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第68話:北政所様のお言付け

 慶長十四年(1609年)睦月(旧暦一月)。私が小姫としてこの時代に生まれ変わってから十八回目のお正月。いつの間にか、生まれ変わる前に過ごしていた日々と同じぐらいの年月をこの時代で重ねてきた。


 もう生まれ変わる前の記憶は、かなりおぼろげになっている。小中学生時代の友達の顔は、もうぼんやりとしか思い出せない。でも、お父さんとお母さんの顔や声は、今でもはっきりと覚えている。お父さんとお母さん、元気にしているかなあ。あっ、でも、この時代だと二人ともまだ生まれていないのか。


御台所(みだいどころ)様。お橙姫様より書状が届きました」


 私の筆頭侍女、民部卿局ことお梅さんが綺麗な文箱を持ってきてくれた。急いで文箱を開けると、お橙ちゃんからの手紙をじっくりと読む。いつも通り、旦那様の秀頼様との大坂城内での仲睦まじい暮らしが書かれていた。


「まあ、楽しそうでいいんだけどなあ……」


 思わず独り言が口から出る。お橙ちゃんが、大坂城にお輿入れしてからもう五年半になる。その間、お橙ちゃんは月に一、二度近況報告のお手紙を送ってきてくれた。


 秀頼様と仲良く楽器の演奏をしたこと、歌会で作った和歌が皆から褒められ嬉しかったこと、せっかくの七夕に雨が降って少し残念だったこと、大坂城内でお花見をしたこと、天守閣から中秋の名月を眺めたこと。


 お橙ちゃんが、大坂城での暮らしを心から楽しんでいることは、間違いない。でも、ある時気づいたのだ。お橙ちゃんが大坂城から一歩も外に出ていないことを。


 勿論、この時代、大名の奥方様やお姫様が旅行することなんてほとんどない。それでも、普通の奥方であれば、自分の住んでいる城の近辺にはたまに外出することはある。将軍夫人である私も、江戸に来てからも、芝の増上寺での法事に参列することや、尾張織田家や加賀前田家のお屋敷を訪れることはある。


 でも、お橙ちゃんの暮らしは、大坂城で完結しているのだ。来客を迎えることはあっても、自分が誰かの屋敷を訪れることは無い。そして、それはお橙ちゃんだけではなく、旦那様の秀頼様も同じのようなのだ。


「京の北政所様のところに行くことができればよいのになあ。京には楽しい場所もいっぱいあるから、ついでに寄ることもできちゃうし」


 大坂と京の間は十里余り。歩いても一日で到着する。ちょっとした気分転換には最適だと思う。


 実は、お橙ちゃんがお輿入れしてから何度か、淀の方様に対して、「お橙ちゃんを北政所様の京の屋敷にご挨拶に伺わせてはいかがですか」と手紙で提案したことがある。でも、残念ながら淀の方様からは「豊臣家中のことゆえ、他家の者には関わり無用」といった冷たい返事が返ってくるだけなのだ。


 うーん、私も一応、豊臣家の養女として徳川家にお輿入れしているんだけどなあ。冷たくてどこかトゲのある返事を受け取ったときは、少しショックだった。


 でも、北政所様は、関ケ原の戦いの後は一度も大坂城を訪問していないはず。豊臣家の奥方であるお橙ちゃんが、北政所様と一度もお会いしていないと言うのも、さすがにまずいと思うんだ。


 そんなことを考えながら悶々としているうちに、来客が来る時間となる。私は、お梅さんに案内されて客間に向かう。


「御台所様、我が主、高台院より、新年のご祝儀の挨拶の儀、謹んでお伝え申し上げます。本年も、なにとぞよしなにお願いつかまつります」

「孝蔵主様、明けましておめでとうございます。京より遠路はるばるお越しいただきご苦労様でございました。本年もなにとぞよろしくお願いいたします」


 今日のお客様は、北政所様の筆頭侍女の孝蔵主様。北政所様の名代として、京から江戸まで年賀の挨拶に出向いてくれたのだ。なんと五十名のお付きの人と一緒。ちょっとした大名の人よりも、立派な一団だった。まあ、私の方も今は常に十名以上のお付きの人がいたりする。まあ、お互い立場がある人は大変なのだ。


 堅苦しい挨拶の後は、孝蔵主様と二人で別室に移る。そして、互いの近況報告。北政所様は相変わらず京で元気に過ごされているとのことだった。そして、話題は大坂城のことに。


