第7話:旦那さまとの再会!
織田信雄さんと秀雄くんの訪問から二週間後のこと。
今日もいつものように辰の刻から、和歌に茶道に礼儀作法のお勉強。それが終わった今は、薙刀を師範代わりの侍女さんにみっちりと教えられている。私は武家の娘。しかも、織田家の出身で、豊臣家の養女で、徳川家の嫁なのだ。全てを完璧にできなくてはいけない。
ふっふ、ふっふ、ふーんっ。
でも、今日は、気を許すとついつい鼻歌が出てしまう。いけない、いけない。真面目にやらなくては。私は慌てて薙刀を握り直すと、お師範の教えに集中した。えい、やあーっ! よし、決まった!
そして、昼前。いよいよ待ち人が来る時間となった!
「小姫様、ご支度は整われまたしたか? お婿殿がいらっしゃいましたよ」
私の侍女のお梅さんが襖越しに声を掛けてくれる。そう、これから、私の旦那さまの徳川秀忠くんと客間で会う予定なのだ。
秀忠くんは今は江戸住まいなのだけど、大坂に用事で来たついでに私のところに会いに来てくれたのだ。
「お梅、もう済んでおりますよ。すぐに参ります」
私は、出入りの商人から買ったばかりの打掛を羽織った。西陣織の金襴緞子の高級品だ。兄上の秀雄くんが大名になって以来実家からの仕送りも増えて、私も以前より贅沢ができるようになっている。
秀忠くんに会うのは、一年ぶりだ。ああ、とても楽しみだ。その間も、徳川家の大坂屋敷の人を介して、月に一、二度、手紙のやり取りをしていたけど、やっぱり手紙と実際に会うのとでは大違いだ。
客間に入ると、秀忠くんがあぐらをかいて座っている。秀忠くんは、十四歳。現代で言えば中学生なのだけど、もうずいぶん大人びている。あれっ? 秀忠くん、軍装だな。これから戦いでもあるのかしら?
「おお、小姫殿。お綺麗になりましたな。見違えましたぞ」
「秀忠様こそ、ご立派になられたました。それで、そのお姿ですが、どうされましたか?」
「ああ、実はな。これから名護屋に行くのじゃよ。その道中ということで、大坂に立ち寄ったのじゃ」
えっ? 名古屋? 江戸から名古屋だったら、大坂に来るのって遠回りじゃないかな? ひょっとして私に会うためにそんなに遠回りをしてくれたの!?
「そうでしたか。小姫は、秀忠様にお会いできて嬉しゅうございます」
「ははは。ワシも小姫殿に会えて嬉しいぞ」
秀忠くんは明るく笑っている。うん、やっぱりこの笑顔は最高に素敵だな!
「秀忠様は、いつまで大坂にいらっしゃるおつもりなのですか?」
「うん、それなのじゃが、明日の朝早くには早馬で大坂を発つことになっておる。だから、今日もここには未の刻までしかおれぬのじゃ」
「ええっ、そんなに早く? ずいぶん急なのですね」
未の刻って午後二時ぐらいだよね。そんなに早くに帰っちゃうのかあ。一年ぶりに会ったのに残念だなあ。ちぇっ、いっぱいお話したかったのに……。
「ああ、明日の午の刻には、堺から船に乗ることになっておるからな」
「えっ? お船ですか?」
ええっ? 堺から船に乗るってどういうこと? 名古屋に行くのに船で行くなんて、紀伊半島をぐるっと回らなくちゃいけないから、かなり遠回りになるんじゃない?
