第72話:うたかたの夢
慶長二十年(1615年)皐月(旧暦五月)。私が寝込むようになってから、もう十か月が過ぎた。私の体調は以前のように戻ることは無く、先月からは寝床から身を起こすことも難しくなってきている。
ああ、そう言えば、生まれ変わる直前は、ずっと病院でこんな感じだったなあ。そうか、私はもうすぐ死んじゃうのかな……。
「ママちゃまぁ、死んではダメですからねえ!」
枕もとでは、次男の密柑丸くんが泣きながら、必死に私に呼び掛けている。ごめんね、密柑丸くん。お母さんはキミが大きくなるまで側にいてあげられなかったよ。
「ママちゃまぁ…………」
「ダメよぉ…………」
その横でか細い声で泣いているのは、三女の桃姫ちゃんと四女の杏姫ちゃん。ごめんね。二人とも、もうすぐお輿入れすることが決まっていたのに、私が死んじゃうとしばらく延期になっちゃうね。
「桃、杏、密柑丸。泣いてばかりでは母上様を心配させるだけじゃ。ここは、しゃんとせよ」
ああ、さすが家光くんだな。最近はすごくしっかりしてきた。さすがは秀忠くんの息子だよ。キミは、未来の征夷大将軍だ。お父さんをしっかりと見習って、この日本を平和な国にするんですよ。
みんな、ごめんね。本当は、もっといろんなことをキミたちとお話したいんだ。でも、今日はいつも以上に体調がよくないの。今は目を開けることすらできないくらい。
「小姫殿、死んでは、死んではならぬぞ! 今は、そなたの望んだ通り、罪なきものが殺されぬ泰平の世じゃ。日ノ本は、多くの者が日々の暮らしを楽しむ、まことに良き国なのじゃ。そなたが見たかったのは、こんな世なのじゃろう」
ああ、秀忠くん。私の最愛の人。あなたのおかげで戦国の世は無事に終わり、多くの人が生き生きと暮らせるようになりました。あなたのことを心から尊敬しています。あなたに会えて、あなたと結ばれて、私は本当に幸せでした。
「小姫殿、死んではならぬ! 死んではならぬのじゃ! 江戸は、さらに立派な町となる。京や大坂よりも栄える、日ノ本一の町となる。それをそなたに見せたいのじゃ。ワシの作り上げた町をそなたに誇りたいのじゃ」
ふふふ、秀忠くんらしいなあ。私は、東京が日本一の町であることはもう知ってますよ。私の憧れた街、秀忠くんが作り上げた街。とても素晴らしい街。
ああ、すごく体がだるくなってきちゃった……。ああ、これはあのときの感覚だ…………。もう、秀忠くんや子供たちの声も聞こえなくなってきた…………。みんな、ごめんね。私は先に逝きます。天国でみんなの幸せを祈っています……。
…………。
そして、私の意識は、そのまま途切れていってしまった。
こうして、豊臣家の小姫として生まれ変わり、徳川家に嫁いでからはお柚の方と呼ばれ、最後には御台所となった私の生涯は終えたのでした。
『輝ける東の京で我願う。この泰平が永遠に続けと』
これが私が残した辞世の句。ストレート過ぎて、あまり出来はよくないかもしれない。でも、これは私の素直な心情なのだ。秀忠くん、家光くん、そして、私の徳川の子孫たち。どうか、よろしくお願いします。
享年三十二歳。少し短かったけれども、素敵な旦那様と可愛い子供たちに恵まれた、とてもとても幸せな人生でした。
◇ ◇ ◇ ◇
…………。
…………。
……あれっ、私、まだ死んでない?
ティントン! ティントン! ティントン! ティントン!
自分の周りでけたたましい音が鳴り響いていることに、気が付く。
ああ、うるさいなあ。何なの、この耳障りな音は。……んっ? あれっ、この音は、以前どこかで聞いたことがあるような……。どこでだっけ?
そんなことを思っていると、その不快な音は突然止んだ。そして、その代わりに――
「柚葉ちゃん、柚葉ちゃん! 頑張って! 頑張るのよぉ!」
懐かしい声が耳元で聞こえてくる。あれっ、この声は誰? 北政所様? 孝蔵主様? 阿茶局様? ううん、違う。私にとってもっと身近な人の声だ。
そう、私のことを昔の名前で呼ぶ懐かしい声。これはお母さんの声だ!
私は、お母さんに話しかけようとしたけれど、まるで喉に力が入らなかった。えっ? どうなってるの?
