒは頷いて、石の袋の上に華奢な手を戻しそっと離す。


「……たぶん」

「ですか」

「うん」


 なんとなく、ほんの一瞬、互いにどきりとしたようなしてないような。

 そんな夜はなんとなくうやむやに過ぎて、官舎に戻ったマーリカは久しぶりの自室のベッドを満喫したのであった。


「睡眠、大事!」

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