「そうじゃ。さすがに、肥前の国に馬で乗って行くのじゃと、楽ではないからの」
「えっ? 肥前の国って、九州ですか?」
「ああ、そうじゃ。……。ああ、そうか! 小姫殿は尾張の国の那古野と思い違いをしておるのじゃな。はははは。ワシがこれから行くのは、同じ『なごや』でも肥前の国の名護屋なのじゃよ」
「ああ、そうでしたか……」
ふーん。肥前の国って、現代の佐賀県辺りだよね。あのあたりにもナゴヤって名前の町があるのね。ん? そう言えば、どこかで聞いたような……。あああっ! そこで私は思い当たった。
「秀忠様! ひょっとして、秀忠様は朝鮮に行かれるのですか! ダメです、ダメです! 絶対に行っちゃダメです!」
私は、肥前の名護屋というところに朝鮮出兵のときの基地が置かれていたことを思い出したのだ。
私の通ってた中学校の修学旅行は、九州一周だった。私は入院していて参加できなかったけど、旅のしおりだけはもらっていて、何度も繰り返し読んでいたんだ。そして、修学旅行の目的地の一つに佐賀県にある名護屋城の跡が入っていた。
秀忠くんが名護屋に行くってことは、そこからさらに朝鮮に出兵しちゃうってことだよね。それは絶対にダメ! 秀吉の朝鮮出兵は失敗しちゃうのよ。外国での負け戦なんかに出てったら、生きて帰って来れないかもしれない。
「ははは、小姫殿、どうされた。ワシは、朝鮮にも明国にも行かぬから安心せよ。いや、名護屋城に待機しておる徳川家の兵が、前田家の兵といざこざを起こしておっての。父の名代として、ワシが話を聞きに行くのじゃ」
「えっ、そうなのですか! ああ、よかったあ!」
私は思わず自分の前で手を合わせた。全身の力が抜ける。本当によかったあ……。
「ははは、小姫殿はそんなにワシのことが心配なのか?」
「はい、もちろんです。小姫は、秀忠様のことが心配で心配でたまりません」
「ふはははは。大丈夫じゃよ。じゃがな、小姫殿。ワシも武将じゃ。戦となれば、兵の先頭に立つこともあろう。矢が当たるかもしれぬし、鉄砲玉の餌食になることもあるかもしれぬ。雑兵に首をかかれることもないとはいえまい。まあ、それでも戦場で死ぬことは武将の誉れじゃ。逃げるわけにはいかぬわ」
「ああ、秀忠様、恐ろしいことを言わないでください。小姫は怖くなりました」
そう、秀忠くんが死んじゃうなんて考えたくもない。そうだよ。もう人が死ぬのも自分が死ぬのもイヤだ。あの段々意識が薄れていく気持ち二度と味わいたくないし、身近な人にも味わってほしくない。
私の体はガタガタ震えてくる。涙もあふれてきて今にもこぼれそうてしまいそうだ。でも、我慢だ。私は袖で顔を覆う。私は武家の娘だ。織田家の生まれで、豊臣家の養女で、徳川家の嫁なんだ。だから、人前で涙は見せちゃいけない。
そんな震える私の肩を誰かが優しく抱いてくれた。秀忠くんだった。
「小姫殿、安心めされ。徳川の男は悪運が強いのじゃ。ワシは、そう簡単には死なぬ。だから、心配せずともよい。安心めされ」
「ひ、秀忠さまあーっ」
私も両手で秀忠くんに抱きついた。秀忠くんの温かさが伝わってくる。秀忠くんは、体も心も温かい。秀忠くんは優しく私の髪を撫でてくれている。
スーッ
静かに襖が開いたような音がした。誰だろう。でも、誰だろうと構わない。
コホン、コホン、コホン
聞き覚えのある咳払いの音が聞こえた。これはお梅さんの咳払いだ。お梅さん、今、いいところなんだから、邪魔をしないでよ。
「あら、あら、あら。若いというのは、ほんにいいことだわねえ」
ええ? この声は……。
「おお、北政所様! いや、ワシは泣いておる小姫殿をお慰めしようとしておったのじゃ」
秀忠くんは、慌てて私から離れた。顔も真っ赤になっている。あ、うん、たぶん、私の顔も真っ赤だと思う。
「あら、秀忠殿。お続けになって、構いませぬのに。さあ、さあ、もう一度お抱きつきなされ。さあ、さあ、そのように遠慮なさらずとも」
北政所様は、秀忠くんと私をからかうような口調だ。秀忠くんは顔を真っ赤にしたまま苦笑いをしている。あ、うん、そういう表情もかわいくて、好きかもしれない。えへへっ。
「ほら、小姫の方からも抱きつきなされよ。ほら、ほら。秀忠殿がお待ちになられておりますぞ」
北政所様の標的が私に変わってしまった。いや、抱き着きたくはあるのだけれど、さすがにこうあからさまに言われると恥ずかしいよ……。
こうして秀忠くんと私は、しばらくの間、北政所様にからかわれ続けたのでした。
読んでいただき有難うございます。二人の初々しい関係は書いていて楽しくなります。
次話第8話は、明日1月12日(火)の21:00頃を予定しています。
明日から毎日一回この時間を目途に投稿を続けていこうと思っております。
引き続きよろしくお願いいたします。