「クランケの心拍、戻りました!」
看護婦さんらしき人の声が聞こえる。えっ? どういうこと? 私って、まだ死んでなかったのかな?
どうやら、私は病室にいるようだ。体には何本ものチューブが付けられていて、自分で呼吸することすらできない。ああ、そう言えば、生まれ変わる直前は、こういう感じだったっけ。
ん? ということは、小姫に生まれ変わって、秀忠くんと結婚して御台所様になったのは、全部私の見ていた夢だったってこと?
えええええっ!?
私は、病室のベッドの上で、声にならない驚きの声をあげたのでした。
◇ ◇ ◇ ◇
それから二年が経過した。アメリカで開発された新しい薬が効き、私は死の淵の病床から奇跡的に回復をした。高校には通えなかったけど、去年の夏に高卒資格認定試験というものを受け、無事に全科目合格した。
そして、この春。私は、東京の私立大学に合格して、同級生より二年遅れで、女子大生となったのだ。今は東京の郊外のアパートで独り暮らしをして、都心の大学に毎日電車で通っている。
憧れの東京での生活は、それなりに充実している。すぐに大学で友達もできて、昨日の日曜日には、一緒に原宿にも遊びに行った。週に二日は、アパートの近くのパン屋さんでアルバイトもしている。勿論、大学の講義も大変で、昨日の夜は遅くまで自宅で課題のレポートをまとめていたほどだ。
でも、やっぱり、小姫として、お柚の方として、御台所として暮らしていた日々と比べると、何かが足りないような気がする。心にぽっかりと穴が開いているような気分になるときもある。
今日も朝からそんな一抹の寂しさを覚えながら、山手線の目白駅で緑の電車を降りる。でも、まずは大学だ。大学の講義に付いていくのは大変だけど、新しい知識を得ることは楽しくもある。
「ふぅーっ、なんとか遅刻しなさそうだな」
目白駅のすぐ傍にあるキャンパスに早足で向かいながら、私は安堵のため息をつく。
私の通う大学は、由緒正しい名門大学。明治時代に皇族・華族の教育機関として作られた超名門の学校だ。戦後からは、一応、普通の大学ということになって、一般の学生を大勢受け入れているけど、今でも皇族や元華族の人たちが通っていたりもする。
キャンパスに入ると、大教室へ。よかった。まだ、教授は来ていない。私が一息をついていた時だ。
「柚葉様、ごきげんよう」
背後から気品のある声であいさつをされた。ああ、この声は。
「美茶子様、おはようございます」
私にあいさつしてくれたのは、豊臣美茶子様。大学の同級生。とはいっても、彼女は庶民の私とは全く違う世界の人だ。豊臣家は、元公爵家筆頭で、この日本では皇室に次ぐ家格とされている。美茶子様は、その豊臣家の跡取り娘なのだ。
「今日の柚葉様のお召し物のデザインは、すごく味があられますね。どちらでお仕立てになられたのですか?」
「えっ? あ、いや、これは仕立てたのではなく、お店で買ったやつで」
「ああ、プレタポルテでございましたの。柚葉様のセンスは、さすがですね。うふふふふ」
……。いや、これは地元のユニクロで売ってたやつなんで、プレタポルテなんて大層なものじゃないんだけど。やっぱり、豊臣家のお姫様は、庶民の私なんかとは、ものごとの発想が全然違っている。
でも、お互いの住んでいる世界が全然違うのに、私は彼女に親しみを感じている。それは、彼女の笑顔だ。彼女が笑った顔は、お橙ちゃんにそっくりなのだ!
そう、美茶子様の御先祖は、関白・豊臣秀頼様とその正室で北政所だったお橙ちゃん。お橙ちゃんの血は、美茶子様に受け継がれている!
「あらっ、柚葉様。どうされました? 私の顔に何かついておりますか?」
「えっ、いや、な、なんでもないです」
「そうですか。あっ、そうそう、柚葉様は昨晩の大河ドラマをご覧になられまして?」
「えっ、いや、私は今の大河は見てなくて……」
日曜夜八時にNHKで放映されている大河ドラマ、今年のタイトルは、なんと『小姫 ~織田・豊臣・徳川をつなぐ姫君の愛と成長の物語~』。いや、そんなの気恥ずかしくてとても見ることなんてできないよ。それに、このドラマにはとんでもない問題があるのだ。
「そうですの。昨日の秀秋様と小姫との別離のシーンは、すごく感動的でございましたのよ。心は通じ合っているのに、運命には抗うことはできない二人。せめてもの思いを伝えようと、小姫は自分の大切にしていた扇子を秀秋様に渡しましたの。それを秀秋様は大切に受け取ると――」
……。私が今年の大河ドラマを見たくないのは、これが一番の理由だ。なぜだか知らないけど、結婚前の私が、小早川秀秋こと秀俊くんと恋愛関係にあったことになっているのだ!