「実は、御上様も、最近はご機嫌が悪いときが珍しくなく、周囲へのアタリが少々厳しいのです」

「ああ、噂では聞いておりました。お橙のことが心配です。手紙では淀の方様とうまくやっていると言ってはいるのですが」

「ええ、お橙様との仲はうまくやっておられるようです。きっと、お二人の相性が合っているのでしょうね」


 おお、そうなんだ、よかったあ!。うん、お橙ちゃんはしっかり者で気配りができる。それに、淀の方様も根が悪い人ではないし。


「そうですか、安心いたしました」

「御上様も、周囲の者に『お橙はあの女とは違い、裏表がなくてよい。親子とはいえども、大違いじゃ』と言われているとか」


 へえ、そうなんだ。淀の方様の知り合いに、裏表のある女の人がいるのね。……ん? 親子といえども? …………。


「ええええええっ!? あ、あ、あの孝蔵主様、い、い、今、なんと!?」

「ええ、『お橙はあの女とは違い、裏表がなくてよい。親子とはいえども、大違いじゃ』と御上様が言われていると」

「そ、そ、それって、私のことですかあ?」


 一体、どういうこと? 淀の方様とは昔からうまくやってきたし、子供の頃は随分と可愛がってもらっていたんだけど。


「やはりご存じなかったのですね。御上様は、御台所様のことを『腹黒なメスダヌキ』とも言われているとか。何かそう言われることにお心当たりはございますか?」


 腹黒なメスダヌキ? なに、それ? なんで、私がそんな風に言われなくちゃいけないのよお!!


「いや、心当たりは全くないです。淀の方様には可愛がってもらっているとばかり思っていました」


 うん、本当に心当たりが無いんだけど……。ん? ひょっとして有楽斎のおじさんを関東に転封したこととか? でも、あのお調子者で無責任なおじさん一人をこっちの方に連れてきただけで、私がそこまで言われる筋合いはないんだけど。


「そうでしたか。高台院様も、御上様と御台所様の仲が悪いことを大層心配しておられます。お二人の仲を取り持ってもよいとも言われております」

「あ、はい、有難うございます。私にはなぜそこまで嫌われているか、まったくわかりません。淀の方様とはずいぶん長くお会いしておりませんので、私のことを何か誤解されているのだと思います」


 うん、淀の方様とは、もう十年も会っていない。昔は本当に仲良しだったのに。あっ、でも、確かに手紙の返事が冷たくなっていたのは感じていた。あれは、関ケ原の戦いの後? いや、秀吉が死んだ直後には、すでに変わっていたっけ。でも、本格的に淀の方様が冷たくなったのは、お橙ちゃんがお輿入れする直前ぐらいだったかな。


「御上様と御台所様が直接会って会話をされれば、必ずや良い方向にものごとが転がっていくことでしょう」


 孝蔵主様は毅然とした表情で、はっきりとそうおっしゃった。いや、本当に直接会えるんだったら、大歓迎なんですけど。ずっと淀の方様と会って話したいと思ってたし。


 でも、淀の方様が江戸に来てくれるとは到底思えない。将軍夫人である私が大坂城に行くことも、周囲がなかなか認めてくれないだろう。


「孝蔵主様、有難うございます。ですが、そうおっしゃられても、私が淀の方様と直接お会いするのは容易ではないと思われます。何か、よいお考えがあるのでしょうか?」

「はい、実は高台院より言付かっていることがございます」

「えっ? 高台院さまからのお言付け?」

「はい。毎年、卯月には京の豊国(とよくに)神社で豊国祭という祭りが開かれております。今年は太閤殿下が、豊国乃大明神としてご遷宮されてから十年という節目の年。ですから、今年は豊国祭を大々的に催すこととなっております」


 へえ、面白いことが大好きだった秀吉のお祭りだから、きっとさぞや楽しいお祭りなんだろうな。


「そのお祭りに徳川家からもご列席いただく予定でございます。つきましては、御台所様にぜひ徳川家の代表として、京までお越しいただきたいと思っているのです」

「えっ? 京でのお祭りに列席ですか? ええ、それはすごく楽しそうなのですけど……」


 いや、本当に楽しそうだし、行きたくないと言えば嘘になる。でも、「お祭りを見たいので、京に行かせて!」って、秀忠くんにお願いするのはハードルが高いかも……。


「なかなか徳川家のお偉い方に、太閤殿下がお祀りされた神社の祭りに御列席いただくのは容易ではないでしょう。しかしながら、御台所様は太閤殿下のご養女。御父上を祀る祭りに列席することは、孝の道を天下に示すことにもなるでしょう」

「はあ、そうであっても、お祭りのために京に行くのは、私でも……。ん? あれっ? ……。あっ! なるほど! つまり、そのお祭りには、淀の方様もいらっしゃる。そこで二人で話をすればよい、そういうことでしょうか!?」


 なるほど、なるほど、さすがは、孝蔵主様だ! すごくいいお考えだ。


「はい、御察しの通りでございます。今年の豊国祭には御上様、それに秀頼様と橙姫様をお招きすることとなっております。そこで御上様と御台所様で、二人きりでお話しいただければと――」

「ええええっ!? お橙ちゃんも来るのですか! はい、行きます。絶対に行きます。秀忠くんにも絶対に認めてもらいます!」


 おお、お橙ちゃんに会えるんだ。五年半ぶりだよ。やったーっ! すごく嬉しい!!


