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第8話:貝覆いは得意なんだ!

「うん、『男子、三日会わざれば、刮目(かつもく)して見よ』かあ。いい言葉だよねえ」


 私は、習ったばかりの故事成語を自分の部屋で一人で復習している。なんとこの時代にも故事成語の教科書があったのだ。まあ、教科書と言っても、当然手書きの書だけれども。


 私が呟いたさっきの言葉は、元は三国志演義という中国の書物が由来らしい。意味は「努力する男子は、三日会わないだけで随分と成長する」というものだ。


「秀忠くんは真面目な頑張り屋さんだから、また立派になっているかなあ。でも、今でもカッコ良すぎるぐらいなのに、あれ以上カッコよくなっちゃったら、困っちゃうよねえ。えへへへへっ。もう二か月も会えてないけど、秀忠くんに早く会いたいなあ。うふふふふっ」


 秀忠くんのことを考えたら、ついついニヤけてしまう。会えない時間が二人の愛を育むってこういうことなんだろうなあ。えへへへへっ。はっ、いけない、いけない。復習の続きをしなくては。


 でも、そう思って身をただした瞬間、ピューッとひどく冷たい風が走り、思わず身震いしてしまった。私は、故事成語の書を脇に置くと、すだれを開けて外の様子を見てみた。


「ああ、なんか寒いと思ったら、雪が降っていたんだ」


 外には真っ白な粉雪が舞い散っており、庭にうっすらと降り積もっていた。


 慌ただしい新年を終え、今はもう睦月の半ばを過ぎている。以前住んでいた京都に比べると大阪はまだ温かいのだけど、それでも時々ぐっと冷え込むことがある。実は、大坂城・本丸奥御殿という立派な建物の中にある私の部屋にも、隙間風がぴゅうぴゅうと吹き込んでくるのだ。本当に寒くて凍え死んでしまいそうだよ。


 この時代は睦月、つまり一月から暦の上では春ということになっている。でも、実際はこんな感じで、まだまだ冬の真っ只中。はぁ、早く温かくならないかなあ。


「小姫様、新しい炭を持ってまいりました」


 侍女のお梅さんが火鉢に入れるための炭を持ってきてくれた。でも、これだけではそれほど温かくはならない。この時代は暖房器具が貧弱なんだよなあ。それに今年はやけに寒い日が多いし。


「お梅、有難う。でも、今年はなかなか温かくならないわね」

「ほんにそうですわねえ。せっかく、文禄(ぶんろく)の世に変わったといいますのに」


 そう、去年の師走に元号が天正から文禄に変わっている。だから、今は文禄二年。この時代は天皇が変わらなくても、元号が変わるんだね。


 私も十歳になっている。早く秀忠くんのもとにお輿入れがしたいと、秀吉や北政所様に度々アピールしているのだけれど、まだ早いと言われてしまっている。まあ、現代日本だとまだ小学生の年齢だから仕方ないのかな。


「小姫様、北政所様がお呼びでございまする」


 北政所様付きの小屋(こや)さんという侍女さんが襖越しに声を掛けてくる。


「はい、わかりました。すぐに参ります!」


 取りあえず元気よく返事をしたけど、何の用事なのか見当がつかない。火鉢の中の炭をいじっていたお梅さんに訊ねてみる。


「お梅。なんのご用事か、わかる?」

「いえ、存じ上げませんが、確か、今は北政所様のもとに、丹波中納言様がいらっしゃっていたと思います」


 ふーん、秀俊くんがまた来てるのか。大名だというのに、本当によく遊びに来るよね。


 秀吉の養子の一人、豊臣秀俊くんは、今は周囲の人から丹波中納言様と呼ばれている。去年の夏に朝廷から高い官位をもらって、今ではかなり偉くなっているのだ。ただ、人によっては、以前の官職である「金吾」と呼んでいる人もいる。まあ、中納言も金吾もあの子には分不相応よね。


「ふーん、丹波中納言さんねえ。あまり気が乗らないなあ」

「小姫様、そのようにおっしゃってはなりませんよ。丹波中納言様は太閤様のお身内の一人です。将来、さらに偉くなられる方でございますよ」


 そうかなあ。「豊臣秀俊」なんて名前は、歴史の授業で聞いた記憶が無いよ。そもそも秀俊くんは、北政所様のご実家の木下家の出身で、秀吉とは血のつながりが無かったはず。どうせ、どこかで秀吉に嫌われるかして、失脚しちゃうんでしょ。