ドラマのあらすじを見たときは、怒りの余り倒れそうになってしまった。私はずっと、秀忠くん一筋だったんだからね。ドラマの制作者は、歴史を変な方向に改変しないで欲しいよ。
まあ、でも、小早川秀秋は、とても人気のある武将だ。歴史上の偉人の人気ランキングでは、いつも上位に位置している。特に若い女の子の間では、一番人気と言っていいほどだ。だから、そんな人気武将と主人公の間でロマンスがあったことにして、視聴率を稼ごうとしているのだろう。
やがて、教室に教授が入ってきて、日本史の講義が始まる。今日のテーマは『織豊政権から徳川政権への権力移行』。教授の口から身近な人の名前が次から次へと出てくるので大変興味深かった。途中、小姫という名前が出てきたときは、ドキッとしちゃったけど。
講義の後、ノートパソコンを鞄にしまっていると、美茶子様がまた私に声をかけてくる。
「柚葉様、今日はこれから私の家でお茶をしますのよ。もし、よろしければ、柚葉様もご参加なされませんか?」
「えっ? ああ、ごめんなさい。これから、行かなくちゃいけないところがあるので、今日は行けません」
「あら。そうですの。それは、とても残念ですわ」
そう、今日はよく晴れている。東京に出てきて以来、特別な用事が無くて天気が良い日には、必ず行くところがあるのだ。
私は大学のキャンパスを出ると、山手線の目白駅に向かったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
山手線の浜松町駅を降りて、しばらく歩くと目的地に到着した。ここは、私がお橙ちゃんと一緒に伏見から江戸に来た時に最初に寄った場所。芝の増上寺だ。
このお寺は徳川家の菩提寺で、江戸幕府の歴代の将軍の内、秀忠くんを始めとする六人と、その家族が埋葬されているのだ。ちなみに家康は日光の東照宮、家光くんは上野の寛永寺に埋葬されている。
私は、東京に来て以来、暇を見つけてはこのお寺で参拝している。三解脱門という正門をくぐり、お寺の中に入る。そして、大殿の横をすり抜け、裏手に回るとそこが徳川家の墓所のある場所だ。
「はあ、やっぱり、今日もこっちの門は開いてないか」
徳川家墓所の入り口にある三つ葉葵の紋が配された青銅製の門は、今日も閉じられたままだ。
「まあ、しょうがない。いつも通り、ここでお参りをするか」
私は秀忠くんのことを思い出しながら、門に向かって目を閉じ手を合わせる。秀忠くん、私も今は東京で暮らしてますよ。秀忠くんが作り上げたこの素晴らしい街で。
十五分ぐらい、そうしていただろうか。家に帰ろうと振り返った時だ。黒衣に身を包んだ若いお坊さんが、私の方に歩いてきた。
「そこのお嬢さん、随分と熱心にお参りをされておられましたが、ひょっとして、徳川家になにか縁のある方ですか?」
「ええ、まあ、ちょっとした……えっ!?」
そのお坊さんの顔を見て、私は驚いてしまった。なんと、私の従兄だった織田秀信さん、通称三郎くんにそっくりだったのだ。
三郎くんは関ケ原の戦いで西軍に味方して敗れた後は、ここ増上寺で僧として修行を続けていた。そういった意味では、彼にとってとても縁のある場所だけど……。
「どうされましたかな?」
「い、いえ、お坊様が知り合いによく似ておられたので。えっと、ひょっとして、お坊様は、織田家の方ですか?」
うん、これだけ似ているんだ。そうに違いない。
「えっ? おだけ? 織田信長、織田秀雄の織田でございますか? ははははっ、いや、拙僧の実家は、そんな立派な家ではございません。ああ、そう言えば、祖父は岐阜出身でしたが」
「はあ、そうでしたか。それは失礼しました」
ふーん、じゃあ、他人の空似か。ふふふっ、でも、本当に三郎くんによく似ている。
「いえ、お気になさらず。いや、そんなことよりも、お嬢さんは徳川家の墓所に入りたいのではないですか?」
「あっ、はい、そうです。でも、一般の人は中に入れないんですよね」
「普段はそうです、ですが、お嬢さんは特別に中にお招きいたします」
「えっ!? いいんですか!?」
「はい、実は、つい今しがた大殿で修行をしていたところ、仏様より、大切な客が来ておる故、墓所に案内するようにと言われたような気がしましてな」
お坊さんはそう言うと、少し照れくさそうに微笑んだ。ふーん、仏様ねえ。でも、中に入れるんだ、よかったあ!