「ほほほほ。橙姫様とお会いできるのは、非常に嬉しいご様子でございますね。でも、此度の本意は、御上様との御面談でございますからね。そのことをお忘れなく」

「はいっ! 大丈夫です。淀の方様の誤解を解きたいと思います!」


 うん、大丈夫、大丈夫。忘れてないから。えへへへっ。それでも、お橙ちゃんと会えるのは本当に嬉しいなあ。顔がニヤケそうになるのを必死でこらえていると、孝蔵主様が少し難しい顔をして私のことを見ているのに気が付いた。どうしたんだろうと思っていると、孝蔵主様が口を開く。


「御台所様は、誤解を解く他にも、御上様にお話しすることがあるのではないですか?」

「えっ?」


 淀の方様と話をしたいこと? ああ、うん、勿論あります。「豊臣が天下を取ることを諦めて、徳川の世であることを認めてください。それがこの国が幸せになる道です」、二人で会うときはそのことを言おうとも思ってる。でも、豊臣家の人である孝蔵主様には、言いづらい。私はうつむいたまま何も話せずにいた。


「あら、どうされましたか? お心をお隠しになるとは、御台所様は裏表のある方になってしまわれましたか? 昔の小姫様は、いつも思ったことを包み隠さずお話になり、嘘はたいそうお嫌いでしたのに」

「いえ、あの、その……」

「それとも、御台所様は、私を欺こうとするメスダヌキに成り果ててしまわれたのですか?」


 そう言うと、孝蔵主様は私の顔ををじっと見てきた。うっ、圧が強い……。まあ、でも、隠しても仕方ないか。どうせ、淀の方様と二人で会うときには言うんだし。私は心を決めた。


「孝蔵主様。私は、この日本、日ノ本が平和な国になって欲しいと思っています。この国から戦さはなくなるべきですし、大勢の人々が苦しむことなく幸せに暮らしていくべきです。ですから、大きな争いのタネになるようなことは避けるべきだと思うのです」


 私は、自分自身の考えを整理しながら、一語一語しっかりと話をする。孝蔵主様は、真剣な表情で私の話を聞いてくれている。


「ですが、もし、淀の方様や秀頼様が天下を豊臣の手に取り戻そうとするならば、間違いなく豊臣と徳川の間で大きな戦さとなります。関ケ原の戦いのような、いえ、それよりも大きな戦になるかもしれません。そうなれば、大勢の人々がまた苦しむこととなってしまいます。ですから、豊臣家は天下を諦めて欲しいのです。天下を治めるのを徳川家に任せて欲しいのです。これは間違った考えでしょうか?」


 私は、自分の思っていることを率直に孝蔵主様に伝えた。真剣な表情だった孝蔵主様は、微笑みを浮かべながら話し出す。


「いえ、御台所様。間違った考えでは、ございません。私も、いえ、高台院様の下で働くものすべては、争いの無き世を願っております。そして、豊臣家が天下を取り戻そうと企てれば、大きな戦さになることも分かっておりますし、今の豊臣ではその戦さに勝てぬこともわかっております。おそらく戦さに負ければ、源平合戦の折の平家のように、豊臣という家は滅びてしまうのでしょう。そのことだけは、絶対に避けなけばなりません」


 孝蔵主様は、はっきりとそう断言してくれた。


「ああ、同じお考えで、よかったです。北政所様も同じお考えなのでしょうか?」

「はい、勿論です。高台院様も何度か御上様にそうお話しされたのですが、受け入れてはもらえなかったのです」


 へえ、北政所様も淀の方様を説得されてたんだ。さすが北政所様だな。


「わかりました。北政所様でもできなかったことが、私にできるとは思えませんが、天下の為、そして豊臣家の為です。それに、私は太閤様の今際の際に『秀頼のことを頼む』と申し付けられました。できるだけのことはしたいと思っております」


 私は、孝蔵主様にそう約束した。彼女も満足気に何度もうなずいてくれたのでした。


 よし、京では、頑張って淀の方様を説得するぞ! 


本作をお読みいただき有難うございます。また、ブクマ・ご評価・ご感想・誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。私の執筆継続の励みとなっております。


次話第68話は、9月25日(土)21:00頃の掲載を予定しています。本作も終盤に入っておりますが、最後までお付き合いの程よろしくお願いいたします。

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