 まあ、でも北政所様に呼ばれたのだから、仕方がない。私は重い腰を上げると、屋敷の奥にある北政所様の居室に向かうことにした。


 ◇ ◇ ◇ ◇


「北政所様、小姫でございます。お呼びでございますか。」

「まあ、小姫。そんなに固苦しゅうせんでもよいのに。いつもと同じように、母上とお呼びなさい」


 北政所様は、気さくに私にそう言った。私も普段は、彼女のことを『母上様』と親しく呼んでいる。だけれど、今日は秀俊くんとはいえ、お客様がいる場なので、よそゆきモードだったのだ。


「母上様、失礼いたしました。今日はいかがされましたか?」

「ほら、辰之助が遊びにまいっておるのじゃよ」


 辰之助とは、秀俊くんの幼名のこと。北政所様だけは、元服した後もこの幼名で呼び続けている。秀俊くんは、上座の席で北政所様付きの侍女たちに囲まれてふんぞり返っている。以前に見た時よりもさらに太っていて、顔色もあまりよろしくない。相変わらず酷い運動不足なのだろう。


「丹波中納言様。お久しぶりでございます。お元気そうで何よりです」

「ふん、小姫はまったく変わらんな。相変わらず、生意気そうなままじゃ」


 秀俊くんは、憎まれ口を言ってきた。この子ももう十二歳だというのに、心根はお子様のままだ。これで丹波亀山十二万石の大名で、従三位(じゅさんみ)権中納言(ごんのちゅうなごん)だというのだから、何かがおかしいと思う。


「そうでございますか。それでは、これにて失礼いたします。おゆるりとお楽しみくださいませ」


 私は頭を下げると、さっさとこの場を退散しようとする。


「おい、小姫。待て、待て、そう慌てるな。実はな、かか様から、小姫が『貝覆(かいおお)い』が大層得意と聞いてな。どうじゃ、一度、ワシと一緒にやってみぬか?」


 貝覆いとは、ハマグリの貝殻を使った神経衰弱のようなものだ。ハマグリの貝殻の内側には、金箔の装飾と源氏絵や花鳥画などが描いてあり、ペアとなるハマグリには同じ絵が描いてある。


 遊び方は、まず、三百六十枚のハマグリの貝殻を伏せてきれいに並べるところから始まる。そして、出役を務める人がハマグリを一つ一つ桶から取り出して、参加者の一人に手渡す。その参加者は、ハマグリ貝殻の形をしっかりと見定め、伏せられたハマグリの中からペアになるものを探すのだ。


 ハマグリが合っていれば、参加者はそのハマグリを自分の前に置き、続けて選ぶことができる。間違ってしまうと、ハマグリの貝殻は次の人に回される。このようにして、取ったハマグリの枚数を競うのだ。


 私は、生まれ変わる前は神経衰弱がかなり得意だった。そして、今も貝覆いは、この館でも一、二を争うほどの腕前なのだ。


「中納言様、よろしいのですか? 小姫は、貝覆いをするときは手加減は致しませぬよ」

「ふん、小姫のくせに生意気なことを言うわ。返り討ちにしてくれる。覚悟せよ!」


 秀俊くんは、憎まれ口をまた言った。なによ、あなたの方こそ生意気じゃないの。


「さあ、さあ、並べ終わりもうした。北政所様、中納言様、小姫様、それに皆様方、輪になって座ってたもれ」


 出役を務める小屋さんの指図に従い、十五名で貝殻を囲むようにして座る。そして、貝覆いがゲームスタートとなった。


 よし、秀俊くんには絶対に負けないぞ! 私はひそかに気合を入れた。


「最初はこれにございまする。それでは北政所様、お探しくださいませ」


 小屋さんが貝桶から一枚のハマグリの貝殻を取り出して、北政所様に手渡す。


「うーん、難しいのう。どれも、同じに見えるのう」


 北政所様は、貝を見比べながらしかめ面をしている。北政所様は貝覆いをするときは、いつも真剣勝負なのだ。本人も真剣にやるし、周囲が手を抜くこともけっして許さない。


「これじゃ! ……ああ、絵が違うたか……」


 北政所様は頭を抱えている。ふふふっ、北政所様。ずっと右の方にあるやつでしたよ。でも、真剣勝負だから内緒ですけどね。


「辰之助。次はそちの番じゃ。これと一対のものじゃぞ」

「かか様、わかっておりますぞ。簡単ではござらぬか」

 