お坊さんは青銅製の門の扉を開けると、私を中に招いてくれた。
「こちらの右側にあるのが、第十二代・家慶公、そして、こちらが第九代・家重公の墓所でございます」
おお、中はこうなっていたんだ。すごく立派な石塔がいくつも並んでいるよ。えええっと、秀忠くんはどこかなあ?
「あの、お坊様、秀忠くん……秀忠公のお墓はどちらですか?」
「第二代・秀忠公は右の奥でございます。隣に並んでいるのは、泰明院様です」
「えっ? たいめいいん?」
誰、それ? まったく知らない名前なんだけど……。
「ははは。小姫様ですよ。今年の大河ドラマの主人公の」
ああ、なんだ、私か。まあ、そりゃそうよね。私は秀忠くんの奥さんなんだから、隣にいるのが私なのは当たり前か。
私は、秀忠くんのお墓の前で正座をすると、両手を合わせて目を閉じる。秀忠くん、お久しぶりです。やっと、お墓に来ることができました。天国で元気にしていますか?
「…………」
遠くの方から懐かしい声が聞こえてきたような気がした。私はじっと耳を澄ます。その懐かしい声は、段々と大きくなってくるように思えてくる。
「…………小姫殿、小姫殿、ワシの声が聞こえておるか」
「ああっ、秀忠くん!」
「小姫殿、ようやく会えたな。そなたが来ることを待ちわびておったぞ」
「秀忠くん、私も、私も秀忠くんに会いたかった!」
ああ、なんてことだろう。私の最愛の人とまた会うことができるだなんて。そんなこと、夢にも思ってはいなかった。私は目を開けて顔を上げる。目の前には、秀忠くんがまばゆいばかりの光に包まれて立っていた。
「ああ、秀忠くん、昔と全然変わってない」
「小姫殿は、少し姿かたちが変わったのう」
あ、うん。昔のように髪は長くないし、白粉も塗ってない。お化粧は口紅ぐらい。ああ、秀忠くんに会えるって分かっていたら、美容院にも行っていたし、お化粧ももっとバッチリ決めていたのに。
「ええ、ちょっと、いえ、かなり、昔とは変わってしまいました」
「いや、じゃが、中身は変わっておらぬ。姿かたちが変わろうとも、そなたが小姫殿じゃと、ワシにはすぐに分かったぞ」
ああ、秀忠くん、なんて嬉しいことを言ってくれるの!
「有難うございます! すごく嬉しいです」
「ふはははは。ワシとそなたは、夫婦じゃからのう。しかし、小姫殿は、この世に生まれ変わったのじゃな」
うーん、生まれ変わったといってよいのだろうか。元に戻っただけなんだけど。まあ、細かいことはいいか。
「はい、今は、折田柚葉と名乗っています」
「そうか、柚葉殿か。小姫殿は、お柚の方じゃからな。して、今の暮らしで事欠くことはないか。楽しく暮らせておるのか?」
「はい、今年の春に東京に出てきて、今は大学に通っています。お友達も何人かできました」
「そうか、江戸は、今は東京というのじゃったな」
「はい、東京は、大きくて賑やかで、とても素晴らしい街です。まだ地下鉄には迷子になりそうなので乗れてなくて、山手線と東武東上線しか乗ったことはないですけど。あっ、そうだ。この間、原宿に行きました。あ、そうそう、竹下通りでは、ユーチューバーさんがロケをしていて……。あっ、そうか、ユーチューバーって、秀忠くんは分からないですよね」
いけない、いけない。嬉しさのあまり、つい興奮して、一方的に喋ってしまった。
「ふはははは。その、ゆうちなんとかのことは、ようわからんが、小姫殿が楽しそうにしているのを見るだけで、ワシも幸せな気持ちになってくるぞ」
秀忠くんは、ニコニコと優し気に微笑みながらそう言ってくれた。ふふふ、いつもと変わらない優しい笑顔。私が大好きだったお顔だ。
「あの、秀忠くん、秀忠くんは、――」
「おお、小姫殿。大変すまぬが、ワシは、そろそろあの世に戻らねばならぬ」
「えっ? それはダメよ。私はもっと秀忠くんとお話がしたいの! 秀忠くんと会えなくて、ずっと寂しいと思っていたから!」
「ふはははは。まあ、仕方がない。これが理なのじゃよ。じゃがな、また、すぐに会えるぞ。そのときは、原宿やゆうちなんとかの話をまた聞かせてくれい」
「秀忠くん、秀忠くん、秀忠くーん!!!」
私は必死に秀忠くんの名前を呼んだ。だけど、秀忠くんを包んでいた光は、次第に輝きの強さを増していき、やがて、彼の姿はまったく見えなくなってしまった。ああ、もっとお話ししたかったのに。
その瞬間だ。ビクンッ! 私の体が大きく震えた。
えっ!?