 秀俊くんは、自信満々に自分の目の前の貝を選び、ひっくり返した。いや、それは全然大きさが違うでしょ。


「ありゃ、違うたか。なぜじゃ。絵を描いたやつが間違えたに違いないわ。絶対に許せぬぞ」


 秀俊君は顔を真っ赤にして怒っている。いや、あなたが間違えただけだからさ。


「中納言様、次は小姫様の番でござりまする。小姫様に貝をお渡しいただけますか」

「ふん、受け取れ」


 秀俊くんは、ハマグリの貝殻をポイっと私の前に投げてよこした。なによ、本当に態度が悪いわねえ。


「はい、それでは、選びます。えーと、どれでございましょうか……」


 少しわざとらしく選んでいるフリをする。本当はもうどれかは分かっているんだけど、北政所様が間違った後に、すぐに正しいのを選ぶのも礼儀に反するからね。


「あ、それでは、これかもしれません。あっ、当たった。同じ絵です」


 私は、しばらく迷ったふりをした後、正解のハマグリを選んだ。


「小姫様、お見事でございます。それでは、次は……この貝でございます。小姫様、今一度お選びくださいませ」


 小屋さんが次のハマグリを貝桶から取り出す。そして、貝覆いのゲームは進んでいったのでした。


 ◇ ◇ ◇ ◇


「はい、それでは、これにてお開きでございまする。皆様、お疲れさまでございました」


 小屋さんがそう宣言し、二時間以上は続いたであろう貝覆いは終わった。結果は、ふふふふふっ。私の圧勝だった! やったー!


「小姫は、貝覆いがほんに上手であるのう」

「ふふふ、母上様。たまたま合っただけでございますよ」


 まあ、これは謙遜だ。だって、三百六十枚のうち、八十九枚を私が取ってしまったのだから。私がミスをしたのはたったの四回だけだった。ちなみに、私の次の第二位は北政所様で、四十三枚だった。


「ふん、つまらん。ワシはしばらくこの館で寝てから帰るぞ。さっさと部屋を用意するのじゃ!」


 秀俊くんが不機嫌そうにそう言った。秀俊くんが貝覆いで取ることができたのは、たったの二枚だった。途中、周りの人も、さりげなく当たりの貝殻を指し示してくれていた。だが、それにも気づかず、秀俊くんは間違ったハマグリを選び続けたのだ。


 秀俊くんは、何も言わず襖を開けると、北政所様の部屋をドタドタと大きな足音を立てて出て行ってしまった。うん、礼儀も何もなってない。


「はあ、辰之助も、もう少しでいいので、大人になってくれぬものかのう。もう十二にもなるのに、いまだに幼子のごとき振舞いよ。ああ、ほんになげかわしや」


 北政所様は、切なそうにため息をつきながらそう言った。


「母上様。古来『男子、三日会わざれば、刮目して見よ』とも申します。そのうち時が経てば、きっと中納言様もご立派になられますよ」


 私は、学んだばかりの故事成語を使って、北政所様を慰めてあげた。まあ、実際のところ、秀俊くんが成長するのは難しいかもしれないけど。


「ほんにそうなればいいのう。しかし、小姫はまだ(とお)だというに、難しい言葉も使うて、立派になったものよのう。さすがは、信長様のお血筋じゃな」

「いえ、めっそうもございません」


 へへへへっ、そんなに褒められると照れちゃいますよ。まあ、さっきの言葉は知ったばかりの付け焼刃ですし、それに私は生まれ変わる前は十八歳まで生きておりましたので。そう思いながらも、私は、しずしずと北政所様に頭を下げたのだった。


お読みいただき有難うございます。少しずつブクマが増えており嬉しく思っています。

また、本日より毎日1話ずつ更新していく計画です。できるだけ頑張っていくつもりです。

次話第9話は、1月13日(水)21:00過ぎに掲載予定です。引き続きよろしくお願いいたします。

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