私は、ゆっくりと目を開ける。目の前にあったのは、石造りのお墓だった。
「えっ? あれっ? どういうこと?」
「お嬢さん、どうされましたかな?」
戸惑う私に、三郎くんによく似たお坊さんが問いかける。
「えっ、いや、いま、あの秀忠くんが……」
「ほう、仏様と対話をされていたのですか。拙僧の目には、お嬢さんが深く瞑想をしているように見えました。あたかも悟りを開いているかのようにも見えましたよ」
「えっ……、悟り?」
うーん、どういうことかはよく分からない。仏様と対話ということは、今の秀忠くんとの会話は夢じゃなかったってこと?
私は首を傾げながらも、お墓の前から立ち上がる。
まあ、いいか。あれは、確かに秀忠くんだった。小姫として二十年以上も側にいた私がそう思うんだから、間違いないはずだ。そして、きっとまたここに来れば、秀忠くんに会えるはず。
「あの、お坊様、すいません。また、この墓所に来たいのですけれど、どうすればよいでしょうか」
私がそう訊ねると、三郎くん似のお坊さんは困ったような顔をしながら、頭を掻く。
「また、こちらにいらしたいと。…………。まあ、これも縁でございましょう。毎日というわけにはいきませんが、月に一度ぐらいであれば、この墓所にご案内いたしましょう」
「おお、有難うございます!」
やったあ! これで、月に一度は秀忠くんに会えるよ。秀忠くん、待っててね。次に会えるのは来月だよ。
私は、心の中で秀忠くんにそう報告した。そのときだ。遠くの方で誰かが話しているのが聞こえたような気がした。
「母上様、父上だけ依怙贔屓はよくないですぞ。上野の寛永寺にもいらしてくだされ」
「ママちゃま、お橙は京におります。京には、杏もおります。是非、京にも」
「母上様、お橘は金沢です。近くの福井には、桃もおります。是非北陸にまで足を伸ばしてください」
「ママちゃま、密柑丸は駿府です。駿府であれば、新幹線とやらを使えば、江戸からはすぐでございます!」
私に遠くから話しかけてきたのは、子供たちだった。ふふふふ、なんだ、みんなとも会えるのか。上野に、京都に、金沢に、福井に、静岡か。色々と回らなくちゃいけないな。交通費が結構かかりそう。ああ、アルバイト頑張らなくちゃ!
増上寺の正門を出ると、空を見上げる。澄み切った真っ青な空が広がっていた。ああ、こんな気持ちのいい日は、東京に来てから初めてかもしれない。
なんだか、私の心に空いていた大きな穴が埋まってしまったようにも思える。ふふふふ、秀忠くんや子供たちに会った時に、今度は何を話そうかな。そんなことを思いながら、私は軽やかな足取りで、浜松町駅へと向かったのでした。
~ ~ ~ ~ 完 ~ ~ ~ ~
本作をお読みいただき有難うございました。この第72話を持ちまして完結となります。今年の1月から9か月余り連載を続けてまいりました。最後までお付き合いいただき、誠に有難うございました。
連載中に、皆様からいただいたご感想やご評価を、大変嬉しく思っております。本作を読み終えてのご感想も教えていただけると大変助かります。
また、まだ本作のご評価をされていない方は、本ページ下の評価欄をクリックしていただけないでしょうか。たかがポイントではあるのですが、やはり評価を得られると次作執筆の励みとなるのです。なにとぞよろしくお願いいたします。
次作はまだ決まっていませんが、書きかけの話や、作りかけのプロットはいくつかあるので、形になりそうなものを選んで、作品としていく予定です。気長にお待ちいただけたら、幸いです。
これまで本当に有難うございました。